第千三百九十話「会場入り」
卒業式の日の午後には藤花学園の大ホールにおいて卒業生とその保護者だけを集めた卒業パーティーが開催される。
大ホールにはオペラなどが出来るコンサートホールの他にダンスホールや小会議場、大会議場など様々な施設が併設されている。例年卒業パーティーは五北会と生徒会の共催ということで大ホールのダンスホールで行われていた。
今年の卒業パーティーも五北会と生徒会の共催ということで大ホールのダンスホールで行われる。卒業式が終わってからすぐでは着替える時間や準備の時間がないので、一度解散して準備をしてから再度学園に集まることになっていた。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう。素敵なドレスね」
「ありがとう。貴女のドレスも素敵よ」
大ホール前のロータリーには続々と高級車が乗り入れドレスに着替えた卒業生達が集まってきていた。いつまでもロータリーに車を停めているわけにもいかない。車を降りた卒業生達は知り合いや友達と顔を合わせるとどうしても挨拶や話をしてしまう。なるべくロータリーや玄関口が混雑しないように誘導されているがそれでも立ち止まって話が弾んでしまって混雑していた。
「立ち止まらずに会場に入ってくれ!」
「「「キャーッ!押小路様ぁ~!」」」
「素敵……」
「様になってるわぁ~」
元生徒会役員は主催側ということで生徒の誘導などを行っていた。しかしその誘導を行っている押小路柾の姿に目を奪われて余計に立ち止まってしまう女子生徒達も居た。
押小路柾は地下家とはいえ地下家の中では最上位格であり、地下官人の棟梁とも呼ばれている。堂上家の娘であっても貧しい半家の娘であれば嫁ぎ先として考えても良いくらいの相手であり、ましてや他の地下家からすれば嫁げれば大出世と言っても過言ではない優良な相手だった。
その上、押小路柾は中等科以来生徒会長を歴任し様々な活動を行ってきた。その評判や実績は十分なものであり保護者からも高く評価されている。親に婚約者のいない押小路柾を射止めてこいと言われている者達も一定数いる人気の優良物件だ。
「やぁ、押小路君、頑張ってるね」
「……ああ。さっきぶりだな、鷹司槐」
「「「「「…………」」」」」
入場の誘導を行っている押小路柾の前に鷹司槐がやってきた。その雰囲気に周囲は静まり返っていた。普通ならば鷹司槐こそ黄色い声援を送られる最たる者の一人のはずだろう。しかしこの場では誰も鷹司槐に黄色い声援を送らない。ただ何となく押小路と鷹司の二人の雰囲気に飲まれて静まり返っていた。
「本来なら僕のことをそんな呼び捨てにして良い関係じゃないと思うけど……、学園では一応生徒は生徒同士対等なことになっているからね。今だけは黙っておくことにするよ」
「そうか」
「「「「「…………」」」」」
学園では建前上は生徒同士は対等な扱いということになっている。だが現実にそんなことが有り得ないことを卒業生達は学生生活の中で嫌と言うほど思い知っている。柾は生徒会長ということで学生の間は伊吹や槐のような五北家の跡取り達とも対等に渡り合って来た。しかしそれは学園の中で生徒会長という肩書きがあったからだ。
生徒会長も任期を終えて高等科も卒業するこれからは『鷹司』と『押小路』は対等ではない。槐の言葉にはそういう裏が見て取れた。これまでは黙っていたがこれからは気をつけろという圧力が含まれている。
「あっ!見て!あのお車!」
「あれは九条家の!」
「ということは咲耶お姉様が!?」
一瞬玄関口付近はピリピリした空気になっていた。しかしロータリーに入って来た車を見て空気が変わった。その車に気付いた女子達の間から黄色い声が漏れ、徐々に大きくなってきた。
「お気をつけください咲耶様」
「ありがとう椛」
「「「「「キャーーーーーッ!!!咲耶お姉様ぁ~~~~~っ!!!」」」」」
お付きのメイドである一条椛に扉を開けてもらい車から降りてきたのは藤花学園の、否!世界の至宝たる九条咲耶様だった。そのあまりのお美しい姿に女子生徒達のボルテージは一気にマックスを突き抜けた。
「ひまりちゃん、お手をどうぞ」
「あっ……、ありがとうございます」
「さぁ、りんちゃんも」
「ありがとうございます」
九条咲耶様に続いて二人の同級生達が降りてきた。それを見て周囲の女子生徒達はハンカチを噛んだ。
「キーッ!何よあんな女!」
「どうしていつもあの子達だけ!」
「くっ、悔しい!でも素敵!」
九条様にエスコートされて降りてきた藤原向日葵と吉田花梨に羨望の眼差しを向ける。あの二人ならば自分達と立場はそう変わらないはずだ。それなのに何故かあの二人は昔から九条様に目をかけてもらっている。それが羨ましくて仕方がない。だがそれだけではなかった。
