第千二百九十三話「なるはやのちょっぱやで」
「あぁ……、そうでしたね……」
朝、目が覚めた俺は両腕をがっちり掴まれていて動けないことで昨晩のことを思い出した。昨晩は百合達やデイジー達が泊まりに来て、何故か床に布団を敷いて一緒に寝ることになったんだった。そして俺の両側は一条姉妹……、百合と椛に挟まれて腕をがっちり掴まれている。
「よい……しょ……」
「ハッ!?」
「うわっ!?」
俺が百合と椛の拘束から抜け出そうと動いたら突然椛がバネ仕掛けのようにビヨンッ!と起き上がった。もしかして……、椛の起き方ってこれがデフォルトなのかな?自室でも毎朝こんな風に起きてるとか?
何か椛の動きって昔のキョンシーを彷彿とさせる。ワイヤーアクションなのか何なのか分からないけど、体を真っ直ぐにしたまま反動もつけずに起き上がったりするアレだ。椛の場合はそこまで非常識な動きじゃないけど……、いや、十分非常識な動きだな……。
「おはようございます、咲耶様。お召し替えをいたします」
「おはよう椛。それではお願いしますね」
いつも椛とはこのやり取りがある。俺は着替えを手伝われるのは未だに恥ずかしい。だからなるべく椛の手を煩わせないで済むように勝手に着替えていることが多い。でも椛はこれを自分の仕事だと思っている。だから出来るだけ手伝おうとしてくる。その攻防が毎朝、いや、着替えの度に行われていた。
俺の方も椛が仕事としてやっているのは分かっている。全て断ったら椛のメイドとしての仕事に問題があることになってしまうだろう。だから毎回全部断るわけじゃなくて、椛が来る前に下着までは自分で着替えておいて、椛が来てから上着を着替えさせてもらうとかそういう使い分けをしている。
今日は椛が同じ部屋で寝ていて、俺が起きた気配で椛も起きてしまった。一緒に起きてこれから着替えるのだからさすがに今日断るのは難しい。諦めた俺は椛に着替えを手伝ってもらいながら朝の準備を進める。
「寝起きの咲耶様の香り……、フガフガッ!」
「キャッ!椛……、くすぐったいですよ」
何か首筋の辺りをそーっと触られたり、フーッと軽く息を吹きかけられたような感じがして首を竦めた。椛はわざとやったわけじゃないんだろうけどくすぐったくて仕方がない。
「すみません、咲耶様。それではカップを直します」
「あっ!ちょっ!あはっ!んんんっ!駄目ぇ!」
大胸筋矯正サポーターのホックを留めてくれた椛はそのまま腋から前に手を出してきてカップ部分を直し始めた。形がどうとか位置がどうとか大胸筋矯正サポーターはただ着ければ良いわけではなく色々と難しいらしい。前世の頃はこんな苦労なんて知らなかったけど、今生では椛がこうして直してくれないと俺は一人で大胸筋矯正サポーターもまともに着れない。
俺だって一人で出来ると思っていた。でも俺が一人で着けても毎回必ず椛に駄目出しをされる。そしてこうして直接手で直されてしまう。俺にはその違いは良く分からないけど、下手な形で着用していたら形が悪くなるとか、痛くなるとか、色々と怖いことを言われているので黙って任せるしかない。
「あぁ……、あぁっ!んんっ!」
「ハァッ!ハァッ!しゃくやしゃま!ハァッ!ハァッ!」
「んんんっ!」
椛がカップを直す度に体が勝手にビクンビクンしてしまう。止めようと思っても止められない。
「ふぅ……。これで良いですよ、咲耶様」
「ふぁい……。ありがとう椛……」
ようやく準備が出来た俺はいつもより少し早い時間に百地流の朝練へと向かった。出る時間がいつもより若干早い時間だったからか睡蓮は不機嫌そうな顔をしていたけど、もう準備も終わっているのに家に居ても仕方がない。睡蓮が不機嫌なことには気付いていない振りをしてそのまま出かけたのだった。
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行きは眠たかったのか不機嫌そうだった睡蓮も朝練を終えて学園に向かう頃には上機嫌になっていた。やっぱり大好きな楽しい百地流の修行、いや、ダイエットが終わった後は機嫌が良くなるのだろう。何か今日は朝練が終わった後に生まれたての小鹿のようにプルプルしていた睡蓮と別れて教室へとやってきた。
「御機嫌よう」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
いつもの皆に挨拶をされながら席に着いて荷物を片付ける。一昨日の夜で皆のお泊り会は終わったから昨日の夜のことは皆知らないはずだろう。それなら俺から余計なことは言わずに黙っておけば……。
「ところで咲耶ちゃん……、昨晩はお楽しみでしたね?」
「ヒェッ!?」
それまではまったく普通だった。いつも通りに会話をしていただけだった。それなのに皐月ちゃんの表情が突然抜け落ちて笑ってない笑顔で、そして冷たい声でそんなことを言ってきた。俺は反射的に背筋を伸ばして何故かダラダラと冷や汗が止まらない。このプレッシャー……、天パーか!
