第百四十七話「洗脳いくない」
「あのね九条さん……。九条さんが近衛家を訪ねた次の日から伊吹はあんな風になってたんだ……。どう考えても九条さんの仕業でしょ?」
槐がちょっと怖い顔で睨んでくる。まぁ残念ながら全然怖くないけど……。槐にしては必死で怖い顔をしてるんだろう。
「鷹司様……、鷹司様は私が少し何か言ったからといってそれを鵜呑みにして信じ、言うことを聞くのですか?」
「そんなわけないでしょ?」
ほらな。簡単に釣れた。
「では近衛様は私に言われたからと簡単に私の言う通りにされるようなお方でしょうか?」
「それは……」
自信満々に俺がそう言い切ると槐は視線を逸らせた。もう勝ったも同然だ。
「鷹司様は私が、鷹司様は近衛様を愛している、といくら言っても聞きませんよね?ご自身でそんなことはないと思われているはずです。そして近衛様は鷹司様よりも輪をかけて頑固で人の言うことなど聞きません。そんな近衛様が私に、近衛様は鷹司様を愛してる、と言われただけで素直にそうだと応じると思われますか?」
「…………」
槐は完全に視線を彷徨わせて言葉に詰まっている。そう……、伊吹と付き合いが長く、伊吹のことを良く知っている者ほど俺の言葉はよく効く。実際伊吹は人に注意されても言うことなんて聞かない。良い部分も悪い部分も何を言ったって自分勝手に振る舞うことをやめないんだから、俺がちょっと伊吹に何か吹き込んだくらいで意見を変えるはずがない。
つまり今の伊吹の態度や言葉は、俺が何か言ってそういう風にさせているわけではなく、伊吹自身がそう考えて、そう行動しているという証拠に他ならない。
それなのにその伊吹自身が自ら考えて出した答えを俺にどうにかしろというのは筋違いだ。それくらいは槐にもわかっている。だから俺に強く言い返せない。
「近衛様が私の言うことを素直に聞き、悪い点や改善すべき点を直してくれるのならとっくにもっと真人間になってくれているはずです。ですが実際には近衛様はそのようになっておられません。何故ならば近衛様は人の話など聞かないからです。それは付き合いの長い鷹司様の方がよく御存知でしょう」
「それはそうだけど!……やっぱり何か変だよ。九条さんが何かしたんでしょう?」
勢いで反論したはいいけど、やっぱり自信がなくて尻窄みになる。
「いいですか、鷹司様。近衛様はご自身でお考えになり、そしてご自身で導き出した答えを信じておられます。そしてそのために行動されているのです。それを外野である私や鷹司様がとやかく言うのは筋違いです」
「…………」
よしよし。完全に自信のない顔で視線が彷徨っている。
「よろしいですか?近衛様は、いつも寄り添ってくれて、人と衝突しやすい近衛様と他の人の間を取り持ってくれていた鷹司様に大変感謝しておられました。その気持ちが愛しい想いに変わるのにそう時間はかからないでしょう」
「いや……、それは……」
何か反論しかけるけど言わせない。一気に畳み掛ける。
「人は誰しも親身になってくれる人や、尽くしてくれる人に感謝や情を持ちます。その情が友情か愛情かの違いだけです。そして例え最初は友情であったとしても、それがいつしか愛情に変わることもあります。近衛様はいつも傍にいて、尽くしてくださる鷹司様への想いが友情から愛情に変わった。それを自覚されただけなのです」
「そう……、なのかな……」
くっくっくっ!所詮は小学校低学年の子供よ!中身おっさんの俺に勝てると思うなよ!
