第千三百四話「咲耶と枸杞」
一先ずコンビニに車を停めて枸杞と一緒に店内に入った。別行動をすると枸杞が襲われた時に助けられない。俺は自分の身はある程度守れるつもりだけど離れていたら枸杞は守りようがないからな。
「何を買えば良いですか?やっぱり食料ですか?おにぎりやお弁当?」
「いえ……、まぁ一食分くらいならそういった物を買っても良いですがあまり大量には必要ありません。むしろこういった栄養食品を中心に買えるだけ買いましょう」
おにぎりやお弁当、パンなどは嵩張る割に栄養価も低くバランスが悪い。何より日持ちしない。カロリー自体は高めの物が多いけどそれだけだ。これからのサバイバル生活を考えれば野生では安定して得難い栄養素を豊富に含んでいる物、かつ長期間保存がきく物を選ぶべきだろう。
最近では一箱で一日の三分の一の栄養が摂れる!とか、半日分のビタミン!とか、高たんぱく!とか、そういった栄養食品が色々と売られている。これらは日持ちがしたり、少ない量で多くの栄養をカバー出来たりする。こういうものを買っておけば数日の間は食料が入手出来なくてもどうにかなるだろう。
あとは雑貨コーナーなどを見て武器になったり便利な物を購入しておく。例えばライターとかのように簡単に火を点けられる物があれば便利だ。なくともどうにかなるとしてもある方が良い。火起こしの苦労を思えば百円ライター一つ持っている方がよほど楽だろう。そう荷物にもならないし。
武器になる刃物はそう簡単に売っていない。ましてやコンビニで買えるような物で頼りになる物はないだろう。でもゴムとか何らかの容器とか、そういったサバイバルでも便利で嵩張らない物は色々とある。あまり買いすぎて荷物が増えて行動が制限されては本末転倒だ。だから非常に役に立って使い勝手が良く嵩張らない物だけをチョイスしていく。
「これくらい欲しいですがお会計は大丈夫ですか?」
「はい。これくらいなら払えます」
枸杞が持っている買い物籠に必要な物を最低限用意して入れていく。あまり大量に買いすぎては清算でも時間がかかる。あまりモタモタはしていられないので本当に必要最低限だけだ。出来れば欲しいと思った物は他にもあったけど最優先ではない物は後回しにする。他で余裕があればまた仕入れよう。
「らっしゃーせー」
あまりやる気のなさそうな店員がレジを通していく。待っている間気が気じゃない。他の客達が全員敵に見えてくる。逃亡者の気持ちとか心理ってこういうものなんだな。自分がこの立場になって初めて実感出来る。まぁ出来れば一生実感したくなかったことだけど……。
「八千九百四十五円になります」
コンビニでちょっと買い物というには少々大きな額になってしまった。一万円近い額をコンビニで一度に使うなんてあまりないだろう。まぁたまにはコンビニで籠に山ほど買って数万円くらい使う人もいるだろうけど……。
俺達の場合は栄養食品を箱ごと買ったりしたのが金額が大きくなった原因だ。あるだけ全部買ったわけじゃないけど商品棚に未開封の箱ごと置いていある物は箱ごと買った。バラバラに陳列してある物しかない物もかなり買い占めたのでこの金額は止むを得ない。
「すみません、入江先生。この出費の補填は後日九条家よりさせていただきます」
「いえ……。むしろ私が九条様を巻き込んでしまったみたいなので……」
枸杞は若干青褪めている。明るいコンビニの灯りの下で見たら顔色が悪いのは一目瞭然だった。そりゃ命を狙われていると実感したらこうもなるよな。
「お?可愛いお姉さん達、俺達と遊ばない?」
「ちょっとだけでいいからさぁ」
俺達がコンビニを出たら外で待ち構えていたかのような男達が五人ですぐに俺達を囲んだ。そして枸杞に手を伸ばしてくる。
「シッ!」
「ガッ!?」
枸杞に手を伸ばしていた男の顎を掌底でかち上げる。首が完全に起き上がった男はそのまま後ろに倒れた。
「え?九条様?そんないきなり……」
「てめぇ!」
「ふぅ……、ハッ!」
「ぎゃぁっ!?」
次の男が懐から手を出してこちらに突き出してきた。その手にはナイフが握られている。俺はナイフを持った手を掴んで捻り上げてやった。男の手首、肘、肩が壊れた感触が伝わってきた。自分の腕を持って泣き叫びそうになった男が前にかがんだので丁度良い高さの顎先を掠めて脳を揺らす。
