第百十七話「たまには父と出掛ける」
槐に変なことを言われてからビクビクしながら学園に通っているけど、今の所変な噂とかは流れていないようだ。担任の先生も普通にしているし、校長や理事長に呼び出されるということもない。生徒達だって別に俺達が外食に出掛けたことに何も言っていないようだし、案外心配のしすぎだったかな。
まぁ他の生徒達だってきっと家族で外食とか言って許可を貰っておきながら、他の友達と示し合わせて外食を楽しんだりくらいはしているはずだ。だから今の所はそれほど際立って噂になるというほどのことでもないんだろう。
ただ俺の知らない所で噂されている可能性はあるし、今後何かあった際にアレもコレもと噂や悪評の原因になる可能性はある。あまり下手なことや悪評になるようなことはしない方がいい。
今回はもう過ぎてしまったことだからどうしようもないけど、これからは気をつけなければ……。
俺にそんなつもりがあろうがなかろうが、正規の手段をとっていようがいなかろうが、それを判断するのは俺じゃないということだ。俺が何かするたびに俺が望むと望まざるとに関わらず『五北会だから』『五北家だから』という判断がついてまわる。その意味をもう一度きちんと理解しておかなければ……。
「おい咲耶!」
「はぁ……、何ですか?」
サロンのいつもの席で寛いでいると伊吹に声をかけられた。この礼儀知らずのクソガキには人との話し方というものを叩き込んでやろうか?
「今年はうちのパーティーに来るんだよな?」
「ええ、(不本意ながら)参加させていただきます」
本当は大きな声で本音を語りたいけど、俺は大人だからそんな馬鹿な真似はしない。
「そっ、そうか!楽しみにしているぞ!」
「え……?はぁ……?そうですか?」
伊吹はそれだけ言うとズンズンと肩を揺らして歩いて行った。何だったんだ?今のは?まったく意味がわからない。
「そう。咲耶ちゃんも来るのね。お姉さんも楽しみだわ」
「ひぇっ!かっ、茅さん……、いつからそこに……」
急に後ろから声をかけられて驚いた。中等科に上がってから茅さんは初等科のサロンに来るまでに時間がかかるようになった。そりゃそうだ。中等科の校舎からこちらに来るまでそれなりに距離がある。初等科の校舎からサロンに来るのと、中等科の校舎から初等科のサロンに来るのでは所要時間が違うのは当たり前だ。
だから茅さんはいつも俺より後に来るようになっていたけど、今日はまだ来ていなかった。それなのにいつの間にか後ろに立っていたら驚くなという方が無理な話だろう。
「ふふふっ。お姉さんはね、咲耶ちゃんがいる所ならばどこにでもいるのよ」
後ろからそっと抱き締められる。何か手つきが妖しい。体を撫で回されているようなこの手の動きは何だ……。ただ抱き締めているのとは明らかに違うと思うんだけど……。
「そっ、そうですか……」
でも特に不快ということもないし振り払うほどのことでもない。むしろ俺も茅さんに同じようにしてみようかな?まぁ今は俺が後ろから抱き締められているんだから、こちらから茅さんを抱き締め返すことは出来ないけど……。
「ちょっと正親町三条様!咲耶様に触りすぎです!」
「咲耶ちゃんこちらへ!」
俺と茅さんがそうやってじゃれあっていると薊ちゃんと皐月ちゃんが飛んできた。派閥も門流も放り出して慌ててきたようだ。
三人がぎゃーぎゃーと言い合いながらじゃれあっている。皆本当に仲良しだなぁ。こうやって言い合いをしているようで、実は三人とも楽しんでいるということを俺は知っている。皆親しいからこそこうして思ったことも言い合えるんだ。
とても微笑ましい光景を眺めながら俺は再び席に座ってその様子を眺めていたのだった。
~~~~~~~
休日である今日は父とお出掛けしなければならない。父は近衛家のパーティーの準備だと言っていたけど、実際はただ俺と出掛けたかっただけなんじゃないかなと思う。俺と父はあまり『父と娘』としての接点がない。同じ家で生活しているし、食事も一緒にする。会話だってある。でもそれは普通の『父と娘』とは呼べないだろう。
九条家という巨大な名門の家柄だからというのもある。俺が元成人男性の転生者で前世の意識や記憶があるからというのもある。何か一つの原因があって、というわけじゃなくて複合的に様々な要因が絡み合った結果だ。だから一言で何が原因と言うことは出来ない。
