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第千二百九十六話「九条紀子の真相」


「私だって……、私達だって順子との結婚を諦めて紀子との結婚を承諾したというのに……、子供が産まれて間もなく紀子は男と駆け落ちして失踪してしまった。そもそもそんな経緯で生まれた子供だ。本当に私の子供なのかどうかすら疑わしく思ってしまうのは仕方がない状況だった……」


 確かに……、その当時はまだDNA鑑定とか一般的じゃなかったのだろう。そういう理論や技術はもうあったとしても精度や制度の問題もあったに違いない。むしろ今ですら制度上は色々と問題がある。明らかに別人の子供だとDNA鑑定で分かっても一度認めたら親子関係を解消出来ない。これは制度上異常すぎる。


 子供に罪はないからとか子供を育てるためにと言うけど、それなら本当の父親が引き取って育てれば良いのであって、何故赤の他人の子供を騙されて育てさせられていたのにそれが分かった後も育てなければならない義務を負わなければならないのか。


 もちろん本人達がこれまで親子だったからこれからも親子でありたいというのなら好きにすれば良い。でもそれが納得出来ない者に強制的に義務を負わせて育てさせるというのは異常だろう。頭がおかしいとしか思えない。別人の子供だとはっきりして本人が拒否しているのなら本来の親に責任を負わせるべきだ。


「紀子が母親であることは間違いない。でもその子供は駆け落ちした相手の男の子供じゃないか?そう思っていた。だから最初は椛のことを認知しないつもりだったんだよ。だけど周囲から、いや、今となっては冷静に考えれば西園寺実頼とその息のかかった者からだったんだろうね……。最低限の相続権しかない養子として引き取れば良いという意見が出てそうすることになったんだ」


「なるほど……」


 どういう手続きを踏んだのかは分からないけど、何らかの方法で椛には最低限の相続権しかない形で一条家が引き取ったということだろう。本来であれば養子縁組でも養親の相続権はあるはずだけど、完全にゼロではないとしても大幅に相続権を制限しているとか、何か抜け道があるのかもしれない。


 俺は法律に詳しいわけでもなくそういった方面には前世での普通程度の知識しかない。抜け道や契約でどうにかなるものなのか。あるいは一条家は一条家でももしかしたら実道の本家ではなく別の分家の一条家の養子になっているという可能性もあるかもしれない。そこまで考えていなかった。椛の戸籍謄本を取って確認したわけでもないし……。


「そこで紀子がいなくなってから順子と結婚したんだ。椛は一応引き取って育ててはいたけどそんな経緯で生まれた子供ということもあって私は心から愛することは出来なかった。順子にしてもそうだろう。本来であれば何もなければ私と結婚するはずだったというのに引っ掻き回されて、その上子供だけ残して駆け落ちされたんだ。順子が紀子やその子供である椛を嫌うのも当然の流れだった……」


「「…………」」


 確かに生まれた子供である椛に罪はない。だけど実道と順子の気持ちも分からなくはない。紀子さえ出てこなければ二人は順調に結婚してもうとっくに幸せになっていたかもしれないのに、政略結婚をさせられそうになって散々引っ掻き回しておいて子供を残して失踪してしまうなんて、それはもう残された者にとっては腹立たしいことだろう。その子供が自分の子供だと信じられないのも無理はない。


「だから私達夫婦は椛に辛く当たった。それを見かねて九条家が……、頼子さんが椛を引き取ると言った時に実頼が囁いたんだ。『これで椛を引き取った甲斐があった』と……」


「それは……」


「そう……。実頼はいずれ椛が九条家に引き取られることまで予想していた。そして九条家に入り込んだ椛を使って九条家に損害を負わせようとしていたんだよ」


「「…………」」


 そうか……。そういうことか……。


 ゲームの椛は九条家でもあまり良い待遇を受けていなかったと思われる。わがままな咲耶お嬢様に振り回され、一応引き取ったとはいえゲームの道家や頼子はこちらの世界の父と母ほど椛を信頼もせず雑に扱っていたことだろう。