「ちょっと……、あのドレス……」
「嘘でしょ……」
あまり目の肥えていない者は向日葵と花梨のドレスを見ても何も感じないかもしれない。だが堂上家の者達はそのドレスに目を見張った。普通の者では予約も注文も出来ないオーダーメイドの店の、最高級の布と糸を使い、ふんだんに宝石があしらわれた豪華なドレスだ。そのドレスだけでも一体どれほどの費用が掛かっているか分からない。それなのにそれだけではない。
身に付けたアクセサリー、手に持つバッグ、どれもこれも超一流の物で固められている。その総額が一体いくらになるのか想像するだけでも恐ろしい。とてもではないが並の堂上家では同等の物など用意出来ない。
「何か……、キラキラしていて素敵……」
「それは九条様のお隣に立っているから!」
「それもあるとは思うけど……、やっぱりあの二人も素敵よ……」
「「「確かに……」」」
悔しいという気持ちはある。羨ましいという気持ちもある。だが中央に九条様が立ち両腕で二人をエスコートしている姿はとても絵になっている。もし自分があそこに立ってもああも素敵な絵にはならないだろう。それを見ている女子生徒達も自覚している。だからそれ以上は何も言えなかった。
「御機嫌よう皆さん」
「「「「「キャーーーーーッ!咲耶お姉様ぁ~~~~~っ!!!」」」」」
「御機嫌よう九条様!」
「御機嫌よう咲耶お姉様!」
二人をエスコートしつつ玄関口へとやってこられた九条様に声をかけられて女子生徒達の思考も感情も全て吹っ飛ばされた。自分が声をかけてもらったとそれぞれが考え、他のことなどどうでも良くなっている。ただ憧れの九条様にパーティーでお声をかけていただけたということだけで舞い上がる。
「やぁ九条さん」
「……御機嫌よう鷹司様」
「「…………」」
そこへ先ほどまで押小路柾と睨み合っていた鷹司槐が声をかけた。表向きは笑顔で対応されている九条様だがその態度はあからさまに鷹司槐を拒絶している。しかしそんなことで引き下がるような鷹司槐ではない。
「ドレス良く似合っているよ。あぁ、そっちの二人もね」
「……ありがとうございます」
「「ありがとうございます」」
非常に空気が悪い。そもそも九条様がエスコートされている二人への態度が悪すぎる。まるで名前なんて覚えてもいないという態度だ。それは九条様に対しても失礼になる。それを分かっていてしているのか、自覚なくしているのか。
「入り口が混雑する!立ち止まるな!鷹司槐も九条咲耶も会場に入ってからやれ!」
「すみません押小路様。それでは参りましょう、ひまりちゃん、りんちゃん」
「「はい」」
両手に花を連れた九条様は鷹司槐など歯牙にもかけずにそう言われると優雅に会場へと入って行かれた。それを残りの女子生徒達や鷹司槐が見送る。
「お前達も止まるな!中でやれ!早く入れ!」
「「「はーい」」」
一部の者達が立ち止まって混雑していた玄関口は再び人が流れ始めたのだった。
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卒業パーティーが行われるダンスホールではそれぞれ仲の良い者同士が集まっている。その中でも一際目立つ一団がいた。
「あっ!咲耶様!こっちです!」
「御機嫌よう皆さん」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
ずっと入り口の方を見ていた薊がすぐに咲耶達がやってきたことに気付いた。大きく手を振って大声で叫んだのでそれに咲耶達も気付いて集まってきた。すでにほとんどのメンバーが揃っている。集まったメンバーで挨拶をしながらお互いの装いなどについても感想を言い合っていた。
「皆さん素敵なドレスですね」
「咲耶様が一番素敵です!」
「まぁ咲耶ちゃんが一番なのは当然ですけどお二方も今回は凄いドレスですね。これは五北家か七清家、あるいは萩原家くらいの家でないと用意出来そうにないですよね」
「「ありがとうございます」」
皐月は今でこそ九条家の離れで暮らしているが元々は西園寺家のご令嬢として育ってきた。当然七清家の娘として恥ずかしくない教育を受けている。その皐月から見ても向日葵と花梨の装いは最上級の物だった。これほどの装いが出来る者など限られた者しかいない。
「それにしても薊ちゃん……、今日はもう卒業式で会ったのですから今また『おはようございます』はおかしくありませんか?」
「え?う~ん……。でもやっぱり一度別れて再度会ったらその時は『おはようござます』が一番相応しくありませんか?」
