第千三百九十四話「断罪」
卒業パーティーには本来今年度の卒業生とその保護者しか参加出来ない。生徒会や五北会関係者ならば運営の手伝いなどで顔を出すことはあるだろう。それでもパーティー会場に入ってきて我が物顔でしゃべりだすことはない。しかし今はホールに突然現れた無関係の者が我が物顔で話している。
「僕の名前は澤令法。九条門流である澤家の者です!僕は……、澤家はここに九条家を告発します!」
「「「「「…………」」」」」
突如現れて始まった令法の演説にパーティー参加者達は顔を見合わせていた。一部には何事かと思って面白がっている者もいる。でも大半は顔を顰めて令法の無作法に良い顔をしていなかった。ここは若干ゲーム『恋に咲く花』とは雰囲気が違うように思う。
ゲーム『恋に咲く花』では卒業パーティーで咲耶お嬢様が断罪される時に周囲は好奇の目を向けたり、面白おかしそうに眺めながらニヤニヤしているような雰囲気だった。もちろんゲームなので周囲の声とか雰囲気が全て分かるように表現されていたわけじゃない。でも制作側がそういう雰囲気だと分かるように演出していた。
例えば声優の仕事にガヤというものがある。学校物だったら生徒達がガヤガヤと話している言葉とか、混雑した電車や雑踏の声などをアドリブで入れることだ。事件現場などだったら悲鳴に近い声とか、『何があったんだ?』みたいな疑問のセリフを入れるパターンが多い。
このガヤは上手い・下手があって、周囲と同じようなことばかり言うガヤもあれば、うまく機転を利かせて一捻りしていたり周囲とは違うことを言うガヤもある。本来は役名もないその他大勢の声なのであまり目立ちすぎてもいけない。だけど同じ言葉の繰り返しばかりでも面白くない。そこでうまくガヤを入れられるかどうかが声優の腕の見せ所でもある。
まぁガヤの話は良い。何故こんな話をしたのかと言えばゲーム『恋に咲く花』にも一部に声優達によるガヤが入っている。そこには明確にキャラ名がある登場人物がはっきりとしたセリフを言っているわけではないけど、監督とか制作側の意思や考えを反映したガヤが入っている。
つまり何が言いたいかと言うと咲耶お嬢様断罪のシーンのガヤは明らかに周囲が好奇の目や面白がっている雰囲気が吹き込まれていた。それは制作側が声優達にそういう空気や雰囲気で演じてガヤを入れて欲しいと頼んだからだろう。でも今は違う。むしろ逆の空気になっている。
パーティー参加者達は白け切っていて令法のことを冷めた目で見ている。どう考えても『九条家の告発』という貴族達の噂の格好の的になりそうな話題に誰も食い付いていない。
「九条家は脱税などの違法行為を行い!九条グループは粉飾決算など様々な違法行為を行っています!その証拠がこちらです!」
令法は書類の束を広げた。それが本物のはずはない。こちらの世界では父も兄もそんなことはしていない。そしていくら門流であっても令法如きがそんな物を手に入れられるはずがない。でもそれが本物であるかどうかは重要な問題じゃない。これだけの人々の前で門流の貴族が主家を告発した。その事実が重要だ。
今この場でその証拠が本物だの偽物だのと言い合っても結論は出ない。それはきちんと調査や捜査をして初めて分かることだ。だから誰もそれが本当だとも嘘だとも決め付けられない。重要なのは子飼いの門流堂上家が主家を大勢の前で告発したという一点のみだ。それは貴族社会を揺るがしかねない大事件でもある。
過去にも主家を裏切る門流とか、鞍替えをした堂上家というのは数多くあるだろう。貴族の歴史は長いのだからそれこそ思いも寄らないことでも探してみればびっくりするような歴史もたくさんあると思う。しかしほとんどはそれは自爆になる。
何しろ本来なら派閥・門流というのは一蓮托生だ。現代では経済的にも強い結びつきがある。もし万が一九条グループや近衛財閥が違法や脱法行為をしていたとすれば、それは派閥・門流の貴族達が抱える会社も同様のことをしていたり加担している場合がほとんどだ。むしろ加担していなかったのに何故そんなことを知っているのかということになる。