 九条家に引き取られてもずっとそんな扱いを受けていた椛にもし今の話を聞かせたら?当然九条家を恨むはずだ。


 最初は一条家を恨んでいたかもしれない。引き取ってくれた九条家に感謝していたかもしれない。でも長年九条家でも不当な扱いを受けて、その原因が母親、九条紀子に責任があったと聞かされたら……。母・紀子はもちろん不当な扱いをしてきた紀子の実家の関係者である九条家全体を憎んでもおかしくはない。


 そうしてこれまでの恨み辛みを全て九条家のせいだと言い包められた椛は……、九条家が破滅するように偽の証拠などを家や会社にせっせと仕込んでいくというわけだ。それらは全て実頼が操っており、咲耶お嬢様の断罪から始まる一連の九条家の破滅、没落の中で次々と連鎖的に掘り起こされることになる。


「それがうまく行けば良し。うまくいかなくともこちらには何の損害もない。実頼にそう言われて私も順子も途中まではその策にまんまと乗せられていたよ……」


「…………」


 これまでの話からはどう考えても紀子が一方的に悪いとしか思えない。でもそれは片方の言い分でしかないことを忘れてはいけないだろう。この言い分はあくまで実道や順子側から見たことと、その周囲が言ったことでしかない。


 この話にはまだ裏がある。だからこそ実道はこんなにも苦しそうな顔をしているんだろう。順子は今にも泣きそうな顔をしている。その顔からは紀子への恨みや椛への憎しみは感じられない。それどころか申し訳ないという気持ちが伝わってくる。


「紀子さんは……、紀子さんは駆け落ちをして失踪したんじゃなかったのよ!」


「「…………」」


 まるで紀子を庇うように順子はそう叫んだ。そしてワッと泣き始めてしまった。順子の背中をポンポンと叩いてから実道は続きを語り始めた。


「当時は海外での情報収集なんて五北家であってもそう簡単な時代じゃなくてね。紀子の足跡は男と連れ立って空港から海外へ飛び立った所までしか掴めていなかった。でも当時でも本気で捜せばあるいはもっと詳しいことが分かったかもしれない。それなのに私は紀子に裏切られたと実頼に言われてそれを信じてしまっていた……。だから紀子を捜さなかったんだ!」


 実道は血が滲むほど拳を握り締めて悔しそうにそう言った。確かにその頃だったら海外の情報なんてそう簡単には手に入らなかっただろう。今ほど情報伝達も早くなければ監視カメラもそんなにあちこちにあるわけじゃない。画像も不鮮明で犯罪の現場映像くらいには使えても犯人の姿ですら不鮮明ではっきりしない解像度の時代だろう。そんな中で海外に行った一人の人間を見つけるなんてそう簡単なことじゃない。


 五北家が本気で捜せばあるいは見つかったかもしれない。それはその通りだけど裏切られて男と駆け落ちされたと思っている一条家側がそこまで熱心に紀子を捜すはずもないだろう。


「紀子は駆け落ちをしたんじゃなかった!当時この国では治療が難しい難病に罹っていたんだ!その治療のために海を渡った!それなのに……」


「まだ入籍はしていなかったとはいえ内縁の夫であった実道さんがその紀子さんのご病気について何も知らなかったのですか?」


「あぁ……。紀子は病気のことも、治療のことも何も相談してくれなかった……、というのは言い訳だ。実はそうじゃなかった……」


 実道は今度は項垂れて力なくそう呟いた。


「紀子は何度か私に何かを言おうとしている時があった。しかし当時の私はまだ若く先代や先々代の当主の影響が強かった一条家を早く纏めようと必死だった。紀子との結婚を一条派閥に認めさせるために!だから紀子の話をゆっくり聞いてあげられなかったんだ……。そんな夫には頼れないと紀子は思ったんだろう。紀子は実家にも頼らず一人で海を渡って治療することにしたようだ」


「それは色々とおかしいですね……」


 いくら九条家の分家筋の娘といえ、いや、だからこそ九条家側を頼って治療のために渡ったというのならともかく、一条家側にも九条家側にも内緒で一人でそんな資金や伝手をどうやって用意した?どうして何も言わずに産まれて間もない娘すら残して単身海を渡ったのか?