「こっ、こいつ!」
「やれ!」
「チィッ!」
残った男達が一斉に襲い掛かってきた。その手にはそれぞれ特殊警棒やナイフが握られている。しかしどんな武器を持っていても相手に当たらなければ意味はない。男達の手首辺りを受けて武器には当たらないように止める。そして武器を無力化した相手の顎を狙って確実に仕留めていく。
「すっ……、凄い……。でも九条様……、どうしてこの人達にここまで?」
男達は手足の関節を壊され、脳を揺すられて脳震盪を起こしている。ただのナンパ男を相手にしたのならやりすぎだろう。でも違う。こいつらはナンパ男に偽装した追っ手だ。だから事実としてこいつらは最初からナイフを仕込んで隠したまま枸杞に近寄ろうとしていた。俺が止めたらすぐにナイフを抜いたのもそのためだ。
「この者達は追っ手です。すぐにこの場を離れましょう」
「あっ、はい……」
もしただ気絶させただけだったらまた目を覚ましてから追ってこられてしまう。だから当分そういったことが出来ないように手足の関節を本当に壊してやった。いつものように外しただけじゃない。完全に関節が壊れた感触がまだ手に残っている。
もしかしたらもう二度と元には戻らないかもしれない。いくら相手がこちらを殺しにきている敵だとしても……、俺はあの男達のこれから先一生に残る傷をつけた。もちろん仕方なかったことだ。何もしなければこちらが殺される。後悔もしていない。ただ……、あの感触は慣れないだろう……。出来ればもう二度とやりたくはない。
でもそうはいかない。俺はこの後の展開も知っている。ここまで似たような展開が続いているということはこの先もゲームのシナリオに近いことが起こるだろう。そうなれば俺はもっと多くの敵を壊さなければならない。自分達の身を守るため、そもそも相手は犯罪者だ。それは自業自得で同情の余地はない。ただ……、あの感触は慣れないし気持ちの良いものでもないというだけで……。
「どうして彼らが追っ手だって分かったんですか?」
「え?え~……、彼らがナイフを仕込んでいたことに気が付きまして……」
これは嘘だ。本当はゲームのシナリオで無患子と向日葵がコンビニで物資を補給した際に同じようにナンパを装った男達に絡まれるイベントを知っていたからだ。
ゲームでも同じように絡まれて選択肢が出てくる。騒ぎを起こしたくないので黙って横を通り抜ける、とか、穏便に済ませる、というような選択肢を選ぶと当然死亡エンドになる。あそこでの選択肢の答えは『問答無用で殴りつけて全員倒す』が正解だ。まさか乙女ゲームの選択肢でそれが正解なんて初見で思う者はいないだろう。
確かにあいつらがナイフを仕込んでいてすぐに抜こうとしていたことを見抜いたのは嘘じゃない。だけどゲームのシナリオを知っていたからもしかしてと思って備えていたからに他ならない。でなければ俺もまさかいきなりナンパ男達の腕を折って顎を砕くなんてするはずがない。
「あそこのガソリンスタンドで給油していきましょう」
「え?でもあそこのカードは持ってないんですよ。それならもう一つ先に会員カードを持っている系列のスタンドがあるからそちらで……」
「駄目です!カード情報から敵に追跡されます!現金で支払いしましょう!」
「あっ……、はい……」
つい大きな声を出してしまった。それを聞いて枸杞は驚いた表情を浮かべてカクカクと不自然に頷いていた。でもこれもゲームである選択肢だ。いきつけのガソリンスタンドでカードで支払うとカードの利用情報から居場所を特定されて追っ手に追いつかれて殺される。個人情報が漏れないように現金払いにするしかない。
「あっ……、現金は大丈夫ですか?先ほどもコンビニで結構な額を使わせてしまいましたが……」
「はい。まだそれなりにあるので大丈夫です……」
何か一緒に逃亡するようになってから枸杞の言葉遣いが硬い。いつものようなふざけた感じと違って枸杞との距離を感じる。俺が厳しくあれこれ言ってるからか?それとも俺が敵だからと相手を問答無用に壊しているからか?
