第百四十三話「洗の……、説得」
「近衛様?少しお話しませんか?」
「いえ……。お断りします……」
俺が話しかけてもそそくさと逃げられる。『結構です』とか『いいです』というような曖昧な答えは言わない。きっぱりとお断りされてしまう。
相変わらず小さな声でボソボソとしゃべっているけど、俺に関わられるのは嫌らしい。それに言葉遣いや習慣はそう簡単には変わらない。俺達のような立場だとどちらとも受け取れる曖昧な言葉や態度は極力使わない。いらないのならいらない。断るのなら断る。
もちろんそれもケースバイケースであって、相手や事情によってはそれとなく答えを濁すこともある。絶対何でもきっぱり断るというものじゃない。ただ曖昧にしてはいけないことはきっぱり断るというだけのことだ。
ビジネス的なものは曖昧にしていてはいけない。何を何個、いくらで買う、売る、というのははっきりさせておかなければならない。品質が自分の希望に達していなければ取引をやめたり断ったりもするだろう。こういう時はきちんとはっきりさせる。
逆にパーティーのお誘いとかだったら、きっぱり行きませんと言うと角が立つので、即答を避けて曖昧にしつつ、適当に理由をつけて時間を置いてから行けないと断ったりする。
そういう使い分けを子供の時から習っているので、本当ならこの場合は角が立たないように、ある程度は話をするか、それなりの理由をちゃんと説明してやんわり断る。それなのに伊吹は有無を言わせず、即答で、理由もつけずにきっぱり断っている。
これはつまり、今の根暗王子は俺と話をするのは絶対嫌だと思っているということだ。
あれ……?じゃあこれってこのままの方が俺にとっては都合が良いんじゃね?伊吹の方が俺を避けてくれるなら、もうずっとこのままの方が俺にとっては都合が良い。伊吹が関わってこないのなら破滅ルートも……。
……本当にそうか?むしろこのことを恨まれて、将来この逆恨みを晴らすために無理やりでも破滅させられるんじゃ?
どっちだ……。どっちもあり得る……。こんな状況なかったからゲームの知識が役に立たない。
人生なんてそんなもんか……。明確な答えなんてあるわけもなく、その時々で判断して……、失敗して……、成功して、泣いて、笑って生きていくものだよな……。だから答えなんてわからない。
だったら……、例え失敗しても後悔しない道を選ぶべきだ。失敗を恐れて、失敗しないことだけを考えて生きても後悔ばかりになる……。だから……。
「よしっ!」
最初は槐に言われたからと思ったけど、これは俺のためでもある。そう思うと俄然やる気が出て来た!
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う~ん……。すでに槐に頼まれてから一週間経ってるけど、伊吹と接触しようとしても逃げられてしまう。他の生徒達に対してもほとんど関わろうとしない伊吹だけど、俺に対しては露骨に逃げる。どうやら相当俺が怖いらしい。
そもそも話も出来ないんじゃどうしようもない。説得しようにもまずは説得を聞いてもらえるようにするのが先決だ。今のままじゃ永久にどうにもならない。
それはわかってるけど、じゃあどうすればいい?という答えはないんだよな……。それがわかってたらそもそも悩んでないわけで……。
「…………家に乗り込むか」
もうそれしかない。伊吹が家にいる時に近衛家に乗り込んでいって、無理やりでも話をする。それ以外に話を聞いてもらう方法はないんじゃないだろうか。近衛家に行ったら近衛母にも会うことになるだろう。俺はあの人は苦手だから会いたくない。でもそうも言ってられない。
仕方がないので近衛母に連絡を取ってもらい、伊吹が家にいる日時を確認してから訪ねることにする。アポもなしに行って、肝心の伊吹がいなくて近衛母と会うだけとかになったら最悪だからな。
俺の連絡先まで特定されたくないから、母に頼んで近衛母にアポを取ってもらう。伊吹に用があるけど避けられているから、伊吹が確実にいる日時を教えてくれと頼んだ。何か自分でこう言うのはとても嫌だけど仕方がない。
何故避けられているんだとか、何をしたんだって話になるけど……。まぁ伊吹をボコボコにしてしまったことは皆もう知ってるし、その伊吹の様子がおかしいことは家族なら当然知っているだろう。なので今更取り繕っても仕方がない。ということで開き直って近衛母に聞いてみた。
伊吹はここの所毎日真っ直ぐ帰って来てずっと部屋に篭りっぱなしらしい。それなら俺の都合のつく日でも大丈夫ということで、こちらの予定を確認して近衛家に行ける日が大丈夫か聞いてみた。近衛母が言うには伊吹も絶対いるだろうということだったのでその日に決定する。
