第千百十三話「無防備な咲耶様の夜這いの難度」
修学旅行の一日目は宿に着いたらすぐに眠りに落ちてしまっていた。しかしそれはメンバー達にとっても想定内のことであった。いくら機内で仮眠を取るとしても自国との時差とフライト時間を考えればそうなることはわかっていた。わかった上で初日に同室になったのだ。
折角のチャンスで咲耶に悪戯も出来ずに眠ってしまう。それでは一日分損をするとか無駄になるように思える。だがただ不利になったり損をしたりするだけでは誰も初日の同室メンバーに立候補しなくなる。修学旅行中に同室になれる機会は一人二回だ。そのうちの一回を棒にする初日のメンバーは咲耶様のことに関して一回だけ他のメンバーより優遇される権利が与えられることになっている。
予想通り初日は食事と入浴を済ませたら眠ってしまった。咲耶様が入られた後のお風呂の残り湯は全員で均等に分けている。咲耶様に気付かれないように同室メンバーが気を引いているうちにお風呂場に招き入れた他の部屋のメンバー達がお湯を運び出し、残ったお湯は同室のメンバーで楽しむ。
それが終わったら気絶するように倒れてしまったが二日目はそうはいかない。二日目のメンバーからは本気だ。本気で咲耶様に悪戯をしようと目をギラギラさせていた。
「さぁ……、咲耶様はお風呂に入られたわね……」
「ぐふふっ!」
「ふへへっ!」
「「あはは……」」
何やらいやらしい笑みを浮かべているメンバー達に花梨と向日葵は苦笑いを浮かべた。しかし自分達も遠慮したり手を引くつもりはない。ここにいる以上は花梨も向日葵も参加するつもりで来ている。
「まず最初に言っておくけど……、紫苑!やりすぎるんじゃないわよ!」
「何よ?何で私だけそんなこと言われるわけ?」
「それは紫苑がこういう場に初参加なのに日頃から無茶ばかりしてるからよ!あまり無茶をしすぎて咲耶様に不審に思われたら終わりなんだからね!ちゃんと注意して自制しなさいよ!」
「薊だって欲望のままに行動する癖に!」
薊の言葉に紫苑は反発してそう言った。どちらの言っていることも分かるというか、どっちもどっちなので他のメンバー達は苦笑いするしかない。しかしただ苦笑いしていれば良いというものでもなかった。あまり下手に騒げば咲耶様に気付かれるかもしれない。何より今回のことを成功させるには全員の協力が不可欠なのだ。
「まぁまぁお二人とも……」
「ここは全員で協力しましょう?」
「ね?」
「「……ふんっ!」」
薊と紫苑は一瞬お互いの顔を見てからフンッ!と逆方向に逸らせた。だが言われていることはその通りなので一先ずこれ以上言い争うのは止める。
『ふ~んふふ~ん♪ふ~んふふふ~ん♪ふふふんふんふっふっふ~ん♪ふっふっふ~ふふふ~♪』
「「「「「…………」」」」」
ソロリソロリと近づいた浴室から咲耶様の鼻歌が聞こえてきていた。それを聞いて同室メンバーは顔を見合わせた。
「(どうやら咲耶様は何も気付かずに上機嫌にお風呂に入られているようね)」
「(そうね。でも一つ疑問があるわ)」
「「「…………?」」」
紫苑の言葉に他のメンバー達は顔を見合わせた。こんな真剣な表情の紫苑を見ることは滅多にない。一体何事かと思って真剣に耳を傾けた。そして……。
「(咲耶様の鼻歌って時代劇の主題歌が多いと思うのよ。咲耶様って時代劇がお好きなのかしら?)」
「「「…………」」」
「はぁっ!?この後に及んで今更そんなこと!?ちょっと紫苑!いい加減にしてよね!あとボカロPの時も結構あるわよ!」
「シーッ!薊ちゃん!シーッ!」
「んん~~~っ!」
紫苑の言葉に一瞬ポカンとしたメンバー達だったが薊はカッ!と目を見開くと大声を上げてしまっていた。茜が慌てて薊の口を押さえる。
『……ん?』
「「「「「…………」」」」」
咲耶様の鼻歌が止まってシーンとしている。恐らく薊の叫びを聞いて外の様子を窺われているのだろうと思われる。メンバー達は息を殺してジッと咲耶様の意識が逸れるのを待った。
『ふ~んふ~ふっふっふ~ふ~ん♪ふふふんふ~ふ~ふ~ん♪ふ~ふふ♪ふっふ~ふん♪』
「(ほら!また別の時代劇!やっぱり時代劇がお好きなのよ!)」
「「「「…………」」」」
少し外の様子を窺われていた咲耶様だったがすぐにまた鼻歌を歌い始めていた。どうやら注意が逸れたようだとホッと一息つく。
「(あとそれ薊死んでるんじゃない?)」