だから誰もそれを密告しない。そんなことをすれば自分の会社にも被害が出る。何よりもそんなことをしたらその派閥・門流にはいられなくなる。
もちろん犯罪に加担させたり、以前の犯罪行為をネタに脅すなんて以ての外だし、チクったらハブるからな!なんて脅すのも論外ではある。でも世の中というのは案外そういうことが罷り通っている。それを破って実際に告発するということは稀なケースだ。その稀なケースが起きれば関係者だけじゃなくて胸に覚えのある者も全体が動揺するだろう。
「九条さん……、これはどういうことかしら?」
コツコツと足音をさせながら近衛母が令法の所へと近寄りその『証拠』を広げて目を通している。この茶番自体近衛母が仕組んだ癖に白々しい。
「ふむ?靖子さんに何か言われるようなことをした覚えはないけどね?」
しかし父は余裕の表情でニヤニヤしながらそう応じた。その態度は余裕に見える。でも本当に大丈夫なのか?ゲームの九条家だって余裕だと思っていたはずだ。でも実際にはゲームのシナリオでは九条家は破滅している。
こう言っては身も蓋もないけど……、どこの世界のどこの会社でも多かれ少なかれ何らかの違反や違法はしているだろう。もちろん皆がしているから自分もして良いというものじゃない。ただわざとか知らずにかはともかくまったく何ら違反も違法もしたことがないという企業は存在しない。
例えばそれは個人でも同じだ。どれほど清廉潔白で何も犯罪行為や違法行為をしたことがなさそうな人でも、思い返してみれば何らかの罪を犯したことがある。これは絶対だと言い切っても良い。
そんなことを言われても自分は何も法を犯さずに綺麗に生きてきたと思い反発する人もいるだろう。でもよく思い返して欲しい。本当にそうだと言い切れるだろうか?
どうしても我慢出来ずに立ち小便をしたことがないだろうか?ゴミを外に捨てたことはないだろうか?痰を吐いたことは?
犯罪とか違法行為というのは自分が『こんなもの犯罪じゃないだろう』とか『わざとやったわけじゃなくてつい落としてしまっただけだ』ということでも犯罪に成り得る。外で何かを食べようとして包みが落ちて風で飛んでいってしまったのだとしてもそれは厳密には犯罪行為だ。そんなことを一度もしたことがないと言い張る人がいれば嘘を吐いているか単純に忘れているだけだと断言出来る。
企業だって同じであり『この程度のことは犯罪じゃないだろう』と思って社内で行われている当たり前だと思っていたことも、厳密に法を適用するのならば何らかの法に触れているという可能性のあることだったというのはザラにある。
父や兄は『徹底的に九条グループ内を犯罪のないように管理している』と思っているだろう。でも部下が勝手にやったとしてもそれは管理している者の責任となる。部下が勝手に机から判子を奪って捺したから自分は責任がありませんなんて言い訳は通用しない。それを管理するのが管理者であり、その権限と責任があるからこそその分の報酬を貰っているのだ。
どこぞの管理職だった人物は部下が勝手に判子を捺していたのに逮捕されて裁判にかけられた悲劇のヒロインかのように祭り上げられていた。でもそうじゃない。その判子を管理し、どこに捺されたか把握するのが管理職の仕事だ。自分の仕事をきちんとしていなかったから勝手に判子を使われても気付かなかったのであり、その責任は管理職が負わなければならない。
もちろん部下が行った犯罪の責任はないが、管理職として報酬を貰っていたのにその仕事をまったく果たしていなかったのに『悲劇のヒロイン』なわけがない。それならばその報酬を貰うだけの仕事をしていなかったということなのだからその間の給料は全額返還すべきだろう。でなければ何のために役員報酬を貰っていたのかということになる。何よりも管理責任をまったく果たせていなかった無能でしかない。
父や兄がいくら組織を引き締めて犯罪がないように取り締まっていたとしても、近衛母がわざと誰かに犯罪行為をするように迫ってやらせていたら止めようがない。そしてその責任は最高責任者である父に降りかかる。
