第百四十八話「特定しますた」
梅雨に入り七月、もうすぐ夏休みが見えてきた。夏休みといえばまた例の近衛家のパーティーに誘われるんだろうか。今年は伊吹と槐は真実の愛に目覚めたんだから、もううちを誘う必要はないと思う。九条家は元々近衛家のパーティーに呼ばれてなかったわけだし誰も困らない。
まぁ強いていえば一条家への牽制がどうこう、という話だけど、それももう大丈夫なんじゃないかな?あれ以来一条家からのちょっかいはない。七清家に次ぐ洞院家を失ったんだから一条家も相当なダメージだろう。これ以上争っても不毛なだけだし諦めたんじゃないだろうか。
「今日も暑いですね……」
「そうですね」
薊ちゃんはパタパタと扇子で扇ぎながら参ったような顔をしていた。薊ちゃんは暑さに弱いのかもしれない。
「本当にもう……、暑すぎて……」
椿ちゃんも溶けてるな……。基本的に皆暑さに弱いようだ。俺は真夏のクソ暑い中、道場で死ぬほどしごかれているから、多少の暑さなら我慢出来なくはない。まぁ我慢出来るだけで暑くないわけじゃないけどね。
でも他の皆は良い所のご令嬢だから暑い寒いは苦手なんだろう。藤花学園だって学園中に空調が効いているけど、やっぱりそれでも外の渡り廊下を歩いたり、グラウンドに出たりはしなければならない。少し歩くだけでも暑さと、何より湿気で蒸れて暑い。
「咲耶ちゃんっていつも平気そうだねー?」
「え?そうですか?」
確かに俺は皆みたいにぐでっとはしてないかもしれない。そんな格好をしようものなら師匠にどえらい目に遭わされるからな。どんな時も隙は見せてはいけない。
「何か秘密があるのですか?それとも何かコツが?」
コツって……。ほんと蓮華ちゃんは面白いなぁ。たまに黒い蓮華ちゃんが出てきて毒を吐くけど、少なくとも俺は面と向かって毒を吐かれたことはない。それとも裏では俺に対して毒を吐いているんだろうか?蓮華ちゃんはそんな子じゃないと思うけど、ちょっとだけ、ちょ~~っとだけ気になる。
「ん~?秘密と言われましても……。師匠との修行の成果でしょうか」
「お茶やお華の先生との修行ですか……」
ん?まぁ……、百地師匠は茶道や華道のようなものも教えてくれている。あながち間違いではないかな?
「でも茶道や華道でも空調の効いた部屋でしませんか?」
「え?皆さんはそうなのですか?師匠の道場にはエアコン等はありませんが……」
「どっ、道場?」
「え?」
お互いに小首を傾げる。そう言えば俺は通ってる教室について皆に嘘を吐いていたんだったな。もう随分昔のことですっかり忘れていた。
「そっ、それより予約の利用日を決めましょう?」
「あっ!そうでしたね」
また皆でワイワイと話し合う。夏休みまでの食堂予約の利用日を話し合っていた最中だ。途中で脱線してしまったけどもとの話に無理やり戻す。
危ないところだった。そういえば百地流って習ってたら恥ずかしい流派なんだったっけ……。もう当たり前になってたから忘れてた。もっとバレないように気をつけなきゃいけないな。
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夏休みが近づいてきた頃、家に近衛家からパーティーの招待状が届いていた。日も遅いし、手渡しじゃなくて郵送だし、これは本心では来て欲しくないけど、去年一昨年と招待状を出したのに今年は出さないというわけにはいかないから、渋々出してきたんじゃないだろうか?それならこちらも無理に参加したいとは思わないけど……。
「今年からはもう不参加ということで良いのではないでしょうか?」
「…………咲耶、貴女……、何か隠していませんか?」
夕食時に近衛家からの招待状を見せられたからそう答えたら母にジロリと睨まれた。とても怖い。報告してないことはあるけど隠してはいないよ?ほんとだよ?
