第千百四話「向日葵と花梨のドレスアップ」
五月上旬の土曜日、向日葵と花梨はとあるお屋敷に呼ばれていた。
「何度見ても立派なお屋敷ですね」
「そうですね。ですがこれでも三条家は清廉潔白の『清白』の二字を伝統の精神・家風としていて、七清家で藤原北家閑院流の嫡流でありながら非常に貧しい生活を送っていたそうですよ」
「へぇ……」
今回九条家のパーティーに着ていくドレスを朝顔に贈ってもらった向日葵と花梨はすでに何度となく三条家の屋敷に来ている。そしてその度に大きなお屋敷に圧倒されていた向日葵だが、花梨の話を聞いて『これでもまだ貧しい方だ』と受け取って驚いたような、感心したような声を漏らしていた。
「それにしても……、やっぱり由緒ある建築といっても色々と違うんですね」
「そうですね。単純な財力の違い、時期の違い、移住や移設した時代の違い、ほんの僅かな違いによってそれぞれの貴族家も大きく違うように思います」
向日葵はそこまで深く考えて言ったわけではないが、花梨はこれまで向日葵と一緒に行ったことがある貴族達の邸宅を思い浮かべて違いについて考えていた。
咲耶の前世、久遠朔矢の世界の言葉で言えば、モダンな家から歴史のある家まで様々だ。モダンといっても明治、大正期のようないかにも西洋風という館もあれば、昭和に入ってからの洋館もある。鷹司家などはもっと進んで所謂『デザイナーズハウス』と言って良いかもしれない。
また歴史ある古い日本建築と言っても、寝殿造りもあれば書院造り、数寄屋造りなど教科書で習う有名なものだけでもいくつもある。
それぞれの貴族達は家の財力、古都からこちらに移住した時期、その時の時勢、元々古都にあった邸宅を移設したのか、その場にあった土地と家を再利用したのか、その家の伝統なども含めて大きく異なる。じっくり見てみれば咲耶グループの面々の家ですら一つ一つ造りも歴史も違い面白い。
もちろん向日葵は建築フェチというわけではないのでそこまで詳しいわけでもなければ興味があるわけでもなかった。教科書に載っている建築様式は知識としては知っていても、今花梨に言われるまではそのことを意識してもいなかった。誰が友達の家にやってきてこうして見ている建築物が重要な歴史遺産だと意識するというのか。
「うわぁ……。そう言われたら私達がいつも見ている皆さんのお宅って普通に国宝や文化遺産に指定されていてもおかしくないようなものなんですね……」
「国宝はさすがにオーバーかもしれませんが文化遺産に指定されてる家や茶室くらいならあちこちにあるかもしれませんね……」
「ひぇぇ……」
二人は今更ながらにいつも気楽に、とは言えないが、訪ねている相手の家や茶室が重要な歴史遺産であることを思い出して自分の身を抱くようにして小さく震えていた。
ちょっと友達の家に行って、壁が剥がれたとか床が歪んだとしても普通の家ならどうということはないだろう。しかし重要文化財の家を壊してしまったとなれば一体どれほど大変なことになってしまうのか想像もつかない。今までも平気だったわけではないがどこか慣れて感覚が麻痺していたように思う。今日はその初心を思い出すことが出来た。
「あ~!お二人とも~!こっちですよ~!朝顔お姉ちゃんはこっちで~す!」
「御機嫌よう三条様」
「あっ、えっと……、御機嫌よう三条様」
花梨と向日葵が玄関口に近づくと朝顔が声をかけてきた。これまでドレスや化粧を合わせるために何度も来ているがそれでも向日葵の緊張はなくならない。
「ち~が~い~ま~す~!朝顔お姉ちゃんって呼んでくださぃ~」
「え~……、三条様……」
「もぅ~!朝顔お姉ちゃんです~!」
「「あっ……、あさ……、うぅ……」」
必死に言おうとして、しかしやはり二人とも言えなかった。いくら何でも三条家のお嬢様に向かって『朝顔お姉ちゃん』などと呼べるわけがない。そんな二人の様子を見て朝顔も『今日も無理だったか』という表情を浮かべてすぐにケロッとしていた。
「さぁさ~!それでは着替えましょう~」
「はっ、はいっ!」
「よろしくお願いします!」
朝顔に先導されて向日葵と花梨はもう何度も通ったことのある三条邸内を歩いたのだった。
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三条家のメイド達、お店の店員、プロのメイクやヘアメイクが集められて向日葵、花梨、朝顔の準備を進めていく。いきなり本番で初めてのはずもなく、これまで何度も衣装が出来てから調整したり合わせたりしている。だからもう何度も見たドレスとメイクのはずだが向日葵は未だに慣れない。
「うぅ……、やっぱり何度してもらっても恥ずかしいです……」
「まぁまぁ!藤原さんは素材が良いからどんなドレスでもメイクでも映えますよ~!」