「別に他の方を呼ぶなと言っているわけではないんですよ?ですがそれなら何故私達に言ってくださらないんでしょうか?隠すということは何かやましいことでも?」
「いっ、いいえっ!そのようなことは何もありませんよ!」
何か皐月ちゃんが怖い!確かに黙っておこうと思っていた。それは認める。だけど何かやましい理由があるから隠そうと思ったわけじゃない。これは本当だ。
例えば友達と遊んだ時に、他の友達にわざわざ誰と遊んで何をしたか報告したりはしないだろう。昨日三つ葉と遊んだからといって今日南天に昨日三つ葉と何をして遊んだとかいちいち言わないはずだ。
その話題になれば言うつもりだった。でも自分からわざわざその話題を引っ張り出して言うほどのことでもない。自分が居なかった場の遊びの話をされても皆だって困るだろう。だから聞かれない限りはわざわざ言う必要はないと思っただけであり、決して、決してやましいことがあるから隠そうと思ったわけではない。
「それでは何故隠そうとされていたんですか?」
「ですから他意があって隠そうと思ったわけではなく、皆さんが居られなかった場の話をされても困らせるだけだと思って聞かれない限りは言う必要はないと思っただけなのですよ」
「「「…………」」」
俺の言葉に皐月ちゃん達は黙って顔を見合わせていた。言い訳に聞こえるかもしれないけどこれは紛れもない俺の本心だ。信じてもらえるかどうかは分からないけど本当のことを言うしかない。
「どう思います?」
「まぁ咲耶ちゃんだしねー」
「多分その通りなんでしょうね」
「咲耶ちゃんって嘘を吐いたり出来ませんしね」
何か皆で協議してるっぽい。何を言っているのかはっきりと聞こえないけど俺のことを言われているのは分かる。これ以上下手なことを言ってもマイナスにしかならないので黙って裁定が下るまで待つ。
「一条様や躑躅達がいきなり押しかけてきたのはその通りだと思います。それに隠そうとしていたわけではなく聞かれない限りはわざわざ言うことではないと思っていたのもその通りでしょう。ですがだからといってこのまま何もなしで良いと思いますか?」
「「「――ッ!」」」
「それは駄目ですね!」
「ギルティー!」
何か……、ヤバイ方向に流れてそうな気がする……。本当にこのまま弁明もせずに待っているだけで良いのか?俺がそんな不安を抱き始めた頃、教室の扉がバーンッ!と開かれた。
「お~っほっほっほっ!わたくしが来ましたわよ!咲耶お姉様!お~っほっほっ……ぎゅっ!?」
「扉に挟まれている百合様も素敵です!」
勢い良く扉を開けた百合は跳ね返ってきた扉に挟まれていた。竜胆も良く勢いをつけて開けすぎて挟まれそうになっている。でも竜胆は挟まれそうなだけで挟まれてはいない。百合の方は片手はこちらを指差し、もう片方は腰に手を当てて立ち尽くしていた。当然そんな格好で居れば跳ね返ってきた扉に挟まれる。
「サクヤー!捜しましター!」
「一人で先に行ってるなんて酷いじゃない」
「え~……、御機嫌よう、百合ちゃん、躑躅ちゃん、デイジーさん、ガーベラさん」
昨晩泊まりに来た四人が揃って三組の教室へとやってきた。荷物を持ったままな所を見ると今登校してきたばかりのようだ。もう始業前くらいの時間だけど今頃登校してきたのか?
「もしかして私と一緒に登校しようと思って待っておられたのでしょうか?それでこの時間に?」
もしそうだとしたら申し訳ないことをした。皆には俺は朝に習い事があるから一人で早く出ることは伝えてあったし、皆も元々知っていることだったから俺を待たずに登校してきていた。でも百合達がそれを知らなくて俺と一緒に登校しようと待っていたり捜していたのだとしたら申し訳ない。
「それは九条家の人に教えてもらったから大丈夫よ」
「お~っほっほっほっ!そうですわ!この時間になったのはただ寝坊と朝の準備に時間がかかっただけですわ!お~っほっほっほっ!」
いや……、それはそれでどうなん?高笑いしながら言うことかな?