「今日はパパが何でも買ってあげるぞ」
娘と出掛けられるのがうれしいのか、父は車の中でそんなことを言っていた。
「いいえお父様。そのような必要はありません。こうしてお父様とお出掛け出来るだけで私は十分です」
「おっ……、おおっ!咲耶!いいんだよ!全てパパに任せなさい!」
俺の言葉を聞いて父はますます張り切っていた。俺は何も父をおだてて買い物をねだろうと思っていたわけじゃない。本当に……、心の底から、普通にただこうして父とお出掛けするのを楽しもうと思っていただけだ。
思い返せば父と親娘らしいことは何一つしたことがなかった。だからたまにはこうして買い物に出掛けるのも悪くないと思っていただけなのに……。
父というのはどこでもやっぱり娘に甘いものなんだろう。しかも甘やかし方を間違えている。何でも買い与えたり、わがままを聞いてあげれば良いというものじゃない。その辺りがわからないから父親というのは娘に甘く、母親に怒られるんだろう。
まぁ今回の件に関しては俺があれこれ父に買わせなければ済む話だ。俺が咲耶お嬢様だったなら最大限父に甘えてあれこれ買わせたのかもしれないけど、生憎俺は女児向けの物やご令嬢向けの物にはさほど興味はない。近衛家のパーティー用に最低限買わなければならない物以外は買うつもりもないしね。
まずやってきたのはドレスの寸法直しだ。俺はこのドレスが注文されていたこと自体知らなかった。両親、というか恐らく母が勝手に注文したものだろう。
サイズも測っていないのにオーダーメイドで俺に知られずに勝手に注文出来るのかと思うかもしれないけど、俺はあちこちでしょっちゅうオーダーメイドであれこれ作ってもらうから、日頃から体のサイズは測られている。だからその気になれば俺に知られずに注文すること自体は可能だ。
そしてだからこそ母の考えも透けて見えるというものだろう。
もし俺に対して何もやましいことがないとか、普通に近衛家のパーティーに参加させようと思っていたのなら、俺も一緒に連れて採寸して注文すればよかった。それなのに俺は呼ばずに他で測ったサイズだけを利用して勝手に注文している。
完全に母の考えや思いがわかるわけじゃない。だけど少なくとも俺に近衛家のパーティーに参加するように言うのをギリギリまで黙っていたかったか、言い難いと思っていたのか、何かしらそういう感情があったのは間違いないだろう。
いや……、よそう。そのことを蒸し返すのはもうやめようと思ったばかりだ。
いくら俺が精神的に成年しているつもりでも、周囲から見ればただの小学校二年生の子供にすぎない。両親には両親の考えもあるだろうし、子供に言えない事情もあるだろう。それらも考えずにただ反発するだけではまさに俺は精神まで子供になってしまう。
ただ黙って大人に都合の良い、聞き分けの良い子供になるつもりはないけど、だからって反抗期の子供のように反発するだけも違うだろう。相手に信用されたければ、まずはこちらが相手に信用してもらえるだけのものを示さなければならない。
「これは少し派手ではないですか?」
「そうかい?パパはとても良く似合っていると思うぞ」
う~ん……。光沢のある深い青のドレスだ。確かに一見真っ赤なドレスというほど派手ではないように思えるけど、これは子供が着るにしては随分と大人びているように思える。
派手というのは何も色や形が目立つというだけじゃない。色は控えめでもデザインや、着用者の年齢と合わないものも派手に感じるだろう。
例えば……、普通のどこにでもある子供服を子供が着ていてもまったく目立たないけど、大の大人がそういった子供服を着ていたら異常に目立つ。つまりはそういうことだ。
「気に入らないのなら新しいドレスを注文するかい?」
「あっ……、いえ……」
そうか……。このドレスにケチをつけるということはそういうことになるのか……。今更他の色やデザインが良いと言うことは、すなわちこのドレスは死蔵するのかキャンセルして新しいドレスを作り直すということを意味する。