大体伊吹は槐と結ばれたから俺の婚約者候補ももうなくなりました、なんて俺の口から報告出来るか?出来るわけがない。そもそもそんなことを言ったら俺が母に何を言われるかわかったもんじゃない。男に負けたとか相手を取られたなんて言われたら困るしな。
「このような時期に送ってくるのです。近衛様も本当はもう誘いたくないのではないでしょうか?去年一昨年と誘ってしまったために今年は誘わないというわけにもいかず、散々迷って渋々今頃招待状を出されたのではないでしょうか?ならばこちらも近衛様のお考えを察して不参加にすべきです」
「…………良実、貴方は何か知っていますか?」
何故ここで兄に話を振るんだ……。何か母と話してたらとても心臓に悪い。こう……、圧迫面接されているような気分だ。
「う~ん……?そういえば関係があるのかはわからないけど最近水木も何だか変な様子だったね」
「そうですか……。近衛家で何か……」
兄の言葉を聞いて母が考え込む。水木は関係ないんじゃないかな?まさか水木も伊吹のことが好きだった、なんてことはないだろうし、あったとしてもただの三角関係のもつれだ。俺達には関係ない。
「少し調べることがあるので返事はまだ出しませんが、咲耶も良実もパーティーに参加する準備は進めておきなさい」
「「はい」」
ちっ……。この場で不参加といわせるのは無理だったか。まぁ仕方がない。どちらにしろいくら調べたって伊吹は俺に興味がないんだからこれはもう終わりだろう。あとは槐と二人でよろしくやりつつ、二人のキューピッドになった俺に感謝して力を貸してくれたらそれでいい。
その後は特に問題もなく夕食を済ませてお風呂に入って床に就いたのだった。
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今日は終業式だ。ついに長かった三年生の一学期も終わりを迎える。一年の時もそうだったけど、最初はやっぱり咲耶お嬢様は皆から避けられる。長く一緒にいる間に誤解も解けてくるんだろうけど、最初は誤解されやすいんだろう。あるいは世界がそういう風に出来ていると思うしかない。
一年の時だって最初は皆咲耶お嬢様を避けていたけど、一年が経ち、二年が経つ頃には皆ともうまく打ち解けていたと思う。三年になってクラスが替わったからほとんど知らない子達になってしまったけど、それもこの一学期の間に少しは打ち解けたと思う。
今では朝俺が教室に入って声をかけたら挨拶を返してくれる子も増えてきたし、皆最初は咲耶お嬢様にビビッてるだけだろう。でも話してみれば皆わかってくれる。今回は初っ端に伊吹をぶっ飛ばすという悲劇があったからこうなってしまったけど、人の噂もそのうち消えるというものだ。
さっと終業式を終えて帰路に着く。いつも通り終業式にサロンに行く人はほとんどいない。行っちゃいけないということはないけど、皆だって早く帰りたいということだろう。だったら普段もサロンなんて寄らずに帰ればいいのに……。
まぁそれは俺があまりサロンでも馴染んでいないからであって、他の人たちはああやってサロンで交流することで、五北会メンバーとの繋がりを作っている。卒業しても五北会メンバーというのは強い影響力と団結力を持っている。実質この国の経済界を仕切ってる集まりだからなぁ……。
どうせ俺は九条家を継がないし、政略結婚させられるつもりもないから、無理に五北会で交流を持つ必要もない。適当に参加しつつ、影のように存在感を消してひっそりしていればいい。
それはともかく今日は百地流の修行の日だ。終業式だけで帰れるから時間はたっぷりある!全然うれしくない!しかも夏休みは色々と日程が変わるから、家族旅行やパーティーで修行が出来ない分みっちり鍛えられてしまう。
嫌だ嫌だと思ってるとすぐ到着してしまうわけで、あっという間に到着した道場で俺だけ車から降りて修行を始める。道着は袴で柔術とか合気道に近いかもしれない。あるいは弓道もか?まぁ実際弓術もしてるしね。馬術も習ってるしそのうち流鏑馬もさせられるだろう。
「師匠!重いです!」
「当たり前だ。軽くては修行にならん」
俺は今薙刀を振らされている。はっきり言って滅茶苦茶重い。子供の体で振り回していいものじゃないだろう。木製の木薙刀じゃなくて本物だ。刃は潰しているのかもしれないけど……。
これはたぶん薙刀そのものを教えているというよりは、他のものに応用出来る訓練として薙刀を教えられているんだろう。槍の方がより実戦的で、実際にも戦場では槍が主兵装になっていったけど、薙刀にだって良い所もあるし、他の武術に通じる所もある。
師匠は今俺に薙刀を振らせて型を教えながら、体の動きなども染み込ませているに違いない。これが何の役に立つかは知らないけど……。ぶっちゃけ俺の目的から言えば柔術と棒術か杖術くらいがあればいいんじゃないだろうか?
