第千二百三十四話「協力(打算)」
喫茶店にて、咲耶と秋桐を向こうへ行かせたマスター、緋桐は椛、菖蒲、枸杞に向かって少々厳しい表情を向けていた。
「三人とも……、私が言いたいことは分かってる?」
「それは……」
「その……」
「…………」
怒っているわけではない。声は静かなものだった。しかし三人は緋桐の迫力に押されて縮こまることしか出来なかった。
「はぁ……。それも分かってもらえてなかったのかしら?」
「「「…………」」」
三人はただ項垂れることしか出来なかった。なんとなく『こうかな?』『これが原因かな?』『こう言いたいのかな?』と思っていることはある。しかし具体的に絶対これだと分かっているわけではない。そもそもよほど明確な理由で怒られている場合でもなければ相手の言いたいことや怒っている理由など分かるはずもない。
しかしこうして怒られているかのように詰め寄られていては下手なことは言えないが、分かっていないとなるとそこからまた相手の怒りを助長してしまう可能性もある。下手に答えられないが外せない。その結果三人は項垂れて黙ることしか出来なかった。
「あのね……、私は別に怒っているわけじゃないのよ?皆さん良い大人なんだからいくら一番年上とはいえ今更私が皆さんに怒るような立場でもないから。でもあれはないでしょう?」
「「「…………」」」
確かに子供を叱るとか、何かに腹を立てて怒っているという感じではない。むしろ呆れられていると言うのが一番しっくりくるかもしれない。そして『呆れられている』のだとすれば一つ思い浮かぶ原因がある。三人は段々と緋桐が何故、何を言おうとしているのか分かってきた。
「咲耶ちゃんの前でお姉さんぶりたいのは分かるわ。でもあんな態度じゃむしろ咲耶ちゃんからの印象は悪くなるわよ?それも本当は自覚しているのよね?それでもやめられないのかしら?」
「「「それは……」」」
緋桐の言葉に三人は何も言えなかった。まさに緋桐の言う通りなのだ。三人は三人ともそれぞれ咲耶に対してお姉さんぶりたい。しかしその三人がお互いに顔を合わせると足の引っ張り合いや罵り合いになってしまう。そんな姿を見て咲耶が自分達のことを素敵なお姉さんだなどと思ってくれるはずがない。むしろ醜く罵り合っていると悪印象を与えてしまうだけだ。
「咲耶ちゃんはしっかりしているから忘れがちだけどあれでもまだ子供なのよ。年上にだって頼りたいと思う時もまだまだある年頃だわ。そんな咲耶ちゃんにさっきの自分達の姿を見せていることをどう思うのかしら?」
「「「…………」」」
三人は何も言い返せない。まさにその通りだ。咲耶は幼少の頃からしっかりしていた。だから忘れがちになるがまだ高等科生なのだ。もう大人に近いとはいえ世間ではまだ子供で通る。そんな子に対して自分が良い格好をしたいからと他の相手を罵ったり貶めようとしている姿を見せてどう思われるだろうか。
尊敬してもらえるはずなどない。頼りになどしてもらえるはずがない。それが分かっていたはずなのに、それでもお互いに罵り合うことをしてしまっていた。そのことをはっきり指摘されて恥じ入るばかりだった。
「はぁ……。私達がいがみ合っていても何も良いことはないってことね」
「そもそも教師にあるまじき態度でした」
「私は咲耶様に変な虫がつかないようにすることこそが務めです。何も間違っていたとは思いません」
「椛……、あんたね……」
菖蒲と枸杞は己の行いを恥じたが椛だけはブレることがなかった。しかしそれは何もおかしなことではない。緋桐も三人の立場と言葉に理解を示して頷いた。
「それぞれ皆さんの言っていることは分かるわ。教育者としての立場もあれば、保護者に近い立場もあるものね。だから椛さんの言っていることも間違いではないのよ。咲耶ちゃんのご両親から咲耶ちゃんのことを任されている以上は椛さんの意見も筋は通っているの。ただ私達も良い大人なんだから相手の立場や言い分も考えて対応をしなくちゃね」
「「「はい……」」」
緋桐は良いように解釈したが実はそうではない。椛は決して咲耶付きのメイドという立場から咲耶を守らなければならないと言ったわけではない。咲耶に変な虫がつくことを許せないと言ったのはその通りだが、それは咲耶のことを任せられた立場からの意見ではなくただ自分が咲耶を独占したいがためだけの言葉だった。
