第千三百七十一話「留学生達は……」
昨日のお茶会は焦った……。いきなりあんな錚々たるメンバーの前に引き摺り出されて何も考えていなかったのに挨拶をさせられたんだ。事前にこういうことがあると伝えられていて、それに向けたスピーチを考えていても緊張でうまくしゃべれないかもしれない。それなのにそんな事前の連絡すらなくいきなりあんな場に放り込まれてどうしようかと思った。ただあれ自体は俺にとっても望むべくもないことだ。
貴子様達が俺を急にあんな場に呼んだのは俺の覚悟を問うためだろう。これから近衛家や近衛財閥と戦っていくにあたって、果たして俺は矢面に立って皆を引っ張っていく覚悟があるのか?それを問われたのだと思う。
あの場に居た人々からすれば自分はあくまでその他大勢のうちの一人で、近衛連合と九条連合の争いで一応九条連合に与しておき、九条連合が勝てば自分はおいしい所をもらい、万が一九条連合が破れれば知らん顔で近衛連合に擦り寄る算段のはずだ。
自分達が目立つ場に立ってしまえば負けた側に立っていた場合に不利な立場に立たされてしまう。そうならないように自分達はあくまで裏から支援するだけに留め、どちらにもある程度良い顔をしておきながら様子を見る。この国でもそういうのは風見鶏だのコウモリだのと言われて忌み嫌われる。
しかしそうは言っても現実的には風見鶏やコウモリは数多くいるし、そういう者がいるからといちいち反応したり全て排除していては政治も経済もままならない。いつか裏切るかもしれない者ともうまく付き合って利用していくのが政財界というものだ。
だから彼らは自分が矢面に立つことなく、勝ちそうな方により積極的に投資しておきながらもその相手にも一定の配慮をしてどちらが勝っても良いように立ち回る。あそこで俺が矢面に立つのを嫌ったり、彼らに嫌悪感を示したりしていれば途端に近衛連合の方へ走られていた可能性もある。
それらを思えば俺の取れる選択肢など最初から一つであり……、そして父や兄、九条家のために何か少しでも役に立ちたいと思っていた俺にとってはせめて力になれる唯一の部分でもあったと思う。
ただ問題なのは俺は急に呼び出されてスピーチを考える暇もなくあんな場に立たされてしまった。もしかしたら俺の態度や言葉がなっていないと思って呆れられたかもしれない。味方に引き入れようとする場というのは向こうもこちらを観察している場でもある。あまりに不甲斐ないようだと思われたら向こうに見限られる可能性もある。
「咲耶様、到着いたしました」
「はい」
「それではいってらっしゃいませ咲耶様、花園様」
「「「いってらっしゃいませ咲耶お嬢様、花園様」」」
「いってまいります」
「いってきますぅ~」
昨日のことを考えているうちに学園に到着していた。今日も行列の間を抜けて、三つ葉達知り合いと少しだけ話をすると睡蓮と別れて自分達の教室へと向かったのだった。
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百合の説得も無事に終わったし学園での懸念はもうないと思う。来週の半ばには卒業式と卒業パーティーがあるけどそれはまた別だ。卒業パーティーでの断罪と破滅という問題はまだ残っているかもしれない。ただこうして普通の学園生活を送る上での懸念はもうない……、はずだ。
「オーッ!サクヤー!」
「ねぇ咲耶、今日の放課後は私達に付き合ってくれるかしら?」
「え?デイジーさん、ガーベラさん?それは構いませんが……」
食堂で皆と食後のティータイムを楽しんでいるとデイジーとガーベラがやってきた。今日の放課後に付き合って欲しいと言われたからすぐに答えたけど少し考えてから具体的に聞いておいた方が良いと思って聞いてみた。
「放課後というのはいつからどれくらいでしょうか?いつもの五北会サロンが終わってからでしょうか?」
「ううん。咲耶は色々忙しいみたいだし五北会サロンにはいかずに授業が終わったらすぐに付き合って欲しいのよ。それなら咲耶の習い事とかにあまり影響が出る前に帰れるかもしれないから」
「はぁ?そうですか……」
どうやら授業が終わってすぐに付き合って欲しいということらしい。まぁもう受験もほとんど終わっているし定期試験もない。授業もほとんどまともにしていないから放課後の勉強会はなくなっている。五北会サロンに行く時間もやめて何かをするのなら習い事までにもそれなりの時間は確保出来るだろう。
それから習い事も百地流に終わりはないけど蕾萌会はもう行く必要がない。まだ受験が残っている普通の塾生なら最後の最後まで通う子もいるけど、受験が終わって入学先が決まっている子はもう通う必要はなく辞めた子も多い。俺はそもそも受験をしていないけど、受験もしないんだからこれ以上塾に通う理由もなく講習を終えている。
「それじゃ放課後に迎えに行くわね」
「はい」
「サクヤー!またネー!」
ガーベラとデイジーは手を振って食堂から出て行き……。
「咲耶ちゃん?」
「どうして私達に何も聞かずに決めてしまわれたんですか?」
「え?あっ……。いやぁ……、それは……」
別に皆と放課後に何か約束をしているわけじゃない。でも何故か俺は皆に勝手にデイジーとガーベラと約束をしたことを詰め寄られたのだった。
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放課後になるとすぐにデイジーとガーベラが迎えに来た。二人と一緒にロックヘラー家の車に乗って移動する。
「え~……、詳しい内容はお聞きしておりませんが一体どちらへ向かっておられるのでしょうか?」
「ん~?特に目的はないんだけど……」
「サクヤーと一緒にお買い物デース!」
……どういうことだ?何か目的があったから誘われたんじゃないのか?