「(……え?あっ!?薊ちゃんっ!?しっかりして!)」
「…………」
茜に口と鼻を押さえられていた薊は白目を剥いてぐったりしていたのだった。
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暫くペチペチしていると目を覚ました薊にホッとした茜だったが今はそれどころではない。今こそ咲耶様が入られているお風呂を覗く時だと五人で扉をうっすら開けようとしたその時……。
「あら?皆さんこのような場所でどうされたのですか?」
「あぁ~……」
「いやぁ~……」
「「あははっ……」」
ガチャリと開いた扉から咲耶様が出てきてしまった。遅かった。全てが遅かったのだ。咲耶様はゆっくりお風呂に入られる時は本当にゆっくり入られる。しかし逆に早い時は滅茶苦茶早い。山篭りに行っている時や朝の修行を終えた後にゆっくりお風呂に入っている余裕はない。そういう時に手早く済ませる術を心得ている。
家で椛によってじっくりケアされている時はそれなりに時間がかかるし、特に急がなければならない事情もないのでお手入れの方を優先している。だがここは自宅ではなく、同室のメンバー達が後に入るために待っている。そんな状況でゆっくり入られるほど咲耶様は後の者のことを考えずに行動されるような方ではない。
「薊のせいで手遅れじゃない!」
「何よ!元はと言えば紫苑が変なことを言い出すからでしょ!」
「まぁまぁお二人とも……」
紫苑が薊のせいだと言い出し、薊は紫苑が原因だと反論してまた揉め始めた。確かにお風呂を覗くという目的は失敗したがそれで終わりではない。ここで揉めても咲耶様に不審に思われるだけだ。まずは薊と紫苑を宥めて次の作戦に移行する。
「それじゃ咲耶ちゃん、体を拭いて髪を乾かしましょう!」
「え?えぇ……。あの二人は放っておいて良いのですか?」
「もう大丈夫です!」
「はい!乾かしましょう!」
茜の言葉を聞いて薊と紫苑も揉めている場合ではないと気付いて咲耶の背中を押しながら部屋へと戻った。皆で咲耶のお手入れをしている間に花梨がその場から離れる。別室メンバーを部屋に招き入れて今日も残り湯を分けて持って帰ってもらう。
「あら?りんちゃんは?」
「次のお風呂の用意に向かってくれました!」
「ああ、そうですか。それは申し訳ないですね」
人を疑うことを知らない咲耶様はそう言われたら素直に信じてしまう。本当は別室メンバーを招き入れて善からぬことを企んでいるというのに、良い笑顔で後で花梨を労わなければなどと言われている。それを聞くと騙していることに若干の罪悪感を覚えるが、それでもメンバー達は欲望の方が勝っている。
『ん゛お゛お゛お゛ぉ゛っ!!!』
『あへぇっ!』
「えっ!?今お風呂場の方から何か凄い声が聞こえませんでしたか?」
「あっ!あっ!えっと!咲耶ちゃんはここに居てください!私が確認してきますから!」
ヤバイと思った茜は残ったメンバー達とアイコンタクトを取ってお風呂場へと向かった。咲耶様に今お風呂場に行かれると色々とまずいことになっているに違いない。
『(ちょっと皆さん!使用は部屋に戻ってからにしてください!)』
『(違うんだよー!茜ちゃーん!咲耶ちゃんのいつものが蒸気に乗って拡散してるからお風呂場に入るだけでああなっちゃってるんだよー!)』
『(ここで下手に吸い込むだけでも危険です。細心の注意を払いながら運び出しましょう)』
お風呂場には咲耶様が流されたお湯や水蒸気に乗ってフェロモンのようなものが拡散されている。不用意にお風呂場に入ってそれを吸い込むだけでも大惨事になっていた。昨日も同じようなことになったので注意していたはずだがそれでも抑えられなかったのだ。
「なんだかまだ騒がしいですね?やはり私が様子を見に……」
「だっ、駄目ですよ咲耶様!咲耶様はまだお風呂上りで濡れてらっしゃいますから風邪を引いてしまいます!私が見てきますから!」
その後はお風呂場に向かってはやられ、お風呂場に向かってはやられ、最初の茜が立ち直って戻ってきてもまた他のメンバーが戻ってきていないからと咲耶様が向かわれそうになり、大混乱のままにもどうにかお湯を運び出すことに成功して事なきを得たのだった。
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「ふぅ……。お風呂場では危なかったわね……」