営業でトークに慣れているプロの店員やメイク達はそれらしく話しながら手早く準備を進めている。向日葵もそれは営業トークだと思っているが実際にただ営業だけで言っているわけでもなかった。
仕立て屋の店員から見ても、メイクやヘアメイクのプロから見ても、向日葵の素材が良いのは間違いない。ただ本人の性格なのか少々俯き加減で自信がなさそうなのが玉に瑕だろう。こういう子も普通ならドレスで着飾りメイクを施せば自信を持ってキラキラするものだ。しかし向日葵と花梨はそれでも少々自信がなさそうにしている。
「ドレスも今年の流行をおさえてますし、メイクもヘアも良くお似合いですよ!」
「ありがとうございます」
朝顔が贈ろうとしていたドレスのセンスは少々特殊すぎた。そこで店員がうまくアドバイスして纏めたのが今着ているドレスだ。向日葵と花梨用に仕立てられたドレスは今年の流行をしっかりおさえたものとなっている。
これまで二人に贈られたドレスは大人びていたり、セクシーだったりするものが多かった。それらに比べて今回の物は言うなれば歳相応とみることが出来る。それは決してこれまでより幼いとか子供向きということではなく、若い女の子が最近の流行に合わせた良くも悪くも『ありきたり』や『普通』という意味だ。
特別派手でもなければセクシーでもなく、大人っぽくしているわけでもない。普通に十代後半の女の子が標準的に選びやすい流行のものであり、メイクもヘアもそれに合わせている。だからこそ素材の『差』が出てしまうとも言えるものだった。
「吉田さんも盛れてますよ!後で一緒に写真も撮りましょうね!」
「えっと……、はい……」
店員もメイクさんも向日葵や花梨がそれほど上流階級のお嬢様でないことを知っている。花梨はこれでも地下家のお嬢様ではあるが、三条家に呼ばれて仕立てやメイクをしているような人達からすれば驚くほどの相手ではない。
多少失礼とも言えるかもしれないが、店員やメイクさんの方としても三条家のお嬢様に対するよりも緊張せずに接することが出来るので気楽だった。なんだか友達のようなノリで仕上げていく。
「わぁ~!よくお似合いですよ~。お二人とも~!」
「「ありがとうございます」」
三人とも準備を終えてお互いにその姿を確認する。これまで何度も合わせてきたので初めて見せ合うわけでもないのに朝顔は大袈裟に喜んでいた。贈ってくれた人がそれほど喜んでくれているのに贈ってもらった自分達がマゴマゴしているわけにもいかない。
「それじゃあ~……、早速向かっちゃいましょう~!」
「「はいっ!」」
向日葵と花梨は戦闘服に着替えて、いざ決戦の地へと向かったのだった。
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三条家の車で会場となる九条家の隣のホールへとやってきた。いつ見ても家の隣にホールが併設されていて、しかもその規模が国際会議場やドーム並なことに驚かされる。実際にどれくらいの広さであるのか向日葵と花梨には知る由もないが、少なくとも体感で言えばそれくらいには感じる大きさと威圧感だった。
また仮に広さがそれらより小さいとしても造りや豪華さは桁が違う。なるべく安く質素に作っている施設と違って細部に至るまで手の込んだこちらのホールの方が圧倒的に高級だろう。それくらいは向日葵にもわかった。
「何度見ても驚かされます……」
「それは同感ですけど九条様達とお付き合いをしていたらこれくらいで驚いていたら心臓がもちませんよ」
「あはは……」
花梨も決して慣れているわけでも平気なわけでもない。しかし花梨はこれまで咲耶や紫苑と深い関わりがあったのだ。高い財力を誇る萩原家や、桁違いの財力を誇る九条家と懇意にしていたら嫌でも慣れてしまうというものだった。もちろん慣れたというよりいちいち驚かなくなっただけで本当の意味で慣れたわけではない。
「まぁ!御機嫌よう、三条様、りんちゃん、ひまりちゃん」
「御機嫌よう九条様~。私のことは朝顔お姉ちゃんで良いですよ~」
「「あっ……」」
玄関口で挨拶を受けていたその人の姿を見た瞬間、向日葵も花梨もビクンと体を震わせた。
まるで理想を詰め込んで作られたかのような整った顔。長い睫毛に切れ長の目になるようにメイクされている。そして今日は髪をアップにして盛っていた。肌は雪のように白くきめ細かい。少し視線を下げると目に付くのはその大きな胸だ。下品にならない程度に、しかしセクシーで大胆に開かれた胸の谷間に視線が吸い寄せられる。
その谷間の誘惑を振り切ってさらに視線を下げていけばうっとりするほどのくびれた腰とお腹が見える。程よく引き締まり浮き上がっているお腹についつい手を這わせてしまいたくなる。
腰の下からはまたしても女性らしくふっくらとした丸いお尻に心を奪われる。太腿はドレスに隠されているがきっとムチムチと男好きのする足が隠れているに違いない。
(しゅきぃっ!もうらいしゅきぃっ!九条さまぁ~~~ん!)
