第千三百九十二話「ファーストダンス」
この場になってから誰とファーストダンスを踊るか考える奴なんていないだろう。俺達以外は……。普通の子だったら卒業パーティーに参加する前からファーストダンスのパートナーは決まっているはずだ。
婚約者が同級生の子なら婚約者だろうけど、婚約者が必ずしも同級生とは限らない。むしろ年齢から考えれば同級生じゃない確率の方が高いと思う。そういう子達だって婚約者じゃなくても自分に相応しい相手を選んで事前にダンスを申し込んでいるはずだ。
例えば親戚とか派閥で親しい家同士とか、家格が近くて仲の良い家とか、婚約者が別に居ても踊っても問題ない相手を事前に選び、ダンスを申し込み、お互いに了承を得ていたはずだろう。でも俺は……、俺達はそんなことをまったくしていなかった。
いつも俺達は自分達のグループ内ばかりで踊っていた。皆が一巡した後は他の子とも踊ったりしていたけど、俺が主催者の子に誘われている時は主催者と踊る以外では男子と踊ることもほとんどなかったし……。
もちろん兄とか、主催者の家に近いような相手なら男と踊る時もあった。近衛家のパーティーだったら伊吹と踊ってから後で槐や桜と踊るとかそんな程度で、それ以外に男と踊ることは滅多にない。そんな俺に合わせてかグループの子達も婚約者も立てていないし男とも踊らないし……、あっ!
待てよ?もしかしてグループのリーダー的立場である俺がいつまでも婚約者を立てていないから俺に遠慮して皆も婚約していなかったのか?俺が他の男とあまり踊らないから皆も男と踊らなかったのか?もしそうだとしたら俺は皆に対して大変なことをしてきてしまっていたんじゃないのか?
皆だって上位堂上家のご令嬢とか、少なくとも貴族のご令嬢がほとんどだ。貴族のご令嬢なんて初等科の頃には婚約が決まっていてもおかしくない。でも俺達のグループの子は誰一人として婚約している子はいない。それはグループの中で家格が一番である俺が婚約をしていないから、その俺を差し置いて婚約なんてしたら関係が悪くなると思って遠慮していたからだと思う。
「あああぁぁぁ~~~っ!!!」
「「「えっ!?咲耶ちゃん!?大丈夫ですか?」」」
「私は……、私は何ということを……」
「咲耶様!?どうされたんですか?」
「何か問題がありましたか?」
急に俺が頭を抱えて蹲ったからか皆に心配されてしまった。確かに俺がいつまでも婚約しなかったせいで皆の婚期を遅らせてしまったかもしれない。でも今は卒業パーティーの真っ最中だ。俺がそんなに取り乱していたら折角のパーティーを皆も楽しめないだろう。
「あああぁぁぁ~~~っ!!!」
「「「咲耶ちゃんっ!?」」」
「はぁ……、はぁ……、大丈夫です……」
「「「…………」」」
俺が大丈夫だと言っているのに皆は微妙な表情をしてお互いに顔を見合わせていた。どうやら信用されていないようだ。本人が大丈夫だと言っているんだから信用して欲しい所だけど、信用されていないということは俺自身が皆に信用されていないということだろう。まぁそれはそうだよな……。
皆は俺のせいで今まで婚約出来なかった。もしかしたら内定している相手はいるのかもしれない。でも俺や九条家に遠慮して公表出来ずにいる。そんな俺の言葉なんて信用出来るはずもない……。
「うわぁぁっ!ごめんなさい!すみません!私のせいで!」
「「「咲耶ちゃん!?大丈夫ですか?」」」
「大丈夫です……。大丈夫……」
ふぅ……。落ち着け。皆にこれ以上余計な心配をかけないようにしないと……。
「え~……、何でしたか……?あぁ、ファーストダンスでしたね……」
一体何をしようとしていたのか一瞬分からなくなっていた。でもここが卒業パーティーの真っ最中でこれからダンスの時間だったことを思い出した。そう言えば皆で誰がファーストダンスか揉めてたんだっけ……。それで皆が本来なら婚約者とでもファーストダンスを踊るはずなのにと思って脱線したんだったな……。
「すみません!ごめんなさい!私のせいで!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「ちょっ!?咲耶様!?」
