第千二百五十八話「暗殺術を覚えよう」
「御機嫌よう」
「「「「「きゃーーーっ!九条様~~~!」」」」」
「咲耶お姉様御機嫌よう!」
「九条様おはようございますぅ~!」
今朝も朝練を終えて学園へと到着するといつもの行列の間を抜けて教室へと向かう。睡蓮も最初のうちは行列の間を通る時にソワソワしていたけど今ではもう慣れたようだ。堂々と歩いている姿は立派にすら見える。
「それでは睡蓮ちゃん、また後でね」
「はぃ~」
「途中でこっそり間食なんてしてはいけませんよ?」
「そっ、そんなことしません~~~っ!絶対しませんからぁ~!もう追加は勘弁してくださぃ~!」
俺が軽く釘を刺しておくと睡蓮は『そんなことをするわけないじゃないか』と言いながらガクガクと笑っていた。睡蓮ももうすっかり百地流が大好きになったようだ。そのうち本当に裏の古武道も習い始めるかもしれないな。
睡蓮と別れて教室へと向かう。教室内にはいつもの二人しかいなかった。それから槐はいるけど伊吹はいない。昔は伊吹と槐は大体一緒に登校してきていたんじゃないかと思うけどあれ以来三学期は別々に登校してきているようだ。
「やぁ九条さん。そんなに僕を見詰めて何か用かな?」
「御機嫌よう鷹司様。いいえ、鷹司様に用はありませんよ。ただ昔は近衛様と毎日一緒に登下校されていたのに今は違うのだと思っただけです」
「いやいや……。今は余計にそうだと言われたら反論は出来ないけど前からだって別にいつも一緒に登下校してたわけじゃないから……。大体クラスが違う時は別々に登校してきてたし、帰りだってそれぞれ用があれば別々に帰ってたよ」
「そうですか」
特に興味もないのでおざなりな返事をしつつ荷物を片付けていく。普通だったら話している相手がいるのに片手間に聞きながら荷物を片付けるなんて無作法だと怒られるだろう。でも相手にわざとそういう意思を示すためにやっているのなら別だ。
「おう!」
「「「…………」」」
噂をしていると伊吹がやってきた。でも俺達だけじゃなくてクラスメイトの誰も伊吹に対して挨拶を返しもしない。完全にスルーされている。これも三学期に入るまでは考えられなかったことだ。いくら伊吹が嫌な奴でも二学期までは登校してきて挨拶をすれば皆返してくれていた。それがなくなったというのが今の伊吹の立場を表している。
前までの伊吹だったら無視されたら怒っていたと思う。でも今の伊吹は自分の立場を分かっているのか、特に何も言うことなく自分の席に座っている。自業自得とはいえ……、どうしてこんなことになったんだろうな?
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朝のホームルームを行っている枸杞を見ながら考える。この世界でも枸杞は暗殺の危機に晒されている。それに気付いた以上は黙って見ているわけにはいかない。
今朝の朝練から俺は師匠に暗殺術などを習い始めた。何故かと言えば暗殺を阻止するためには暗殺について良く知らなければならないからだ。SPは襲撃やテロがどのように行われるか勉強している。その上でそうなった時にどう動き、どう要人を守れば良いかを訓練している。
ハッキングから守ったり対策したりする者はハッキングについて良く知っている。むしろ元ハッカーとかがスカウトされてそちらに転向しているとも聞く。それがどこまで真実かは分からないとしてもそういう話があるくらいには、何かの対策をしようと思ったら自分がその道のプロであるくらいに精通しておく必要があるということだ。
今更俺が暗殺術を学んでも枸杞の暗殺までには到底間に合わない。それは分かっている。だから俺が学んでいるのは実際に暗殺をするための技術というよりは、どういう時に狙われるとか、どういう手口で狙うとか、そういった知識面での訓練が多い。
もちろん実際に肉体的な訓練も行っているけど暗殺術を完全に身に付けようと思ったら到底時間が足りないからな。基礎はもうある程度出来ているらしいけど……。
俺は知らない間に師匠に暗殺術まで仕込まれていたらしい。それは俺も知らなかったし頼んだ覚えもない。というか俺は当初柔術とかみたいな簡単な護身術を学ぶということで百地流に通っていたのでは……?それがいつの間にかどんどん習う内容が増えて……、うっ……。頭が……。
まぁそれはいいか……。それはともかくちょっとでも暗殺術について学んで枸杞を守るのに役立てたい。そんなすぐに効果があるとは思っていないけど何もしないという選択肢は有り得ない。俺は何としても枸杞を暗殺から守る!
