第千二百二十二話「フェロモンの向こう側へ」
ある日の放課後に、いつものように咲耶様ファンクラブに顔を出していた向日葵と花梨が帰る時、三つ葉と南天が声をかけてきた。
「吉田さん、藤原さん、ちょっと良いかしら?」
「「はい?」」
向日葵が廊下で襲われて以来、帰る時は絶対に二人だけにならないようにしている。またファンクラブの方も向日葵達を会長である三つ葉が送って行くのは恒例になっていた。しかし今日はいつもの空き教室から表まで送って行くのに南天も同行しようとしていた。
南天も同行すること自体は別に良い。それを拒否する理由もないので向日葵と花梨はそれを受け入れた。だがそれだけではなく三つ葉は深刻そうな顔で二人に大切な話を切り出した。
「もう少ししたらテスト期間になって部活も休みになるわよね?」
「はぁ?」
「そうですね?」
大体、例年十一月の末くらいからテスト期間となり部活は休みになり、十二月の初旬には二学期の学年末試験が行われる。今年度の予定もとっくに発表されているので学生達も当然日程を把握している。それに照らせばもう少しするとテスト期間に入るのはわかっていた。
ただ咲耶様ファンクラブは別に部活動ではない。部活動はテスト前に休みになるが、そもそも学園の活動とは無関係のファンクラブはテスト前でもテスト中でも関係なく自由に活動出来る。
「実は……、また私達も九条様のお勉強会に参加させていただけないかと思って……」
「え?」
「あぁ……」
テスト期間中でもファンクラブの活動には関係ない。そう思っていたがどうやら話はそういうことではなかったようだとようやく分かった。三つ葉の話はファンクラブとは関係なく、いつもの勉強会にまた三つ葉と南天も参加させて欲しいという話だった。
「えっと……、私達には勝手に参加者の方を決める権限はありませんが……」
「それは分かっているわ。九条様に取り次いでもらうだけでも良いの。私達が参加出来るように九条様に口添えしてもらえないかしら?」
「う~ん……」
向日葵は困った表情を浮かべて唸るだけだった。ここで安易に大丈夫だと引き受けることは出来ない。九条様に相談するか、三つ葉達が直接頼める場を用意することは出来るかもしれない。だが勝手に参加させることはもちろんのこと、九条様に相談したり直接頼める場を絶対用意出来るとも言えない。
「ね?おねが~い!藤原さん!吉田さん!」
「まぁ……、九条様にそのお話をするだけなら……」
「本当?ありがとう藤原さん!吉田さん!」
「ありがとーっ!」
三つ葉と南天の押しに折れて、九条様にその話をすることは約束してしまった。ただ九条様には伝えても許可されるかどうかは分からない。そのことだけは勘違いしないように何度も釘を刺しておいたが、喜んで浮かれている三つ葉と南天がその話をちゃんと聞いていたかは不安が残るままだった。
~~~~~~~
三つ葉と南天に相談されたことを九条様に聞かなければならない。そう思っていたが中々機会がなく相談を切り出せないまま数日が過ぎた。そしてデイジーとガーベラのお茶会が開かれ、その場でも聞けないままにお茶会も終わってテスト期間に入ってしまった。
「藤原さん、吉田さん、もう今日からテスト期間だけど例の話はどうなっているのかしら?」
「えっと……」
「今日の放課後に勉強会の時に聞いてみます」
とうとう今日からテスト期間だというのにいつまでも返事がない。それに焦れた三つ葉と南天が五組へとやってきて向日葵と花梨に問い詰めた。それを受けて向日葵と花梨も今日こそは聞くしかないと覚悟を決めた。しかしもう今日からテスト期間なのだ。今日聞いたのでは遅すぎる。
「じゃあ今日の放課後に私達も九条様達のお勉強会の教室まで行かせてもらうわね」
「え?」
「だって今日聞いてくれるなら表で待ってないと今日から参加出来ないし?」
「それは……、まぁ……」
ついついこれまで聞かずに先延ばしにしてしまっていたのは向日葵と花梨の方だ。そういうことを聞ける雰囲気や機会がなかったと言えばそうかもしれないが、それは聞いてくれるように頼んでいた三つ葉と南天には関係ない。引き受けたからにはちゃんと聞いて答えを持ってこなければならなかったのは向日葵と花梨の方だ。
