第千三百九十三話「皆との思い出」
ひまりちゃんと楽しく踊る。さっきまでは落ち込んでいたけどこうして二人だけの世界に入って踊っているとそんなことも忘れて楽しくなってきた。
「ハァ……、ハァ……、ありがとうございました、九条様」
「いえ。ひまりちゃんのダンスがとても上手になっていて驚きました」
曲が終わると一度止まってお互いに頭を下げる。それほど激しい曲ではなかったけどひまりちゃんの息は上がっていて頬は紅潮していた。どうやらひまりちゃんにとってはこれでも息が上がるほどのダンスだったようだ。
もちろんひまりちゃんだってスタミナというか体力というか、本来ならこの程度で疲れ果ててしまうというほど体力がないわけじゃないと思う。でも緊張しながら集中して踊るとちょっとの曲でもこうなってしまうのも分かる。どんなものでもそうだろう。
例えば体操選手が数分間の演技をするとか、フィギュアスケーターが数分間の演技をする。試合や大会でそういう姿を見ているとフィニッシュの後はハァハァと息が上がって肩で息をしている。実際彼らはトレーニングによって一般人よりも体力があるはずだ。それでもほんの数分の演技で肩で息をするほどになっている。
それは体力がないからとか、演技時間ギリギリ分の体力しか作っていないからではない。試合や大会で集中して演技していると誰しもがそれに近いことになる。全力疾走のダッシュを何本も走れる体力があるはずなのに、試合のほんの一本の演技で息が上がって疲れ果てる。その一本にそれだけ集中していたということだ。
「それでは戻りましょうか」
「あっ!あのっ!九条様!」
「はい?」
一曲終わったから一度皆の所へ戻ろうと声をかけるとひまりちゃんが少し大きな声を出した。周囲の子達も一瞬こちらを見ていたけどすぐに視線を外してくれた。俺だけがひまりちゃんの方に向き直って真っ直ぐに向かい合う。
「あっ……、あの……、えっと……」
「…………」
ひまりちゃんは余程言い難いことなのか口篭りながら中々本題に入らなかった。こんな場所に居たら周囲の誰に聞かれるかも分からない。あるいは邪魔だと言われるかもしれない。あまり時間が経ってしまったら次の曲が始まって他の子達が踊りだすだろう。それでも無理に急かすことはせずにひまりちゃんが自分から話してくれるのを待つ。
「えっと……、くっ……、九条様のこと……、大好きです!大学が別々になっても……、これからも想っていて良いでしょうか?私からの一方的な想いだとしても……、想っているくらいは許していただけますか?」
「――!?」
はっ……?ちょっと待て……。それは……、主人公・藤原向日葵が卒業パーティーで攻略対象に言うセリフじゃなかったか?
細かいセリフは少し違う。それに全員にそう言うわけじゃない。ルートによっては同じ大学に進学したりするし相手によって若干セリフや言い回しなどが変わる。そりゃ相手との関係やら性格やら色々と条件が違うんだからまったく同じセリフになるはずはないのは当然なんだけど……、このニュアンスは藤原向日葵が攻略対象に言うセリフのはずだ。それを何故俺に?
いや……、いやいや……。落ち着け。そうじゃない。それは俺の勝手な妄想だ。
俺は今一瞬とんでもない勘違いをしそうになってしまった。まるでひまりちゃんが俺のことを恋愛対象として好きで、まるでゲームで攻略対象に告白する時のようだと思ってしまった。でもそうじゃない。そうじゃないんだよ。
この世界のひまりちゃんは誰も攻略しなかった。だから普通ならノーマルエンドとか卒業エンドと言われるようなものだ。まぁ見方によってはノーマルどころかバッドエンドだと言う人もいるかもしれない。でもバッドエンドとは呼ばれないからやっぱりノーマルエンドか卒業エンドだろう。
それは何でも良いんだけど、この世界のひまりちゃんは攻略対象達を攻略しなかった。だからノーマルエンドになり、そのセリフを俺に言ってしまったんだ。
ひまりちゃんは俺達との身分差というか家柄の違いに悩んでいた。藤花学園に一緒に通っている間は家柄の違いがあっても同級生として過ごすことが出来た。でも卒業してしまったらそうはいかない。国立大学に通う普通の一般庶民と、貴族大学に通う上位貴族達ということになる。普通ならその両者に接点はなくなる。だけど俺達は卒業しても友達だと思っていて良いですか?という問いかけだ。