「九条様、そんなに熱心に見詰められたら照れてしまいます。何かご質問でしょうか?」
「え?あっ……、いえ……。何でもありません……」
教壇に立っていた枸杞にそう言われて俺は小さくなりながらそう言うのが精一杯だった。きっとクラス中から笑われてしまっただろう。ちょっと恥ずかしい。
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三学期なんてうかうかしてたらあっという間に終わってしまう。それに百合の婚約を阻止する、もしくは破棄させるとか、枸杞を暗殺から守るとか、色々とやることが多すぎる。
……あれ?それってそもそも悪役令嬢である九条咲耶お嬢様がするようなことだったっけ?
何か流れでこんなことになって必死だったから深く考えてなかったけど、普通こういうのって主人公かメイン攻略対象のどちらかが巻き込まれて奔走するものだよな?俺みたいな嫌われ悪役令嬢である九条咲耶お嬢様は普通そういうことをしない。それどころか主人公サイドの足を引っ張ったり、バイオレンスルートの巻き添えで死にまくったりする役のはずだ。
「どうかされましたか?咲耶ちゃん」
「何やら難しい表情をされてますよ」
「え?あっ……、ごめんなさい。何でもありませんよ」
皆と食堂で食事を摂っているというのに眉間にシワが寄っていたようだ。自分で眉間を揉み解しながら表情を和らげる。皆には百合のことで協力してもらっているし、もし枸杞がバイオレンスルートなのだとしたら皆を巻き込むわけにはいかない。
ゲームの無患子ルートは本当に死亡フラグだらけで選択肢を一つ間違うだけで死亡エンド一直線だった。逆に言えば選択肢を間違えたら死亡エンド直行なら前に戻って選択肢を選び直せば良いんだけど、実は一見無関係そうだった選択肢を間違えていると結局最期に死亡してしまうという地雷までセットされてるんだよなぁ……。
まぁ無患子ルートの選択肢云々はどうでも良いとして、この世界で枸杞が無患子ルートと同じバイオレンスルートなのだとしたら死亡フラグだらけということになる。ゲームなら死亡エンドになってもセーブ・ロードで戻って選択肢を選び直せば済むけど現実ではそうはいかない。一度死んだら終わりだ。
枸杞の方は俺とか師匠とか腕に覚えがあったりゲーム知識がある者しか近づかないようにしないと巻き込まれて死ぬ者が必要以上に増えてしまう。ましてやグループの皆のうちの誰かが巻き添えになるなんて絶対に許されない。それなら俺は何のために枸杞を助けようとしているのかということになる。
「咲耶様、そんなに百合のことが心配ですか?」
「へっ?あっ……、え~……、まぁ……」
何か俺が悩んでいるのを百合の件だと思われたようだ。そっちも心配ではあるけど今は違う心配をしていたんだけど、枸杞の件は皆に言って巻き添えにするわけにもいかない。百合の件と誤解されたのならそのままにしておいた方が良いだろうか。
「咲耶様!咲耶様は私が百合と同じ状況になったら私のことも心配してくださるとは分かっています!でも百合の心配ばかりされたら私達だってヤキモチを焼いてしまいますよ!」
「薊ちゃん……。そう……、ですね。ごめんなさい。皆さんのことを疎かにしているつもりはありませんでした。それでも一人のことばかり考えているように見えてしまっては皆さんも不愉快ですよね……」
薊ちゃんの言っていることも分かる。自分が友達と遊んでいるのに、その友達は他の友達の話ばかりしていたら面白くないと思うだろう。あまりに腹が立てばそんなにそいつが良いのならそいつと遊んでおけと思うかもしれない。
薊ちゃんはそこまで思っていないかもしれないけど、この状況を長く続けていればいつかそれに近いような感情を抱かせてしまうかもしれない。それは俺の配慮が足りなかったからに他ならず薊ちゃんのせいじゃなく俺が悪いということになる。
「あっ!あっ!咲耶様!違うんです!そんなお顔をなさらないでください!ごめんなさい咲耶様!」
「どうして薊ちゃんが謝るのですか?これは私が悪いです。ごめんなさい薊ちゃん」
「違います!そうじゃなくって!えっと……、ただ私が百合のことばかり心配されている咲耶様を見て百合に嫉妬しただけなんです!だから咲耶様が悪いわけじゃなくて!えっと……、とにかくごめんなさい!」
