第千三百三十四話「取り付ける」
「え~……、本日は休日にも関わらず突然このような失礼なお願いを聞いていただきありがとうございます」
どうしてこんなことになった?俺はただちょっと百合に電話しただけなのに……。
午後に父の部屋を訪ねた俺は貴族の子女に出来ること……、社交をしようと思って百合に電話した。それなのに百合に用件を伝えたらあれよあれよという間に今日のうちにこんな席が用意されてしまった……。俺が立ち上がって頭を下げると相手から言葉が返ってきた。
「いやいや、頭を上げて、咲耶さん。君は椛の恩人なんだ。それに先日の西園寺家の件でもお世話になった。この程度のことでは返しきれない恩があるよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」
俺は今一条家に来ている。俺は電話で百合に頼み事をした。それは今後そういう約束を取り付けないかという電話だったんだけど……、何を思ったのか百合は今日、今すぐそれを実現すると言ってきた。
それは……、一条家やロックヘラー家、ロスチルド家との会談の場だ。
百合はデイジーやガーベラと親しく長らく留学をしてロックヘラー・ロスチルド両家とも親しくしていた。それに一条家の当主夫妻は海外で紀子さんの足跡を辿ったり調査したりするために両家と協力していた。その伝手を使って俺も紹介してもらいたいと思ってのことだったけどまさかいきなり今日それが実現するとは思っていなかった。
後日そういう席を用意して欲しい。アポイントメントを取りたい。そう伝えただけだったのに……、まさか今ロックヘラー・ロスチルド両家の当主がこちらに来ていて一条家の屋敷にいるなんて分かるはずがない。百合に紹介やアポイントメントを頼んだら『それでは今からお茶会を開きますわ!すぐ来てくださいまし!』なんて言われると思わないだろう。
そうして俺が何か言う暇もなく決められた午後のお茶会でこうして一条家、ロックヘラー家、ロスチルド家の当主達と顔を合わせている。これで緊張するなという方が無理な話だ。
「それじゃ紹介しよう。こちらはジョニー・ロックヘラー氏だ。デイジーさんのお父さんだよ」
「よろしく、サクヤーさん。娘から話は聞いているよ」
「御機嫌よう、ロックヘラー様。九条咲耶と申します」
デイジーの父親なのに言葉はしっかりしていた。やっぱりデイジーのアレはステレオタイプの外国人を演じるための演技なのかもしれない。でも何故か俺のことを『サクヤー』と変なイントネーションで呼ぶのは変わらないらしい。あるいはデイジーが家で両親にそう言うからそれが正しい発音だと思ってしまっているのかもしれない。
「そしてこちらがメイヤー・ロスチルド氏」
「はじめまして咲耶さん」
「御機嫌よう、ロスチルド様。デイジーさんともガーベラさんとも親しくさせていただいております」
一応正式な場ではないということなので簡単な紹介だけで席に着く。ここでは九条家とロックヘラー家とロスチルド家の会談ではなく、留学している先の友達とその両親がプライベートで会ったという体だ。だからあまり堅苦しく遠慮していても相手に失礼になってしまう。
「お~っほっほっほっ!咲耶お姉様!デイジーとガーベラも来ましたわよ!」
「サクヤー!お久しぶりデース!」
「こんにちは咲耶。休日まで会えてうれしいわ」
「御機嫌よう、百合ちゃん、デイジーさん、ガーベラさん。それから久しぶりというほどではありませんよね。金曜日に学園で会ったばかりですし」
一条夫妻が新大陸でロックヘラー家のお世話になっていたように、今はロックヘラー・ロスチルド両家の当主夫妻がこちらに来て一条家の屋敷に滞在しているらしい。だから百合に電話したらいきなり今日こんな場を用意すると言ってくれたわけだけど、デイジーやガーベラまでここで暮らしているわけじゃない。
デイジーとガーベラは留学してきてこちらで生活している。その生活の場はどこかにあるはずだ。それなら両親も訪ねて来たのならそちらで生活すれば良いじゃないかと思うけど、一条家が向こうでお世話になったお礼に両親達を一条邸に招いていた。だから別に生活をしている。
当主夫妻達はここで生活していたから声をかければすぐに集められたけど、デイジーとガーベラは別で生活をしていた上に今日こんな席を設けるという約束があったわけでもない。それを百合が連絡して急遽やってくることになった。迎えに行った百合に連れられて三人とも少し遅れてやってきたというわけだ。
「まずはお茶にしましょうですわ!」
