第千三百八十五話「卒業式前」
もう火曜日だ……。今日が授業の最終日で明日は卒業式と卒業パーティーの日だ……。
「御機嫌よう」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
登校してきても教室内の空気は緩い。もう大学進学はほぼ決まっている子ばかりだろうし、学園も授業らしい授業もしていない。時間を消化するためにこうして登校はしてきているけど空気が緩いのも当然だろう。俺だって前世だったらこんな時期はもうゆるゆるになっていたと思う。
「咲耶様?どうかされましたか?」
「いえ……、何でもありませんよ」
俺の様子がいつもと違うからか薊ちゃん達に心配されてしまった。他の子達も揃って俺を見るなり大丈夫かと聞いてくれている。そんなに見るからにいつもと様子が違うのだろうか?自分ではそこまで分かりやすいとは思っていないんだけど……。
ただまぁ……、他のクラスメイトと俺の気持ちはまったく違うだろう。俺にとってはこの一瞬一瞬が断頭台へと近づくカウントダウンのように思えて仕方がない。他のクラスメイト達は皆もうすぐ卒業して、春休みは遊んで、新年度からの大学生活に心を躍らせていると思う。
俺だって前世ではそうだった。春休みは宿題もないし塾の講習もない。一年から二年とか二年から三年に上がる時なら春休みといえど勉強をしなければならなかった。塾にも通わなければならなかった。でも大学に進学するとそれらがない。だから休みの間は完全に自由な時間であり、それが終わったら新しい生活が始まるという期待もあった。でも今は違う。
正確に言えば今の俺も大学生活に対する期待は持っている。皆とキャンパスライフを送るのは楽しみだ。でもその前に俺には乗り越えなければならない試練がある。そう……、卒業パーティーでの断罪という試練を……。
出来る限りのことはしてきたつもりだ。傍から見れば馬鹿なことをしているとか、まるで出来ていないと思われるかもしれない。でも俺は俺なりに精一杯やってきた。
自分自身でも後から考えればもっと他に良い方法があったんじゃないかと思うこともたくさんある。他にやりようがあったんじゃないかと思う。むしろもっとうまくやれただろうと思うことの方が多い。でもその時、その場ではそれが思い付く最善だったと思えることを選んできた。
それでも……、いくら出来る限りのことはしてきたと思っても、今生では大丈夫だと思っていても……、やっぱり不安はなくならない。ゲームのシナリオ通りに咲耶お嬢様の断罪・破滅は不可避の世界の意思なのではないかと考えてしまう。
これさえ乗り越えれば皆との楽しいキャンパスライフが待っている。そう思って頑張っている。でも……、どうしても不安が拭えない。特に問題はないはずだと思いながらも、世界の強制力によって俺が何をしても運命は変えられないのではないかと思ってしまう。
「明日は卒業式とパーティーですね」
「そっ……、そうですね……」
急にその話題を振られて驚いてしまった。少し声が裏返りかけたけど大丈夫なはずだ。ポーカーフェイスで感情が読めないと評判の俺だからうまく取り繕えているに違いない。
「咲耶ちゃん……、何か心配事ですか?」
「相談に乗るよー?」
「いえ……、大丈夫ですよ?」
おかしい……。皆に心配されてしまった。ポーカーフェイスで感情が読めないと評判の俺の僅かな変化にも気付くなんて皆中々鋭いな……。
「咲耶ちゃんってすぐに顔に出てしまいますからね」
「声や態度にもすぐに出るからとても分かりやすいんですよね」
「いつも本人が『大丈夫』っていうから無理に追及はしてきませんでしたけど……」
「私達もいつも心配していたんですよ」
「…………え?」
「「「「「え?」」」」」
え?E?ゑ?今なんて言った?
もしかして……、今まで俺が何かあっても追及されなかったのは……、俺のポーカーフェイスが通用しているとかまったく態度に出ていないから気付かれていなかったのではなく……、皆気付いていたけど俺が聞かれたくなさそうだったから黙っていてくれただけだった?
