第百二十三話「今年は……」
二学期も十月に入り今日は運動会の日だ。今のところ特に何か問題が起きている雰囲気はないけど、今年は何事もなく平和に終わりますように……。
「さぁ咲耶様!このパラソルの下に!」
「いや……、あの……、薊ちゃん?」
普通の学校だったら生徒達は運動場の端とかに教室から持って来た椅子を並べて座っていると思う。藤花学園もそこは同じだ。ただし違うのは、普通の学校だったら生徒達は直射日光の下で座らさせられてると思うけど、藤花学園では貴賓席や本部や先生の席以外にも、生徒達全員の席にテントが張ってある。
もちろんテントといっても学校行事とか運動会とかで良く見る簡単なものだけど……、上流階級のお坊ちゃんお嬢ちゃんが通う藤花学園で、熱中症で倒れる者が出たなんてことになったら大事だからな。
簡単なテントに大勢の生徒が椅子を並べて座ってるから、日の傾きによっては日陰になってなくて意味がなかったり、周囲との距離が狭くて暑かったりと、色々大変なもので到底快適とは言えない。
そんなテントの横にどこから持って来たのか、パラソルにビーチチェア、何か小型の冷蔵庫みたいなものまで置いてあるスペースが作られている。明らかにそこだけ異質だし、周囲は狭い所に密集しているのにスペースを取りすぎだ。皆そのパラソルとビーチチェアを不満そうな顔で見ている。
「さぁさぁ咲耶様!咲耶様の美しい肌が焼けてしまいます!さぁ早く!」
「ちょっ、ちょっと待ってください。こんな所に私だけ座るわけにはいかないでしょう!?」
こんな所に座ってたら絶対周囲から恨まれる。一人だけ大きなスペースをとって悠々と座りやがってって誰でも思うだろう。薊ちゃんの気遣いはうれしいしありがたいけど、結果的に咲耶お嬢様の評判が下がったり、かえって悪くなる結果を招いていると思うぞ!?
って、あっ……。もしかして……、ゲームでの咲耶お嬢様の評判が悪いのって……、これが原因なんじゃ?
薊ちゃんがあれこれ気を利かせすぎて、そして咲耶お嬢様は疑問に思うこともなく薊ちゃんが用意してくれたものを利用したりする。するとそれを見た周囲は咲耶お嬢様が横柄な態度で好き勝手していると思って評判が下がる?これを繰り返していけば……、さすがの九条家でも評判は地に落ち、周囲が敵だらけになる?
何か筋が通っているような気もするな……。特にゲーム中の咲耶お嬢様は天然のちょっとお馬鹿な子だから十分にあり得る。周りが用意してくれたら偉そうな態度で当たり前のように座ったりしそうだ。
周りが持て囃し、咲耶お嬢様も当然のこととして受け取る。それを見た周囲は咲耶お嬢様に反発する……。何かそんな様子が目の前にありありと浮かんでくる。天然でちょっとお馬鹿な咲耶お嬢様と、こんなことを当たり前のようにしてくる薊ちゃんが組み合わさればそうなるのは必然だろう。
「お気持ちはうれしいのですが、私だけ一人このような特別は許されませんよ。それに運動会は皆で一体となって行なうものです。一人だけこのようにしていてはおかしいでしょう?」
「そうですね!さすがは咲耶様です!下々の者達に合わせてやろうというのですね!」
薊ちゃんやめてぇ!そんなことを大声で言わないで!ほら!聞いてた奴らがヒソヒソ言ってるよ!絶対勘違いされたよ!薊ちゃんは俺を貶めようとしているのか?そう思わずにはいられないほど巧妙な上げて落とす作戦だろ!?
