第百十九話「パーティーへ」
今日はフィットネスクラブ『グランデ』に来ている。最初の頃は幼少期にあまりトレーニングをしすぎたら成長に良くないかと思って、あまり体に負担がかからない水泳が丁度良いかと思ったんだけど……。最近では結局、百地流でビシバシ鍛えられているしグランデに来る意味があまりなくなっているような気がする。
時間も無限じゃないし、あまり効果的とは言えないトレーニングなんだったら、グランデに通う時間を別のことにあてた方が効率的で良いような気がしないでもない。
「あらー!咲耶ちゃん、今日も可愛いわね~」
「御機嫌よう。ありがとうございます」
俺が更衣室に入るとマダム達に迎えられる。皆俺に構いたいのか、次々声をかけられるし、あれをあげましょう、これをあげましょう、と一杯何か貢いでくれる。
貢いでくれるといっても飴ちゃんとかチョコレートとか、そんなものだけど、それでも侮ってはいけない。ここのマダム達がくれる飴やチョコレートは高級な上にとてもおいしい。有名高級店のものから、密かな隠れた名店のものまで様々だ。
食べることに貪欲なマダム達はお互いに情報交換などを行なって、隠れた名店や隠れ家的な店まであらゆる情報を調べ尽くしている。しかも高級店に偏らず、安い庶民的な店であってもおいしい所はきちんとチェックしているのが素晴らしい。ただ値段で高ければ良いものだと釣られるのではなく、本当に味をわかった上で名店を知っている人達だ。
そのこだわりはすさまじく、一体一日に何店食べ歩いているのかと思うほどだ。
まぁ……、そんなことばかりしているからその樽のような体型がいつまで経っても直らないんじゃないのかなと思うけど……。
こういうコミュニティとの繋がりは大事で、だからこそ母もグランデの会員として加入しているんだろう。あまりトレーニングには来ていないのにね……。
フィットネスクラブなどで会うマダム達との繋がりや情報交換はとても重要だ。それにこうして親しくしていればいざという時に助けてくれることもある。俺だってここのマダム達に随分助けてもらった。
だから辞めにくいんだよなぁ……。トレーニングの効果としてはいまいちでも、ここでマダム達と顔を繋いでおくということは非常に重要だ。単純なトレーニングというよりも、上流階級とのお付き合いのために来ていると言っても過言じゃない。
社交界との繋がりが薄い俺にとってはこういう場での繋がりが唯一の繋がりとも言える。やっぱり辞めるわけにはいかないか……。
「そう言えば咲耶ちゃんも今度の近衛様のパーティーに参加するのよね?」
「え?ええ、はい。そうですね」
急に近衛家のパーティーの話になって面食らう。マダム達は話の展開が早い。あっという間に次々に話題が飛んでいく。ついていくのも大変だ。
「私はまだパーティーで咲耶ちゃんと会ったことがないから楽しみだわぁ」
「あっ!パーティーまでにドレスが入るようにこのお肉減らさなくちゃ!」
「そういえばそうねぇ。私もこのお腹じゃ前のドレスが入らないわ」
「おほほっ!」
「うふふっ!」
「ははっ……」
皆が笑ってるから俺も笑おうとしたけど笑えない……。乾いた笑いが漏れるだけだ。それがわかっているなら何故もっと前からシェイプアップしてこなかったのか……。
「古堀先生がお待ちなので私はもう行きますね」
「咲耶ちゃんまたね」
「頑張ってらっしゃい」
マダム達と話していたら俺のトレーニングが進まない。ちょっと古堀先生をダシにしてこの場から離れる。プールにやってきた俺は古堀先生に声をかけた。
「すみません古堀先生。お待たせしてしまいましたか?」
「やぁ咲耶ちゃん、待ってないから大丈夫だよ。さぁ、それじゃ今日も始めようか」
「はい。よろしくお願いします」
きちんと準備体操をしてプールに入って、慣らしてからタイムを計る。最近は古堀先生の提案で毎回のようにタイムを計っている。
「…………咲耶ちゃん、やっぱり本格的に水泳を習った方がいいよ」
「え?」
一度タイムを計った後で古堀先生がそんなことを言い出した。ひどく真面目な表情だ。
「ここは短水路だから単純に比較は出来ないけど、君のタイムは小学生の大会標準記録に近い」
「はぁ?それは私は小学生なのですから当たり前なのでは?」
古堀先生の言っていることがわからない。俺が中学生や高校生の記録並の数字を叩き出しているのなら驚くかもしれないけど、小学生が小学生の記録に近いというのは普通じゃないのか?