「そうね。ティータイムにしましょ」
「了解デース!」
最初はいきなりロックヘラー・ロスチルド家の当主を紹介されて緊張していたけど、百合、デイジー、ガーベラが来てくれたお陰で少し緊張が解けた。百合の行動には驚かされてばかりだけど二人の登場には助かったというのが正直な感想だ。
「そうだね。まずは当家のお茶を楽しんでもらおう」
百合と実道の計らいでお茶会が始まった。あまり堅苦しい場ではなく、あくまで同級生同士とその両親という立場で話す。ジョニーとメイヤーも細かいことは言わずにあくまで娘の同級生として無礼講で許してくれていた。
「それで咲耶さん……、今日は何の相談があったのかな?」
「あっ……、はい……。それは……」
お茶会も進んで和やかな空気だったけど実道が爆弾を放り込みやがった。まぁ俺としてもただお茶会を楽しみに来たわけじゃない。それが本題だから大事だし、いつ本題に入ろうかと思っていたから助け舟ではあったんだろうけど、何の備えも覚悟もない時にいきなりぶち込まれたらこちらが焦ってしまう。
「実は……、一条様、ロックヘラー様、ロスチルド様にご協力していただきたいことがございます」
「ほう」
「フム……」
実道は俺の目的が分かっているんだろう。何も言わずに黙ってこちらを見ている。ジョニーとメイヤーも本当は察しているのだと思う。でもあくまで俺が何をどう頼むつもりなのか見守る姿勢のようだ。覚悟を決めた俺は当主達に頭を下げた。
「現在九条家、二条家は近衛家、鷹司家、ヴォルトン家と争っております。一条家、ロックヘラー家、ロスチルド家の皆様には是非九条家にお力添えしていただきたくお願いにあがりました」
「「「…………」」」
なるべく簡潔明瞭に用件を伝える。本来こういう言い方は貴族らしくないだろう。迂遠な表現で自分の方が不利にならないようにはっきりお願いしないのが貴族的な駆け引きだと思う。でも今はそんな無駄なことをしている場合じゃない。例え九条家側の弱味になろうともこちらの誠意を見せて協力してもらわなければならない。
「そんなにはっきり言ってしまって良いのかい?この国の貴族というのはもっと自分の不利にならないように立ち回るものじゃないのかな?」
「確かに貴族や経営者という立場であればそうかもしれません。ですが私は経営者ではなく、そして本日この場は貴族の会談ではなく学園に通う生徒とその保護者の無礼講の場であるとお聞きしました」
「なるほどね」
メイヤーはフッと笑うと肩を竦めてみせた。どういう意味かははっきりとしない。もしかしたら呆れられたのかもしれないし侮られたのかもしれない。貴族や経営者一族として相応しくないと思われた可能性もある。でもこれが俺の考えだ。
「私はストレートな交渉は嫌いじゃない。でもね……、交渉というのならこちらにもメリットが必要じゃないかな?我々が協力することでサクヤーは我々にどんなメリットを齎してくれるんだい?」
「ロックヘラー様やロスチルド様にとってもヴォルトン家とヴォルマートはライバルでしょう。そのライバルが誰かと手を組むのならご両家にとっても他の誰かと手を組むのは自然なことかと存じます。ヴォルマートが近衛・鷹司と手を組むのであればご両家は九条・二条と手を組むことは何もおかしなことではないかと」
もちろんロックヘラー、ロスチルドにとっては別にヴォルマートが近衛と組んでこの国に進出しようがどうしようが関係ないとも言える。世界経済で鎬を削るライバル関係だったとしても、向こうが他所と手を組んだから自分も別の者と手を組んで対抗しなければならないという決まりもない。
どうせ敵対して争うのならば味方を募って集めるというのはある話だ。でも他所が手を組んだからといって自分もそれに乗って他と手を組まなければ対抗出来ないわけでもない。そもそも相手が合併や買収、提携を繰り返して大きくなったからといって自分も同じようにするべきとは限らない。
確かに巨大連合になればそれだけ有利になる部分はある。でも不利になる部分だって当然ある。身軽さや小回り、意思決定の早さや切り替えなどは巨大すぎる連合にはない利点だ。巨大企業や巨大連合だけが一人勝ちするというのなら世界はもうとっくに巨大企業だけに支配されている。現実にそうなっていないのはそう簡単にはいかないことの証明に他ならない。
そもそもロックヘラーやロスチルドは別にヴォルトン家やヴォルマートと真っ向から対立する存在というわけでもない。ロックヘラーの前身は石油会社、ロスチルドは金融だ。小売であるヴォルマートが必ずしも敵とは言い切れない。