「夜は皐月お姉ちゃんと一緒に寝ようと思ってたのに!九条様のせいで一緒に寝れませんでした!それどころか意識のない私を無理やり同じ布団に寝かせて……、一体意識のない私に何をしたんですか!」
「「「きゃーーーっ!そうなのーっ!?」」」
「九条様が西園寺様と……」
「日頃は九条様に突っかかってる西園寺様がベッドでは九条様の言いなりに……」
「「「や~ん!萌える~~~っ!」」」
躑躅が大きな声で言ったものだからクラス中に響いてしまった。やばい……。このままじゃ変な誤解を……。
「ちょっと咲耶ちゃん?」
「どういうことでしょうか?」
「ちょっ!?待ってください!誤解!誤解ですから!」
躑躅が変なことを大声で言うからクラス中から見られている。何かヒソヒソ言われているしギャーッ!とかいう声も聞こえる。それを否定しようと思ったらメンバーの子達に囲まれてしまった。俺が女性に性的興味がある変態だと思われてしまう!実際に俺は女性を恋愛対象として見ているけどそれが知れ渡ると何かと都合が悪い。あと躑躅には何もしてない。事実無根の罪を被らされるのは困る。
「躑躅ちゃんだけではなく百合ちゃんもデイジーさんもガーベラさんも、全員で床にお布団を敷いて寝ただけですよ。躑躅ちゃんの寝た場所と私の寝床は離れていましたので何かしようにも出来ません」
「「「…………」」」
とりあえず俺は弁明を試みた。とにかく嘘は良くない。どちらも嘘は吐いていないんだけど事実が捻じ曲げられてしまっている。だから俺は本当のことを伝えようと必死だった。そんな俺の言葉を聞いて皆は顔を見合わせると……。
「「「ギルティ!!!」」」
「えぇっ!?」
なんでぇ!?何がぁ!?どうしてぇ!?
皆は俺を指差しながら性犯罪者を見る目でこちらを見ていた。躑躅はツルペタだ。見方によってはロリっぽいとも言える。年齢は俺達と同じだけど見た目だけで言えばロリ枠に入れても良いだろう。そんな躑躅に欲情して悪戯したと思われている俺はロリコンだと思われているということか!?
「それじゃ咲耶ちゃん……」
「私達にも同じことをしてもらいましょうか」
「ええぇぇっ!?」
何か知らないけどこの後俺は皆に詰め寄られて色々と言われながら今後の約束をさせられた。これからまたいつか皆と一緒にお泊り会をして、布団を敷いて一緒に寝ようという約束をした。
皆にとってはこんな日常がまだまだ続いて、次も、その次もまたいつか機会があると思っているのだろう。でも俺にそんな『いつか』や『機会』があるかは分からない。だから皆にはそんなつもりはなくても、俺にとってはこの『いつか』や『次』という約束はまるで励ましのように思えた。
「ふふっ。皆さん……、ありがとうございます」
「え?咲耶様?何か言われましたか?」
「いいえ。何でもありませんよ」
そうだ。俺はこれからの『いつか』を叶えるためにも負けるわけにはいかない。絶対に勝って皆と『いつか』を実現しなければならない。この約束はその未来を掴むための皆からの励ましだ。
「そうですわ、咲耶お姉様!」
「はい?」
皆とそんな話をしていると百合がちょいちょいと俺の肩を叩いてきた。振り返ってみれば百合がそっと耳に口を近づけて小さな声で囁いた。
「お父様とお母様とお会いしていただく日が決まりましたわ」
「えっ!?昨日の今日なのにもう決まったのですか?」
百合にそのことを頼んだのは昨日の夜だ。それなのに今朝にはもう決まってるって……。
いや……、時差を考えれば昨晩や今朝に連絡をしても向こうは日中や夜で丁度良い時間か?それならすぐに伝わるのは分かるけど、予定も色々あるだろうに帰国してすぐに敵対派閥である俺なんかと会っている暇はあるのか?普通だったら久しぶりに帰国したら自派閥と挨拶をしたり指示を出したり忙しそうだと思うけど……。
「わたくしと咲耶お姉様の将来のお話ですもの!すぐに会っていただけるようにお願いしましたわ!」
「そうですか……。それは手間をかけさせてしまいました。でもありがとうございます」
確かに俺の未来も百合の未来もかかっている。なるべく早く会えるのならその方が良い。まさか百合もそこまで分かっていて急いで準備してくれるとは……、ありがたいことだ。
これで一条夫妻と会える段取りはついたみたいだし……、後は一条夫妻が無事に帰国してくれることを願って待つだけだな。




