第千百三十七話「お茶会メンバー染まる」
竜胆達や木通達は夏休み早々に九条家のお茶会に招待されていた。家族旅行はまだ先の予定の者が多く、宿題や勉強もまだ差し迫っていない。確かに夏休み初期の方がまだ余裕があるので都合が良いのだが、何故いきなり中等科や初等科の五北会メンバーまで九条邸に呼ばれているのかわからなかった。
「私は竜胆お姉様が言われるから来ただけでまだ九条様に気を許したわけじゃありませんから!」
「はぁ……。木通はどうしてそうなのかしら……」
九条邸に訪ねる前に各科のサロンメンバーで集まっていると木通は竜胆に対してそう宣言した。
木通が九条家のお茶会にやってきたのはあくまで竜胆に誘われたからであり、決して九条家や九条様に言われたから従っているというわけではない。木通は敬愛する竜胆お姉様に誘われたから仕方なくやってきたのだ。九条様のことなど何とも思っていないし恐れてもいない。
「さすが九条様のお屋敷は凄いですね」
「素敵な庭園……」
「九条様にお茶会に誘っていただけるなんて今年はラッキーでしたわ」
竜胆と木通が離れて話していると他の招待客達がそんなことを言い合っていた。それに木通は面白くないものを感じたが他人のことにまでとやかく言うつもりはない。
昔は少々やんちゃというか跳ねっ返りだった木通だが、今では竜胆に認められてサロン最奥に置かれている女帝の椅子を継承している初等科五北会の会長なのだ。女帝の椅子を継承出来るのはただ五北会で最有力であるとか、会長になれば良いというものではない。
女帝の椅子に座るに相応しい貫禄と女性らしい所作を身に付けて初めて継承出来る由緒正しいものなのだ。その椅子の継承が出来るように木通は必死に頑張ってきた。そのお陰で今では初等科の淑女であり女帝といえば広橋木通だと言われるまでになっている。
そんな淑女の鑑でもある木通は自分が九条様を気に入らないからといって、九条様のお茶会に招待されて浮かれている子達に苦言を呈したりはしない。そういう子がいることも認める。そもそも想定内のことだ。
「どうして木通はそんなに咲耶お姉様に食ってかかるのかしらね?」
「それです……」
「え?」
「……いえ。なんでもありません」
「「…………」」
木通が何か言ったはずだがそのことを聞き返しても答えてくれる様子はなかった。しばらく木通のことを見詰めてから竜胆は『はぁ……』と大きな溜息を吐いて肩を竦めた。しかし木通にも譲れないものがあるのだ。
「(私が敬愛する竜胆お姉様に『お姉様』呼びされるなんて……。私は認めませんから!)」
今日のお茶会の狙いが何かは分からない。もしかしたら竜胆お姉様に何かをするつもりで呼び出したのかもしれない。それならば自分が九条様を警戒して竜胆お姉様を守らなければならない!木通はそう考えて今日は絶対に竜胆お姉様をお守りするのだと心に誓ったのだった。
~~~~~~~
「咲耶お姉様!本日はお招きいただきありがとうございます!」
「ようこそ竜胆ちゃん。よく来てくださいましたね」
「はいっ!」
九条邸のサロンに通された面々はまず九条様に挨拶を行う。竜胆が中等科五北会会長として挨拶するのは当然だった。しかし九条様にキラキラと熱い視線を送っている竜胆を見ていると木通は嫌な気持ちになった。竜胆お姉様は自分だけのお姉様なのに……、という気持ちが抑えられない。
「お招きいただきありがとうございます九条様」
「お久しぶりですね木通ちゃん」
「私もちゃんと竜胆お姉様に認めていただいてあの椅子を継承しましたから!」
「はぁ?」
竜胆の次に初等科五北会会長として木通が挨拶を行った。しかしそこでつい余計なことを言ってしまった。言わなくとも良いことを何故わざわざ言ってしまったのか。もちろん言った本人は自覚しているがそれを認めるわけにはいかない。
「木通ちゃんもよく来てくださいましたね。これまでは同じ科に通ったこともなく少し顔を合わせるだけでしたが、折角ですので今日の機会に仲良くしましょうね」
「なっ!?何を企んでおられるんですか!」
しかし九条様は木通を咎めるでもなければ何か言われるでもなく、ニッコリと優しそうな笑みを浮かべてそんなことを言われた。お叱りを受けるくらいの覚悟はしていた木通は九条様の狙いが分からずに自分の方が困惑してしまっていた。
