第百三十話「嫉妬」
「それではいってまいります」
「咲耶……、本当にその格好で行くつもりですか?」
鷹司家のパーティーに向かうために、桜を迎えに行く車に乗り込む前に母にそう言われた。でも今から着替えるつもりはない。
「はい。ご心配には及びませんよ。いってまいります」
俺は浮かれた気分のまま車に乗り込んだ。桜のことなんてどうでもいいんだけど、今回は桜を利用して母にこの格好を認めさせた。母も認めたというわけじゃないんだろうけど……。何やかんやと屁理屈を捏ねているうちに疲れて諦めたというべきか。
「とても良く似合っておられますよ、咲耶様」
「椛はパーティーに出なくてよかったのですか?」
今日の俺の付き人は椛だ。去年は……、去年の鷹司家のパーティーには椛は兄のパートナーとして出席していた。それなのに今年は俺の付き人をしているということは、椛はパーティーには参加しないということだろう。
去年もあの後兄や椛と何だかギクシャクしてしまったし、今でも色々と納得していない部分もある。でも……、そんなことにいつまでも拘っているよりも、こうして椛と一緒に居られることの方が大切だ。
「去年はたまたま良実様のパートナーがいないということで頼まれただけなのです」
う~ん……。そう……、なのかなぁ?違うような気がするけど……。でもいいか。今更蒸し返しても仕方がない。
「到着いたしました」
「はい」
二条家の屋敷に着いたようなので車から降りる。立派な屋敷ではあるけど、近衛家や九条家に比べると少々見劣りしてしまうのは止むを得ない。
五北家とは言っても当然それぞれに差がある。家格はともかく家の規模という意味だけで言えば、近衛家が一番、九条家と一条家がほぼ同じで、次いで二条家、鷹司家と続く。あまりこういうことは言うべきじゃないかもしれないけど、それでも正確に知っておくことも大事だ。
家格や財閥やグループの規模がどうこうと言うつもりはないけど、それでもやっぱり世間ではその差は認識されているし影響もある。まぁそれでも前世がただの一般庶民だった俺からすれば、二条家のこの大豪邸だけでも信じられないようなものだけど……。
「咲耶お姉様!って、えっ!?そっ、そのお姿はっ!?」
「何を驚いているのです桜。貴方が女役なのですから、私が男役で当たり前でしょう?」
驚いてる驚いてる。
「でっ、ですが……、咲耶お姉様が男装を!?」
そう!今日俺は兄のお古を着て男装してきた。桜が女装して女役なのだったら、俺も女性の格好をして女役だったらおかしいだろう。だから俺は男装して男役をすることにした。
母を説得するのには苦労したもんだ。当然そんな馬鹿な格好をしていくことなど認めないと散々怒られた。でも桜が女装して女役だから、その相手を務める俺は男役でなければならないとひたすら説得し続けた。ついでにこんなことが通るのも子供のうちだけだとも言って説得した。
あまりにしつこく俺がずっと食い下がるから母も段々疲れてきたのか、ただ単純に諦めたのか、俺が男装していくことをついには認めてくれたというわけだ。女装した桜の相手役だからというのも大きかったかもしれない。桜のためだというロジックも母が折れる要因の一つだっただろう。
そんなわけで今日俺は男装の男役、桜は女装の女役。でも……、俺の真の狙いはここじゃない。桜は可愛い格好がしたいだけで心まで女なわけじゃないと本人が言っている。それにいくら親戚筋とは言っても俺はそんなに桜と親しいわけでもないし、気を使ってやったり、遠慮してやる謂れもない。
俺が今日どうしても男装してパーティーに出ようと思った理由は……、あとのお楽しみだ。
「こんな所に立っていても仕方有りませんよ。さぁ、行きましょうか」
「…………はいっ!」
俺が手を出して桜をリードしようとすると、俺の手と格好を交互に見詰めた桜はようやく俺の手を取った。完璧なる男役だ。
俺は今日のために師匠に頼んで男役の修行もつけてもらった。基本的には俺が女役をするとしても男役の動きややることは覚えている。男役の動きを覚えた上でこちらも対応しなければならないからだ。だから男でも女側の動きは知っているだろうし、女でも男側の動きは理解している。
ただ……、知っていてそれに合わせるだけなのと、いざ自分がそれをするのとでは大きな違いがある。だから師匠にみっちり男役の修行をつけてもらったというわけだ。
