第千二百二十五話「試験が終わって……」
二学期の期末試験はあっという間に終わった。試験中は半ドンだし日数もそう多くない。特に何かあるわけでもないので試験に集中していると本当にあっという間だ。
「いや~!終わりましたね!咲耶様!」
「そうですね。皆さんもお疲れ様でした」
試験の最終日を終えて午前中にゾロゾロと帰る。終業式などとは違うからようやく部活が解禁されて早速部活に行く生徒も多い。だから終業式の日ほど帰りが混んでいるわけじゃない。とはいえ一斉に帰る生徒が多いから俺達がいつも帰る時に比べたら当然人は多くなる。
「咲耶様!期末試験も終わりましたし打ち上げに行きましょうよ!」
「う~ん……。紫苑……、そういうものは突然言われても難しいのですよ……」
紫苑はいつもこういう時に急に打ち上げをしようとか言ってくる。もちろん本気なわけじゃなくてそういう定番の台詞を言いたいだけだということは分かっている。だからこちらも定番のお返しをするわけだ。つまりこれは『お約束』ってやつだな。
「そうよ紫苑!いきなり言われても皆の都合が合うわけないでしょ!」
「はぁ?皆って何よ?私は咲耶様をお誘いしてるの!咲耶様のご予定さえ空いていれば十分なんだから!」
「ちょっと!?咲耶様と二人っきりで打ち上げをしようってわけ?そんなの許されるわけないでしょ!」
「何で、誰に、許されないのよ?私と咲耶様の意思と都合だけの問題でしょ?」
「まぁまぁお二人とも……。他の方の邪魔になりますから……」
紫苑と薊ちゃんもいつものじゃれ合いを始めていた。でもこれだけ生徒が密集している中で二人がいつものじゃれ合いをしていたら周囲の邪魔になる。周囲の邪魔や迷惑を考えずに好き勝手に振る舞っていてはゲームの咲耶お嬢様と同じ結末を迎えかねない。俺が元々小市民ということもあるけど人間謙虚が一番だよな。
「それじゃーねー!咲耶ちゃーん!」
「御機嫌よう譲葉ちゃん」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「御機嫌よう椿ちゃん」
皆迎えの車が入ってくるとバラバラに帰り始めた。終業式の日だったらひまりちゃん達や鬼灯達も一緒でうちの車に乗って帰ろうと誘う所だけど、今日は別に終業式ではなく鬼灯達は部活に顔を出している。ひまりちゃん達もすぐに帰らず三つ葉達と話して帰ると言っていたので今日は送っていくことを名目にして一緒に帰れない。
「あっ……、車が来ちゃいました……。それじゃさようなら咲耶様!」
「うちの車も来たわ……。さようなら咲耶様!」
「御機嫌よう、薊ちゃん、紫苑」
皆を送り出してとうとう残ったのは俺と皐月ちゃんだけになった。うちの車が二台揃って遅いということは何か事情があって遅れたのかもしれない。
「お~っほっほっほっ!このようなところで何をしているのですわ?九条咲耶!」
「御機嫌よう、九条様と皐月お姉ちゃ……、出来損ない!」
「御機嫌よう、一条様、西園寺様」
俺達が車を待っていると百合と躑躅がやってきた。あるいはもっと前からどこかに居たのかもしれないけど、玄関口やロータリーが混雑しているから空いてきてからようやく近づいてきたのかもしれない。
まぁそれはどちらでも良いんだけどどうやら百合達の迎えもまだ来ていないようだ。既に玄関口やロータリーはかなり空いてきている。この時間に上位堂上家の迎えが来ていないのは珍しい。家格順に入れるわけでも追い抜かして横入り出来るわけでもないけど、普通だと上位の家は主人を待たせないように早めに来ていることが多い。
九条家の車だけ来ていなかったのなら九条家で何かあったか、道中のどこかで事故や渋滞でもあったのかと思う所だ。でも百合と躑躅の迎えも来ていないのならもっと違う何かがあったのかと勘繰ってしまう。
「お待たせいたしました咲耶様」
「椛?むぎゅぅ……」
「あぁっ!咲耶ちゃん!助けて欲しいのだわ!」
椛に声をかけられたと思ったら顔を柔らかい双丘に包まれてしまった。この声、話し方、柔らかさ、匂い、全ての情報から茅さんに抱き締められているということは分かる。でも問題は何故今日この時間、この場所に茅さんがいて俺の頭を抱き締めているのかということだ。
「すみません咲耶様。茅が突然やってきて車を停めてしまったもので遅れてしまいました」
「ふがふがっ」
椛は遅くなった理由を説明してくれている。でも説明は良いから助けて欲しい。このままでは俺は陸で溺れてしまう。茅さんの胸で溺れるのなら悪くはないけどさすがにこんな所で死ぬわけにもいかない。
「正親町三条様、これ以上は咲耶ちゃんが死んでしまいますよ」
「咲耶ちゃんならこの程度平気なのだわ!」
いや……、死にそうですけどね?ちゃんと空気を吸い込んで準備をしてから呼吸を止めたのならともかく、不意打ちで急に呼吸を止められたら世界記録を持っている人だってそう長く呼吸を止めることは出来ない。俺だってこのままあと数分も呼吸を止められたらヤバイ。
「とにかくまずは咲耶ちゃんを放してください」
「仕方ないのだわ……」
「ぷはぁっ!……助かりました皐月ちゃん」
皐月ちゃんのお陰で放してもらえたのでお礼を言っておく。でも大事なことはそんなことじゃなくて、茅さんは一体何の用でいきなりうちの車を止めて学園まで押しかけてきたのかということだ。
「それで茅さん、一体どうされたのですか?」
「そうだったわ!咲耶ちゃん!助けて欲しいのだわ!」
いや、だから何を?