「落ち着いて咲耶ちゃん!」
「フーッ……、フーッ……、大丈夫です……」
「「「…………」」」
また皆で顔を見合わせている。俺のせいで余計な負担をかけてしまったようだ。申し訳ない。
「(どうしよう……、咲耶様がちょっと変に……)」
「(ちょっと圧力をかけすぎてしまったかもしれませんね)」
「(まさかこれだけ迫っただけでこんな風になるなんて……)」
「(やっぱり私達がファーストダンスを誰と踊るか迫ったからですよね?)」
「(今日はもうあまりこれ以上圧力をかけないようにしようよ)」
「(そうだねー!)」
何か皆がヒソヒソ話している。やっぱりいつまでも俺が婚約しないから、グループの中で最上位である俺が婚約しないから皆婚約出来ずにファーストダンスの相手がいないことを恨まれているんだ。今まで俺にファーストダンスを申し込んでいたのも遠回しに『お前が婚約しないと自分達も婚約出来ないだろ!』とか『さっさと婚約しろ!』という意味だったんだな……。
俺は……、俺はそんなことにも気付かずに皆が本当にファーストダンスを申し込んでくれていると思って舞い上がっていた。もう恥ずかしいやら情けないやら……。穴があったら入りたい……。
「ごめんなさい咲耶ちゃん……」
「まさかそこまで悩むほど追い込んでしまうとは思いも寄らず……」
「今日のファーストダンスは向日葵と踊ってあげてください、咲耶様……」
「皆さん……」
あぁ……、これは……、俺はとうとう見捨てられてしまったんだ。ひまりちゃんは貴族じゃなくて一般外部生だ。だから許婚とか婚約なんてこととはほぼ無縁の生活を送っているだろう。だからそのひまりちゃんとファーストダンスを踊れということは、婚約相手がいそうにない人とでも踊っておけという皆のメッセージなんだ。
俺が……、俺がずっと皆の婚約を邪魔してしまっていることに気付かなかったから……。いや、実際には前にも何度か同じことを考えた。俺が婚約しないから皆も婚約出来ないんじゃないかと思っていたはずだ。それでも俺は何の手も打たなかった。それがついに皆に見捨てられてしまう所まで来てしまったんだ。これは俺の自業自得だ……。
「ひまりちゃん……」
「九条様……、あの……、皆さんも……、私が一番で良いんですか?」
「いいのよ!向日葵は他の大学に行っちゃうんだから!今回くらいは譲ってあげるわよ!」
「そー!そー!どうせ最初からそのつもりだったんだよー!」
「一応咲耶ちゃんに迫ろうとは言っていましたけど、最後は今回で進路が別になってしまう藤原さんに譲ろうと皆で決めていたんですよ」
「ただちょっと今回は咲耶ちゃんに無理を言って迫りすぎたから咲耶ちゃんが頭を抱えてしまって……」
皆が何かを話している。でも俺の頭には言葉は入ってこない。皆に見捨てられてしまったことに今更ながらに後悔している。こんなことなら皆がもっと早くに婚約出来るように何かを考えておくべきだった。そんな今更なことばかりが頭の中でぐるぐると回っていて何も考えられない。
「皆さん……、ありがとうございます!せめて最後くらい!精一杯九条様と踊って想いを伝えてきます!」
「そうそう!その意気よ!私達が順番を譲ってあげるんだから!」
「がんばれー!」
「うふふっ。でも二番は譲れませんよね?」
「当たり前よ!」
「二番以降はじゃんけんで決めましょうよ!」
「え~……。ジャンケンは嫌だなぁ……」
俺の知らない所で皆の話が進んでいる。高等科の卒業と同時に俺との縁も切るという話かもしれない。そんな話をしているかもしれないと思うと怖くて会話に混ざれない。俺は一体どうしたら……。
「九条様!私と踊っていただけますか?」
「え?ええ……。はい……。こちらこそよろしくお願い致します」
可哀想に……。ひまりちゃんは俺と踊る役を皆に押し付けられたようだ。ひまりちゃんだって本当は攻略したい誰かが居たかもしれない。それなのに俺のグループに居たためにそんな機会を潰してしまっていたのだとしたら謝っても許されないだろう。しかも最後に皆に見捨てられた俺と踊って来いだなんて役まで押し付けられて可哀想だ。
「それではひまりちゃん……、お手を」