あとは近衛家に乗り込んでいって、伊吹とじっくりお話をすれば良いだけだ。
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五月も半ば頃、約束通り近衛家にやってきた。何で俺が伊吹なんぞのためにこんなに何回も苦労しなければならないのか。段々腹が立ってきたし、今日でビシッと決着をつけてやる。
「いらっしゃい咲耶ちゃん!うちの愚息のためにありがとうね」
本当だよまったく。何で俺が伊吹なんぞのためにこんなに骨を折らなきゃならないのか。なんて言えるはずもなく、適当に笑って誤魔化す。
「いえ……、今回のことは私にも責任がありますので……」
もちろん俺のせいだなんてこれっぽっちも思ってないけどそうは言えない。特に近衛家側からすれば俺が原因だろと思ってるはずだ。そもそもで言えば伊吹が原因だけど、伊吹がああなったのは俺のせいだとか思われているに違いない。
「伊吹なら部屋にいるわよ。伊吹の部屋ももうわかるわよね?お邪魔しちゃ悪いから誰も近寄らせないようにするわ。お茶も伊吹の部屋には持っていかないから安心して」
「お気遣いありがとうございます」
やったぜ。これで俺が伊吹に何を言っても聞かれる心配はない。あとは部屋に乗り込んでいって伊吹を説得するだけだ。
前に来たことがあるから俺一人で近衛邸を歩いて伊吹の部屋に向かう。前は扉を開けたらBLな場面を見せられたんだったな……。まさか今回も槐が来ていて、同じような場面を見せられるなんてことは……、まぁさすがにないだろう。あったら近衛母が何か言ってるはずだ。
伊吹の部屋の前に立ってノックをする。でも中から返事はない。何か気配は感じるから誰かがいるのは確実だ。でも返事もせずモソモソとしてるだけで動きはない。こっちから声をかけると俺だとバレる可能性が高い。俺が訪ねてきても伊吹が逃げ出したり、話を聞いてくれない可能性が高いから押し入ることにする。
「失礼しますよ、近衛様」
「――ッ!?」
ノックしてから十分に時間を空けてから扉を開いた。伊吹はベッドの上で布団に包まっていた。別に俺が来たから隠れたわけじゃない。気配の動きからして最初から布団の中でモソモソしていただけだ。そして扉を開けて俺が入ると、一瞬凄い形相をしてから慌てて布団を頭まで被った。
「御機嫌よう、近衛様」
「…………」
扉を閉めて、ベッドの近くまで近づき声をかける。でも伊吹は答えることなく布団に包まったままじっとしていた。このままでもこちらの言うことは聞こえているだろうから口を開く。別に面と向かって話を聞いてもらう必要はない。こちらの言いたいことが伝わればいい。
「近衛様、貴方は最低な方です」
「――ッ!?」
俺が口を開くと布団が揺れた。中で伊吹がビクリと動いたからだろう。これで声は聞こえているのはわかった。俺はさらに続ける。
「高圧的で、わがままで、自分勝手で、人のことなど考えない。人として貴方は最低です。クズ野郎です」
「…………」
相変わらず返事はない。でも俺は続ける。ここで終わったらただ罵倒しに来ただけで終わってしまう。それは俺の目的じゃない。ここまでで言ってることは本心だけど、ここぞとばかりに言いたい放題言ってるけど、それで終わってしまったら後がやばいからな。
「貴方は自分が周囲にチヤホヤされるのは自分が素晴らしく、優れていて、人に賞賛される人間だからだと思っているでしょう。ですが違います。貴方に従い、貴方を賞賛している人達は、近衛家を恐れ従っているだけで、貴方のことなど誰も評価していません。貴方は無価値な存在です。近衛家という看板がなければ何の価値もありません」
あれ?何か言おうと思っていたことと違う言葉が出てしまう。あ……、これが本心ってやつか……。つい出てしまう本当に心の底から思っていること……。それはこういう時につい出てしまうんだな。
「俺は……、無価値……、自分勝手……」
「そうです。貴方は自分が偉そうにしている自覚もなく周囲の人々に迷惑をかけています。それが当たり前だと思っています。周囲はそんな貴方に従っていますが、それは近衛家に逆らえないからです。貴方が偉いわけでも、優れているわけでも、貴方に従おうと思っているわけでもありません」
伊吹が俺の言うことを復唱するように呟いている。うんうん、良い感じだ。
「皆さんは、今貴方がこうして大人しくなっていることを喜んでいます。あの馬鹿で鬱陶しい近衛伊吹が大人しくなったと誰もが今の状況を歓迎しています」
