第千二百六十一話「皐月の手作り攻撃」
何か最近身の回りというか、周囲の皆がちょっと変なんだよなぁ……。
いや……、女の子同士としては普通なのかもしれない。ただの同性の友達に対するスキンシップなんだと言われたら俺には否定しようもないことだ。だけど中身が男の精神である俺にとっては心が落ち着かないというか、色々と気になるというか……。
あ~んくらいならまだ良いだろう。する方もされる方も恥ずかしいのは恥ずかしいけどそれだけで実害はない。でも今日みたいに抱き付いて来るとか、ぽよんやフニュンはどうなんだ?
皆のぽよんが押し付けられたり、抱きつかれて俺のが刺激されたり……、そういうのは恥ずかしいだけじゃなくて色々と駄目なんじゃないかという気がしてならない。同性同士なら普通のことだとしても俺は中身が女性じゃないんだから駄目だろう。駄目だよな?
もちろん俺の気持ちとしてはとてもうれしいし役得だと思っている。でももし万が一にも俺の中身が男だと知られた時に、同性の振りをしてそんなことをしていたなんて知られたらきっと皆に凄く軽蔑されてしまうだろう。そんな様子を想像しただけでも恐ろしくて震えてしまう。
「咲耶様、何かお悩みですか?」
「椛……、どうして……」
習い事も全て終わって自室のベッドでゴロゴロしていると椛に声をかけられた。椛はいつも通りベッドの足元にしゃがんでいる。
「もちろん咲耶様のことなら全て分かります。悩まれていることくらい……」
「どうしていつもベッドの足元にしゃがんでいるのですか?」
「うぇっ!?そそそっ、それは……!?」
いつも俺の視界に入って邪魔をしないように見えない所で待機しているのはわかっている。ベッドの足元に伏せて見え難いようにしてくれているのは椛の配慮だと知っている。でも話す時くらいは前に回って声をかけてくれたら良いのにどうして足元から声をかけてくるんだろう?
「べべべっ、別に咲耶様のお御足を見ていたり、その奥の秘された三角を見ているわけでは……、あばばばっ!」
「椛?大丈夫ですか?」
いつも俺の邪魔にならないように配慮してくれていることは分かっている。でも話す時くらいは前に来て話してくれていいんだと伝えたかっただけなんだけど、どうやら俺の言い方が悪くて椛に余計な圧をかけたと思われてしまったようだ。
「別に責めているわけではありませんよ。椛の気持ちはちゃんと分かっておりますから」
「えっ!?気付いておられたのですか!?」
「ええ。もちろんですよ」
椛は昔から俺に気を使ってくれていた。俺が考え事をしていると察したら扉の横に立っていたのに俺の視界から消えるためにベッドの足元に伏せてくれたり、俺が自分の臭いを気にしていると気付いて洗い物などを持って行く時に周囲に臭いがしないようにこっそり持って行ってくれていたことを知っている。
「咲耶様が私の想いに気付いて……、それはオッケーということですよね!良いのですよね!いただいてしまって!さ~くや~さま~~~っ!」
「――!?」
椛は突然両手両足を合掌させるようなポーズになるとベッドに向かって飛び込んで……。
「そこまでです!」
「ぶっ!」
柚が俺との間に立つと差し出したフライパンに椛は顔面から突っ込んでしまった。強かに顔面を打った椛は途中で失速してベタンと落ちた。それを柚が掴んで引き摺っていく。
「え~……、さすがにこれ以上は見過ごせませんので連れて行きますね」
「アッハイ……」
何か今日の柚は有無を言わせない迫力がある。目を回している椛をズルズルと引き摺りながら柚は部屋から出て行った。もしかして……、柚ってやっぱり母が俺につけた監視と護衛なのかもしれない。
いつものメイドの仕事としては椛の方が上で色々と指示しているみたいだけど、今の感じからすると柚はメイドよりも他の仕事が本職じゃないかという気がしてきた。そもそも普通の女性に引き摺ってとはいえ人間一人を運んでいく力があるとは思えないし……。フライパンで人を受けるとか……、いや、もっと言えばあのフライパンはどこから出てきたんだ?