九条家にとってはその程度の費用はどうということもないのかもしれないけど、ただ子供が気に入らないからという理由でそんなホイホイとドレスをキャンセルしたり、もう一着注文したりして良いものではないだろう。それこそわがままな子供だと思われてしまう。
父はそんなこと気にしていないのか、他のドレスがよければ他のものに変えようとか、他にもあれこれ注文しようとしていたけど俺が止めた。父に任せていたら余計なものまでたくさん注文されてしまう。
「昼食の予約はもう入れてあるんだよ。咲耶が好きなあのお店だ」
「え!?あそこですか?ありがとうございますお父様」
どうやら父は俺のご機嫌を取ろうと思って今日のために色々準備をしていたようだ。俺のお気に入りの店を予約していたらしい。父と二人でランチを楽しむ。休日だけあって親子連れなどもそれなりにいた。
食事を楽しんだあとはあちこちのお店を見て回る。たぶんチョイスは母やメイド達に聞いたんだろう。父が俺の行きそうな店をこんなに把握しているはずがない。
結局のところ、今日の父はエスコート役ではあるけど、プランを考えたのは誰か別の者だというわけだ。でなければ父がこんなにうまくやれるとは思えない。仕事の取引や会談はうまくするんだろうけど、あまり一緒に出掛けたこともない二年生の娘をここまでエスコート出来るわけがない。
まぁそれを問い詰めるのは無粋というものだ。父は父なりに俺とスキンシップを取ろうと色々頑張ってくれた。その結果今日俺は色々と楽しめた。それだけでいいじゃないか。
普段はあまり父と娘として接する機会もないけど……、たまにはこういうのも悪くない。むしろ父に余計な気を使わせて悪かったような気がしてしまう。
「今日はありがとうございましたお父様」
「えっ!?さっ、咲耶がパパにそんなことを言ってくれるなんて……」
父は何故なジーンとして泣いていた。いや、俺だって父にお礼くらい言うことはあるだろう?何か人が父を蔑ろにしていたり、お礼も言わない人みたいに言うのはやめてもらいたい。
「咲耶!お礼ならお父様じゃなくてパパと呼んでくれてもいいんだよ?」
あ~、はいはい……。そんなにパパと呼んでほしいのね……。わかりましたよ……。
「ありがとうパパ!」
「はうっ!いいんだよ。いいんだよ咲耶!全てパパに任せなさい!」
うん。何か知らんがチョロインすぎるな。これからはスーパーチョロイン九条道家と呼んであげよう。
いや、やっぱりやめとく……。
ランチは食べたけどディナーまでには帰るようだ。どうせならディナーも外食かと思ったけど、俺はまだ小学校二年生だし、そんなに遅くまでウロウロさせるつもりはなかったらしい。
帰ってからも父は上機嫌で、母は父に一体俺に何をどれだけ買い与えたのか問い詰めていた。どうやら母は俺が父におねだりしまくって、それで父があんなに上機嫌になっていると思ったらしい。随分失敬な母だ。
俺はほとんど父に何も買ってもらっていない。メインはあくまでドレスの直しであって、他はちょっとお店を見て回っただけだ。ランチの予約は俺がしたものじゃないから事前にわかっていたことだろうし、父が浮かれているのも俺がパパ呼びしたからだろう。
裏で母に追及されている父がいたけど俺は口を挟まない。俺が余計なことを言っても面倒なことになるだけだし、母だってカードの支払い明細でも見れば今日は大して何も買っていないことをわかってくれるだろう。
それにしても母は何故ああも俺を信用しないのか……。俺が今まで一度でもおねだりをして大金を使わせたことがあるだろうか?父は俺に甘いとはいえ、俺が父に無駄遣いしないように言い含めているから余計な買い物もほとんどしていない。
まぁ母も金額を気にしているわけじゃなくて、父が俺を甘やかせないように注意しているわけだけど、俺ってそんな風に思われているのかと思うと悲しくなる。
「咲耶、今日は楽しかったかい?」
「お兄様……。はい。お父様のお気遣いに感謝しております」
結局今日のお買い物は父なりの俺へのご機嫌取りだろう。近衛家のパーティー参加を勝手に決めたから、そのフォローのつもりだったに違いない。
それはわかっているけど確かに俺も今日はそれなりに楽しんだ。だから素直に父に感謝して、母に追及されているのを横目に自室へと戻ったのだった。