「いいえ。そう思わせてしまった私が悪いのです。ごめんなさい」
俺が謝ると薊ちゃんがフォローしようとしてくれた。それを聞いてまた俺が頭を下げる。俺が頭を下げると薊ちゃんがフォローしてくれる。そんなやり取りを何度も繰り返し……、やがて……。
「ぷっ……」
「あはっ」
「うふふっ」
「あははっ!」
俺と薊ちゃんはお互いに笑い合っていた。実際には笑い事じゃないと思う。こうして皆と集まっているのに俺は、表向きは百合の心配ばかりしていたように装い、実際には枸杞の暗殺の件ばかり考えていた。今は皆と食事をしているというのにそちらが疎かになり、他のことばかり考えている。それは同席している者からすれば怒っても良いことだと俺は思う。
「あ~……。ごめんなさい咲耶様!つい嫉妬してしまいました!」
「いいえ、薊ちゃん。そう思わせてしまっている私が悪いのですよ」
「お二人とも、いつまで見せ付けてくれているんですか?私達は置いてけぼりでもうお腹一杯なんですけど?」
「「あっ……。ごめんなさい……」」
まだ俺と薊ちゃんが頭を下げ合っているとついに皐月ちゃんにまでジト目でそんなことを言われてしまった。確かに今度は薊ちゃんのことばかりで他の同席している皆のことを放置してしまっている。
「百合の件は何も解決してませんから咲耶ちゃんが心配されるのも分かります。それを見せ付けられて嫉妬してしまうのも分かります。だから私達のことも忘れずにお願いしますね?」
「はい。すみませんでした」
皐月ちゃんに釘を刺されたので素直に謝っておく。決して皆のことを忘れていたとかおざなりに扱っていたわけじゃない。でもそんな言い訳は無意味だ。それに俺がどうであるのかではなく皆がどう感じたかが重要だろう。皆にそう思わせてしまったのなら俺の落ち度だ。
「でも咲耶ちゃん……、本当はそれだけじゃありませんよね?」
「えっ!?」
それを言い終わったと思った皐月ちゃんがコソッと言ってきた言葉に俺は驚きを隠せなかった。まさか皐月ちゃんは何かに気付いて?
「咲耶ちゃんが何に悩まれているのかは分かりませんがあまり無茶はしないでくださいね。私達も皆咲耶ちゃんのことを心配しているんですよ」
「はい……。すみません。ありがとう……」
皐月ちゃんがどこまで察しているのかは分からない。ただなんとなく俺の態度などから百合の件だけじゃないと察しているのかもしれない。そしてそれが分かっても無理に追及したり皆に言ったりせず、こうしてこっそり心配と応援だけしてくれている。
皐月ちゃんって本当に相手を立てるのがうまいというか、良いお嫁さんだよな。
俺のお嫁さんなわけじゃないんだけど、きっと皐月ちゃんがお嫁さんになったら夫を立てて陰に日向に助けてくれるに違いない。まさに大和撫子。妻の鑑。しかも才能があって頭も切れてきっと内助の功も凄いだろう。
薊ちゃんは頭脳労働はちょっと苦手かもしれないけどあの明るくストレートな性格で悩みなんて笑って吹き飛ばしてくれそうだ。皐月ちゃんと正反対のようなタイプかもしれない。どちらが良い悪いということはないと思うけど……、どっちもお嫁さんになってくれたらきっと家は楽しく明るくうまくいくだろうな。
「薊ちゃんや皐月ちゃんと結婚出来る相手は羨ましいですね」
「「えっ!?」」
俺がつい漏らしてしまった呟きを聞いて薊ちゃんも皐月ちゃんも目を見開いていた。失礼なことを言ってしまったかと思って慌ててフォローしようと思ったんだけど……。
「私はもちろん咲耶ちゃんとならいつでもオッケーですけど……」
「咲耶様!いつ結婚しますか?」
「え?」
「「……え?」」
何か三人でお互いに首を傾げ合う。もしかして……、微妙に話が噛み合ってない?いつもは俺が言ってないことまで察してくれるはずの皐月ちゃんも今回ばかりは何か微妙にズレていたようだ。まぁ変なことを言ってしまったし、二人がどこの馬の骨とも知れない野郎と結婚するなんて想像もしたくない。
そりゃいつかは誰かと恋愛して皆も結婚していくのかもしれないけど……、今はまだそんなこと想像したくないし、皆とも別れたくないと思っている。百合だけじゃなくて皆も家の都合で嫌々婚約させられそうになっていたら絶対にそれを阻止しようとするはずだ。
そう考えたらもしかして今のうちに皆の家にも望まぬ婚約や結婚をさせないように根回ししておいた方が良いのかな?