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昨晩椛が連れて行かれてから戻ってくることはなかった。柚だけ戻ってきて俺の身の回りのことはしてくれたから何の支障もなかったけど……、あの後椛はどこへ連れて行かれてどうなったのかは分からない。ただ一つ分かることは今朝にはもう普通に戻っていて朝練に行く時も同行していたし、こうして学園に来るのも一緒だったということだけだ。
「いってらっしゃいませ咲耶様、花園様」
「「「いってらっしゃいませ咲耶お嬢様、花園様」」」
「はい。行ってまいります」
「いってきますぅ~」
今朝も睡蓮と一緒に朝練を終えて藤花学園へとやってきた。行列の間を抜けて、階段の前で睡蓮と別れて、自分の教室に入る。いつも通りに……。
「御機嫌よう」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「おはよー!」
「あら?今朝は皆さんお揃いなのですね?」
はて?昨日は何かイベントでもあっただろうか?それとも今日イベントがある?
何かのイベントの後とか、その日に何かある時は皆も早く来ていることはある。でも大したイベントでなければ何かあった後であったとしても集まっていない事もあるのに今日は何故か全員勢揃いだ。そう……。いつもは何があろうと遅刻ギリギリくらいまでやってこない紫苑までいる。これはどうしたことか。
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう紫苑。今朝は早いのですね?」
「はい!うかうかしてられませんから!」
「はぁ?」
やっぱり何かあるのか?試験期間中だろうと、文化祭だろうと、何があっても自分のペースを乱すことがない紫苑まで早いというのは一種、ある意味において異常とも言える。そんな紫苑ですら早く来なければならないような何かがあっただろうか?
「咲耶ちゃん、今日は私がお菓子を焼いてきたんですよ。後で一緒に食べていただけますか?」
「まぁ!皐月ちゃんがですか?それは皆さんの分もあるのでしょうか?」
俺が席に着いて荷物を片付けていると皐月ちゃんがお菓子を焼いてきたから食べようと言ってくれた。一緒にと言っているのでそれなりの量はあるような気がする。俺一人分だけだったら後で食べてと言うだろう。一緒にということは複数人で食べられる量があるということであり、それなら皆の分もあるのかと思うのが普通だ。
「はい。残念ながら皆の分もありますよ。本当なら二人っきりで食べたかったですけど」
何故残念ながらなのかは分からない。今の皐月ちゃんに限らず時々皆の言っていることで分からないことがある。ただ分かっていないのに余計なことを言う必要はないのでそういう時は曖昧に笑ってやり過ごす。
「そうですか。それではモーニングティーの時に皆さんでいただきましょう」
「皐月の手作りかぁ……」
「何か?文句があるのなら薊は食べなくて良いですよ?」
「食べるわよ!ただどうせなら咲耶様の手作りが良かったなぁって思っただけよ!」
「だからいらないなら食べなくても良いです」
「いらないとは言ってないじゃない!食べるってば!」
「まぁまぁお二人とも……。折角皐月ちゃんが作ってきてくださったのですから皆さんで楽しくいただきましょう」
薊ちゃんも皐月ちゃんも本気で言い争いをしているわけじゃない……、と思う。でも折角お菓子を焼いてきたのに薊ちゃんの言い草では皐月ちゃんが怒る気持ちも分かる。俺だってお菓子を手作りしたのにあんな言い方をされたらショックを受けるだろう。
そりゃ素人の手作りよりもプロが作った高級品の方が良いという薊ちゃんの気持ちも分かるけど、それを作ってくれた本人の目の前で言うことはないと思う。
「まぁ薊ちゃんは手作りお菓子なんて作れないもんねぇ……」
「何よ蓮華!それじゃ蓮華は作れるっていうの!?」
「え?私?う~ん……。まぁ人並みには?」
「人並みなら私だって出来るわよ!」
「「「「「…………」」」」」
薊ちゃんの一言でメンバー全員が口を噤んだ。……うん。人並み……、はちょっと違うかな?薊ちゃんのはさすがに人並みには出来るとは言ってはいけないと思うよ。うん……。
「何よ皆して!私だってやろうと思ったら出来るんだから!」
「じゃあどうしてやらないのよ?」
「それは……」
