第千二百六十五話「お菓子作りは命懸け」
急遽百合達も加わることになったので一通りの説明はしておいた。四人一班となり各班にはパウンドケーキを二個焼いてもらう。パウンドケーキという決まりはあるけどアレンジは自由であり、各班とも自分達なりの個性を出してもらいたい。ただし二個とも同じアレンジにしてもらう。
というのも二個焼いてもらう理由は全員で分けて味見をするためであり、二個焼いてそれぞれ味が違ったら全員が同じ物を味見出来ないからだ。
今の俺達は十七人居るわけで、一つのパウンドケーキを十七等分に分けるというのは無理がある。そんなに分けたらうっすいペラペラのパウンドケーキを食べることになって味も良く分からないだろう。だから同じ味を二個焼いて、それぞれを十等分にすれば二十個のパウンドケーキを用意出来る。
一人一切れずつ味見をするとしたら三切れずつ余ってしまうけどそれは仕方がない。希望者が食べるか、誰かにあげるか、持って帰るか、何か最終的な始末は考える必要があるけど、どうやったって十七等分に分けて余りも出さないというのは無理だ。
また班員全員に何らかの役割を与えなければならない。例えば皐月ちゃんの腕が良いからといって皐月ちゃん一人に作らせて、他の班員は見てるだけとか後片付けをするだけというのは認められない。四人の班員全員で協力して作ってもらう。
「それでは説明も終わりましたし、時間にも限りがあるので早速始めていきましょう」
「「「はーいっ!」」」
「はーいですわ!」
調理実習室には何台もの調理台や調理器具が置かれている。それぞれの班に一つずつ使っても余りがあるので同時進行で作れるのはありがたい。
「咲耶お姉様のパウンドケーキはどのようなものですの?」
「私は作りませんよ?」
「え?」
「……え?」
百合の言葉に答えると百合は不思議そうな顔で小首を傾げていた。俺も同じように小首を傾げる。今日の俺は全体の監督であってパウンドケーキは作らない。そもそも俺だけ一人なわけだし……。
あと十等分を四切れ食べるだけならパウンドケーキの半分に満たないくらいの量だけど、俺までパウンドケーキを焼いたら食べるのは十等分を五切れになってしまう。つまり一人でパウンドケーキの半分を食べることになる。
女の子一人で一度にパウンドケーキを半分食べるというのは結構な量だろう。とてもじゃないけど細身のお嬢様が多いこのメンバーでそんなに食べ切れるとは思えない。
ちなみにパウンドケーキとは基本の材料である小麦粉、バター、砂糖、卵を一ポンドずつ混ぜて作ることからパウンドケーキと名付けられたものであり、基本のサイズは決まっている。もちろん現在では絶対にその量やサイズでなければならないということはないだろうけど、パウンドケーキと言えば基本的にこの量になるはずだ。
「いやですわ!咲耶お姉様の手作りパウンドケーキが食べたいのですわ!」
「そう言われましても……」
百合が俺に抱きついて泣き真似をしてきた。いや、本当に泣いてる気がする。百合って薊ちゃんや紫苑以上に感情の起伏が激しいと思う。そんなことで泣いたり笑ったり怒ったりするか?と思うようなことで感情がジェットコースターのように急激に変化する。
「まぁ良いじゃないですか咲耶ちゃん。咲耶ちゃんなら全体を監督しながら一人でパウンドケーキを焼くくらい可能でしょう?もうここまで来たら咲耶ちゃんも焼きましょうよ」
「う~ん……。そうですねぇ……」
別に全体の監督をするから作れないとか、俺一人だから作れないという理由で渋っているわけじゃない。ただ四つの班に加えて俺まで焼いたら五種類のパウンドケーキが出来上がるわけで、十等分を一切れずつ食べるにしても五切れも食べたら半分のパウンドケーキを一人で食べることになってしまう。
余りも出るし、一人で半分も食べなければならないし、さすがにそれはどうなのかと思って俺は全体の監督だけして作らないでおこうと思っただけだ。皆がそれくらい食べられるというのなら別に焼いても良い。
「十等分のパウンドケーキを五切れ味見することになりますよ?皆さん一人で半分のパウンドケーキなんて食べられますか?」
「食べられますよ!」
「むしろ一つ丸々でも!」
いや、それは無理だろう。前世の男だった時でもパウンドケーキを一つ丸々食べるというのは無理だった。ましてやこんな細身のお嬢様ばかりでそんなに食べられるとは思えない。
「はぁ……。そこまで言われるのでしたら……」
「やったぁ!」
「咲耶ちゃんの手作りが食べられるんですね!」
「これで勝つる!」
皆が喜んでくれている。それなら作ることにした甲斐があったかな?本当に食べ切れるのかどうかは不安もあるけど、余ったら持って帰るなりすれば良いだろう。捨てるという選択肢はないけど持って帰れば皆の家でも家族なりなんなり誰かが食べると思う。
