第千三百九十七話「卒業パーティーを終えた後」
は~……、踊った踊った。今日の卒業パーティーではあれからあまり親しくなかった男子も女子も誰彼構わずにとにかく終わりまで踊りまくった。俺にダンスを申し込んでくる者が長蛇の列になっていたから俺は最後まで休憩する暇もなく踊ることになった。
「お疲れ様でした咲耶様」
「疲れたというほどのこともありません。それに……」
「それに?」
「…………いえ、何でもありません」
迎えに来てくれた椛と一緒に車に乗り込み揺られている。ダンスなんて軽い体操のようなものだから数時間くらい通して踊っても疲れるというほどのものじゃない。ただ……、俺は……、色々な思いが去来していて感情がぐちゃぐちゃで考えが纏まらない。
まず一番大きな実感として……、俺は卒業パーティーを乗り越えることが出来たんだ。それが今もジワジワと実感されている。でも思ったよりはこう……、凄い感情の波がやってきたりはしていない。
もちろん凄くうれしいしやり切ったような感じはしている。でも何ていうか……、正直なところ拍子抜けすぎて実感があまりないという感じだろうか。俺が事前に考えたり恐れたりしていたことに比べてあまりにあっさりしすぎていて本当にこれで乗り越えられたのかという感想が一番大きい。
卒業パーティーの断罪を乗り越えられたということはこれから俺は無事に大学に進学して皆と一緒にまた学生生活を送れるということだと思う。それに対する喜びの方が断罪を乗り越えた実感より強い気がする。色々心配していたけどこれで皆とまた大学でも一緒に居られるのはとてもうれしい。
でもそうは言っても全員じゃない。俺達の中ではひまりちゃんは国立大学に進学してしまう。進学先ももう合格して決まっているから今更変えられるものじゃないし、俺達が一緒に居たいからという理由だけで今後のひまりちゃんの人生全てを左右するような重大な進学を棒に振ってくれとは言えない。
ゲーム『恋に咲く花』では藤原向日葵に藤花学園大学に通うように言い、全ての面倒を見るから一緒に大学生活を送ってくれと頼む攻略対象もいる。その場合は藤原向日葵はその攻略対象の家に嫁ぐ予定なのだから進学先なんて多少の違いがあってもどこでもあまり大差はないだろう。でもこちらでひまりちゃんが同じようにすることは出来ない。
ひまりちゃんにとって重要なのは学費とか学生の間の生活費なんかじゃない。いくら俺達がそれを負担するから一緒に藤花学園大学に通ってくれと言ってもそれは聞いてもらえないだろう。何故ならばひまりちゃんにとって重要なのはその先……、卒業後の就職先なんだから……。
攻略対象との結婚という永久就職が約束されているのなら進学先なんて大した問題じゃない。むしろ下手に離れてしまうよりも同じ大学に通って心を通わせておいた方が良いという可能性もある。
まぁそれは結婚が確実で離婚もされないという保障がなければ成り立たないけど……。そこはゲームだからとかまだ若くて将来のことをそこまで考えていないからと思うしかないだろう。
ともかくゲームの主人公・藤原向日葵にとっては攻略対象に言われればそういう選択肢も有り得た。だけどひまりちゃんは違う。俺達が大学の学費や生活費を保障したってその後の就職以降の人生の方が遥かに長い。
俺達は同性なのだから結婚して今後一生全ての保障をするということは出来ない。いくら大学の間だけ学費と生活費を保障されても卒業した後の就職が不利になるのであればそれ以降の人生全てが狂ってしまう。あるいは家族にするはずだった仕送りまで減ってしまえば実家の家族の人生設計すら狂いかねない。
本音を言えばひまりちゃんとも同じ大学に通ってキャンパスライフを送りたかった。でもそれを俺達が頼むわけにはいかない。ひまりちゃんの残りの人生全てに責任を負えないのならば、そしてひまりちゃんの希望する将来があるのなら、それを俺達の、いや、俺の我儘で捻じ曲げるわけにはいかないんだ。
それから最後に……、俺は思ったよりも同級生達に嫌われてはいなかったのではないかという気がした。
今まで俺は九条咲耶お嬢様がゲーム中では嫌われ悪役令嬢だったから俺も嫌われているものだと思っていた。でも今日の卒業パーティーでは俺にダンスを申し込んでくる男女が途切れることはなかった。もしかしたら希望者全員と踊り切れなかったかもしれない。本当に嫌われていたらいくら最後だからといってもそこまで大勢が俺にダンスを申し込んだりしないだろう。
つまり……、俺は……、ゲーム『恋に咲く花』の『嫌われ悪役令嬢・九条咲耶お嬢様』ではなく、現実となったこの世界の『珍獣・九条咲耶』だったんだ!