紫苑……、止めを刺しちゃ駄目だぞ……。いくら正論でも、いや、正論だからこそ駄目だ。追い詰められた人間は死兵となって厄介だぞ。相手の退路を完全には絶たずに逃がしてやる方がこちらの損害も軽微で済むから結果的に良い上策となる。
「わかったわよ!それじゃ明日は私がお菓子を作ってくるから!皆も楽しみにしてなさいよね!」
「待って薊ちゃん!私が悪かったから!」
「それだけは許して!」
「はやまっちゃ駄目だよー!薊ちゃーん!」
「「あはは……」」
薊ちゃんの言葉に皆必死で止めようとしていた。
「なんなのよもう!皆で馬鹿にして!見てなさいよ!」
「あ~ぁ……」
「出て行っちゃった」
怒った薊ちゃんは教室を出て行ってしまった。一瞬ポカンとしてしまったけどこのまま放っておいたらまずいかと思って追いかけて廊下に出る。でも俺の目に飛び込んできたのは女子トイレに入っていく薊ちゃんの姿だった。
さすがにトイレまで追いかけて行くことは出来ない。仕方なく教室に戻って待っているとものの数分で戻ってきた薊ちゃんはいつも通りに戻っていてケロッとしていた。さっき皆にあんな風に言われて怒っていたと思ったのに、戻ってきたら普通に笑顔で皆との会話に参加している。
「あの……、薊ちゃん?大丈夫ですか?」
「あははっ!って、え?咲耶様?なんですか?」
「いえ……、先ほどの言い争いで……、薊ちゃんも気にされているかと……」
「え?何かありましたっけ?」
「え?」
「……え?」
薊ちゃんにとぼけている様子はない。もうそのことに触れられたくないからとぼけているとかじゃなくて、本当に、本気で、もう本人ですら忘れてしまっているのかと思えるくらい自然だった。これは……、むしろ俺が蒸し返した方が良くないのか?だったら黙っている方が良いんだろうか?
「咲耶ちゃんはさっきの薊のお菓子作り云々の話のことを言ってるのよ。薊が気にしてるんじゃないかと思って」
「え?あっ……、あ~!あははっ!そうですね!まぁ私が無理にお菓子を作ろうとしてもどうせ失敗してメイド達に作ってもらって持ってくるだけになるんで諦めました!」
「えぇ……」
あっけらかんとそう言った薊ちゃんは無理をしているとか虚勢を張っているという感じでもなかった。ただ本当に本人もそう思っているから割り切ったという感じだ。
「それではお化粧室に行かれたのは?気持ちを落ち着けたり涙を隠すためでは?」
「いや~、今朝は早く学園に来たからちょっとおしっこしたくなっちゃいました!」
「えぇ……」
いや、おしっこて……。間違ってはいないんだけど堂上家、それも七清家のご令嬢が言うことじゃないよね?普通にトイレに行きたくなったから行って来ただけって言われてもあんなタイミングだったら何か気にしてのことかと思うよね?
「薊……、さすがにその言い方はどうなの……」
「でもおしっこはおしっこでしょ?他に何て言うのよ?」
「そのものの言い方や言葉の問題じゃなくて、そもそもそれをはっきり言葉にして言う必要がないってことよ」
「何でよ?おしっこしたいからトイレに行きましたでいいじゃない」
「「「…………」」」
いや、そうなんだけどね?だけどそれはご令嬢としてどうなのよ?って話だと思うわけですよ。俺みたいな中身男の似非お嬢様でもそうなんだから、生粋のお嬢様である薊ちゃんが教室で『おしっこ』『おしっこ』と連呼するのもどうなのよ?って話なんですよ。
それから男子がちょっと頬を赤らめて盗み聞きしているぞ?薊ちゃんは健全な男子達の性癖を歪めるつもりか?
「薊ちゃん……、教室では異性もいることですしあまり無闇に連呼するのはちょっと……」
「え~?そうですか?男でも女でも出る物は出るし、出さない方が体にも悪いですよ」
「それはそうなのですが……」
駄目だ。薊ちゃんをうまく説得出来ない。薊ちゃんの言ってることも間違いじゃないのが余計に性質が悪い。確かに下手に我慢したら病気になることもあるわけだし、したいならちゃんと出すべきだろう。でもそうじゃないんだよ……。恥じらいとか周囲への配慮とかあるでしょって話なわけで……。
「薊自身は良いとしても周囲への配慮が足りないと言ってるのよ」
「なんでよ?別に食事時でもないし詳しいことを言ってるわけでもなく『おしっこがしたいからトイレに行ってきました』って言ってるだけじゃない」
「まぁそうなのですけどね……」
「「「はぁ……」」」
薊ちゃんにこのことを分かってもらうのは中々難しそうだ……。もう疲れたよ……。薊ちゃんの淑女教育は皐月ちゃんに任せるよ。




