第千三百三十六話「俺は詳しいんだ!」
あぁ……、昨日のお茶会はうまくいったんだろうか?
ジョニーもメイヤーも前向きに検討するとは言ってくれた。でもはっきりと提携するとは言わなかった。もちろん俺は経営者でもなく九条グループの何らの決定権すら持っていない。俺と約束したとしても何の実効性もなく無意味な話だ。だから俺は俺を通じて父と顔を合わせてもらって提携の話をするきっかけになればと思ったにすぎない。それが妻や娘の社交の意味でもある。
だから何も間違っていない。俺が社交という名目でロックヘラー家やロスチルド家と顔を繋ぎ、それを通して父同士が顔を合わせて仕事の話に繋げる。それには成功したと思う。でもそれは俺が両家に悪い印象を与えていれば父の提携交渉にも悪い影響を与えかねないということだ。
奥様や娘の社交なんて気楽なもの……、なんてことはまったくない。俺は社交なんて面倒なだけで嫌だと思っていた。実際昔はあまりそういう所にも参加しなかった。まぁ半分は母が俺を出すと碌な事にならないと思って断っていたんだけど……、その判断は正しかったと思う。
ただお金持ちのマダム達がお気軽にお茶を飲んで贅沢をしながら他人の噂話に花を咲かせるためのものじゃない。社交で開かれるお茶会というのは夫や父の仕事を助けるためのものだ。
社交の場で迂闊なことをすれば本人だけではなくその親や親が経営する会社にまで影響を与えてしまう。逆に良い縁を持てたり、誰かと顔を繋げられればそこから仕事に繋がることもある。ほんの一言の失言で全てを失う可能性もある代わりに、うまくすれば顔と縁を繋いで家の繁栄を齎すことも出来るのが社交というものだ。
社交について良く分かっていなかった俺はこれまでちゃんとした勉強も訓練も積んでこなかった。普通の貴族の子女ならば幼少の頃から社交に精を出して親や将来の夫を支えるために訓練を積むものだ。俺はそれがどれほど重要なことであるのかこの年になるまで自覚していなかった。
ただ貴族のマダムや子女がお茶を飲みながら他人の噂話をして憂さ晴らししたり嫌味を言う場などではなかったというのに……。
そんな社交の経験値が足りていない俺がいきなりジョニーやメイヤーのような世界で活躍している著名人や経営者を相手に出来るはずがない。きっと俺は二人に無様な姿を見せてしまっていたことだろう。そんな俺を見て二人は『九条家は娘の教育すら出来ていないのか』と提携相手として不安視してしまっていてもおかしくない。
「ああああぁぁぁ~~~~~っ!!!」
俺は頭を抱えて蹲ってしまった。百合が急に『じゃあ今日、今からお茶会をします!』みたいなことを言って場をセッティングしてしまうから……。せめてもっと準備する時間があれば何か考えることも出来たかもしれない。でも何も考える暇もなくいきなりあんな場に引きずり出されてしまったから考えが纏まる前に無様を晒してしまった。
いや……。百合のせいのように言うのはやめよう。準備が出来ていなかった俺が悪い。それにこれまでちゃんと社交の場に出て経験を積んでこなかった自分が悪い。まともな貴族の子女ならば急に二人と会うことになってもうまくやれたはずだ。それが出来なかったのは俺が貴族の子女として中途半端で何も出来ないからだろう。
でもなぁ……、やっちまったなぁ……。
「咲耶様っ!?いかがされましたか?大丈夫ですか?」
「あっ……、ええ。大丈夫です……」
急に頭を抱えて蹲ったから椛に心配されてしまった。何度も心配して声をかけてくる椛に大丈夫だと伝えて、着替えを終えると睡蓮と一緒に百地流の朝練へと向かったのだった。
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「御機嫌よう」
「「「「「きゃーーーーーっ!咲耶お姉様ぁ~~~~~っ!!!」」」」」
「おはようございます、九条様~!」
「御機嫌よう九条様」
朝練を終えてロータリーから玄関口に向かうといつもの行列が出来ていた。でも何か今日の行列はいつもにも増して凄く熱狂?とでも言うのか、騒がしいというか、皆興奮しているように思える。
「御機嫌よう、西村様、赤尾様、勢多さん」
「九条様、御機嫌よう」
「おはようございます九条様!」
「あっ、あっ、御機嫌よう九条様」
先頭付近に三つ葉、南天、木天蓼が立っていたので少しだけ近寄って挨拶を交わした。周囲が騒がしいからあまり長々と話している場合じゃないと思うけど、知り合いがいるのに声もかけずに行くのは失礼だろう。
「九条様!先日はデートしていただきありがとうございました!とっても楽しかったです!」
「「「ああぁぁぁ~~~っ!」」」
「キーッ!羨ましい!」
「私だって九条様とデートしたーい!」
木天蓼が先日のことを言うと偶然タイミングが重なったのか、周囲から凄い声が聞こえてきた。ブーイングとかに近いような声に聞こえたけど気のせいだろう。