「あのね……、小学生の標準記録といっても百メートル自由形は十一歳や十二歳の話だよ?小学校卒業間近の子達のレベルに極めて近いということがどれほど驚くべきことかわかるだろう?」
「あ~……」
まだあまりよくわかってないけど、小学校二年生の子が、五年生や六年生に近いくらいの記録だったらそれは確かにそこそこすごいのかもしれない。まぁ完全に並んでるとか超えてるわけじゃないようだけど、今の時点でそれだけ泳げるなら将来性を買って、今のうちから専念しておいた方が良いというのはあるだろう。
「私は水泳に懸けているわけではないので……」
「はぁ……。本当にもったいないね……」
そうは言われても九条家のお嬢様だしな……。ここが『恋に咲く花』の世界じゃなければ、俺が咲耶お嬢様じゃなければ、水泳選手を目指して頑張ってみてもよかったのかもしれないけど……。
それに俺は長く泳いだり、長時間立ち泳ぎするのは得意だけど、速く泳ぐのはそんなに得意じゃないと思う。中途半端に百地流と普通の水泳が混ざっているから余計悪いんだろう。
古式泳法は重い装備をつけたまま長距離泳いだり、火縄や刀を濡らさないように泳いだり、そういう技術に特化している。だから現代水泳的な速く泳ぐことに特化している技術とは根本的に別だ。
「咲耶ちゃんの人生だしご家庭の事情もあるとは思うけど……、早く決断するほど良いと思うよ。こちらから無理に言うことは出来ないんだけど、出来れば折角のその才能を埋もれさせるのはもったいないと思う」
「はい……」
そう言ってくれるのはありがたいけど、それだって俺より優れた子達は他にもたくさんいるだろう。俺がそこそこ良い位置にいるということはわかった。でもそれは結局そこそこでしかなくて、それも小学生だから通用している部分もあるだろう。
転生者である俺は幼少の頃から他の子達に比べて有利な位置にいる。でもそれは俺やこの体の才能じゃなくて、精神的に大人だからという側面が大きい。今後大人になってきて体が出来てきたら、周囲も精神的に成長してくるし、才能も伸びてくる。
そうなった時に先に精神的に大人だったから有利なだけだった俺が周りについていけるとも思えない。子供の時は神童でも大人になったらただの人だ。そういうケースは往々にしてある。
古堀先生が言うように、これからの頑張り次第でそこそこまではいけるだろうけど、それでもやっぱり本当に才能のある者には追いつけないだろう。
自分の才能の限界を知るのが怖いから……、というわけじゃないけど、やっぱり才能もあって一生懸命頑張っている子達がそういう道に進むべきだろう。俺はただの趣味というか体作りの一環でやってるだけだしね。
「その気になったらいつでも言ってくれたらいいよ。いつでも良い所を紹介するから!」
「はい。ありがとうございます」
そこからは古堀先生もしつこく言うことはなく、いつも通りのメニューをこなしてグランデを後にしたのだった。
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「遅い!」
「ぐぇっ!」
「何をしておる!」
「うげっ!」
「お前には才能の欠片もない!」
「きゅー……」
ビタンッ!バタンッ!と床に叩きつけられる。百地流の修行は地獄だ……。
古堀先生は俺には才能があるとか、もっと上を目指した方が良いって言ってくれるけど、百地流の道場に来たら、才能がないだの、センスがないだの、何度言っても覚えないだの、散々なことを言われる。実際いつも師匠に投げ飛ばされるだけでまるで上達した気がしない。
弓術や馬術は良い。実際に成長が実感出来る。最初は的に中りもしなかったのに、今では中るようになってきた。馬にだって乗れるようになってきた。
でも他の修行はそうじゃない。柔術も剣術も杖術も、一切師匠に触れることがない。何をやってもまるで通用せず、全て完全に、完膚なきまでに叩きのめされてしまう。
「師匠……、私は少しは上達しているのでしょうか?」
「あ~?しとるわけなかろうが。咲耶には才能の欠片もない。お前が今よりマシになるには何度も反復練習を繰り返し、体に覚えさせ、努力するしかない。人より才能がなく劣る者はその分だけ努力するしかないじゃろう?」
うぐっ!心にグッサリ刺さったぞ……。そりゃ俺には才能はないのかもしれないけど……、その言い草はあんまりじゃないか……。俺だって人間の心くらいは持ってるんだぞ?気にもするし、悲しみもするんだぞ?