「あ~!茅お姉ちゃ~ん!お待たせしましたですぅ~」
「……え?」
俺達が玄関口でそんなやり取りをしているとドスドスと校舎の方から歩いてくる人物の姿が見えた。その人物は……。
「え?え?睡蓮ちゃん?」
「そうですよぉ~?」
ドスドスと歩いてきた睡蓮は……、睡蓮は……、未だかつてないほどに太っていた。明らかに太りすぎだ。これまでもダイエットとリバウンドを繰り返していたけどその中でも一番太っている。これはさすがに太りすぎと言わざるを得ない。ぽっちゃりとかじゃなくてデブだ。
「見ての通りなのだわ……。カロリー制限をさせているのにどんどん太ってしまって手がつけられないのだわ……」
いや……、茅さん?茅さんの言われる『カロリー制限』もトッピングをなしにしたからアイスを食べまくっても良い、みたいな話ですよね?前のウインナーコーヒーをカフェオレにしたからカロリーをカットした!とか言ってたのを聞いてたよ?俺、知ってる。
「それで茅がこれから咲耶様と一緒にグランデに行くと騒ぎまして……。車を止められて勝手に乗り込まれてしまったのです」
「なるほど……」
どうやら睡蓮が太りすぎて茅さんの手には負えなくなったから俺に睡蓮のダイエットを手伝って欲しいということのようだ。そう言えば昔に少しだけ一緒にグランデに通ったりもしたっけ……。その時の経験から俺に助けを求めに来たのかもしれない。でも俺はこれから百地流の修行なんだよぉぉぉっ!!!
折角半ドンだから百地流の修行が長く出来ると楽しみにしていたのに!今日で期末試験が終わったからもう最後なのに!百地流の修行に行けないなんて困る!
「私はこの後習い事がありまして……、今日のところは……」
「習い事なら日を変えれば良いのだわ!元々本来は平日の日中なんて予定がないはずなのだわ!それなのに習い事の予定が入っているのは特別な予定なのでしょう?それならば今日は私達と一緒にグランデに行きましょう?」
「うぅ……」
嫌だい!嫌だい!俺は絶対に百地流に行くんだい!でもそれを言い難い……。茅さんの頼みとなると断り難いし、この睡蓮のあまりの姿を見てしまっては断るのも憚られる。だけど百地流にも行きたい!修行がしたい!