「それでは早速作っていきましょうか」
「「「はーいっ!」」」
こうして調理実習室でパウンドケーキ作りが始まったのだった。
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クッキーの時も軽く説明したかもしれないけどパウンドケーキも作り方はそう変わらない。というか小麦粉、バター、卵を使うお菓子の作り方なんて大半は似たようなものだ。多少の工程の違いや混ぜる物の違いしかない。
まず大前提としてバターや卵は室温に戻しておく。冷やして使う必要がある物の場合はきちんと冷やしておかなければならないけど、クッキーやパウンドケーキのような焼いて膨らませる物の場合はほとんど常温に戻すことが肝心だろう。
まずバターを良く練っておく。これが出来ていないとふっくら仕上がらない。そしてバターを練るためには常温で柔らかくなっていなければならない。また横着をしてレンジでチンして柔らかくしようとするとやりすぎて溶けてしまうことがある。溶かしバターと固形バターは別物になってしまうので今回のように焼いて膨らませる場合にはやはり常温に置いておいて戻す方が良い。バターを練れたら砂糖を混ぜてさらに練る。
次に卵と混ぜるわけだけどここで重要なのが乳化だ。水と油を混ぜることを乳化という。卵は水でバターは油なので本来それらは非常に混ざり難い。これを少しずつ混ぜていき確実に乳化させる必要がある。これが出来ていないとボロボロというかモソモソの生地になってしまう。
最後に小麦粉を入れるわけだけどここでも重要なことがある。小麦粉は水分を加えて練るとグルテンが出来てしまう。パンを焼くのならよく捏ねてグルテンをしっかりだしたパンを作るとおいしいけど、クッキーやパウンドケーキのような膨らませる焼き菓子を作ろうと思ったらグルテンが邪魔をしてうまく膨らまない。
粉を入れたら混ぜすぎない。さっくり混ぜるという表現はいまいち分かり辛いけどヘラで捏ねるようなことはせず、ボウルを回して縦に切るように粉っぽさがなくなるまで軽く混ぜれば十分だ。
ちなみにこの時に具や味付けも一緒にしておく。粉を入れて混ぜた後で具や味付けをしてまた混ぜると混ぜすぎになってしまうからだ。
これで生地が完成したので後は焼くだけ!なんだけど……、パウンドケーキを焼く時にも少しコツがある。型に流し込んだ後に真ん中が焼け難いので真ん中をへこまして両側が高く、真ん中が低いように入れると全体に火が通りやすい。
また焼き始めてからある程度焼けて膨らんできたら一度取り出し、縦に真ん中に切れ目を入れるとうまく焼けやすい。売っているパウンドケーキの真ん中が裂けていたり切り目が入っているのはそのためだ。もちろん切り目を入れないやり方もあるので全てが真ん中に切り目があるわけじゃない。
パウンドケーキの作り方はこれだけであり非常に簡単だ。クッキーが焼ける子なら説明を聞いただけで出来るだろう。それに具や味付けで個性というか違いを出しやすい。アレンジ自在なので自分なりのパウンドケーキを作るのも簡単だ。名前の通り材料も一対一対一対一で混ぜれば良い。
「さて……、私の分はもう焼き始めましたしそろそろ他の班も見てみましょうか」
勉強でも仕事でも段取りが八割だ。きちんと段取りさえ出来ていれば後の仕事は簡単な作業をこなすだけになる。この段取りが出来ているかどうかで仕事の効率や出来栄えが変わってくる。
料理やお菓子作りも同じであり、最初の段取りが出来ていれば後の作業なんておまけみたいなもので手間取ることもない。材料を量って分けておき、入れる順番通りに並べておけば間違えることもない。あとは混ぜて焼くだけだから迷うこともないだろう。
「えっ!?咲耶様!もう焼かれてるんですか!?」
「え?ええ……。後は焼けるのを待つだけですので他の班も見ていこうかと……」
「はぇ~……。すっごい……」
「さすが咲耶ちゃんですね」
いや……、普通だと思うけど?むしろ皆同時に開始したのに何故まだ第一班は材料すら準備出来ていないんだ?俺は一人なのに対して班で分業してるはずなのに……。
「って薊!だからブランデーを入れようとしないでって言ってるでしょう!」
「え~?なんでよ?隠し味よ!」
「だからそういう変則的なことやアレンジは基本が出来るようになってからしなさいっていつも言われてるでしょ!」
あ~……。薊ちゃんはまたレシピにない物をその場の思いつきで入れようとしているようだ。レシピを守っていればそうそう失敗しないというのに何故試したこともなければ調べてもいないことをその場でしようとするのか。
「咲耶様を酔わせてにゃんにゃんしたいでしょ!」
「「「あ~……。それはまぁ……」」」
「えっ!?」
何か第一班の班員達が薊ちゃんの言うことに流されかけてないか?どういうことだ?