「ああ……。駆け落ちではなかったなら男は何者なのか?付き添いや案内だというのならどこからその者がやってきたのか?そして費用や治療のあてはどうしたのか?」


 冷静に考えれば誰もが思う疑問。実道はその疑問を全て解くキーワードを言った。


「一条家にも九条家にも頼らず紀子が単身海を渡った理由。そしてその費用や伝手……、それは西園寺実頼が用意したものだった!」


「「…………」」


 やっぱり……。ここまで来たら誰が裏で糸を引いていたか分かるというものだ。


「実頼は紀子が結婚するためには病気をきちんと治療しなければならないと唆したらしい!その上で頼る先のない紀子に自分が費用も治療先も全て用意すると言ったんだ!紀子はそれが嘘とも知らず実頼に言われるがまま海を渡ってしまった!その先で碌な治療も受けられずに命を落とすとも知らずに!」


「あぁっ!紀子さん……」


 順子は堪え切れずにまた泣き出してしまった。


「「……」」


 恐らく実頼は自分は九条家と一条家の結婚を応援していると思わせていたんだろう。それで人の良い振りをして紀子さんを騙していた。一条派閥の者達を説得するためには紀子が病気では結婚承諾の説得は難しい。かといってここで九条家を頼れば一条派閥から反発を食らう。しかし仕事に忙しい実道に相談も出来ない。だから自分が支援するから海外で最新の治療を受けて治してくるようにとでも言い包められたに違いない。


 でも本当は実頼は九条家との接近を一番嫌っている反対派の急先鋒だった。当然実頼にとっては紀子は邪魔だ。だから紀子を排除しつつ実道に九条家を憎ませて、うまくいけば椛も手駒として利用出来るかもしれない。そんな策を弄していた。


「どうして今頃になってそのようなことを……?」


「椛……」


 椛の声は冷たい。何の表情もなく抑揚のない冷たい声でそう言った。


「百合が海外へ留学したことによってロックヘラー財団やロスチルド家との繋がりが出来た。両家の協力によって海を渡った後の紀子の足取りが分かったんだ……」


 なるほど……。二十年も三十年も経ったとしても、現地の組織であるロックヘラー財団や海外で大きな影響力のあるロスチルド家ならば当時の紀子の足跡も追えたんだろう。百合が両家と繋がりを持ったことで海外での捜査が一気に進展して紀子失踪の真相を知ることになったのか。


 ゲーム『恋に咲く花』では百合は留学しない。留学しないのだから当然ながらデイジーやガーベラと知己になることもなく実家も両家との繋がりを持つことはない。こちらの世界では百合が何故かおかしな行動を取ったために両家と繋がり、そこから大きく未来が変わってしまったのかもしれない。


「道家さん!頼子さん!貴方達の言う通りだった!あの時私が紀子をもっと信じていれば……、ちゃんと足取りを追っていればこんなことにはならなかったかもしれない!それなのに私は……、紀子を信じられずに勝手に失望してすぐに順子と結婚してしまった……。申し訳ない!」


「え?お父様……、お母様……?」


 実道がまた土下座をしたので驚いた。それも俺達にではなく俺達の後ろに向かって……。振り返ってみればそこにはサロンの扉を開けてこちらを見ている父と母の姿があった。


「実道さんがもっと紀子とちゃんと話し合っていれば……、話を聞いてあげていれば……、失踪した直後にすぐに本気で向こうを捜していれば……、確かにそれはその通りでしょう」


「お母様……」


 母の表情も冷たかった。もしかしたら母はその従妹である紀子さんと親しかったのかもしれない。いや、だからこそ椛を引き取ると決めたんだろう。でも……。


「申し訳ありません!」


「ごめんなさい頼子さん!」


 一条夫妻は揃って父と母に頭を下げていた。それはもう痛ましいほどに……。俺は紀子さんという人を知らない。だからこの場だけを見ていたら一条夫妻の方が哀れに思えてしまう。父や母にとっては親しかった従妹が殺されたも同然かもしれない。それを思えば二人が怒るのも分かる。分かるけど……。