「え~……、そうですね。私も楽しかったですよ」
「ありがとうございます!是非またお願いします!」
「私達の学年はもうすぐ卒業してしまうので中々難しいかもしれませんが……、また都合が合えば考えましょう」
「はいっ!」
「何よあの子!図々しい!」
「咲耶お姉様ぁ~ん!次は私とお願いします~!」
「いえ!是非私と!」
「私とお願いします!」
「え~っと……」
何か今日は周囲の子達の圧がいつにも増して強いなぁ……。いつもなら三つ葉や南天と話している時はすぐ近くの子達は少し静かにしてくれている。でも今日は木天蓼と話している間も周囲の子達は静かにならないどころか、むしろ興奮しているのかと思うほどに圧も声も凄かった。
「今日はあまりゆっくり話せないようですね……。すみません、西村様、赤尾様。お二人とのお約束はまた後でお話いたしましょう。勢多さんも御機嫌よう」
「はい。それでは九条様」
「またのちほど!」
「御機嫌よう九条様!」
今日は行列の子達も殺気立っているような感じだったので早々に話を切り上げて通り抜ける。三つ葉と南天とのお出掛けももう今週末、土日だと決まっている。だから話すことというか決めることはないんだけど、一応そう言ってから階段で睡蓮と別れて自分の教室へとやってきた。
「御機嫌よう」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
教室に入るといつも通り皆はもう来ていた。でもいつも通りじゃない奴が一人居る。今日は紫苑も早く来ているようだ。紫苑も早く来なければならない何か理由でもあったのだろうか?それとも前までの薊ちゃんみたいにたまたま早く目が覚めたから来たとかそんな理由なのだろうか?
「さて、咲耶ちゃん?」
「どういうことか説明してもらいましょうか?」
「え?え?」
俺が自分の席に着いて荷物を片付けようとしていると皆が笑っていない笑顔で俺の席に集まってきた。ただ俺の方は何を言われているか分からずに混乱することしか出来ない。何か皆怒ってるみたいだけど俺は何故怒られているんだ?何かしてしまったか?そんな覚えはまったくないんだけど……。
「可愛い後輩とデートしてきたんですよね?」
「あっ……、あぁ……。そのことですか……」
何か皆勘違いをしてるようだ。そう言えば木天蓼もデートだとか言っていた。でも実際に行ってみればただの同性同士のお買い物だったわけで俺が思うようなデートとは違った。
前世の俺のイメージするデートと言えば、男女が買い物やテーマパークなどに出掛けて、食事をして、ホテルで一晩泊まってにゃんにゃんするようなものをデートだと思っている。でも木天蓼は最初からデートだと言っていた割にはただ普通に学生の同性同士で街に買い物に出掛けたような感じだった。
そのことから考えて、もしかしたら三つ葉達や木天蓼はデートという言葉こそ使っていたけど本当にそういう意味でのデートだと言っていたわけではないのかもしれない。実際に行くまでは俺も本当の意味でのデートかと思っていたけど、木天蓼とのお出掛けを終えた今となっては冗談で同性同士のお出掛けをデートだと言っていたのかと思える。
「咲耶ちゃん、随分余裕ですね?」
「咲耶様!それなら私ともデートしてください!」
「ちょっと紫苑!抜け駆け禁止!私とお願いします咲耶様!」
「いや……、あの……、ちょっと落ち着いて……」
俺がデートだったと認めたと思ったのか皆が一斉に迫ってきた。でも待って欲しい。あれは果たしてそういう意味でのデートと言って良かったんだろうか?今冷静に考えれば俺にはただの同性のお友達同士の買い物だったように思う。
「え~……、恐らく皆さんは勘違いをされていると思います。まず私と勢多さんが一緒に出掛けたのは事実です。それは先日の件のお礼に勢多さんが望んだからであり私もそれを了承しました。ですがそれは皆さんが思われているようなものとは違うものですよ」
あまり人との思い出を他人にベラベラしゃべるのはどうかと思う。でもこのまま勘違いされて俺が皆に詰められていても困る。ということで詳細は省くけど木天蓼とのお出掛けのあらましは説明してみた。これで皆の勘違いも解けるだろう。
「咲耶ちゃん……、それでデートじゃないって無理があるでしょう……」
「どう考えても私達の年頃の庶民のデートですよね」
「まぁ咲耶ちゃんは深窓の令嬢だから……」
「確かに咲耶様のデートだったらもっと凄いことになるんでしょうけど……」
「それにしても……」
「「「「「ねぇ~?」」」」」
あるぇ?な~んか皆の目が余計に冷たくなった気がするぞ?ただ服屋さんに行ったり、ファーストフードで食事をしたりしただけだよ?こんなのただお友達と買い物に出掛けたのと同じだよね?