一瞬……、本当にひまりちゃんが俺のことを恋愛感情として好きで告白してくれたのかと錯覚してしまった。でもそんな勘違いはしてはいけない。これはあくまで『卒業してもズッ友だよ』という言葉だ。
俺は中身が男だしゲーム『恋に咲く花』のことを知っている。だから余計な勘違いをしそうになっているだけだ。それは忘れろ。今はひまりちゃんの言葉にきちんと向き合うんだ。
「ひまりちゃん……、そのような確認など必要ないのですよ。高等科三年間だけとはいえ私達はもっと深い仲になったはずでしょう?それともそう思っているのは私の方だけでしたか?」
「ふっ……、深い仲!?わっ、私と九条様がっ!?……でも、確かに……。一緒にお風呂に入ったりお布団に入ったり……。あぁっ!?思い出したら大変なことをしてしまっていたんですね!?」
何かひまりちゃんが百面相をしながら顔を赤くしたり青くしたりしていた。そうだ。俺達は最初の頃はちょっと親しく出来なかったけど、それでも高等科に入ってからの三年間で随分親しくなったはずだ。少なくとも『別の大学に行っても友達で居てね?』なんて確認しなくても良いくらいの友達関係は築けたと俺は思っている。ひまりちゃんにもそう思っていてもらいたい。
「ですからそのような悲しいことを言わないでください。私達の思いは同じはずです」
「おっ、想いが同じ!?それは……、くっ……、九条様も私のことを!?」
ひまりちゃんににっこり微笑みかける。俺はひまりちゃんのことを恋愛対象として好きなんだと思う。もちろんひまりちゃんだけじゃなくてグループの皆のことも好きだ。誰か一人を選べと言われても選べないくらい皆のことを大切で大好きだと思っている。
ただそれは俺が中身男で皆のことを異性として見ているからだ。皆にとっては俺はただの同性の同級生で、どこまで行っても親友までしか成れない。それならば……、せめて俺のこの気持ちは俺の胸の奥に仕舞っておいて……、皆の親友としては残れるようにしたい。そうでないと……、あまりに悲しすぎる。
「さぁ咲耶ちゃん!次は私と踊ってください」
「向日葵はもう交代よ!」
「いつまでも咲耶ちゃんとイチャイチャ……」
「あとでちょっとお仕置きだねー!」
俺とひまりちゃんがいつまでもホールの中央で話したまま動かないからか皆がやってきてしまった。ひまりちゃんは顔を赤くしたまま薊ちゃん達に連れて行かれて俺の前には皐月ちゃんが立った。どうやら次のダンスのお相手は皐月ちゃんのようだ。
「それでは皐月お嬢様……、お手を」
「はい」
俺も気持ちを切り替えて皐月ちゃんときちんと向き合う。他に心を残したままダンスを踊るなんて失礼だ。だから今は俺の前に立っている皐月ちゃんに集中しよう。
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皐月ちゃんとのダンスを終えてお互いに頭を下げる。皐月ちゃんと踊っている間に色々なことが思い出された。この十二年間で本当に多くの思い出が出来たと思う。何より初等科で最初に友達になってくれたのは皐月ちゃんだった。そこに打算や家の意向があったとしても皐月ちゃんが友達になってくれたお陰で俺が救われたことは変わらない。
「皐月ちゃん……、最初に私に声をかけてくれてありがとうございました」
「……え?」
皐月ちゃんは何のことか分からずに首を傾げていた。そりゃいきなり初等科の時のことを言っても何のことだか分からないだろう。それに皐月ちゃんからしたら特に意識するようなことではなく自然なことだったに違いない。人間は自分が普段自然と意識せずにしていることは人から言われても中々分からないものだ。
皐月ちゃんは初等科入学当初周囲から避けられて浮いていた俺と最初に仲良くなってくれた。それが実頼の狙いであったとしても実際に声をかけてくれて、仲良くしてくれたのは皐月ちゃんだ。皐月ちゃんがお友達になってくれたから他の子達と仲良くなるきっかけにもなった。皐月ちゃんがいなければ俺は十二年間ボッチだったかもしれない。それを思えばまさに命の恩人と言っても過言ではないだろう。
「皐月ちゃんが最初のお友達になってくれて……、そのお陰で今の私があるのです。だから……、ありがとうございます、皐月ちゃん」
「あっ……」
「はい!交代!皐月!交代よ!」
「あっ!もう!薊!良い所だったのに邪魔しないでください!」