令法がこの場に出てきて不正を告発すると言ったということは、近衛母や澤家によって九条グループに何らかの違法行為や犯罪行為の証拠があるからだろう。それが本当にあったことなのか、澤家や令法が九条グループに忍び込んで仕込んだ偽の証拠なのかは分からないけど……。
ゲーム『恋に咲く花』では九条グループは本当にある程度の不正は行っていたということになっている。ただその全てが本当に九条家や九条グループの行った不正かどうかは明らかになっていない。ゲームの設定資料集や解説を見る限りでは……、裏で勝手に仕込まれた証拠が混ざっているのは間違いない公式設定だろう。
恐らく……、ゲーム中では冷遇されていた椛は西園寺実頼の奸計もあり九条家を恨んでいた。咲耶お嬢様の我儘には振り回され、それに合わせて母・頼子もゲーム中では椛を冷遇し軽く扱っていた。そこに椛の母・九条紀子さんの死について嘘を教えられたりしていたらあっさり九条家を裏切り貶めることに加担するだろう。
家の中も堂々と移動出来るメイドであった椛が実頼の手に乗って嘘の不正の証拠を仕込む。咲耶お嬢様の断罪の後に家に捜査の手が入ってそれらの証拠が出てくる。その証拠が本当かどうかはっきりする前に市場にその話が出れば株価などが一気に下がる要因になるだろう。
それでもきちんと捜査が進んで証拠が嘘だったとなればいつかは株価も戻るかもしれない。でもそこまで耐えられるだけの状況でなくなれば……、発端が嘘であろうが誤報であろうが関係ない。会社が倒産しましたが誤報が原因だったので元に戻してくださいと言ってももう戻らないのは当然だ。
九条グループの株価は下がり、業績は悪化し、大株主である九条家は不正や犯罪で捜査を受ける。仕込まれた証拠が嘘だったとしても実際に他にも何らかの違法行為は出てくる。会社は傾き始める上にすぐに手を打てる総帥は取り調べて身動きが取れない。そこへ近衛財閥が救いの手と称して株を買い集める。
本来ならそんなはした金で買えるはずもない九条グループの優良企業を次々に買収し近衛財閥が立て直す。九条家はその場凌ぎのために次々と株を売却し、やがて全てを失う。今の状況はゲームのその状況と酷似している。
令法が告発しだした証拠は捏造や仕込まれたものかもしれない。でもそれを元に告発に対する捜査が行われれば別の不正や違法行為が出てくる可能性は十分にある。これは捜査のための別件逮捕のようなものだ。これで九条家や九条グループに本当の捜査の手が入ればゲームのシナリオ通りになってしまうかもしれない。
「おやおや……、これはまずいんじゃないかな?ミスター九条」
「トム・ヴォルトン……」
令法と近衛母の所へもう一人の招かれざる客がやってきた。近衛母が持つ書類に目を通したような顔をしながら肩を竦める。
実際にはこんな短時間で中身をちゃんと読んでいるはずがない。『これはまずい』なんて言えるほど内容を把握出来るわけがないだろう。もしあの短時間しか覗いていないのに内容を把握しているとしたらそれは元々内容を知っていたということに他ならない。でも今はそんなことを言っても追及出来ないだろう。
卒業パーティーには卒業生とその保護者しか参加出来ない。そこに無関係の令法やトム・ヴォルトンが居るということは誰かが手引きして招き入れなければ有り得ない。まぁそれが近衛母であることは今更言うまでもないことだけど……。
「実は今日は私の友達も呼んでいてね。入ってきてくれたまえ」
「「「…………」」」
トムがそう言うとドカドカと強面の男達があちこちの扉から入って来た。一瞬やくざでも入ってきたのかと思うだろう。でも彼らはやくざじゃない。実質的にはやくざとそう変わらないけど彼らはれっきとした捜査関係者だ。
捜査というのは警察だけじゃなくて色々と企業の不正などを捜査する人達も含まれている。そんな人達がホールの中央で対峙していた近衛母やトム・ヴォルトンと、俺や父や兄を取り囲んだ。ついにこの時が来てしまった……。もう捜査関係者も入って来ている。これはもう……、今更止められない。
「ご同行願いましょうか」
「「「――ッ!?」」」
そして……、捜査関係者の一人が令状を広げながら容疑者に突きつけたのだった。