それにいきなり押しかけるという話ではなく、向日葵と花梨が九条様に聞くまでは表で待機して、聞いてくれたり参加の許可が出ればそのまま今日から参加させてもらうというだけだった。そう言われてはこれまで質問を先延ばしにしていた向日葵と花梨には断れない。
「それじゃ今日の放課後によろしくね」
「……はい」
もう後がなくなった向日葵と花梨は、今日こそは何があっても三つ葉と南天のことを聞かなければならないと覚悟を決めたのだった。
~~~~~~~
「あの……、九条様……、少し良いでしょうか?」
放課後のいつもの空き教室で、向日葵と花梨は覚悟を決めた表情で九条様に声をかけた。
「はい?どうされましたか?ひまりちゃん、りんちゃん」
九条様はいつも通りににっこり笑顔で応えてくれた。これ以上引っ張っても仕方がないと二人は覚悟を決めた。
「あの……、実は……」
「いつものメンバーの方以外の方もこの勉強会に加えていただいてもよろしいでしょうか?」
「はぁ?」
向日葵と花梨の言葉に九条様は不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げられている。向日葵と花梨は言葉足らずなことを自覚しているがうまく説明出来ない。
「私は構いませんが他の方達が良いかどうかは皆さんに聞いてみるしかありませんね。ちなみに呼びたいという方はどなたでしょうか?」
九条様の言われていることは尤もだ。実質的にはこの集まりの意思は全て九条様がお決めになられている。だが一応は全員に聞いて確認するのは当然のことであり、全権を握っているはずの九条様も決してワンマンで決めたりはされたことがない。
「えっと……、もうそこに……」
「入ってきてください」
「はい……」
「失礼しまーす……」
向日葵と花梨が扉の外で待っていた三つ葉と南天に声をかけた。二人は扉を開けてソロリソロリと空き教室へと入って来た。
「まぁ!西村様と赤尾様でしたか。以前にもご一緒したことがありますし私はお二方が加わわられても良いですが……、皆さんはいかがでしょうか?」
「私も良いですよ!」
「反対する理由はありません」
「よろしくねー!」
その相手を見て九条様は相好を崩されてそう言われた。向日葵と花梨が妙な相手を連れてくるとは思っていなかったであろうが、かといって一体誰を呼ぼうとしているのか瞬時には思いつかなかった。その相手が三つ葉と南天だと確認出来たのだからリラックスするのも当然だった。
他の勉強会メンバー達も三つ葉と南天を見てあっさり受け入れる。そもそも反対する理由もなく、他のメンバー達も三つ葉や南天とはそれなりに親しくしている。むしろ何故今まで来ていなかったのかと思っている者もいるほどだった。
「ありがとうございます!精一杯頑張ります!」
「よろしくお願いしまーす!」
三つ葉と南天は受け入れられたことに感謝して頭を下げた。二人が認められたことでこの話を持ってきた向日葵と花梨もほっと息を吐いて胸を撫で下ろしたのだった。
~~~~~~~
いつものメンバーに三つ葉と南天を加えた勉強会は順調に進んでいた。
「咲耶っち!これはどうしたらいいの?」
「……ん!鬼灯の変態!何で咲にゃんに質問する?鬼灯のレベルだったら茜や薊に質問するべき!咲にゃんは上位陣に教えるので忙しい!」
「なんだよ~。私が質問したっていいだろ~?それに今のは変態は関係ないし」
咲耶に質問している鬼灯に鈴蘭が食って掛かる。これは勉強会ではいつもの風物詩なのだが三つ葉と南天はポカンとした表情でそれを見ていることしか出来なかった。そして何気に鬼灯は変態と言われていることを否定しなかった。今まで何度も言われ続けてきたから普通に受け入れたという面もあるかもしれない。しかしそもそも本人が自分は変態であることを認めているからかもしれない。
「なんだか賑やかで凄いですね」
「あははっ……」
三つ葉の言葉に隣に座っていた向日葵は苦笑いしか出来なかった。ここにいるいつものメンバーにとっては毎度のことなので今更驚きはない。だが普通の者からすれば三つ葉の反応の方が普通なのかもしれない。そのことを思い出して苦笑いが出てしまった。
「西村様、赤尾様、勉強の進捗はいかがですか?」
「くっ、九条様!?」
「ははぁっ!」