「とっ、とにかくこれは片付けましょう。他の方の迷惑にもなります」
「はーい。貴方達、片付けなさい」
「「「「「はっ!」」」」」
徳大寺家の黒服達がパラソルやビーチチェアを片付ける。一応これでこの件は片付いたか…………。
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今年も近衛母が主役のように挨拶を行い藤花学園運動会が始まった。種目も並びも去年とそう変わらない。今年も短距離走にエントリーしている俺の出番はすぐだ。
開会式が終わってすぐに簡単な競技が始まり、俺は次の短距離走として入場門の外で並んで待つ。この辺りの手順は去年と一緒だから、同じ競技というのもこういう点では悪くないかもしれない。
でもやっぱり俺は可愛い女の子達とキャッキャ言いながら並んだり、体を密着させて競技に出たりしたかった。二人三脚で体を寄せ合って、肩を抱き合って、掛け声を出して一緒に走るとか……。ムカデ競争で皆で体を近づけて前の人の肩を掴み、後ろの人に肩を掴まれて、掛け声を出して一緒に走るとか……。
あれ?何か走ってばかりだな……。まぁ運動会の競技なんて基本的にはほとんど走ることばっかりか。
『次は~!短距離走で~す!選手達の入場で~す!盛大な拍手でお迎えくださ~~~い!』
…………今年の放送は何だか随分ハイテンションだな。放送委員に変な人が入ったのかな……。
適当に放送を聞き流しながら入場門から入って誘導に従って待機場所に並ぶ。俺は二年生女子の最後に走るから九番目だ。一年女子が三組、そして男子三組が走り、次に二年女子の前二組が走って俺の番となる。
『さぁ今年もやってまいりました!藤花学園運動会!そして次に走るのは運動会注目の選手、九条咲耶様~!昨年は短距離走では流して走っての圧勝!さらに去年話題となったリレーにおいて、大差からもう少しで大逆転というほどの大健闘を見せた話題の選手です!今年は一体どんな走りを見せてくれるのでしょうか!?』
おい!?この放送委員誰だ!?何てこと言いやがる!二年生以上の生徒や保護者は去年見ていた者も多いだろうけど、今年の一年生やその保護者は何のことだかさっぱりだろう。それなのにわざわざその黒歴史を引っ張り出してくるんじゃない!
『位置について……、よーい……』
パーンッ!
とスターターピストルが鳴り響く。放送の言葉でずっこけそうになったけど転ぶわけにもいかない。スタート時点では横一列だった一組、二組の女子も、あっという間に足音は遥か後ろになり、ゴールのかなり手前で俺は走りを緩めて軽く流す。
『あ~っと!今年もやっぱり九条咲耶様は圧勝だぁ~~!最後は軽く流して余裕のフィニーーーッシュ!圧倒的勝利!圧巻の走り!王者の風格~~~~!』
いや!ほんとにこの放送誰が言ってんの?声からして女の子の声みたいに聞こえるけど、今から放送席に行ってぶん殴っていい?いいよね?
走り終わって待機場所に座り他のレースを見ているけど……、あのハイテンションな放送は他ではまったく現れることはなかった。別におかしな放送をするから下げられたとかじゃなくて、声からして同じ人が放送をしてると思うんだけど、あの変な放送は俺の時だけだったようだ。
短距離走が終わって立ち上がり退場門から出て行く。入れ替わりに入場門から次の競技の選手達が入って行くのを尻目に自分の席へと戻ってきた。
「お疲れ様です咲耶様!」
「さっすが咲耶ちゃんだねー。よゆーだったね!」
「ありがとうございます……」
席に戻ってくると、競技に向かっていない残りの皆が俺の周りに集まり、扇ぎ、飲み物を差し出してくる……。
あれ?これも去年問題にならなかったっけ?確か例の壁新聞の記事の中に、取り巻き達に扇がせたり、飲み物を出させたり、肩もみさせたり、汗を拭かせたりしてたって書かれてたぞ。まぁ肩もみとか汗は嘘だけど扇いだり、飲み物は本当だよな。去年も今年も同じことをしているし……。
「ちょっ、ちょっと皆さん!こういうことをしてくださるのは大変ありがたいですしうれしいのですが、去年も壁新聞に色々と書かれてしまったでしょう?同級生同士でこういうことはしない方が良いと思いますよ!」
「そのようなことお気になさらずとも」
「私達が望んでしていることですし」
「それはそうかもしれませんが、周囲の人はそうは受け取らないのですよ。ですから誤解や批判を招くようなことはやめましょう?」
皆ちょっと天然すぎやしませんかね?俺達が合意の上で納得してやってても、周囲の大人達が見れば、俺が九条家ということを笠に着て、家格が下の皆にこんなことをさせてるって思われちゃうよ。実際そう思ってる人がいたからこそ壁新聞も信じられたんだろうし、誤解だったとしてもこういうことはしない方が良い。
「咲耶様がそうおっしゃられるのなら……」
「あっ!あっ!えっと、感謝はしていますよ?皆さんありがとうございます。でもお友達同士なのに一方だけがこのようにしていただくのはおかしいでしょう?」
シュンとした薊ちゃん達にフォローを入れておく。確かに誰もいない所でなら美少女達に至れり尽くせりにされて嫌な気がする男なんていないだろう。でもここでは人の目がありすぎる。そんなことをしているうちに次々と競技は進んでいたのだった。
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皆それぞれ競技に参加して、一、二、三年生合同のダンスが行なわれて、去年と同じようにお昼を食べて……、いよいよ運動会も大詰めを迎えようとしていた。
『いよいよ次が最後の競技です!去年は大事件もあった因縁の競技!そして運動会の花形!クラス対抗男女混合リレーの時間です!』
この放送本当に誰がやってんの?本当に捕まえていい?俺に喧嘩を売ってるとしか思えない。ん?そんなに九条家を敵に回したいの?ねぇ?ガチでやる?お?お?