菖蒲と枸杞はそれを察して椛に呆れた視線を向けていたのだが緋桐だけは良いように解釈してくれている。だが菖蒲も枸杞もそれを緋桐に告げ口のように言おうとは思わなかった。折角良い感じに話が進んで緋桐の圧も弱くなったというのに、ここで椛の本性と本心を告げ口すればまた先ほどのような迫力に戻ってしまう。
「それじゃこれからはお互いの立場や考えを尊重し合って本当に頼れるお姉さんにならなくちゃね?」
「「「はい」」」
それに関しては同意している部分もある。これ以上争っている所を咲耶に見せて呆れられるわけにはいかない。三人とも咲耶に頼れるお姉さんだと思われたいことに違いはない。
「仕方ないわね……。それじゃお互いに足を引っ張り合ったり罵り合ったりするのはやめましょう」
「そうですね。九条様からの印象が悪くなるだけですし、そもそもそちらが足を引っ張ってこないのであればわざわざ相手をする必要もありませんし」
「何よその言い方?それじゃまるでこっちから絡んでるみたいじゃない。最初にこちらに絡んできたのは入江先生の方でしょ?」
「嫌味ったらしく話しかけてくるのは高辻講師の方だと思いますけど?」
「「…………」」
折角協力とまでは言わないまでも争わないでいこうと話し合ったというのに早速いがみ合っている。それに緋桐は少し呆れた表情を浮かべていた。
「……まぁ、元々茅や菖蒲とも今の枸杞とのように争っていたのです。それでも今はお互いに協力出来る関係にあるのですから枸杞ともお互いに利用し合える所は利用し合えば良いでしょう」
「急に椛がまともになったわ……」
「何か不気味ですね……」
急にまともなことを言い出した椛に菖蒲も枸杞も不審の目を向けていた。日頃の椛を知っている者からすると突然こんなことを言い出したら怪しむのは当然のことだった。
「茅とも菖蒲とも利害関係のみでも協力は出来ているのです。今後はそこに枸杞が入っても同じことでしょう?」
「椛……、何を企んでいるの?」
「正直に話してください」
「何も企んでなどおりません」
態度が急変した椛に二人は怪しさを感じていた。しかし当の椛はあまりに堂々としていた。そんな姿を見ていると……、ますます怪しく見えてくる。
信用のある者がそういった態度を取っていれば相手も一先ず信じることにするだろう。しかし椛のように信用のない者がこういう態度を取っているとますます怪しく見えてしまう。本当に何も裏もなく怪しくなかったとしてもそう思われてしまうものだ。
「(枸杞を完全に排除してしまっては咲耶様の下着を盗んだ罪を擦り付けられませんからね)」
「え?今何か言った?」
「いいえ。何も?」
「ますます怪しいですよ。この人何か企んでます!」
結局三人はお互いに足を引っ張り合ったり罵り合ったりしているように思える。しかし緋桐は何故か良い笑顔で頷いていた。
「三人とも段々打ち解けてきたみたいでよかったわ」
「「「(マスターも常識人だけどちょっとズレてるのよね~……)」」」
三人は打ち解けているわけではなく、お互いに打算や裏があって協力出来る部分に関しては協力しようと言っているだけだった。しかし咲耶ほどではないとしても少し人よりズレている緋桐もまた天然だった。あるいは天然だからこそ咲耶にあれほど慕われているお姉さんなのかもしれないが……。
「それじゃこれからは皆で協力して咲耶ちゃんのために頑張りましょうね」
「「「はい」」」
ここでマスターに逆らっても良いことはない。それを察している三人はとりあえず上辺だけの笑みを浮かべてお互いに頷き合いながらテーブルの下で相手の足を踏んでいたのだった。
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咲耶が蕾萌会の冬期講習へと出掛けて行った頃、睡蓮は柚に連れられて百地流の道場へとやってきていた。
「おはようございますぅ~」
「おはよ」
「うむ」
咲耶は道場の更衣室で着替えるのだが今日の睡蓮はもう運動着に着替えて道場へとやってきた。そもそも早朝に一度咲耶と共に『朝練』と称してきている。これは二回目の道場であり、そもそも何故一度帰ったのかもよく分かっていない。