自分でも時々どうしてこんな修行をしているのかわからなくなるけど、まぁ師匠がやれと言うのなら言われた通りにしておけば良いはずだ。
別に思考停止じゃないよ?俺は武術に関してはド素人だから、俺が無意味だと思ったことでも、プロである師匠がやった方が良いと思ったのならそれに従うべきだ、と思っているだけだ。何も考えずただ言われた通りにしているだけというわけじゃない。
「ボサッとするな!」
「はいっ!」
考え事をしてる場合じゃなかった。とにかく無心で言われた通りにやるしかない。
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とある道場から遥か離れたビルの一室から望遠のカメラを覗いている男がいた。芸の世界において絶大な影響力を誇る百地流。その家元、百地三太夫が数年振りに、そして最後の弟子を取ったと噂になってからはや二年以上の月日が流れている。しかし未だにその最後の弟子という者を見た者はいない。
当然これまでありとあらゆる者がその最後の弟子の正体を暴こうと、あらゆる方法で調査が行なわれた。だがこのスクープを追った者は皆おかしくなる。
それまでスクープに命を懸けていた者が突然引退したり、廃人のようになって見つかったり、あるいは失踪してしまったという情報もある。皆百地流の道場の近くで張り込んでいておかしくなってしまった。
百地流を探ろうとする者には災いが降りかかる。
いつしか界隈ではそんな噂がまことしやかに囁かれるようになった。その真相も含めて絶対に何か掴んでやろうと張り込んですでに数ヶ月。
下手に近づいてはいけない。そのことはよく思い知った。百地流の道場の近くで張り込んでいるとすぐに警察に職務質問されて追い払われたり、何故かカメラが壊れたり、近所の人にヒソヒソと言われて、その場にいられなくなったり、とにかくおかしなことばかりが起こる。
だから作戦を変えた。最新の望遠レンズで撮れるギリギリ遠距離にあるビルを探し、その一室から二十四時間道場を見張る。表の道路から道場が見える良い位置を探すのは散々苦労した。そしてようやく見つけたのは奇跡的にギリギリ道路から道場の入り口が見えるポイントだった。ここからなら全てが見える。
これまでも百地流を訪ねて来る者は数多くいた。百地流から輩出された著名人やその道の第一人者など、かつての弟子達も何かあると百地三太夫を訪ねてくる。その影響力が今も衰えず絶大であることは明白だ。
それ以外にも百地流に弟子入りしたいと日々誰かが訪ねてくるような状況だ。普通あれだけ人が訪ねてくるのならばもっと弟子を取っていてもおかしくない。しかし百地三太夫は現在一人しか弟子を取っていないらしい。
ただの訪問客なのか、弟子入り志願者なのか、あるいは……、本物の弟子なのか。
あれだけの人の出入りの中からその証拠を掴まなければならない。出入りしている人の写真だけを撮って騒いでも失敗するだけだ。その者が絶対に百地三太夫の弟子であるとはっきりわかる証拠をあげなければならない。
その記者は何日も何日も、ひたすらその瞬間を狙い続けた。訪ねて来る者を見極め、証拠の写真を撮りつつ状況証拠を積み重ねる。
「またあの車だ……」
そして……、度々百地流の道場を訪ねてくる同じ車にようやく辿り着いた。うまくカモフラージュされていたが間違いない。車の種類やナンバーも時々変わるので中々わからなかった。しかし降りてくる者の決定的瞬間を捉えたのだ。
一度狙いをつければあとは簡単だった。今までうまく乗り降りの瞬間が撮れないようにカモフラージュされていたが、一度種が分ければどうということはない。あとは何度も訪ねてきている場面を撮り、言い逃れできないだけの状況証拠を積み重ねる。そして……。
「やった……。やったぞ!ついにやった!」
その記者はついに決定的瞬間を捉えた。道場で、道着らしき姿で出入りしている者の写真を撮ることに成功したのだ。その者は定期的に車で訪ねて来ていた者で間違いない。
「くくくっ!やった!特ダネだ!大スクープだ!週刊Flies gatherがついにやったんだ!」
翌週の週刊誌には、デカデカと咲耶が百地流の道場に通い、袴姿で出入りしている写真が掲載されていたのだった。