俺は周囲から遠巻きに見られているようなことがたまにあったように思う。それは俺が嫌われ悪役令嬢だから遠巻きに見られているのだと思っていた。でもそうじゃなかったんだ。俺があまりにご令嬢らしくないから珍獣を見るように遠巻きに見られていた。それが皆の視線の正体だったんだ。
そして今日のダンスの希望が殺到したのは……、そんな珍獣とこの機会に少しだけ接してみたいと思った皆の好奇心だったに違いない!
日頃は直接接することも出来ない珍獣を遠巻きに眺めていたけど、今日は卒業パーティーという無礼講であり大きな節目だった。さらに大学へ進学すれば高等科までの生活とは一変する。今までは学生生活を快適に送るために珍獣を遠巻きに見ているだけだったけど、卒業パーティーという非日常の空気や今後はあまり接せずに暮らせるという安心感から最後に珍獣と踊ってみたいと思ったんだな!
俺は嫌われ悪役令嬢じゃなかったんだ……。ただあまりにお嬢様らしくなく奇抜な行動ばかりするから珍獣だと思われていただけだったんだ。
本当はそうじゃないかもしれない。でも俺はそう思っておくことにする。皆に嫌われて避けられていたわけじゃないと思うだけでも気持ちが少しは楽になるというものだ。
「咲耶様、到着いたしました」
「……え?ここは……」
椛は車が到着したと言うけどそこは九条邸のロータリーじゃなかった。同じ敷地内ではあるけど場所は違う。ここは……。
「九条家のホール?」
九条家の屋敷がある場所と同じ敷地内に九条家所有のホールがある。九条家のパーティーを行う時などはここで行われるし、門流の集まりや会議がある時も使われることがある。一体何故車をホールの方へ回したのか分からない。ここからでも歩いて屋敷まで行くのもそうかからないけど何故わざわざこちらに?
「咲耶ちゃん!卒業おめでとうなのだわ!」
「咲耶たんおめでとうっす!」
「まぁ!皆さん……、どうしてこちらに?」
車を降りて椛の案内でホールのロビーに入ると皆が待っていた。皆というのは茅さんとか杏とか、同級生じゃない友達や仲間が全員だ。
「お~っほっほっほっ!サプライズですわ!咲耶お姉様!」
「百合ちゃん……」
そういえば今日のパーティーで百合の姿を見なかった。もちろん百合は本来一学年下だから卒業式も卒業パーティーも参加出来ない。でもそう言われたからって百合が大人しくしているなんておかしいと思うべきだった。
普段の百合だったら自分は参加出来ないと言われても、泣いて、叫んで、暴れて、ごねて、とにかく手がつけられない状況になっていたはずだろう。最終的には誰かの説得によって引き下がっていたとしても、それまでに絶対一悶着以上のことがあったはずだ。でも今回それがなかった。それは何故か?その答えがこれか。
百合は卒業パーティーに自分も参加するとごねるのではなく、卒業パーティーには参加出来ない他の学年や科の子達、卒業生達を集めて別のパーティーを企画していた。だから卒業パーティーに参加するとごねることもなくこちらの準備に集中していたんだ。
「これは確かに……、サプライズですね」
「やりましたわ!大成功ですわ!」
確かに大成功だ。こういうサプライズだったら仕方がない。素直にやられたと思う。
サプライズにも良いサプライズと悪いサプライズがある。これまでの百合のサプライズは悪い意味のサプライズが圧倒的に多かった。実際にはそこまで言うほど悪いというものでもない場合が多かったけど、それでも良いか悪いかで分ければ悪い方に分類される物が大半だっただろう。でも今回は違う。今回は良い意味で驚かされた。
もちろんパーティーを企画して準備したのは百合だけじゃないだろう。この場に集まってくれた人全員のお陰だと思う。でも百合にしては本当に良いサプライズをしたものだと感心してしまった。
「咲耶ちゃん、卒業おめでとう」
「ありがとうございます菖蒲先せ……」
「もう先生じゃないでしょ?」
「あっ……、はい。菖蒲さん……」
ついつい菖蒲先生と呼んでしまう。そりゃ初めて会った時から十二年以上も菖蒲先生と呼んでいたらそうなってしまうというものだよな。これはこの先に直るのだろうか?もしかしたらもうずっと菖蒲先生と呼び間違えてしまうかもしれないな。
「「咲耶お嬢様、ご卒業おめでとうございます」」
「「「「おめでとうございます」」」」
「ありがとうございます、海桐花、蕗、それに李ちゃんや射干ちゃん達も」
行儀見習いの子達も今日はドレスに着替えて来てくれている。この場にいる子が全員ドレスに着替えて来ているし、わざわざ九条家のホールに集まっているということはこれからまたパーティーをしてくれるということだろう。
「九条様、ご卒業おめでとうございます」
「おめでとうございます!」
「――ッ!――ッ!」
「ありがとうございます、坂本さん、島さん、壱岐さん」
酢橘達もお祝いに駆けつけてくれたようだ。でも蜜柑……、首を必死に振って祝ってくれているのは伝わるけど少しくらい声を出して言葉にしようよ?