「え~……、こうしていても始まりませんね。それでは皆さんお茶会を始めましょう」
「「「はい」」」
一通り挨拶が終わると本格的にお茶会が始まった。しかしお茶会が始まってからも信じられないことが起こって木通を困惑させる。
「こちらのテーブルは私がお茶を淹れますね」
「ありがとうございます咲耶お姉様!」
「えっ!?九条様が手ずからですか!?」
なんと九条様が手ずからお茶を淹れてくださるというのだ。自分達のような初等科五北会メンバーなど九条様から見れば子供も同然だろう。それは年齢差や実際に子供だからというだけではなく、今の初等科五北会には小粒のメンバーしかいない。
所謂黄金世代と言われる九条様前後の世代は大物貴族の子女が多い。五北家、七清家の子女の多くがその前後の世代に固まっており、少々離れた世代まで含めれば大臣家までほとんど揃っている。そんな黄金世代の中でも最上位である九条様から見れば初等科五北会メンバー達など小物も小物だ。そんな相手に九条様がわざわざ手ずからお茶を淹れてくださるという意味がわからない。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……」
竜胆のような七清家のご令嬢ならばともかく、初等科五北会会長とはいえ名家でしかない木通の前にもちゃんと九条様が淹れてくださったお茶が置かれた。そのことに木通は若干緊張する。
全員にお茶とお茶請けの準備が終わってから九条様は竜胆お姉様と何かを話していた。木通はそれを見てまた若干のジェラシーを覚えた。
「それでは皆さん、召し上がってください」
「いただきます」
「んっ!おいしい!」
「さすがは九条家のお茶ですね」
「このお茶請けもおいし~!」
「お茶ととっても合います」
お茶会が始まってお茶とお茶請けを味わう。確かに滅茶苦茶おいしい。この中には全て使用人任せで自分で美味しいお茶を淹れることも出来ない者も居るはずだ。かく言う木通もお茶なんて淹れられない。見よう見真似で注ぐことは出来ても味は美味しくならないし、淹れる際の作法や注意点もわからない。しかし九条様は完璧に出来ていた。
木通にいつもお茶を淹れてくれるメイドよりも所作も美しく、お茶の味も美味しく淹れられている。九条家のご令嬢ともあればそんなことをする必要などないはずなのに、一分の隙もなくありとあらゆることを完璧にこなしているのだ。
「ちょっ……、ちょっと紅茶を淹れるのが上手いくらいで……」
木通は内心その味や茶葉やお茶請けの選び方のセンスなどに感動しながらも、それを認めるのは癪で絶対に認めないでおこうと心に誓った。
「どうですか?木通ちゃん。楽しんでいただけていますか?」
「なっ、何で私のところに来られるんですかっ!」
竜胆お姉様をはじめとした中等科五北会の上位メンバーなどが座っているというのに、九条様は何故か自分に声をかけてきた。話をするのならもっと年齢が近いとか、立場や家格が近い相手がいくらでもいる。木通がこのテーブルに座れているのはあくまで初等科五北会会長だからであり、本来家格などから考えれば分不相応と言わざるを得ない。
この席で居心地悪く座りながら竜胆お姉様の姿でも眺めて楽しもう。そう思っていたというのにどうして主催者である九条様が自分になど声をかけてくるのか。それを僅かに考えて木通は閃いた。
九条様は主催者なのだ。だから全体を俯瞰して退屈していそうな相手が居れば相手をしなければならない。空気が悪そうな所は話題を変えたり、話題に入れていない者が居れば話を振ったりする。だから自分にも声をかけてくれただけだ。
主催者としてはそれで良いのだろう。いくらあの椅子を引き継いだ淑女となった木通でもまだそんな境地には至れていない。それは九条様が高等科三年生にもなられている大人だから自分と違っても仕方がないのだ。ただ木通としては自分をそんなポイント稼ぎのように利用されることに若干腹が立った。
「ええっ!楽しませていただいておりますよ!お茶もお茶請けもおいしいですし、お姉様方のお話はとてもためになります!」
「「「…………」」」
木通のトゲのある言葉に周囲の者達はポカンとしていた。これだけ言えば九条様も怒って自分に関わろうとしてこなくなるだろう。そう思っていたのに……。