睡蓮はそのまま道場に残ってダイエットを続けても良かったのかもしれない。しかし咲耶が帰ったことと九条家で他の家族と朝食を摂るために睡蓮も一緒に戻った。それから食休みなどをしてからそれなりの時間にもう一度道場へとやってきたのだ。
「すまぬがわしはこれから少し出掛けねばならん。睡蓮は咲萌と共にこの減量をしておくように」
「はぃ~」
「いってらっしゃい」
三太夫がそう言うと睡蓮とエモンは明らかに笑顔を浮かべて手を振っていた。それを見て三太夫は肩を竦める。
「ちゃんとこなしておらねばまた追加でやらせる。しっかりやるように」
「「はいっ!!!」」
三太夫にそう言われて二人は背筋を伸ばしてハキハキと答えた。三太夫の特別メニューをさせられるのは地獄だ。本当に死ぬのではないかと思うほどのメニューを課されてしまう。しかも三太夫にはどこかにカメラでも仕込んでいるのかと思うほど全て筒抜けになっている。
ちょっと見ていない時に手を抜くとか、こっそりつまみ食いをするとか、普通に考えてバレないはずのことがバレるのは何故なのか。裏の百地流のことを知らない睡蓮には理解出来なかった。
「はぁ……。お爺ちゃん出て行ったね」
「はぃ~……」
三太夫が出掛けて行ったのを見送ったエモンと睡蓮はお互いに顔を見合わせていた。それからとりあえず言われているメニューをこなしていく。不在なのを良いことにダイエットメニューをサボっているとその何倍ものメニューを後で追加されてしまう。それなら最初から素直に決められたメニューをこなす方がマシだ。
「咲耶ちゃんとの修行に比べたらまだマシだけど睡蓮ちゃんとのダイエットメニューも私にはきついな~……」
「エモンお姉ちゃんはまだ良いですぅ~……。私の方が大変ですぅ~……」
睡蓮も僅かな間に随分痩せてきたがそれでもまだ標準よりは太い。太っているとただ歩くだけでもしんどい。痩せているエモンよりも睡蓮の方が同じ動きをしても消費が大きく疲れる。
「そうは言うけどさぁ……、私別にダイエットなんて必要ないのにダイエットメニューさせられてるんだよ?私の体でこれ以上痩せたらやばいっしょ?」
「むぅ~~~!嫌味ですかぁ~?」
エモンは元々百地流で鍛えられていたので余計な脂肪はついていない。それなのに睡蓮と同じダイエットメニューをしてこれ以上体重が減ればむしろ軽すぎるようになる。エモンの言っていることも分かるのだが睡蓮にはそれは嫌味のようにも聞こえた。
「そもそもで言えばお爺ちゃんのメニューが異常すぎるんだよね~……」
「本当ですぅ~!九条様も百地様も頭がおかしいですぅ~!」
睡蓮は裏の百地流については何も知らない。しかし少し一緒にダイエットをしただけでも分かる。咲耶と三太夫は体力お化けで修行マニアで頭がおかしい。ここにいるまともな人は睡蓮とエモンだけなのだ。
「まったく同意だよぉ……。私達みたいな一般人はあの二人についていくのも無理だもんねぇ」
「そうですぅ~!あの二人みたいな体力お化けを基準に考えないで欲しいですぅ~!」
エモンと睡蓮はダイエットメニューをこなしながら咲耶と三太夫の愚痴を言い合っていた。日頃の不満などを全て吐き出すかのように思っていたことを言い合う。
そうして不満や愚痴を吐き出しているうちに二人の間には奇妙な連帯感や友情のようなものが芽生え……。
「馬鹿で悪かったのぅ」
「「ひぇっ!?」」
二人は愚痴に夢中になりすぎて三太夫が戻ってきていることに気付いていなかった。しかし仮に三太夫の気配に注意していたとしても気付けなかったかもしれないし、隠そうとしていても三太夫には筒抜けだったかもしれない。
ただ問題なのはそういった仮定ではなく、二人が愚痴を言っていたことを三太夫にはっきり聞かれてしまったであろうことだった。
「馬鹿なんて言ってないよ!?」
「そうですぅ~!体力お化けって言っただけですぅ~!」
「ふむ……。しかし体力お化けが自分達の基準で考えるなということは頭が足りんと言っておるのと同じじゃろう?」
「「ひぇぇぇ~~~……」」
三太夫がにっこり笑いながらそう言ったのを見て睡蓮とエモンはお互いに抱き合った。これは今日が自分達の命日かもしれない。そう思った二人だったが、三太夫はそんなことで無茶な修行を追加するような性質でもなく、何とかこの日も無事にダイエットメニューを乗り切ったのだった。