「とっ、とにかく!今日はちゃんとレシピ通り作ってくださいって言ってるでしょう!」
「ちぇ~……」
「ふぅ……」
どうやら今日は皐月ちゃんが勝ったようだ。あのまま薊ちゃんに流されて変なことにチャレンジを始めなくてよかった。料理の腕は皐月ちゃんと芹ちゃんはそう変わらないだろうけど、薊ちゃんにあれだけはっきり言うのは芹ちゃんには荷が重い。薊ちゃんの担当を皐月ちゃんにしておいて良かった。
「あっ!萩原さん!それはまだですよ!」
「どうせ混ぜるんでしょ?どっちから入れてもいいじゃない」
「混ぜる順番にもちゃんと意味があるんですよ」
「そうなの?でももう混ぜちゃったし」
「ああぁぁ~~~!そんなに混ぜたら硬くなりますよ。それくらいで止めてください」
「え~?まだ混ざってないわよ。よ~く混ぜないと」
「あああぁぁぁ~~~!混ぜすぎたらグルテンが出来て硬くなるって咲耶ちゃんが説明してくれましたよね?」
……うん。すまん芹ちゃん。薊ちゃんは皐月ちゃんに任せたけど紫苑でも無理だったか。むしろ紫苑の方が薊ちゃんよりゴーイングマイウェイかもしれないね……。これは配置を間違えたかもしれない。
「河村さんはバターに砂糖を混ぜて練ってください」
「オッケー!」
「それじゃ加田さんは薄力粉を量っておいてください」
「……ん。わかった」
お?第三班はひまりちゃんがうまく指示を出せているようだ。順調に進んでいるように思える。その上りんちゃんもいるからな。鬼灯と鈴蘭の手際が怪しくても出来る人が二人もついていればどうにかなるだろう。今の所第三班が一番安心出来そうだ。
「それでパウンドケーキとはどうすれば良いんですの?」
「えっと……、少々お待ちください!今調べます!」
「隣の班を見る限りだと材料を混ぜて焼けば良いのよ」
「オーッ!簡単デース!」
「うわぁ……」
急遽参戦することになった第四班だけど……、地獄絵図だった。誰一人俺の話を聞いていなかったらしい。ちゃんと作り方も分量も手順も全て丁寧に説明したというのに何も出来ていない。これはヤバい。絶対失敗する。ここから奇跡的に大成功するなんてことが起こるはずがない。
成功するのにはするなりの理由があり、失敗するのには失敗するなりの理由がある。理由もないのに突然うまくいって成功するなんてことはなく、失敗はなるべくしてなるものだ。
「え~……、あまり私が口出しすべきではないと思いますが軽く説明して指示を出させていただきますね」
これ以上見ていたら大惨事になりかねない。堪らず俺は第四班のお菓子作りに口を挟ませてもらった。
「百合ちゃんと西園寺様はまず器具の用意をしてください。デイジーさんとガーベラさんは材料を量って取り分けてください」
「ちょっと!九条様!しゃしゃりでてこないでください!」
「黙らっしゃい!」
「ヒッ!」
躑躅が口を挟んだ俺に突っかかってきた。でも俺は一喝して躑躅を黙らせた。
「最初の私の説明も聞かず何も出来ていないのはこの班だけです!このまま放っておけば絶対に失敗します!口答えをするのならば自分達できちんと出来るようになってからしなさい!お菓子作りは遊びではないのですよ!」
「ひゃっ、ひゃぃ……」
躑躅はペタンと床に座り込んで涙目でそんな返事をしていた。でもここで甘やかすわけにはいかない。料理にしろお菓子にしろ物を作るというのは大変なことだ。食材を使うというのに遊びで無駄にするなんてことは許されない。
たまには失敗してしまうこともあるだろう。苦手な子もいるだろう。練習で失敗するのは構わない。でも最初からちゃんとやる気がなくて失敗するべくして失敗するなんて許されないことだ。
「やるからには真剣にやる!この場に割り込んできたのは皆さんの方なのですからきちんとしていただきますからね!」
「「「イッ、イエスマム!」」」
へたり込んだ躑躅を見て他の三人は背筋を伸ばして敬礼で応えてくれた。よし!俺が見るからには絶対失敗なんてさせないからな!