「今年は絶対一番で九条さんにバトンを渡すよ!」
「いや……、あの……、錦織君……、何故わざわざそんなフラグを建てるようなことを……」
もう何かの前フリかと思うほどに露骨なフラグを建ててきやがる……。そもそもこれでまた錦織が何かやらかしたらこいつはもうわざとやってるのかと思ってしまいそうだ。
今年もセオリー通りに足の速い方が後だから、一年の男女が走ってから二年は錦織が先で俺は後になっている。今年の錦織は伊吹を倒すとかは言わなくなった。というかそもそも一緒に走ることがないからな。リレーでは今年も俺と伊吹が二年の後の走者だ。
『今年も去年同様このリレーで勝ったクラスが優勝となります。全クラスが優勝の可能性を残しているだけに熱いバトルが予想されます!』
ああ、そうね……。というか点数配分とかからして、恐らく毎年相当差がつかない限りはこのリレーで逆転可能なくらいに設定されているんだろう。去年だけじゃなくて今年もこうだとそうとしか思えない。
『位置について……よーい……』
パーンという音と同時に一年生の女子が走り始める。第二走者の一年男子がスタートラインに立って女子が戻ってくるのを待っていた。一年生の女子も男子もそう身体能力に差はない。小さい子達が一生懸命走っている姿は何だか可愛らしい。
そして錦織がバトンを受け取り、二年の第二走者である俺達がスタートラインに並ぶ。そこで隣の伊吹が声をかけてきた。
「今年は正々堂々と戦って俺が勝つ!咲耶!俺が勝ったら俺のことを好きになれ!」
「はぁっ!?」
伊吹……、こいつ何言ってんの?リレーで負けたら好きになれとかまったく意味がわからない。どういうロジックだ?まぁ……、小学生くらいだったら運動神経が良いとかそれだけでモテたりするもんな。足の速い子がモテるとか……。
元々去年みたいな事故がなければ負けるつもりはなかったけど、さらに負けられなくなった。俺が了承しようがしまいが伊吹は馬鹿だから、きっとこれで俺が負けたら本当に俺が伊吹のことを好きになるとか思ってそうだ。だから了承するつもりはないけど負けるわけにはいかなくなった。本当に面倒臭い奴だ……。
『二年生の第一走者が最終コーナーをまわって……、今最後の直線に入りました!各クラスほぼ一直線!しかし一組がインコースで三組が一番アウトコースです!これは三組苦しいか!?』
錦織……、あいつ絶対女子に遠慮してるな……。去年といい今年といい、女子と一緒に走ってるからインコースを取りにいけないんだ。普通なら強引にでもインコースを狙った方がいい。それなら錦織の足なら一緒に走ってる女子に負けない。でも位置取りが悪すぎて、しかも女子に遠慮してアウトコースに膨らみ団子になる。
去年からその兆候があったのに……、単純にセオリーで俺を後にしたのはまずかったな……。それなら俺が先に走ってある程度リードして錦織に第二走者を任せる方がよかった。完全な作戦ミスだ。
「よし!もらった!」
「ごめん九条さん……」
若干早く伊吹がバトンを受け取り、錦織は少し遅れて俺にバトンを渡した。錦織が女子に強く出て追い抜けないフェミニストだということはわかった。来年はクラス替えだからもう一緒になることはないだろうけど、錦織がどういう奴なのかはわかったから万が一次があれば作戦を変えよう……。
『さぁ二年生の第二走者のデッドヒートですが!並んでいた、いえ、一組、二組がややリードしていたのはバトンを受け取った瞬間だけでした!あっという間に追い抜かした三組の九条咲耶様は最後は余裕で流して一位でバトンを三年生に渡します!』
おい!放送!余計なことを言うな!俺が手を抜いてるみたいに聞こえるじゃないか!
結局俺が軽く流して稼いだリードを守りきり今年は三組がリレーでも総合でも優勝して、運動会は幕を閉じたのだった。