いやいや……、そんな馬鹿な……。俺は前世でも感情が読めないとかポーカーフェイスで通っていた。むしろ常に死んだ目をして生気がない無表情だったから何を考えているか分からないと言われていたくらいだ。その俺が皆に感情を読まれるなんてことがあるはずが……。
「咲耶ちゃんって感情豊かですぐに表情に出るからとても分かりやすいんですよ」
「うれしそうにしてる時とかこっちまでうれしくなってくるくらい幸せそうな表情をされますしね!」
「悲しい時とか考え事をされてる時もすぐに表情に出るから丸分かりでしたし」
「そんな時は私達も何か出来ないかなーって考えてたんだー」
「そっ……」
そんな馬鹿な……。言葉が出ない。俺は分かりやすかった?前世では表情が死んでいるとか感情がないと言われていた俺が?ただひたすら毎日ゾンビのように決まったルートを無表情、無感情に徘徊して同じ動作を繰り返すだけだった生ける屍だった俺が?そんなことあるはずが……。
「咲耶様って毎日精一杯生きておられて毎日楽しいんだろうなって思ってました!」
「ちょっと紫苑!そんな言い方をしたらまるで咲耶様が能天気に何も考えずに毎日楽しく生きていたみたいじゃないの!」
「あ~……」
紫苑の言葉もグサリと刺さったけど薊ちゃんの言葉もそう思ってたんだなっていうのが分かって辛い……。薊ちゃんとしてはフォローしているつもりなんだろうけど実質フォローじゃないよね。
「薊……、それはフォローになってないわよ……」
「咲耶ちゃん……、大丈夫?」
「…………」
皆が気遣わしげに俺を囲んでくる。でも……。
「……ぷっ。うふっ!あはははっ!」
「え?咲耶ちゃん?」
「どうされたんですか?」
「あははっ!うふふっ……。ははっ……。ふぅ……」
あ~、おかしい。笑った笑った。
そうか……。今生の俺は毎日が楽しくてうれしそうに生きていたのか。そりゃ悩むこともたくさんあった。今でも悩んでいる。でも……、それでも毎日楽しそうに生きていたというのなら……、きっと満足のいく良い毎日を送っていたんだろう。そして俺はそれをこれからも守りたい。
卒業パーティーで断罪されるかもしれない。それを思って不安になっていた。でも不安になるということはそうされたくないから、今の生活を失いたくないからだ。
前世の俺だったら別に卒業パーティーで断罪されて終わってもそれはそれで良いと受け入れていたかもしれない。それは毎日に希望がなくただ生ける屍として過ごしていたからだ。一応趣味はあった。でもそれも現実から逃げたいと思っていた逃げ込み先だっただけで、今から考えれば今生ほど充実した毎日じゃなかったように思う。
今生の俺は今の生活を失いたくないと思っている。それは九条家で贅沢な暮らしが出来るからとかそういうことじゃない。当初はゲームで好きだったキャラクター達としか思っていなかったとしても……、今では皆のことを本当にこの場に一緒に生きている人として好きだからだ。その生活を失いたくない。
九条家での贅沢な暮らしは失っても良い。でも皆と一緒に過ごす毎日は失いたくない。そしてその毎日を守るためには九条家も守らなければならない。だから俺は断罪も破滅もしたくないんだ。それを乗り越えるために色々と頑張ってきたんだ。
「皆さん大好きですよ」
「「「「「――ッ!?」」」」」
「ちょっ……、咲耶ちゃん……」
「急にそんな不意打ち卑怯です……」
「あぅ~……」
ちょっと臭いセリフを言ってしまったかもしれない。そのせいで皆顔を赤くして呆れていた。でもこれは俺の本心だ。だから……、明日の卒業パーティーと断罪を乗り越えるためにもどうしても言っておきたかった。俺もそんなことを言うのは恥ずかしいんだけど……、明日を乗り越えようという決意表明のようなものだと思う。
皆とのキャンパスライフを、いや、それ以降もずっと皆とこうして暮らしていくために……、俺は絶対に卒業パーティーを乗り越え、咲耶お嬢様の断罪も、九条家の破滅も、全てを覆してやる!