「はい」
ひまりちゃんは嫌々そっと俺の差し出した手の上に手を乗せてくれたのだった。
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ダンスのためにホールの中央が広く空けられた。その中でもど真ん中に立つペアは色々な意味で目立っていた。
「キーッ!どうして九条様があんな女と!」
「というか……、九条様はまた女性とファーストダンスを踊られるのね……」
「一条様は本来のペアから無理やりにでもファーストダンスを奪ってましたけど……」
「今日は男性とパートナーだったわけでもなく、そして何故か藤原さんとファーストダンスを……」
空いたスペースの中でも中央に立つ豪華絢爛なドレスとアクセサリーに身を包んだ二人はスポットライトを浴びて一層輝いていた。それは貴族の中でも最上位格である九条咲耶様と、一般外部生として入学してきた藤原向日葵だ。その二人はまさに対極であり決してお互いに交わるようには思えない。その交わるはずのない二人が中央で手を取って立っている。
「シッ!始まるわよ!」
一度照明が落ちてスポットライトのみとなっていたホールだったが淡い光が灯り演奏が流れ始めた。最初はゆったりとした曲から始まる。ほとんどは男女のペア、しかし一部では女性同士のペアも踊っている。咲耶グループが女性同士のダンスも踊っても良いという風潮を作って以来そういう者達もチラホラいた。
「はぁ……、素敵ねぇ……」
「あの九条様と踊っている子はどこの子だい?」
「あれほど見事なドレスを身に纏い九条様と踊っておられるんだ。さぞ名のある家の子だろう」
「しかしそれにしては見たことがない子だがなぁ……」
保護者達は九条様のダンスに目を奪われていた。しかしそれは九条様だけが素晴らしいからではない。ダンスは一人が上手くとも相手が下手では空回りしてしまう。二人の実力が高くて初めて良いダンスになる。それほどのダンスを踊る豪華なドレスを着た相手に興味が向くのは当然だった。
「なんでも一般外部生だそうだぞ」
「へぇ……。上の息子の卒業パーティーで参加していた一般外部生なんてとてもじゃないけど褒められた踊りではなかったがな……」
「今年度は他の外部生達も様になっている。きちんとした教育を受ければ外部生でも教養は身に付くということだな」
「それを学ぶための藤花学園だというのにこれまでの卒業生達はそれが出来ていなかった。それを正した九条様はさすがというわけだ」
一般外部生達は学園の偏差値を引き上げ、進学先の実績を残すために集められていることは保護者達も理解している。だが例年はそれだけであり、折角藤花学園に通っても教養は身に着いていなかった。だが今年度は違う。今年度は九条様が一般外部生達にもそういった指導をされてきた結果ダンスをきちんと踊れている。
藤花学園の本来あるべき姿、教育の方針としては学園こそがこれを成しておかなければならなかったはずだろう。だが今まではとにかく外部生や特待生は進学のためだけ一辺倒でやってきた。その結果特待生と内部生の確執のようなものがあったことを誰もが理解している。九条様は長年のその確執まで取り除いてしまったのだ。
「それに……、九条様があの子をファーストダンスの相手に選んだということは……」
「九条家が後ろ盾となっているというアピールだろうな」
「大学に進学しても下手な横槍は九条家の怒りに触れるというわけだ」
もちろん咲耶にも向日葵にもそんな意図はなかった。しかし世間から見れば九条咲耶様が卒業パーティーでわざわざファーストダンスに選んだ相手だ。その意図は優秀な特待生であった藤原向日葵は卒業して別の大学に進学しても九条家の後ろ盾がある人間だというアピールだと受け取られた。
「あの子は高偏差値大学の数々に合格したらしいぞ」
「なるほど……。もう就職も九条グループで決まっているんだろうな」
「いやいや、道家様は人を囲い込むのが上手い」
勝手に勘違いした人々はその素晴らしいダンスにうっとりしながら、藤原向日葵という少女、いや、女性のことを卒業後も下手な扱いはしてはいけないという不文律として心に刻み込んだのだった。