「昨日も大惨事寸前だったから今日はもっと気をつけなさいって言ったのに!」
「そういう萩原さんもお風呂場でノビてましたよね?」
「「「…………」」」
昨日今日は辛うじて咲耶様を抑えることが出来た。しかしもう相当不審に思われているはずだ。これ以上の失敗は許されない。それなのに迂闊すぎる他のメンバー達に紫苑は憤りを覚えていた。しかし言われた通り紫苑も紫苑で大概のことを仕出かしてしまっている。
「とっ、とにかく!今日の勝負はこれからよ!」
「そうね!これからのことを考えましょう!」
「「うんうん」」
全員で気持ちを切り替えて今後のことを考える。過ぎてしまったことはもう仕方がない。大事なことはこれからだ。これから同室メンバー達は咲耶様に夜這いを仕掛ける。花梨や向日葵も覚悟を決めた表情で頷いていた。
「(咲耶様はもう眠られているわね……。行くわよ!)」
「「「「…………」」」」
深夜、咲耶様が寝静まった頃を見計らって同室メンバー達は動き出した。自分達のベッドから抜け出して咲耶様のベッドを取り囲む。ここまできたらもう覚悟を決めるしかない。
「咲耶様!」
「あっ!馬鹿!紫苑!」
「アヘッ!!!」
咲耶様の足元から一気に潜り込もうとした紫苑は……、頭を突っ込んだ時点で咲耶様のフェロモンを大量に吸い込み力尽きて気絶してしまった。それを見て薊と茜は『あちゃ~』とばかりに天を仰ぐ。
「(花梨、向日葵、良い?無防備に突っ込んだら『ああ』なるわよ。気をつけなさい)」
「「(はっ、はひっ……)」」
薊と茜は前回に同じことをやらかして身に染みている。だから気をつけろと事前に散々注意していたというのに紫苑は自爆してしまった。人の話をちゃんと聞かないからこうなるのだと呆れながら再度注意されて花梨と向日葵はガチガチに緊張しながら頷いた。
自分も下手をすればこんな無様な姿を晒す所だったのだ。……こんな、咲耶様の布団に頭だけ突っ込んでブランとベッドから垂れ下がるような無様を……。
「(ようは咲耶様のフェロモンを過剰に吸い込みすぎなければ良いのよ!私の秘密兵器はこれよ!)」
「「「(おおっ!)」」」
薊は今回の対策用に口と鼻をぴったり覆うマスクを用意してきていた。それを着用して、いざ咲耶様の左腕側から入ろうと布団を捲って……。
「ん゛あ゛あ゛ぁ゛っ!?」
体をビックンビックンさせるとそのまま左腕側に頭を突っ込んだまま飛んでしまっていた。
「「「(うわぁ……)」」」
紫苑と同じような無様を晒している薊を見て残った三人はドン引きしていた。自分もああなるのかと思うと怖くなってくる。しかしここで止めるという選択肢は存在しないのだ。
「(……迷っていても仕方がありません。次は私が……)」
そう言って茜は覚悟を決めると大きく息を吸い込んで呼吸を止めると左足の布団を捲って頭を突っ込んだ。
「ファーーーッ!!!」
「「(やっぱり……)」」
呼吸を止めたくらいで耐えられるのならとっくに対策済みになっていたはずだ。それが通じないからこそ今までずっと鉄壁として通っている。花梨と向日葵はそれを思い知った。
「(私は……、気絶する前に九条様の足に辿り着いて見せます!)」
「(あっ!吉田さん!?)」
「ヒンッ!!!」
気絶することはもう避けられない。それを悟った花梨は一直線に咲耶様の右足を目指した。しかしその布団の壁は厚く、辿り着く前にビクンビクンと体を跳ねさせてベッドにもたれかかりブランと垂れ下がってしまっていた。
これでは前回と同じだ。全員がベッドに頭を突っ込んだまま垂れ下がってしまっている。聞いていた中等科の修学旅行と同じことが繰り返されている。このままではまずい。そう思った向日葵だったが自分だけ何もしないわけにはいかない。そして気が付いた。
「(そうです……。布団に潜り込もうとするからこうなるんです……。最初から布団に潜り込まずに一緒に添い寝するように乗るだけなら……)」
向日葵は布団に頭を突っ込むのではなく、布団の上から咲耶様に添い寝するように並んで寝転がった。ただ横に寝転がるだけで向日葵もフェロモンを吸い込み失神してしまっている。しかし、他のメンバーのように布団に頭だけ突っ込んでぶら下がるのではなく、布団の上からとはいえ咲耶様に添い寝をするように気絶しているだけで済んだのだった。