「俺は……、いなくなった方が良い?」
お?俺が言ってないことまで考え始めたな。良い兆候だ。こうして自分で考えたかのように思考を誘導していけば、本人は思考を誘導されたと思うことなく、自分で考えたと思い込みながらこちらの狙い通りの方向に進んでくれる。心が弱っている奴を誘導するのはとても簡単だ。
「そうです。貴方はいなくなった方が良い。人に迷惑をかけている」
「俺は……」
「ですが……、そんな貴方でも想ってくれる人はいるのです。貴方がいなくなればご両親は悲しむでしょう」
「俺を想ってくれるのは両親だけ……」
よしよし。いいぞいいぞ。
「実は……、貴方のご両親や親族以外にも……、貴方のことをとても心配して想ってくれている方もおられるのですよ」
「家族以外にも……?こんな……、いなくなった方が良い俺を?」
「そうです。貴方のようないなくなった方が良い方でも、大切に想ってくれている方もいるのです。貴方は今その方達にとても迷惑と心配をかけています。今貴方がすべきことはこうして布団に包まって現実逃避することではありません」
思った以上に良い調子できている。これなら俺の狙い通りになりそうだ。
「その方は、私に頭を下げてまで貴方を立ち直らせて欲しいと頼んできたのです。私がここへ来たのはその方の意を汲んでのこと。こうして話しているのはその方の想いを貴方に伝えるためです」
「こんな俺を……。それは……、それは……、誰だ……?」
よし!きた!
「貴方のことをとても心配し、自らの身も省みず私にも頭を下げて頼み、誠心誠意貴方のために尽くしてくれている……。それは貴方のことを想い、愛してくれている人……」
「愛……。俺は……、こんな俺でも……、家族以外にも愛してもらえる……?」
「そうです……。その方は貴方のことをとても、心の底から愛しています。貴方もその方の愛に応えなければなりません」
くっくっくっ!全て順調!計画通り!これで……、伊吹は俺の思い通りに……。
「それは……、それは誰なんだ!」
とうとう伊吹は布団から飛び出して俺を真っ直ぐ見詰めてくる。その目には強い意思が宿っているように見える。
「それは……、鷹司槐様です」
「……………………は?」
そしてポカンとした顔をしている。その反応も予測済みだ。
「鷹司槐様は近衛伊吹様を愛しておられます。これまでのことを振り返ってみてください。他の方が近衛家という貴方の後ろに見える看板だけしか見ていなかったというのに、鷹司様だけは貴方自身を見てくれていたでしょう?」
「それは……」
伊吹の視線が揺れる。これまでのことを思い返しているんだろう。そして思い当たる節がたくさんある。それはそうだ。俺は確信している。伊吹と槐はBLカップルだ。だから……、あとはお互いにその気持ちを気付かせてやればいい。
「思い当たることがたくさんあるのでしょう?いつも庇ってくれていた鷹司様。周囲と軋轢を生みやすい近衛様のことを、いつもいつもフォローしてくださっていたはずです」
「確かに……」
うむ!いいぞ!あと少しだ!
「そして今回のこともそうです。鷹司様は本気で近衛様のことをご心配され、私にまでこのようなことを自ら頭を下げて頼みにこられました。それがどういうことかはもうおわかりでしょう?」
「槐は……、俺を愛している?」
「そうです!そして近衛様もまた鷹司様のことを愛しておられる」
「俺は……、槐を愛している?いや……、俺は……」
ちっ!まだ抵抗するか……。でももう勝負はついてるんだよ!
「いいえ。よく思い出してください。近衛様が一番信頼しておられる方はどなたですか?いつも一緒におられたのはどなたですか?どなたといる時が一番心が安らいでおられますか?」
「そっ、それは……」
よし!きた!これで止めだ!
「答えられる必要はありませんよ。それは全て同じ人でしょう?近衛様……、鷹司様は近衛様を愛しておられます。そして近衛様……、貴方も気付かぬうちに鷹司様を愛しておられたのです!」
「俺は……、槐を……、愛している……」
よーしよし!やった!やったぞ!これで完璧だ!これで伊吹は槐とハッピーエンドだ。そしてそのキューピッドを果たした俺は恨まれることなく破滅もさせられない。これこそが完璧な作戦というものだ。
「ご自身の真なる心にお気づきになられたようですね。それでは私はこれで失礼します。御機嫌よう近衛様」
「俺は……」
まだブツブツ言ってる伊吹を残して近衛家を出る。近衛母にお茶に誘われたけど適当に断った。これでもう近衛家や伊吹とは敵対もイベントも発生しないはずだ。
俺、大勝利!