~~~~~~~
今日も一日が終わって家へと帰ってきた。蕾萌会が終わって習い事が減っているので自由時間が増えた。その分だけ百地流の修行も増えているけど……。
「ただいま戻りました」
「おかえり咲耶」
「お兄様?」
習い事も終えて家に帰ると兄がまるで俺を待っていたかのように現れた。実際に待っていたのかたまたまだったのかは分からない。
「ちょっと良いかな?」
「はぁ?」
兄に言われるがままについていく。普段だったら部屋に戻って着替えて寛いだり、お風呂に入ったり食事にしたりしているだろう。でも今日は部屋に戻る暇もなくリビングに連れてこられた。入ったリビングには父と母も居る。どうやらやっぱり俺を待っていたようだ。
「あの……?」
「まずは明日高等科を卒業だね。おめでとう咲耶」
「ありがとうございます」
こういうのは卒業式が終わった後に言うんじゃないかと思うけど先に言う家もあるのかもしれない。それ自体は別に良い。おめでとうと言われたらありがとうと答えるだけだ。でも何かそれだけじゃない雰囲気だしただお祝いを言おうと思って集まったわけじゃないんだろう。
「明日は折角の咲耶の卒業式と卒業パーティーの日なんだけど……、色々と起こることは咲耶も察しているよね。だから今日のうちに落ち着いてお祝いを言っておいたんだ」
「そう……、ですか」
何と言えば良いのか分からない。つまり父や兄も明日卒業パーティーで騒動が起こることを把握していて、それを俺に伝えるのと先にお祝いを言っておきたかったということか?
「卒業式は学園の行事だし普通に終わると思うよ。でも卒業パーティーで不穏な動きがあると耳にしてね。咲耶もどうやってかは知らないけどそれを知ったからここの所緊張していたんだよね?」
「えっ……、ええ。そう……、かもしれません」
俺は別に緊張しているつもりはなかった。でも両親や兄から見ても俺は様子がおかしかったのかもしれない。そう言われても俺には自覚はなかったけど今日も皆に俺は分かりやすいと言われたばかりだしな。両親や兄が俺の感情の変化や緊張に気付いていてもおかしくはない。
「まぁそれで当日に慌てないように打ち合わせをしておこうと思ってね」
「なるほど?」
それは有り難い。父や兄も何か動くつもりだったのなら事前に打ち合わせをしておくのは必要なことだ。何も知らされず俺が素の反応をすることで相手を油断させるという手もあるだろうけど、入念な打ち合わせをしておかないと失敗する可能性もある。
「それでね……」
………………
…………
……
「そんなことがっ!?」
今日のうちに打ち合わせで聞いておけて良かった。もし明日突然こんなことがあったら俺も動揺して何をしていたか分からない。でも……、そうか。これなら咲耶お嬢様の断罪も九条家の破滅も逃れられるかもしれない。明日は頑張ろう!
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ついに三月十四日水曜日、卒業式の日になってしまった。卒業式自体は無事に終わるだろう。ゲームでも卒業式自体は問題なく終わっている。問題なのはその後に行われる卒業パーティーだ。
卒業式は学園の行事だけど卒業パーティーは五北会と生徒会が主催の生徒の自主イベントという形になっている。場所は学園を借りるけど主催は生徒だ。そこで咲耶お嬢様の断罪や九条家の不正の暴露が行われてあっという間に九条家の破滅とエンディングへと向かうことになる。
「おい咲耶!ちょっと顔を貸せ!」
「御機嫌よう近衛様」
俺が最後の登校で行列を抜けて睡蓮と別れると伊吹が声をかけてきた。どうやら階段の近くで潜んで俺を待っていたらしい。一体何事かとは思うけどいくら監禁に近い状態で軟禁されているとはいえ卒業式くらいは伊吹も出てくるだろう。何か話があるようだし伊吹についていくと裏庭へとやってきた。
「咲耶!今からでもまだ間に合う!俺様と婚約しろ!そうすれば乗り切れる!」
「はぁ……。またそのお話ですか。それはお断りしたはずですが……」
前にも思わせぶりなことを言っていたから余程重要な話かと思ってついてきた。でもまた婚約や結婚の話を蒸し返すだけか。だったら付き合う理由はない。俺が立ち去ろうとしたら……。
「待て!そんな簡単な話じゃないんだよ!お前は……、九条家はこの後卒業パーティーで破滅する!それを止めるためには俺様と婚約するしかないんだよ!」
「――ッ!?」
伊吹のその言葉を聞いて俺は固まってしまったのだった。