デイジーもガーベラも特に行き先も目的もなくなんとなく出てきたみたいな雰囲気だ。それは目的を俺に知られないように隠しているとかそんな様子でもない。本当に目的もなく友達とぶらぶら街に出てきたみたいな空気になっている。
この二人は隠し事が苦手だ。だからもし本当は何か目的があるのに俺に隠してどこかへ連れて行こうとしていたら何となく分かる。それがないということは二人が言うように本当に目的もなく出てきただけだと思う。
「え~……、それでは一体何故私を誘って出てこられたのでしょうか?」
いきなり怒ってはいけない。二人にだって何か考えがある可能性だってある。用もないのに俺の予定を滅茶苦茶にして突然連れ出したというのなら多少腹も立つだろう。でも二人には二人なりの考えがあってこうすべきと思ってしたのならまずはその事情を聞いてみるべきだ。
「咲耶とお買い物に行きたかったから……」
「サクヤーとお出掛けしたかったからデース!」
「う~ん……」
これはセーフ?アウト?俺普通に怒って良い所かな?
俺が毎日暇を持て余している普通のご令嬢だというのなら二人の誘いに乗って遊びに出掛けるのも良いだろう。でも今の俺は近衛連合との争いや卒業パーティーでの破滅への対策で色々と忙しい。百地流の修行までには帰れるとしても二人と遊んでいるほど暇じゃない。
「私達はもうすぐ国に帰るから……」
「留学も終わりデース」
「ぁ……」
その一言と悲しそうに顔を伏せたガーベラを見て俺はようやく理解した。今日のお出掛けの目的地はない。でもこのお出掛けには大いに意味があるんだ。
デイジーとガーベラは留学生としてやってきている。当然高等科を卒業したら自分達の国に帰る。そもそも新大陸とか旧大陸の一部は九月が新年度だから二人とも本当なら九月には留学を終えて帰っていなければならなかったんじゃないかと思う。それなのに今も無理をしてこちらに残っている。それだけでも大変なことだと思う。
そうやって無理をしてでもこちらに少しでも長く留まってくれている二人だけど、それでもさすがに高等科を卒業したら帰国しなければならない。両親や国のこともあるだろう。いつまでもずっとこちらで暮らしているわけにはいかない。俺はそのことを知っていながら真の意味では理解していなかった。
俺達の中ではひまりちゃんだけ国立大学に通うことになる。ひまりちゃんだけ別の大学に進学することで疎遠になるかもしれないとか、あまり会えなくなって寂しいとか言ってきた。でもこの二人はそんな比じゃない。
ひまりちゃんだけ別の大学に進学すると言っても同じ都内の大学だ。強引に相手の都合を考えなければ今日思い立ってその日のうちに会いに行ける。事前に連絡をして会える日を打ち合わせればすぐその日のうちにとはいかないかもしれないけど、大学なり家なりに押しかければその日のうちに会うくらいは出来るだろう。
同じ都内どころかせめて同じ国内に居るのであればその日のうちに会おうと思って会える距離だ。でもデイジーとガーベラは自分達の国に帰ってしまう。国を跨ぐとなっては今日会おうと思ったからといっていきなり今日会えるというものではない。相手の都合も聞いて確実に会える日を選ばなければならないし、相手国に入国するための手続きも必要になる。
ひまりちゃんが別の大学で寂しいとかそんな話よりも遥かに重く大変な壁だ。もしかしたらこうしてデイジーとガーベラと三人で気軽に会えて遊べるのはこれが最後かもしれない。それくらいに重要で重大な話なんだ。
ガーベラが目的地がはっきり決まっていないとか言っていたけどそれは重要じゃない。大事なことは俺達三人がこうして一緒に集まって遊ぶことであってその内容や行き先は重要じゃないという話なんだ。
「デイジーさん!ガーベラさん!今日はとことん遊び尽くしましょう!」
「咲耶……」
「サクヤー……」
俺が二人の手を握ると二人も少し潤んだ瞳で見詰め返して頷いてくれた。まだ卒業式まで一週間ある。でも三人でこうして遊びに来るのは最後かもしれない。だから……、今日は精一杯二人と遊ばなければ!