そんな三つ葉達や向日葵達の所へ咲耶が顔を出した。質問されればその人の所に行くが、特に質問がなければあちこちを順番に見て回っている。鬼灯が質問しようとしていたのだが鈴蘭と言い争いが始まったので咲耶はこの辺りの様子を見に来たのだ。
「何かご質問等があれば……」
「あっ!それではここを教えていただいてもよろしいでしょうか?」
まだ咲耶が言い切っていなかったのだが気が焦った三つ葉は失礼にも九条様の言葉に被せるように質問をしてしまっていた。しかし本人も焦っているので自分の行いに気付いていない。そして咲耶もその程度のことで腹を立てるような者ではないので三つ葉のテキストを一緒に覗き込んだ。
「どこでしょうか?この問題ですか?」
「そうで……、あっ!」
三つ葉の後ろから一緒にテキストを覗き込んだ九条様の胸が背中に当たっている。ポヨンと柔らかい感触なのにどっしり重い。肩に近い辺りに乗るように当たっているのでその重みもはっきり分かるような気がした。その重みはそこらの同世代の女子達とはレベルが違う。
「ふぁっ……」
しかも三つ葉の顔の横に九条様のお顔があるのだ。一緒にテキストを覗き込んでくれている九条様の美しいお顔がすぐ横にあり、ふわふわと何やら良い匂いが漂ってきている。それは化粧とか石鹸やシャンプーの匂いとも違う。甘いような、それでいて頭が痺れるような匂いだった。
「これは公式に当てはめてこちらから順番に解いていけば迷うことはありませんよ」
「ふぁい……。ありがとごじゃます……」
完全にフワフワと夢見心地になっている三つ葉は呂律の怪しい口でなんとかお礼を述べた。しかしちゃんと問題が解けて理解出来たのかは分からない。
「あっ!九条様!それじゃ次は私も質問良いですか?」
「ええ、どうぞ」
三つ葉の質問は終わったと判断した咲耶と南天は次の質問に移っていた。三つ葉はフワフワしたまま戻ってこれなくなっているが咲耶も南天もその異変には気付いていない。
「これなんですけど……」
「う~ん……。歴史は覚えるしかありませんね……。歴史は連続性があり全ては原因と結果で繋がっておりますので、個別に覚えようとするのではなく物語のように繋げて覚えると良いかもしれませんね。例えば……」
咲耶は今回のテスト範囲の歴史を簡単に説明し始めた。細かい部分や年号は丸暗記するしかない。しかし歴史はそれ以前に何らかの原因があり、その結果として何かが起こる。そしてさらにその起こった結果が原因で次の事件が起こるのだ。それを物語として一連の流れで覚えれば理解しやすく覚えやすい。途中で忘れても理屈や原因と結果を覚えていれば思い出すことも出来る。
「おほぅっ!?」
「……赤尾様?」
しかし……、質問に答えようと一緒にテキストを覗き込んだ咲耶の双丘が南天の背中に押し当てられていた。それを感じた瞬間南天は変な声を上げて飛び上がった。さすがの咲耶もそこまで露骨に不審な態度であればおかしいことに気付く。
「にゃんでもにゃいれふ……。続けて……」
「はい。ですからこの流れから……」
「おっほぉ~~~ぅっ!」
「――ッ!?赤尾様?大丈夫ですか?」
不審に思いながらも続けた咲耶だったが、今度こそ完全に飛び上がった南天に心配そうな視線を向けた。だが南天はそれどころではない。背中に双丘を押し付けられ、耳元で囁かれ、その吐息や体温まで感じるほどに顔を近づけてしまったのだ。南天程度のフェロモン耐性で耐え切れるものではない。
「九条しゃましゅき~っ!」
「きゃっ!?赤尾様!?」
もうヘロヘロになっている南天は振り返ると咲耶の双丘に顔を埋めて抱きついた。一体何事かと思って咲耶は慌てて受け止めつつ南天の心配をしていた。しかしもう手遅れだった。双丘に顔を突っ込んで思いっ切り吸い込んだ南天は昇天してしまっていた。くったりして体から力が抜けている。
「ちょっ!?赤尾様?大丈夫ですか?赤尾様!?」
「あ~ぁ……。慣れない者が飛ばしすぎるから……」
「私達でもあまりやりすぎたら耐えられませんもんね」
「日頃から咲耶ちゃんの近くに侍って慣れていないとあれは耐えられませんね」
「まぁ無意識にあれだけ誘惑出来る咲耶ちゃんが小悪魔すぎるけど……」
「「「確かに……」」」
三つ葉も南天もおかしくなってしまっていることに咲耶は慌てていたが、他のメンバーは原因も対処法も分かっているので特に慌てることもなくその様子を見守っていたのだった。