「そして鷹司様も……、ご自身ではヒーローである近衛様への憧れのつもりでも……、いつも傍にいるうちに次第にご自身でも気付かない感情へと変化しているはずです」
「いや!違うよ!僕は……」
「どうしてそうムキになって感情的になられるのでしょうか?本当に違うのならばそんなに気にされるようなことではないはずです。鷹司様……、貴方もご自身で気付いておられるのでしょう?ご自身の本当の気持ちを……。だからこそ……、それを強く否定したいと思ってそうまでムキになられるのです」
「それは……」
勝ったな。
「同性が好きだなんて気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。この気持ちに気付かれたら今の関係すら失ってしまうかもしれない。そう思うからこそ、鷹司様はムキになってそれを否定しようとしているのです。それこそが鷹司様の本心を何よりも物語っているではありませんか」
「…………」
槐は完全に何も言い返せず俯いていた。勝負あったな。
「これからどうなされば良いのか。もうおわかりでしょう?それでは御機嫌よう鷹司様」
勝利を確信した俺は槐をバルコニーに残してサロンへと戻ったのだった。
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六月に入り、季節はもうすぐ梅雨になる。まだ入梅は発表されていないけど心なしか雨の日が多くなってきたような気さえしてしまう。
バルコニーで槐に自身の気持ちを悟らせてやってから二人に絡まれることはほとんどなくなった。今では二人仲睦まじく過ごしているようだ。俺には関係ないからあまり気にしてないけど……。
俺達のグループは放課後に見せ合いっこをする時はスマホで連絡を取り合い、いつもの教室に集まるようになっている。茅さんや杏も来ての大所帯だ。いっそ杏の部室でもいいんじゃないかと思ったけど今更なので誰もそのことについては触れない。
気温も暑くなってきたし、湿気で蒸れるから最近は皆もそういった対策のものを穿いている。俺も大変勉強になる。接触冷感素材のものとか、通気性の良いものとか、ただの恥ずかしいインナーの見せ合いっこじゃなくて、ちゃんとした勉強会だ。
それでもやっぱり暑さには勝てないのか、皆段々インナーを穿くのが嫌になってきている節がある。別に無理にどうしてもインナーを穿く必要はないと言ってるんだけど中々やめない。やっぱり皆が見せ合いっこしてる中で自分だけ穿かないというのは難しいのかな……。
俺は真夏でもインナーを穿くつもりだけど、というよりそうしないともうスカートが穿けない体になってしまったけど、皆は無理に付き合ってくれなくてもいいんだけど……。今度の会合で提案してみるかな。
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スカートの中も蒸れる季節、俺は今日の会合を最後にしようと決めていた。ここまで俺のインナー研究に付き合ってくれていた皆には感謝しかない。でもこの暑い中、これ以上皆にまで無理してインナーを穿いてもらうのは申し訳ない。
俺は前世は男だったし、男は年中ズボンだから下半身の蒸れには慣れている。女性はスカートが多いから冬の寒い中で足を出すことには慣れているかもしれないけど、暑い中で足を覆うようなものを穿くのは慣れていないだろう。
「え~……、そんなわけで今日の会合を持ちまして、このインナー研究会を終わりにしたいと思います」
「「「「「えっ!?」」」」」
俺の突然の発表に皆が驚いた顔をしていた。でもこれ以上皆に暑い中で無理に……。
「そんな!これからもう咲耶様の美しいお御足が見られないなんて薊は死んでしまいます!」
薊ちゃん……、君は俺の足を見ることが目的で参加していたのか?
「そうよ!咲耶ちゃんはこれからも穿き続けるのでしょう?それなら咲耶ちゃんのインナーを品評しますからこれからも見せて頂戴!私達のを見たくないというのならもう見せないから!せめて咲耶ちゃんのおパンツは見させて!」
茅さん……、見せる時もハァハァ言ってたけど見てる時はもっとハァハァ言ってたもんね?何か変な意味で見ようとしてるんだろうなとは思ってたよ。だって俺中身はおっさんだし……。気持ちはわかってたよ。
「咲耶ちゃん!私の何が気に入らなかったの?教えて?穿いてくるものを変えるから!スパッツ?スパッツがいけなかったの?咲耶ちゃんは一度もスパッツを穿かなかったものね?わかったわ!私はもうスパッツを穿かないからそんなことを言わないで!」
皐月ちゃん……、君は一体どうしてしまったんだ?君だけはそんな子じゃなかったんじゃなかったのか?
皆がワイワイと騒がしくなって収拾がつかなくなりそうだ。だから俺は皆が暑くなってきてインナーを穿くのが辛いんだろうと思って、この会を終わりにすることにしたと説明した。
「皆さんのスカートの中が蒸れてはいけないと思ってのことなのです……。わかってください……。これ以上暑くなっては……、皆さんのスカートの中が……」
「うっ……」
「それは……」
皆がガクリと崩れ落ちる。皆もわかっていたはずだ。これ以上暑くなったら普通のインナーなんて穿いていられないことに……。
俺のように覚悟があるのならいい。例えどれほど暑くとも下着丸出しよりもインナーでガードするという固い意思があるのならいいだろう。でも俺に付き合っていただけの皆の覚悟では真夏にインナーを穿くのは辛すぎるはずだ。
このままでは皆のお股が蒸れてしまう。だから……、だから……。
「今日が……、最後なのですね……」
「はい……」
「もう……、その決意は変わらないのね?」
「はい……」
室内に重苦しい沈黙が訪れる。そして……。
「でしたら最後に……、目一杯楽しみましょう!この二ヶ月少々にも及ぶ会の最後を!」
「皐月ちゃん……」
「そうだよー!これで最後だよー!最後までたのしもー!」
「まさか今日が最後だとは思っていなかったので……、最後に相応しい物を穿いてきたとは言い難いですが……、せめて最後くらいは頑張ります!」
カシャッ!カシャッ!カシャッ!