「邪魔は皐月よ!もう踊ったんでしょ?交代交代!」
「ぁ……」
皐月ちゃんは無理やり他のメンバー達に連れて行かれた。そして俺の前に立っているのは薊ちゃんだった。どうやら次のダンスのお相手は薊ちゃんらしい。次の曲が始まってしまうので俺も薊ちゃんと手を重ねて準備を整えた。
「ありがとうございました咲耶様!」
「いえ、こちらこそありがとうございました薊ちゃん」
あっという間に一曲踊り終えてしまった。元気な薊ちゃんに合わせて踊っていると激しいダンスになってしまう。でも薊ちゃんも俺も息が切れることもなくまだまだ踊れそうだ。だけど曲が終われば交代しなければならない。その前に伝えておこう。
「私の浅はかな行いのせいで薊ちゃんに私の役を押し付けてしまいそうな所でした。すみませんでした。でも薊ちゃんが笑って許してくれて、こうしてお友達になってくださったお陰で他の皆さんとも打ち解けられたのです。ありがとうございました薊ちゃん」
「え?何のお話ですか?」
薊ちゃんも首を傾げて不思議そうな顔をしていた。薊ちゃん自身には自覚はないだろう。でも俺が悪役令嬢の立場から逃げようとしたから危うく薊ちゃんが咲耶お嬢様の代わりにその立ち位置になってしまうところだった。
俺は自分が破滅から逃れたい一心でただ社交界から距離を置けば良いだろうと安易に考えた。でもそんな簡単にシナリオから逃れられるはずがない。俺が社交界デビューもせず家でひっそりしていた分だけ薊ちゃんに皺寄せがいっていた。それに気付いたのは途中からだった。
薊ちゃんは本来咲耶お嬢様の取り巻きとなる子達を取り巻きにして、俺が逃げた役を穴埋めさせられるかの如くゲームの咲耶お嬢様と同じ道を走ろうとしていた。それは俺が薊ちゃん達と仲良くなって本来あるべき立場に近づいたから自然と解消されたけど、もしあの時あのまま放っておいたらどうなっていたことか……。
俺が自分の役から逃れようとするということは、世界がシナリオの変更を許さない限りは誰かがその穴埋めをさせられるということだ。そのことを思い知った。危うく薊ちゃんを犠牲にして俺の代わりをさせる所だった。それなのに薊ちゃんはそんな俺の本性など知らずに友達になってくれた。
薊ちゃんが友達になってくれたお陰で当初薊ちゃんの取り巻きをしていた皆とも友達になれたのであり、俺が藤花学園でこうして友達に囲まれて普通に過ごしてこれたのは薊ちゃんのお陰と言っても過言ではない。
「薊ちゃんが他の子達と私を引き合わせてくれたのです。ですから……、ありがとうございました薊ちゃん」
「咲耶様……」
「はいっ!交代ですよ!」
「あっ!ちょっ!?」
先ほど見た光景と同じ光景がまた繰り返された。薊ちゃんは他のメンバーに引き摺られていき、俺の前には蓮華ちゃんが立っている。
「さぁ咲耶ちゃん!踊りましょう!」
「……はいっ!そうですね!」
今度は蓮華ちゃんと踊る。譲葉ちゃんとも踊る。茜ちゃんとも踊る。椿ちゃんとも踊る。ゲームで咲耶お嬢様の取り巻きだった子達全員と踊り終えたら今度は芹ちゃんがやってきた。そして紫苑とも踊り、鬼灯や鈴蘭、りんちゃんとも踊る。
いつの間にか友達になってくれていた子も、ゲームのシナリオに出てきた子も、出てこなかった子も、皆と順番に踊っていく。そして一声かける。
もしかしたら俺はこれが最後になるかもしれない。もちろん卒業パーティーを乗り越えて大学にも無事に通うつもりだ。その勝算もある。だけど……、ここまでどう頑張っても覆せなかったシナリオだ。最後の最後で突然俺の期待通りに全てが覆るなんてことはない。
「デイジーさん、ガーベラさん……、母国での新年度を過ぎても残ってくださりありがとうございました」
「ワタシ達が残りたいから残りましター!」
「そうよ。私達が自分で選んで決めたんだから咲耶が気にすることじゃないわ」
「躑躅ちゃんも、踊っていただきありがとうございました」
「ふっ……、ふんっ!仕方なく踊ってあげただけだからお礼なんて必要ありませんから!」
俺と踊り終わった子達は友達同士で踊っていた。皐月ちゃんと薊ちゃんとか当初はお互いに反目し合っていた子達も今ではお互いに楽しそうに踊っている。そして……。
「聞いてください皆さん!僕はここで告発します!」
ついに始まった。招かれざる客が現れ、卒業パーティー最大の山場がついにやってきた。