「頭を上げてください、実道さん、順子さん……。それは私達も同じなのです……」


「「…………え?」」


 母の……、どこか優しげだけど寂しいような、辛いような声を聞いて実道も順子も顔を上げた。


「それは私達も同じなのですよ……。私が紀子に頼られる従姉であったならば私に相談してくれたでしょう。ですが紀子は実家にも私達にも相談してくれなかった。それは私達が大変な立場にあった紀子に相談されるに足る存在ではなかったからでしょう。そして紀子が失踪した時に一条家に捜すように言いながら本気で捜していなかったのは私達も同じなのです……」


「それは違う!あの時に九条家が介入して捜して、万が一にも九条家が見つけていれば自作自演だとか九条家の陰謀だと言われていたはずだ!だからあの時静観した九条家の判断は間違っていなかった!それは私も分かっている!」


「確かに『九条家の判断』としてはそれで正しかったのかもしれません。ですが……、紀子の従姉としてそれは正しかったのでしょうか?」


「それ……、は……」


「「…………」」


 静かに涙を流している母に誰も何も言えなかった。誰も間違えていなかったかもしれない。でも誰も正しかったとも言えない。一条家の当主になってまだ実権を完全に握れていなかった実道の苦悩や苦労も分かる。紀子を送り出した九条家として下手に介入して自作自演を疑われるのは困るという判断も分かる。でもそれだけじゃない。人間はそれだけで割り切れない。


 もし本当に駆け落ちをしただけで紀子さんが今もどこかで幸せに暮らしているというのならそれで良かっただろう。でも陰謀に巻き込まれて……、実質的には実頼に殺されたも同然だ。それを知った今、自分の当時の判断が正しかったなんて実道も、父も母も言えないだろう。きっとこれからずっと後悔してしまうはずだ。


 例え自作自演を疑われても、ただの駆け落ちだったかもしれなくても……、あの時もっとちゃんと捜していれば……。これからずっとそう思ってしまう。でも……、ここにいる誰も悪くないんだ。皆が罪悪感を抱いている。でも悪いのは実道でも、父でも母でもない。


「お話は分かりました。この件で皆さんが悔いる必要はありません」


「咲耶……」


 母が涙を流しながら俺を見ている。でも言葉を止めない。これだけはどうしても言わなければならない。


「悪いのは実道さんでも順子さんでも、ましてやお父様やお母様でもありません!紀子さんを殺したのは西園寺実頼です!後悔をする暇があるのならば……、まずは今も暗躍している実頼の計画を阻止するべきです!」


「「「「「…………」」」」」


 俺の言葉に……、一条夫妻も両親も、椛も顔を見合わせていた。それから力強く頷いてくれた。


「そうですね……。まずは元凶を絶つ必要があります」


「私達が今更後悔していても確かに意味はない」


「それならば……」


「これ以上同じ悲劇が繰り返されないために……」


「私達で元凶を止めましょう!」


 後悔と悲しみに暮れていた皆の顔に闘志が宿っていた。まだ悲しみが消えたわけじゃないだろう。でもいつまでも悔いていても紀子さんも浮かばれない。それなら……、これ以上悲劇が生まれないように……、俺達で元凶を討とう!



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― 新着の感想 ―
[一言] 一読者としてホッとしました 作中はシリアスで重めなので感想としては適正ではないんですが 頬被り夫婦の登場でもうどうしようかと… またホントに濃いーい夫婦だなと思っていたけれど 今話で現実に立…
[一言] 椛の母の事情、思った以上にサスペンスだった・・・ そんな悪いことをしていたのか西園爺・・・許せん 椛だってもしかしたら一条家ご令嬢として、咲耶様と出会うこともなく既にどこかに嫁入りしていたか…
[良い点] 不遇だった椛が救われる展開になって良かった…椛自身は咲耶様が全てなのであまり自分の生い立ちについて関心ない気がしますが。 [一言] 悪いのは全て西園寺実頼、間違いない。 奴と全ての決着をつ…
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