「おめでとうございます咲耶お姉様!」
「まぁ……。桜も来てくれていたのですか」
ホールのロビーには桜の姿もあった。当然のように桜もドレスを着ている。でもこのスカートを捲ってみれば中にはもっこりが隠れてるんだよな……。どうしてこの見た目と声でもっこりがついているんだろう……。あとゲームの時と声が違いすぎる気がする。
ゲームの二条桜と言えば普通に男性の声優が声をあてていた。格好は女装だけど普通に男性っぽい感じだったはずだ。でもこの桜は声からしてまだ声変わりしていない少年か女性かという声をしている。男性声優にも女性かと間違えるくらい高くて女性っぽい声の人もいるけど、ゲーム中の桜はそうじゃなかったしなぁ……。
「九条様おめでとうございますぅ~」
「おめでとうございますぅ~」
「ありがとうございます、三条様、睡蓮ちゃん」
何かこの二人は声もしゃべり方も似ているからややこしいんだよなぁ。多少遠いとはいえ同じ三条の血筋だから似ていても当然といえば当然なのかもしれないけど……。
「咲耶ちゃんおめでと」
「うむ。しかしまだ修行は終わりではない。大学に進学してからも修行を怠るでないぞ」
「エモンさん!師匠!来てくださったのですか?ありがとうございます」
こういう場にはあまり顔を出さない師匠とエモンも来てくれたようだ。まさか師匠まで来てくれるとは思っていなかった。そして修行……。そう!修行!百地流の修行に終わりはない!高等科を卒業してもまだまだ師匠の下で修行に励まなければ!
「姐御……、じゃなかった。九条咲耶お嬢様!ご卒業おめでとうございます!」
「鬼庭様?」
でかい大男が現れたと思ったら欅だった。欅もスーツを着ている。貴族がパーティーに着ていくようなスーツじゃなくてどちらかと言えば仕事用のスーツだと思う。とはいえ欅の家の事情を考えればスーツを用意してわざわざ来てくれただけでも十分過ぎる。
「こんな格好ですんません!でも俺これしか持ってなくて!っていうかこれも来年度から働く仕事先のスーツなんすけど……。京極の野郎には一年遅れだからってもう先輩風吹かされてますけどあんな奴すぐに追い抜いてやりますから!」
「いいえ。どのようなスーツでも良いのですよ。きちんとフォーマルで気持ちと態度がきちんとしているのであれば良いのです。それから鬼庭様もご卒業おめでとうございます。無事に就職出来たようでよかったですね」
「はい!ありがとうございます!俺もこれからはより一層頑張ります!」
うんうん。欅も就職出来たようで良かったな。……あれ?でも今京極頼親と同じ職場だって言わなかったか?あれほど仲が悪かったはずなのに同じ職場に就職したのか?
――ハッ!?分かったぞ!そうか……。そういうことだったんだな!
嫌よ嫌よも好きのうち!欅と頼親は表向きはいがみ合って嫌いあっているような顔をしながら実は愛し合っていたんだ!でも頼親が就職した先にはすでに樒というボーイなフレンドが……。あぁ!またしても巻き起こる男達によるトライアングル!腐腐腐っ!分かったぞ!俺は全てを理解した!
「咲耶様~!来ましたよ~!」
「まぁ!皆さんまで?それに……、薊ちゃんや紫苑は着替えまでしてきたのですか?」
次々に車が入って来たかと思うと同級生のメンバー達までやってきた。しかも薊ちゃんや紫苑はわざわざドレスを着替えている。
「はい!むしろ本番はこれからですから!」
「さぁ咲耶様!私達だけの卒業パーティーを始めましょう!」
「薊ちゃんも紫苑も……、そんなに引っ張らなくとも逃げませんよ」
友達、知り合いがまた全員集まってくれている。そして俺は薊ちゃんと紫苑に手を引っ張られながら会場へと入っていったのだった。