でも何か安心するな……。古堀先生みたいに才能があるとか、もったいないとか言われるとこそばゆくなると同時にそんなことはないと思ってしまう。
俺が同級生達に比べて多少有利なのは精神的に大人なことと、早めに先を考えて行動してきたお陰だ。子供なら将来を考えて行動したり、先を見据えて準備するのはもっと先になってからだろう。それを俺は今のうちから準備してきたお陰で周囲より少しだけリードしているに過ぎない。
もしこれから本当に才能のある者がそれに目覚め、本気で努力してきたら俺なんてあっという間に追い抜かれてしまう。それがわかっているから古堀先生の言葉や期待がこそばゆい反面、それに乗せられて調子に乗ったらまずいという気持ちにもなってしまう。
それに比べて百地師匠は俺に才能があるなんて言うことはない。それどころか毎回全否定されているのかと思うほどに罵倒されたりする。罵倒されて気持ちよくなってるわけじゃないけど、何というか……、元々小市民だった俺は普通とか才能がないと言われたら妙に安心してしまう。
でも水術でもかなり泳げるようになったし、馬術では馬にも乗れるようになってきた。弓術でも的に中るようになってきたし、一切何も成長していないということはない。確かに成長しているといえる成果も出ている。
ただなぁ……、やっぱり武術とかには才能がないのかもしれない。師匠から一本取る!というのは簡単じゃないのはわかってるけど、未だにまるで相手にもならないんだからなぁ……。
「ほれ!休憩しとる場合か!次にいくぞ!」
「ひぃっ!」
今日も師匠は俺をしごいてくれる。でもそれは俺が憎くてじゃなくて、師匠なりの優しさなんだと思うとこの地獄の修行も耐えられる。
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夏休みの重大イベント、家族旅行の日がやってきた。今年も去年に続いて国内だ。日数の都合もあるから海外に行っているほど余裕がなかった。近衛家のパーティーさえなければゆっくり海外にも行けたかもしれないけど、今年は近衛家のパーティーのせいで……。
まったく!思い返すたびに腹が立つ!全ては近衛家のパーティーのせいだ!
飛行機に乗って北に向かう。今年は去年の別荘とは別の場所だ。予定を決めている母が同じ場所を何度も連続で選ぶはずがない。だだっ広い北の大地を堪能した俺達は一週間ほどで慌てて戻ってきた。
いつもなら二週間くらいかけてある程度ゆっくり旅行出来るというのに、たった一週間でとんぼ返りなんて忙しい日程なのは全て近衛家と伊吹のせいだ。パーティーで会ったら嫌味の一つでも言ってやりたい。
そしてついに……、とても嫌な、嫌な……、嫌なパーティーの日がきてしまった。出来れば行きたくない。突然熱が出たりしないかな……。お腹が痛いくらいじゃ通用しないだろうから、明らかに熱でも出れば母も折れてくれるだろう。
でもそんな俺の期待も空しくこの体は健康そのものだった。か弱いお嬢様の肉体のはずなのに旅行に行ってすぐなのに疲れも溜まっていないとかどういうことだ。普通なら旅行の疲れで熱くらい出てもおかしくないはずだろう。
「咲耶、用意はいいかい?」
「はい、お兄様……」
行きたくないけど……、覚悟を決めて兄と一緒に車に乗り込む。中等科に上がっている兄だけど、兄だって呼ばれている。今日のパーティーはかなり大掛かりだ。参加者も多いと聞いている。
行きたくないパーティーだけど、唯一の楽しみは薊ちゃんや皐月ちゃん、それに茅さん達女の子のドレス姿が見れることだけが俺の心の支えだ。