「ごめんなさい木通ちゃん。木通ちゃんには気に入っていただけなかったようですね……」
先ほどまで優しそうな笑みを浮かべていた九条様の表情が曇ってしまった。長い睫毛を伏せて申し訳なさそうに頭を下げている。それを見て木通は一瞬にして血の気が引いた。
「あああぁぁっ!頭を上げてください九条様!楽しんでますから!嫌味で言ったんじゃないんです!ただ素直にそう言ったら負けたみたいで悔しいから見栄を張っちゃったんです!あっ……」
「「「…………」」」
木通が気付いた時にはもう遅かった。その言葉を聞いて目を丸くしていた周囲のお姉様達は……。
「ぷっ!」
「うふふっ」
「広橋さんらしいですね」
「あああぁぁぁっ!わっ、忘れてください!今のはなしで!」
一瞬凍りついていた空気も木通の告白で和やかな空気に一変していた。中等科五北会のお姉様達とは初等科五北会の時にずっと一緒だったのだ。いくら今の木通が淑女になったとはいえ、入学当初の頃の生意気で怖いもの知らずだった時のことも知られている。初等科五北会会長となった今も頭が上がらない相手だ。
「まぁ!そうだったのですか木通ちゃん。それならばよかったです」
「ぁ……」
そして……、先ほどまでの曇った表情から一転して九条様はまるで花が咲いたように素敵な笑顔を見せてくださっていた。その笑顔を見た瞬間木通の中で何かがトゥンクと跳ねた。
「咲耶お姉様……」
「え?木通ちゃん?今何と?」
「あっ!いえ!何でもありませんから!」
木通の口から知らない間にそんな言葉が漏れていた。駄目だ。認めるわけにはいかない。自分のお姉様は竜胆お姉様だけなのだ。その竜胆お姉様にお姉様と呼ばれている九条様など絶対に認めたくない。それなのに……。
「ああ、そうです。木通ちゃん、こちらのお茶請けもお薦めですよ。はい、どうぞ」
「えっ!?いや、あの……」
九条様が先ほどまで木通が食べていたのとは別のお茶請けを勧めてきた。それも九条様が先ほどまで使われていたフォークであ~んをしようとしている。竜胆お姉様にもあ~んをしてもらったことがないというのに、一番初めてのあ~んを九条様に奪われるわけにはいかない。そう思うが九条様に勧められて断ることも出来ない。
「さぁ。あ~ん……」
「うっ……、うぅ……、あ~ん……」
ついに観念した木通はあ~んしてしまった。その口にそっとフォークが入ってくる。木通は初めてあ~んされてフォークを受け入れてしまったのだ。
「(あぁ……、私穢されちゃった……。もうもどれにゃい……。しゃくやおねえしゃま~~~っ!!!)」
口に入れた瞬間広がる咲耶お姉様の味に木通はもう自分は戻れないことを悟った。優しい笑顔が好き。凛々しい姿が好き。それなのにすぐに泣きそうな顔をされる所も可愛い。竜胆お姉様が咲耶お姉様のことをお慕いしているのも当然だろう。木通だって本当はずっと前から咲耶お姉様とお呼びしたかったのだ。
ただ大好きなお姉ちゃんである竜胆お姉様が『咲耶お姉様!』『咲耶お姉様!』と言われているのが面白くなかったから筋違いの逆恨みをしていただけだ。でももういい。いや、もうだめだ。木通は咲耶お姉様に優しく初めてを奪われたことでその気持ちをせき止めていたダムが崩れてしまった。もうこの気持ちは止められない。
「あ~ぁ……、木通ったら……。目をハートにしてあんなにだらしない表情を浮かべちゃって……」
「久我様はヤキモチですか?」
「なっ!?ちっ、違うわよ!」
「違うんですか?それでは久我様は九条様にあ~んしていただかなくても良いと……」
「駄目!私もしてもらう!」
同じテーブルのメンバーが軽く竜胆のこともからかうと竜胆はすぐにそう言って咲耶の方へと身を寄せた。
「咲耶お姉様!木通だけじゃなくて私にもあ~んしてください!」
「竜胆ちゃんは甘えん坊さんですね。はい、あ~ん」
「あ~ん……。おいちぃっ!」
「「「「「キマシタワー!!!」」」」」
九条様達のテーブルの様子を窺っていた他のテーブルのメンバー達も、九条様や竜胆や木通の様子を見て歓声を上げたり、頬を上気させたり、体をモジモジさせながらその場面を一瞬たりとも見逃すまいと目を見開き脳に刻み込んでいたのだった。