「「「う~ん……」」」
薊の言葉にグループメンバー達は全員首を捻った。言いたいことや気持ちも分からなくはない。だがそれでも少し前に会ったばかりだ。そして今は朝どころか夕方だ。
夜勤などで夜に出勤しても出勤して一番最初は『おはようございます』というのはまだ分からなくはない。だが一度別れてから再度会ったらまた時間に関わらず『おはようございます』だというのはどうなのだろうかと思ってしまう。いつでも何度でも『おはようございます』という業界もあるだろう。だが世間的にはやはりそれは特殊なものだと全員が思っていた。
「見て見て!あそこ!」
「まぁ!九条様達、とっても素敵ねぇ~」
「学生の間に私もあそこに加えていただきたかったわ……」
「でも貴女……、あれだけの錚々たるメンバーの中に入ってやっていく自信あるの?」
「「「それは無理……」」」
卒業生達は遠巻きにうっとりした表情で九条様グループを眺めていた。こうして遠くから眺めているだけでも幸せな気持ちになってくる。だがそれももう終わりかと思うととても寂しくも思う。
九条様グループのほとんどはエスカレーター式に藤花学園大学に進学する。だからほとんどバラバラにはならない。だが高等科までの学生生活と大学の学生生活ではガラリと変わってしまう。あのグループがクラスなどで集まっている姿はもう見られない。
大学ともなれば受ける講義が同じとは限らない。何よりも同じ大学に通っていても学部次第では休み時間に会うことすら難しくなる相手もいるだろう。別の学部に会いに行っても短い休憩時間では往復するだけで時間のほとんどを使ってしまう学部同士も存在する。
お昼休みなどの長い休憩ならばまたあのグループで揃って食事をされるかもしれない。だが高等科までの学生生活とは根本的に変わってしまう。あの素敵な人達の集まりをこうして見られるのはこれが最後だ。それを思うと寂しさが湧き上がってくる。
「しっかり目に焼き付けなくちゃ!」
「うぇぇ~~~ん!」
「今泣いちゃ駄目よ!化粧が落ちちゃうわよ!」
「でもぉ~……」
卒業式ですら泣かなかった子達も九条様グループのこのお姿を見られるのが最後かと思うと自然と涙が浮かんできていた。今更になってようやく卒業を実感してきた者もいるだろう。だがやはり何よりも九条様グループをこうして遠巻きに見て愛でることが出来なくなるのかと思うと胸が詰まる思いだった。
「やっぱり私もあの中に入りたかった~~~っ!」
「あの子達でも入れるんだから私だって大丈夫だったはずなのに……」
「でも九条様に話しかけてグループに入れてくださいって言えなかったんでしょ?」
「「「それは……、まぁ……」」」
九条様グループの中にも地下家や、ましてや貴族ですらない一般外部生まで混ざっている。それならば自分でもあのグループに加えていただけたのではないかという思いが湧いてくる。だが……、それなら何故もっと前に声をかけて仲間に加えてくれと頼まなかったのかと言われたら答えられない。
今だからこそ口ではそう言えるが、実際に何度も機会がありながら自分から声をかけて仲間に加えてくれと言えなかったのだ。それを今更になって遠巻きにそんなことを言っていても何の説得力もない。
「あの子達は運が良かっただけ……、って言っても……」
「やっぱりあれほどの方々に囲まれてもずっと一緒に居られただけ凄いのよね……」
「私達にはそれが出来なかった……。それが全てよ……」
地下家や一般外部生の子達があのグループに入れたのは幸運だったからかもしれない。しかしあの中に居てもずっと居続けられたのは本人達の気概と根性があったからだ。もし自分があの立場に居てもきっと何日も耐えられずに離れてしまっていただろう。
「だから私達はこうして遠くから見ていることしか出来ないのよね……」
「最後くらい妬みの気持ちなんて捨てて……」
「あのお姿を網膜に……、いいえ!脳に刻み付けましょう!」
「「「そうね!」」」
女子生徒達はこうして全員が集まれる最後の機会に、せめてその姿を一生忘れないように心と脳に刻みつけようと目を血走らせて凝視していたのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
2020年一月一日から連載開始をしたので、途中若干の休載がありましたが四年近く続いた本作もあと十話、千四百話で完結となります。ここまで読んでくださった読者の皆様はまさか完結直前でわざわざ読むことをやめられることはないかもしれませんが、残り十話、最後までお付き合いくださいますようよろしくお願い致します。