桜を乗せた車は二条家の屋敷からあっという間に鷹司家のパーティー会場へと到着した。まぁ会場と言っても鷹司家のパーティーは去年と同じ自宅のホールだ。何百人もの関係者が詰め掛ける近衛家のパーティーと違い、鷹司家のパーティーは本当に選ばれた者しか出席出来ない。
「やぁ、いらっしゃい桜君と……、えっ!?くっ、九条さんっ!?」
「こんばんは槐君。今日はお招きいただきありがとう」
目を丸くしている槐に向かって俺はあくまで男役として答える。これはあれだな。女性ばかりの歌劇団に入ったような気分になってくる。いくら男役をしているとは言ってもちょっとオーバーな演技になっているかもしれない。
「おい槐!咲耶が来たのか?どこに……、――ッ!?おっ、お前咲耶かっ!?」
「こんばんは伊吹君」
俺を見て驚いている伊吹にもあくまで男役として答える。
「九条さん……、それは……?」
「ペアのパートナーが桜だからね。これで普通だろう?」
そう。恥ずかしがってはいけない。こういう時は成り切る。演技や劇やショーだと思えばいい。何も恥ずかしいことはない。むしろ中途半端に恥ずかしがる方がおかしくなる。やるのならとことんだ。
「近衛様も鷹司様も驚いたでしょう?私も驚きました!咲耶お姉様ってば何も言ってくれないんですもん!先に教えておいて欲しかったです!」
先に教えたら驚かないだろ。それに桜に教えたらあちこちに広まりそうだし……。俺だって本当に男装で行けるかどうかはギリギリまでわからなかった。本当にギリギリまで母と揉めていたからな。それでも俺は今日男装で来る必要があった。桜をダシにして男装出来るとしたら今回しかない。
今後桜とペアになるとしても、最初の一回目で女役と女装の二人で行ってしまったら、それ以降に女装と男装でというのは不可能になってしまう。前も女と女装で大丈夫だったんだからと言われるだろう。
それに大人になってきたらさすがにこんな馬鹿な真似は出来ない。俺の体型も女のそれになってくるわけで、そもそも子供なら異性の服を着てても『可愛い!』で済むけど、大の大人がやってたら頭がおかしいのかと思われるだろう。だからこれが出来るとしたら桜とペアになる初回、そして俺達がまだ子供である今しかなかった。
「それで薊ちゃんと皐月ちゃんはもう来られていますか?」
「ああ……、それは……」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「こんばんは咲耶様!」
槐の言葉を遮るように後ろからいつもの二人が現れた。そして……。
「「って、えええぇぇぇぇ~~~っ!その格好はっ!?」」
カシャッ!カシャッ!カシャッ!カシャッ!
うんうん。二人も驚いてくれたようで男装してきた甲斐があったというものだ。それと何故ここに藤花ジャーナルのジャーナリストさんがいるんですかね?滅茶苦茶写真撮ってるし……。
「いい!男装の咲耶たんもいい~~っ!新しい扉開いちゃう!これは売れる!バズる!ロコロー氏もきっと満足してくれるはず!咲耶た~~~ん!」
何か……、杏さんがどんどん変な方向に突っ走っていっているような気がする。俺はかつてそういう人を見た。最初は近衛家のために!とか近衛様!とか言ってたのに、最後にはその近衛家の御曹司である伊吹をゴミを見るような目で見ていた女性を……。
「いい!いいわよ咲耶ちゃん!お姉さんのために男装してきてくれたのね!ハァハァ!もう今日は絶対連れて帰る!もうお姉さん我慢出来ないわ!今日は絶対うちにお泊りしてもらうから!ね!」
「茅さん……」
「ロコロー氏!?」
「「「え?」」」
「あっ……」
杏さんの言葉にその場が固まる。まぁ事情を知っている俺と薊ちゃんと皐月ちゃんだけだけど。男どもは何のことかわからないという顔をしている。そうか……。あの加工をしていたのは茅さんだったのか……。正親町三条家ならプロの編集をいくらでも頼めるだろうからな。
「あの編集は茅さんが頼んだものでしたか……」
「ええ!そうよ!咲耶ちゃんの写真を自由に加工出来るようにパソコンの操作を習い、ソフトや編集方法も習い、全て私が自分の思いのままに加工していますよ!」
「えっ!?」
プロに外注してるんじゃないのか?え?茅さんが自分でやってるの?あれを?本当にプロの仕事かと思うくらい出来がいいんですけど?