「お~っほっほっほっ!九条咲耶!それではわたくしもお付き合いして差し上げますわ!」
「本当は私は行きたくありませんけど百合様が行かれるのであれば仕方なく同行してあげます!」
「いや……、あの……」
そこへ何故か百合と躑躅が乗っかってきた。百合や躑躅と睡蓮にはあまり関わりはないはずだ。五北会サロンでは顔を合わせているけど親しくしている所は見たことがない。花園家は二条門流だから派閥・門流も違うし、親戚筋というほど近いわけでもない。
あえて言うならば百合や躑躅と仲が良い朝顔と親戚筋だからそちらの関係があるかというところだけど、朝顔は卒業してしまって大学に通っている。百合や躑躅とは今でも連絡を取り合っているんだろうけど以前よりは関係も薄くなっているはずだ。だから朝顔関係でというのも考え難い。
「仕方ありませんね、咲耶ちゃん。それではグランデに向かいましょうか」
「えっ!?皐月ちゃんまでご一緒されるおつもりなのですか!?」
何かしれっと皐月ちゃんまで一緒に行くことになっている。
「この流れで私だけ除け者ですか?」
「いえ……、そういうつもりでは……」
そりゃあまぁこの流れで皐月ちゃんだけ帰れと言ったら除け者にしていると言われても仕方がない。だけどそもそも俺が同意してないのに何故か皆は俺が行くものだと決め付けて話を進めている。いや、あるいは俺が断れないように外堀を埋めていっているのかもしれない。
「ただ私は習い事へ……」
「咲耶ちゃん、一緒に行って欲しいのだわ……」
「うぅ……」
俺が断ろうとするとさらに茅さんが悲しそうな瞳でウルウルとこちらを見ていた。こんな顔をされて断れる男がいるだろうか?いや、いまい!
「はぁ……。わかりました……。それでは習い事先に連絡をしてみます。それで師匠が休んでも良いと言われたらグランデにまいりましょう」
「ありがとう咲耶ちゃん!」
こうなったら仕方がない。師匠が休むことを許可しなければ済む話だ。あるいは電話で師匠が良いと言いそうだったら俺が休みたくないことをそれとなく伝えたら察してくれるに違いない。そう思ってまずは師匠に電話をかけてみた。
「あっ、もしもし?百地師匠ですか?九条咲耶です。実は……」
電話で簡単な事情を説明する。それを聞いている師匠の返事からは感情が読み取れない。いきなりこんなことを言い出して怒っているのか、呆れているのか、声だけでは分からないほど平坦な返事だった。そして……。
『わかった。それでは咲萌も同行させる。二人で一緒に水泳で鍛えてくるがよかろう』
「えっ!?ですがそれでは……」
あっさり休んで良いと言った師匠に俺の方が必死に食い下がる。待って欲しい。俺は本当は百地流の修行がしたいんですよ!ここで師匠が駄目だと一言言ってくれたら全て丸く収まるんですよ!
『道場まで咲萌を迎えに来てやってくれ』
「あっ……、はい……」
もう駄目だ……。これで俺は今日グランデに行くことが決定してしまった。折角学園が半ドンだから百地流の修行がたっぷり出来ると思っていたのに……、こんなのないよ……。
「よかったですね咲耶ちゃん!」
「お~っほっほっほっ!それではまいりますわよ!」
「はい!百合様!」
「咲耶ちゃんの水着姿楽しみなのだわ」
「私は茅お姉ちゃんだけでも良かったですぅ~!九条様なんて本当はお呼びじゃないんですよ~!ですから茅お姉ちゃんと二人で私の手を握ってくださぃ~!」
俺の電話を聞いていたのか、電話を切った瞬間皆が一斉に俺を押したり引っ張ったりしながら車へと向かい始めた。睡蓮ですら俺を逃がさないようにと手を捕まえてきた。皆そんなにグランデで泳ぎたいのかな?いくら室内の温水プールとはいえもう十二月で寒いのにプールなんて行きたいか?
とはいえ決まってしまったものはもう仕方がない。それぞれ車に乗り込んで一度百地流の道場へと寄ってからグランデに向かうことにする。
「咲耶ちゃ~ん!ありがと~!これで今日の修行は水泳になったよ~!助かった~!」
「エモンさん……」
道場に到着するとエモンが外で待っていた。そして何故か俺の手を握ってブンブンと振っている。これはあれか?俺のせいでエモンも修行が出来なくなったから怒っているということか?
それはそうだろうなぁ……。俺だって逆の立場だったら相当不機嫌になっているはずだ。それを考えればエモンが怒っているのもよく分かる。すまんエモン!俺のせいでこんなことに巻き込んで修行を一日分パァにしてしまった!許してくれとは言えないが俺の頭でよければいくらでも下げるから!
「さぁさぁ!おじいちゃんの気が変わる前に早く行こう!」
「あっ!ちょっ!?エモンさん!?」
学園で車に乗り込む時も皆に押されたり引っ張られたりした。道場でもエモンは俺の手を引っ張って大急ぎで車へと乗り込もうとしていた。これはもしかしてあれか?水泳を早く終わらせたら早く戻って百地流の修行をちょっとでも長く出来るということじゃないだろうか?
そうだ!そうに違いない!だったら俺も早くグランデの水泳を終わらせて百地流の修行に戻ってこなければ!