「(二ヒッ!咲耶チョロすぎ!)」
「(サクヤーは素直デース!)」
「お二人とも!一生の思い出になるような一日にしましょうね!」
放課後の時間だけでどれほど楽しめるかは分からない。でもせめて精一杯楽しもう!そして二人を楽しませよう!それが俺に出来るせめてもの二人への誠意だ!
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確かに今日を精一杯楽しもうとは言った。でもちょっと待って欲しい。こんなのは聞いていない!そしていくら何でもこんなのは精一杯楽しめない!
「咲耶!次はこれ!これを着てみて!」
「ちょっ!?ガーベラさん!?これぱっくり割れて開いているではありませんか!?」
「普通よふつー!さぁ!早く!」
「無理です!これはいくらなんでも無理ですよぉ!?」
俺達は今何故か下着専門店に来ている。そして俺だけ試着させられてそれをファッションショーのようにデイジーとガーベラに見られて品評されている。しかもその下着が滅茶苦茶妖しいものばかりだ。
普通の下着だというのならまだ良い。俺だって毎日下着は着用している。そういうものであるのならばある程度は慣れた。もちろん慣れたと言っても自分が着用しなければならないことを理解して諦めたという意味だ。決してその姿を見られるのが平気だという意味ではない。
それでもいつも着ているような下着ならば椛や柚には毎日見られているし、エモンや睡蓮と一緒に着替えている。体育などがあればクラスでも着替えるからじっくり見られるのは恥ずかしいけど一緒に着替えるくらいならもう慣れた。でもこの店は駄目だ……。
まずこの店は下着専門店だと思うけど俺が知っている下着と違うようなものしか売っていない。今ガーベラが俺に試着するようにと持ってきたものなんて胸もお股もぱっくり開いてしまっている。これでは着ても中身が見えてしまうだろう。こんな下着なんて俺は知らない。こんなの下着じゃない。
「サクヤー!それならこっちデース!」
「いやいやいや!?これもう下着ですらありませんよね!?ただのシールですよね!?」
「HAHAHAー!」
いや、なに笑ろとんねん。
デイジーが持ってきたのはもう下着ですらない。ニップレスのシールだ。星型の『ふわ~ぉ!』とか音が入りそうな胸に張るだけのシールだ。これは決して下着ではない。ていうか本当にここは下着専門店なのか?こんなの……、下着じゃないやい!
「じゃあこれ!これなら開いてないからいいでしょ!」
「それもう紐ですよね!?」
ガーベラがやれやれとばかりに次に持ってきたのはただの紐だった。こんなの胸と腰に巻くだけのただの紐だ。確かに穴が開いてるみたいな感じや割れてるみたいなさっきのとは違うけど、そもそもこの紐だけのどこを割れたり開いたりするように出来るというのか。
「サクヤー!これデース!」
「あ~……、それがまだマシですね……」
デイジーが持ってきたのは赤と白のストライプに青い部分とその中に白い星が並んでいるデザインのハイレグレオタードだった。確かにこういうものは映画や漫画などの創作物の中では見たことがある。
普通だったらこれでも際どすぎるハイレグレオタードで普段なら絶対に着ないはずだ。でもこの時の俺はもうあまりに妖しい下着ばかり出されておかしくなっていた。だから……、うっかりそれを試着して二人に見せてしまうなんて後で絶対思い出して悶えることをしてしまっていたのだった。