「私が……、きちんと記録に残しておきますよ!咲耶たん萌え~~~っ!」
「皆さん……」
皆で頷きあって笑い合う。例え最後でも俺達に涙は似合わない。最後まで笑顔で終えるんだ!
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「ふおおおぉぉぉ~~~~っ!!!」
俺は自室のベッドの上で転げまわっていた。恥ずかしい!恥ずかしすぎる!何だったんだ今日のあのインナー研究会は!あの時の俺はどうかしていた!
何が『最後まで笑顔で終える(キリッ』だ!馬鹿か俺は!
あの時はどうかしていた。あの場の雰囲気に流されて変なスイッチが入っていた。でも家に帰ってから冷静になったらあまりの恥ずかしさに悶絶必至だ!
ああぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ!!!穴があったら入りたい!明日皆と顔を合わせられない!
何であんなテンションになってしまったんだろう……。そもそもあの集まり自体が、いくら見せても良いインナーパンツとはいっても、女の子同士で集まってスカートを捲って見せ合うなんていうわけのわからない集まりだったのに、その最後を締めくくろうと何か変なテンションになってしまった!
「いやぁぁぁぁぁ~~~~っ!!!」
ベッドの上をゴロゴロ転がる。思い出しただけで顔から火が噴きそうだ。
「どうされたのですか、咲耶様?」
「もっ、椛っ!?いつからそこに!?」
俺がベッドの上で奇声を発して転げまわっていると椛に声をかけられた。一体いつからそこにいたのか。
「いつからと申されましても、咲耶様がお部屋に入られた時からですが」
全部見られてた!?余計恥ずかしい!
「あああぁぁぁぁ~~~~っ!!!」
そう思うとまた顔を覆って布団に包まりながらゴロゴロと転げまわった。もう自分でもどうすればいいのかわからない。
「咲耶様、そろそろご入浴のお時間ですが」
「あっ、はい……」
いつまでもゴロゴロもしていられない。俺の行動一つでも家族や家人達にも迷惑をかける。決められた時間通りに決められた行動をしないと他の全員に影響してしまう。
まだ顔から火を噴きそうだけど仕方がないのでベッドから出て浴室に向かう。いつも通りにお風呂に入っていつも通りに出る。そして用意されている着替えを着用して気付いた。
俺っていつの間にかドロワーズを当たり前に受け入れてないか?
椛が用意している俺の着替えはドロワーズだ。そしてパジャマはフリフリのフリルがついたヒラヒラのもので、こちらもフワフワモフモフでフリフリのナイトキャップまで被っている。その姿は完全にロリータファッションだろう。
元々俺のパジャマは普通の、どこにでもありそうな子供用のパジャマだった。上下お揃いでズボンタイプのものだ。
それがいつの間にかキャミソールにネグリジェにドロワーズ、みたいな感じになっている。どれもフリルがついていてとても可愛らしい……。ってだからそうじゃない。それにモフモフナイトキャップ……。どこを目指しているのかわからない。いや、さっき言った通りロリータファッションだと思うけどね?
「え~……、椛」
「はい!いかがいたしましたか?」
俺が呼ぶと椛がすぐに飛んできた。でも俺は椛が用意した物を脱いでいる。
「もうこのようなスタイルはやめて前までの下着とパジャマを用意してください」
「そっ、そんな!どうしてですか!どうして急に!?」
むしろ逆だ。どうして今まで気付かなかったのか。毎日毎日椛が少しずつこういうファッションのものにすり替えていっていたというのに、俺は特に何も考えずに当たり前のように着ていた。どうかしていたようだ。
これが洗脳か……。とても怖い。人を洗脳しようなんてとんでもないことだな!絶対しちゃいけないぞ!
「前までのスタイルの下着とパジャマに戻してください」
「そんなぁ……」
椛はまだ食い下がろうとしているけどここで甘い顔をしてはいけない。インナー研究会も終わったことだし、もうこういうことはやめよう。もしこんなことをしていて俺の心まで本当に女の子になったらどうするんだ……。
それを想像してブルリと震えたのだった。