無事にスタンドに入った車に給油する。特に何事もなく給油を終えた車は再び走り出した。でも俺と枸杞の間は何だか痛い沈黙が続いている。
「え~……、入江先生、こういう質問はどうかと思いますが必要なことなので……、あと現金はどれほどお持ちでしょうか?」
「あと……、三万円ほどですね」
「なるほど……」
コンビニとガソリンスタンドで使っても三万円も残っているとは枸杞はさすがにそこそこの現金を持ち歩いていたようだ。今回はそのお陰で助かっているけどこれが最後のお金とも言える。
枸杞はATMに行けば預金があるだろう。そのお金を使えたら逃亡資金はかなり豊富にあると思う。でもそれは出来ない。敵は枸杞のカード類の利用履歴を把握していると考えるべきだ。そうなるといつどこで枸杞のカードが利用されたか敵に知られてしまう。そこから逆算してどの辺りにいるか目星をつけられる。
ゲームでもバイオレンスルートではそれが仇となって追っ手に見つかって死ぬ。だから手持ちの現金のみでやり繰りしなければならない。そしてバイオレンスルートでは明確に明言されていないけど少なくとも数週間か、あるいは数ヶ月にも及ぶ逃避行を逃げ切らなければならない。
もちろんそれはゲームの話であって俺はこれから数週間も逃げ回っている暇はない。出来れば今日明日にも、最悪でも数日中にはケリをつけたいと思っている。数日で三万円もあれば十分やっていけるだろう。数日分の食料はもう確保している。ただ絶対にそれで乗り切れるとか数日でケリがつくとは限らない。
もし今後俺の希望や期待に反して数週間も逃亡生活を送らなければならなくなったとしたら……、手持ちが三万円ではとても足りない。俺一人で山奥に身を潜めてサバイバル生活をするだけならお金も装備も最低限で良い。だけど枸杞と一緒であることを考えたらそれでは無理だ。
「入江先生……、少しよろしいでしょうか?」
「はい」
車を運転しながらこちらを見ることなく枸杞が神妙な面持ちで頷いた。それを確認してから俺は話し始めた。
「このまま余所余所しい態度で逃亡していては何かと困ったことになるでしょう。何より咄嗟の時に言葉を選んでいては間に合わない可能性もあります。ですから……、これからは敬語もなしで名前も呼び捨てにしても良いでしょうか?」
「……え?」
枸杞はようやくこちらを見た。不思議そうというか何を言われたか分からないというような表情を浮かべている。
「先ほども『入江先生』などと呼んでいたので庇うのが遅れてしまいました。ですから……、いえ、これもやめましょう。これからは逃亡生活の間は枸杞と呼びます。私のことも咲耶と呼んでください。丁寧な口調もいりません。それでは会話が遅れて間に合わないこともあります」
「はぅっ!?枸杞っ!?九条様が私のことを枸杞と!?それに咲耶と呼び捨てにして良いだなんて!?」
俺にそう言われた枸杞はワナワナと震えていた。きっと教師としては容認出来ないことなんだろう。そりゃ生徒に名前を呼び捨てにされるなんて笑って許せないことだよな。でも今は非常事態だ。容認出来ないと思っていても逃亡生活の間くらいは我慢してもらうしかない。
「分かりました九条様……、いえ!咲耶!私のことは枸杞と呼んでください!」
「はい、枸杞」
「はう~~~んっ!」
「ちょっ!?前!前を見てください!ハンドルをちゃんと切って!」
俺に呼び捨てにされた枸杞はショックのためかガックンガックンしていた。そのせいでハンドルから手を離して車が事故りそうになっている。慌てて横からハンドルを握った俺は枸杞に自分でハンドルを切るように促す。
「ハッ!?失礼しました!それで……、これからどこへ向かいますか?」
「その口調もやめましょう。いや、やめよう。私も気をつける。端的に必要なことだけを伝えよう」
「ええ。わかったわ。それでどこへ行けば良いの?」
俺の言葉に枸杞も力強く頷いてくれた。ここからは咄嗟の時にすぐに大事なことを伝えられるように必要な言葉だけで話すように慣れた方が良い。
「このまま西へ……。山へ向かいましょう」
「わかったわ!」
そう長く逃亡するつもりはない。バイオレンスルートの流れ通りになっているのだからこちらがイベントを加速させれば早く終わるはずだ。だから……、とっととケリをつけてやるよ!