「それもこれも全てロコロー氏の咲耶たんへの愛が成せる業ですね!」
「そうですね……。それもこれも杏が写真を撮ってきてくれるからこそよ!ですが……、あまり咲耶ちゃんの変な写真は載せないようにしなさい。世の中の男共に咲耶ちゃんのハレンチな姿が見られているかと思うと許せないわ」
「でもサービスショットがあった方が反応が……」
「黙りなさい!それとも……、コンクリートを抱いて泳ぎたいのかしら?」
「はいっ!わかりました!これからは掲載前にロコロー氏に一度お見せしてから掲載を決めます!」
何か茅さんと杏さん仲が良さそうだな。ちょっとタイプも似てるし気が合うのかな。でもやっぱり茅さんの方が立場は上か。正親町三条家だし、あの性格だしね。茅さんに勝てる奴はそうそういないだろう。
「あっ……。ところで薊ちゃんと皐月ちゃんはパートナーをお待たせして良いのですか?というか今回のパートナーは?」
「おう!俺様のパートナーが徳大寺薊だ!」
「僕のパートナーが西園寺皐月さんなんだ」
なっ、なにぃ~~~っ!
「お?驚いたな!どうだ?嫉妬したか?槐が追いかけてばかりだから嫌がられるっていうから、今回の作戦はあえて咲耶をパートナーに選ばず、他の女をパートナーにして嫉妬させようっていう作戦らしいぞ!どうだ?嫉妬したか?咲耶!今からでも俺のパートナーになってもいいんだぞ?」
「伊吹……、それを自分で言っちゃったら意味ないんだけどね……」
「…………」
伊吹と槐が何かを言っている。でも……、俺は俯いてプルプル震えることしか出来ない。
「ええ……。嫉妬しましたよ。途轍もなく……、果てしなく……、嫉妬の炎が渦巻いています……」
「えっ!?九条さんにこんな作戦が効いたの?」
「おい槐!お前が言い出した作戦だろ!?通じないと思って言ってたのか!?でもまぁいい!咲耶は嫉妬している!さぁ!それなら俺が今からパートナーになってやるぞ!」
伊吹が俺の前に立ち塞がる。だからさっと避けて桜に押し付ける。
「うがっ!」
「近衛様っ!いたーい!抱きつかないでください!私は男に興味ありませーん!」
そして……、俺は二人の前に立つと片腕ずつで二人を同時に抱き締めた。
「とても嫉妬しています。薊ちゃんと皐月ちゃんのパートナーが近衛様や鷹司様だなんて……。渡したくない……」
「咲耶様……」
「咲耶ちゃん……」
両腕でギュッと二人を抱き締める。今日の俺はどうしてしまったんだろう。ご令嬢が公式行事で男性のパートナーを連れているのは普通のことだ。別に恋愛感情とか関係なく、誘われればダンスにも応じるし、送り迎えを受けたり当たり前のことだ。だけど……、二人が伊吹と槐のパートナーだと聞かされて、俺の胸は嫉妬の炎で一杯になった。
いつもならこんなこと思わないのに……、今日は男装しているから?俺も自分が男役のつもりだから?わからないけど……、この嫉妬は本物だ……。
カシャッ!カシャッ!カシャッ!
「いいっ!三角関係!いやいや!五角関係?六角関係?御曹司とご令嬢達による泥沼の愛憎劇!いい!苦悩する咲耶たんいただき!」
「あ~ん!咲耶ちゃん!お姉さんは?お姉さんもパートナーいるんだけどな~?嫉妬してくれないのかな~?」
「茅さんの場合はパートナーの方が可哀想なので……」
また強引に脅したとかそういうことじゃないだろうか……。何か苦労してやつれている茅さんのパートナーの姿がありありと思い浮かんでしまう。
「やりましたわね薊さん」
「そうね。皐月の言った通りだったわ」
「「咲耶ちゃん(様)に嫉妬してもらう作戦大成功!」」
三人で抱き合っていると……、今、二人は自然にお互いに名前を呼び合っていなかったか?ちょっと茅さんの方に気が逸れていたから会話は聞いてなかったけど、今絶対二人はお互いに名前で呼び合っていたぞ!
「薊ちゃん!皐月ちゃん!二人とも……、ようやく打ち解けてきたんですね?」
「まぁ……」
「共闘した方が良いですしね」
二人は少し照れたような表情でお互いを見ていた。とても可愛い!ようやく咲耶お嬢様グループらしくなってきた!
「あはっ!」
ついうれしくなった俺は二人を抱き締めたまま暫く笑っていたのだった。