ロックヘラーやロスチルドだって小売部門を持っているかもしれない。特にロスチルド家は金融でやり繰りをしている。金融なのだからあちこちに出資していて出資会社や提携先に小売があるのは当然とも言える。でも仮に同業他社だったとしてもお互いに潰れるまで争う関係ばかりではない。
ライバル関係にある同業他社があって、相手を潰してやろうと思って鎬を削っている会社同士もあるだろう。でも同じ小売といってもターゲット層が違うとか業態が違うとか、一括りに小売といっても様々な形がありライバルではない会社も存在する。
例えばスーパーマーケットにとってはディスカウントストアは同系統の商品を同価格帯で売っているライバル足りえる。でも必ずしもコンビニエンスストアはスーパーマーケットのライバルとは言えない。業務形態、販売価格、ターゲットの客層などが違う両者は、多少の客の奪い合いはあるとはいえ共存は可能だ。
ロックヘラーやロスチルドが小売部門を持っているとしても、その業態や客層が違うのであればヴォルマートを敵視する必要はなく、むしろ協業出来る部分もあるかもしれない。それなのに九条家と手を組んでしまえばヴォルマートと無用な敵対を招く恐れもある。
「うちは金融が中心だからね。むしろヴォルマートが儲けるのならばヴォルマートに出資して利益を得る方が良いんだが?」
「我々も給油ついでに買い物でもしてもらえるように努めているけど、むしろ小売、販売の方はヴォルマートと提携出来る部分とも言えるからねぇ」
やはり両家ともそう言ってきたか。確かに石油会社ならガソリンスタンドに小売店を併設してそこで買い物をしてもらいたいだろう。でもそれは何も全て自社でやる必要はない。ヴォルマートと提携して商品や流通を共通化すれば自社の負担を軽くして本業に集中出来る。無闇な敵対はデメリットでありこそすれ、メリットらしいメリットはない。
「ですがこのまま小売がヴォルマート一強になられても困る。そうですよね?」
「「…………」」
俺は扇子を広げて口元を隠しながらそう言った。半分はハッタリだ。確信や何かしらの情報を握っているわけじゃない。でも誰でも分かるだろう。もしこのまま世界の小売をヴォルマートに支配されたら最終的には巡り巡ってロックヘラーやロスチルドもあまり歓迎出来ない事態になる。
どこかが一強としてその業界を支配してしまうことはどんな業界においても歓迎出来ない非常事態だ。そんなことになれば取り返しのつかない大変なことになる。自分は他業種だからとかそんなことは通じない。一業種を全て一社に握られるということは世界経済にとっても大きなマイナスとなる。
だからこそそれぞれある程度の規模同士が別々に集まってお互いに対抗し合っているのであって、一強でも何の問題もないのなら同業トップファイブとかの企業が全て集まって巨大企業を作ってその業界を支配してしまえば良い。それが起こらない、いや、阻止されるのには相応の理由がある。
「このまま世界の趨勢を近衛・鷹司とヴォルトン家に握られては困るのはロックヘラーもロスチルドも同じでしょう?であるならば……、まだ趨勢が決する前の今、ヴォルトン家に対抗するべきです。いえ、今この時をおいて他にタイミングなどありません。今この時こそが唯一無二のチャンスです。貴方がたはそれをみすみす見逃される方々ではない。そうでしょう?」
「「…………」」
ジョニーとメイヤーはお互いに顔を見合わせていた。そして……。
「あっはっはっはっ!確かにその通りだね!はっはっはっ!」
「いやいや……、大したお嬢さんだ。我々に向かってそこまで言えるとは。そして言っていることも正しい」
二人は急に笑い出した。先ほどまでの少しピリピリした空気が完全に吹き飛んで緩んでいる。
「ヴォルマートの一人勝ちは我々も望んでいない」
「まだ乗るかどうかは返事出来ないが、これから前向きに相談する場を設けることは約束しよう」
「ありがとうございます」
二人は一先ず今後正式な話をする場を設ける約束はしてくれた。俺は所詮経営者ではないただの小娘だ。俺とこの場で話し合った所で正式な文書が交わされるわけではない。だからそれは父達と話し合ってもらうしかない。ただその提携の話が出来る場を設けてくれると言ってくれただけでありがたい。
俺は二人に、いや、実道も含めて三人に頭を下げて感謝を示した。そして真面目な話が終わったと理解したからか、百合、デイジー、ガーベラに揉みくちゃにされながらこの後もお茶会を楽しんだのだった。