「咲耶ちゃんは何も分かっておられません……。良いですか?庶民というのはカップルでもファストファッションのお店に行って買い物をして、そこらのファーストフードで食事を済ませるだけでもデートと言うんです。重要なのは内容ではなく相手との関係性やお互いの認識なんですよ。恋仲にある二人が一緒にお出掛けをすれば公園に行って歩くだけでもデートなんです」
「なるほど?」
まぁそれはなんとなく分かる。恋人同士だったら河川敷を歩くだけでも、近所の公園に行くだけでもデートと言えばデートだろう。でも俺と木天蓼は恋人じゃないんだから一緒に出掛けてもデートじゃないということになるはずだ。
「咲耶様!恋人同士になっていなくても、恋愛関係になりたい相手と出掛けることだってデートって言うんですよ!」
「なるほど?」
それは確かにその通りだろう。恋人同士だけがデートなのではなく恋人になる前の段階でもデートに行くと言える。これから恋人同士になろうとしている二人もお互いの絆を深めたり、相手のことを知るためにするのもデートだ。
「咲耶ちゃんの考えるデートってきっとプライベートジェットで海外に行って、ブランド店で買い物をして、高級ホテルに泊まって一緒に熱い夜を過ごすことをデートだとか思ってるんでしょうね」
「いえ……、そこまでは言いませんが……」
いくら俺でもいきなりプライベートジェットで海外に行って高級ホテルに泊まるのがデートだなんて思ってないぞ!……いや、何かそれに近いことを考えていたような気がするけど別にプライベートジェットで海外に行くとは言ってない。他のイメージは大体俺がさっき考えたのと似てる気がするけど気のせいだ!
「咲耶ちゃんが箱入り娘すぎる……」
「どうしてこんな風に……」
「まぁ私達が咲耶ちゃんを囲いすぎて外界との接触を絶ち過ぎたのも悪かったかもしれませんね……」
「でも咲耶ちゃんって天然で無防備だから放ってたらすぐ変な所に連れて行かれたり、変なものに染まったりしそうでしたし……」
「「「確かに……」」」
何か失礼なこと言われてない?俺は前世社会人だったんだよ?むしろ皆の方が庶民の常識とか持ってないよね?皆はお嬢様育ちだから俺のなんちゃって似非お嬢様と違うだけだと思う。庶民生活のことは良く知っている。俺は詳しいんだ!
「というわけで咲耶ちゃん、これからは咲耶ちゃんも外界のことを知りましょう?」
「私達と一緒に……」
「私達がエスコートしますから」
「ゲッヘッヘッ!」
「ウェッヘッヘッ!」
「いや……、あの……」
何か皆がジリジリと迫ってきている。とても怖い……。このまま皆に任せていて良いのか?いや!良くない!ここは逃げ……。
「逃がしません!」
「捕まえた!」
「今よ皆!」
「「「おーっ!」」」
「アッー!」
この後俺達は担任の枸杞がやってきて怒られるまで押し競饅頭をすることになったのだった。