(ハァハァッ!九条様っ!ハァッ!ハァッ!)
この時の向日葵と花梨の顔を客観的に見たならば、瞳をハートマークにしてハァハァ言いながら九条様を見詰める変質……、不審……、変な人だと思ったに違いない。しかしここにいるのは咲耶と朝顔なのだ。独特の感性や時間の流れを持つ二人が向日葵と花梨の様子に気付くはずもなかった。
「「ハッ!?」」
二人はいつまでも九条様に見惚れている場合ではないと思い出して我に返る。
「ごっ、御機嫌よう九条様」
「御機嫌よう九条様」
この間僅か0.5秒の早業であり、向日葵がいつも挨拶の時にややどもるように言葉を返してしまっている理由だった。
「ようこそ来てくださいましたね。今日は思う存分楽しんで帰ってくださいね」
「「はい。ありがとうございます」」
「それではまた~」
玄関口で長々と話しているわけにはいかない。本当は名残惜しくて移動したくないがいつまでもそこに居るわけにはいかないと三人で会場へと入った。
「今日の九条様もお綺麗でしたね~」
「そうですね!」
「はい!とっても!」
「えっとぉ~……」
普通の話題を振ったつもりの朝顔は思いの他強い調子で食いついてきた二人にややタジタジになってしまった。それから三人で仮面を付けて会場内に入り軽くうろつく。
「あっ!あれ花梨と藤原さんじゃない?」
「……ん。絶対そう」
「あっ、こんばんは、河村さん、加田さん」
暫く会場内をウロウロしていると比較的遅めの時間に鬼灯と鈴蘭がやってきた。会場には着ていたのかもしれないがたまたま合流が遅かっただけかもしれない。ただ仮面を付けているのでよほど特徴的とか今日の衣装を知っているでもなければそう簡単に遠目にはわからないかもしれない。
「今回のドレスも似合ってるね」
「……ん。鬼灯は女の子なら誰でも良い。藤原さんも気をつける」
「……え?」
「ばっ!?ちっ、ちがっ!違うから!そんなつもりで言ってないからね?藤原さん。そんな引かないで!」
鈴蘭の一言で鬼灯の言葉の意味がガラリと変わってしまい、向日葵は若干自分を抱くように体を竦めていた。それを見て鬼灯が慌てて弁明する。
「あら?貴女達、向日葵と花梨かしら?ふ~ん……。今回のドレスは普通ね。面白味もないわ」
「えっと……、御機嫌よう萩原さん」
鬼灯達が騒いでいるとそこへ紫苑もやってきてそう言った。以前にドレスを贈ったことがある紫苑としては今回は可もなく不可もなく面白味のないドレスだと思った。そして何故仮面舞踏会なのにすぐに紫苑であると分かったかと言えば、紫苑は一応手に仮面を持っているが顔に付けていなかったからだ。
「朝顔?どこですの?朝顔~!」
「あら~?百合ちゃんが朝顔お姉ちゃんを捜してるみたい~。私は百合ちゃんの所へ行ってきますね~。またあとで~」
「「あっ!三条様!」」
「はい~?」
百合が朝顔を呼んでいる声を聞いて離れようとした朝顔を向日葵と花梨が呼び止めた。それを聞いて朝顔が振り返る。
「ドレスありがとうございました」
「メイクも送迎もありがとうございました」
「うふふ~。良いのよ~。お礼は朝顔お姉ちゃんって呼んでくれたらね~?」
「「あはは……」」
まだ朝顔お姉ちゃんと呼ぶ覚悟が出来ていない二人は曖昧に笑って誤魔化したのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
別に後書きに書くほど大したことじゃないんですが、今日の投稿で文字数の多い順で五十位になりました。いつも八十位とか六十位とか中途半端な順位で発表だったので今回はキリ良く五十位で発表出来ました。
ここからまた上になろうと思ったらぐんと文字数が増えるので最終的にどこまでいけるかはわかりませんが、完結までにいけるだけ頑張りたいと思います。




