第千百二話「やはり担任は耐えられなかったか……」
栄子様と話し合った後から桜は俺と同じ班として一緒に行動する予定の子達に同行の可否を尋ねて回っていた。栄子様のことだから俺に無茶な要求でもしてくるかと思っていたけど、話し合った時は至極真っ当なことを言っていたと思う。
まぁ自分の子供が学校を休んで授業がある日に自発的に修学旅行と同じ所に旅行に行くと言っているのに、それ自体は咎めず同行するメンバーにちゃんと許可を貰ってからにしろと言うのが真っ当かどうかは別にしてだけど……。
それでもちゃんと俺達のグループ全員に確認を取ってからにしろと言ったのは素晴らしいはずだ。今までの五北家の妻達のイメージからすると、自分の子供のためならこちらに無茶や無理を言っても当たり前みたいな態度だったように思う。それに比べたら遥かにマシでまともと言って良いだろう。
まだ新年度も始まったばかりで学園の方から修学旅行に関するアナウンスはない。行き先や日程は決まっているけど各クラスで班を決めたり、班行動で行く先を決めたりというのはまだ少し先になる。だから俺達もまだ具体的なことは何もわからない。そんな状態で桜に同行を求められても困るといえば困るんだけど、皆は中々強かな答えをしているようだ。
「咲耶お姉様!これで咲耶お姉様が言われていた班になる予定の方全員の同意がいただけましたよ!」
「そうですか。ですが同意といっても条件付きでしょう?」
「はいっ!それはちゃんと弁えてます!」
全員の同意を得られたと桜が報告に来た。確かに皆一応桜の同行を許可してくれたけどそれには条件がある。
まずホテルの部屋やお風呂が別々なのは当たり前だ。班の子達は多分入れ替わりで同じ部屋になると思うけどその中に桜は含まれない。これは当然だろう。何しろ桜はこんな格好と見た目をしていても男なんだからな。男が女子と同じ部屋に泊まるなんて学園行事であってはならない。
例えば桜が親戚として九条家に泊まりに来るとか、どこかに許婚が居たとしてその相手の家に泊まりに行くということまで学園は止めない。というか止めることは出来ないだろう。だけど学園行事で男女が同じ部屋に泊まるなんてことは絶対に許されないことだ。それくらいは桜もわかっているし望まないと思う。
問題の条件はそれだけじゃなくてもう一つある。それは旅行の行き先というか、班行動の内容が決められた時に、女子だけで行動したい所にはいくら桜といえど同行は拒否したいというものだった。
例えばだけど女子だけでスパリゾートに行きたいと思っているのに、いくら女装っ子だとしても男子である桜に同行されるのは色々と困るし不都合があるだろう。
あるいは女性用下着専門店に行くのに男である桜がついてきたら皆も選び難いかもしれない。それに桜だって女性物下着の専門店に入ってウロウロするのは……、桜の方は平気かもしれないけどやっぱり俺達は嫌だ。少なくとも俺は自分の下着を選んでいる所を桜に見られたら嫌だと思う。
そういった『女性だけ前提の行き先にまではついてこない』という約束で、それが守られるなら桜が同行しても良いと皆は答えていた。そしてこれが中々の曲者だと思う。
別に桜を仲間外れにしようと思っているわけじゃないだろうけど、俺達の誰かが『ここは女子だけで行きたいから』とか『これは女子だけの集まりの場所だ』と言い出せば桜はそこには同行出来ないことになる。さすがに行く先々全てそう言えば桜も拗ねるだろうけど、別に女子だけの場じゃない所でも桜が嫌ならそう言えば同行を断れてしまうというわけだ。
「まぁ皆さんがそれで良いのなら私も良いですが……」
「やったぁ!」
桜は無邪気に喜んでいるけどそう都合良くはいかないと思うけどなぁ……。まだ具体的な班行動の行き先が決まっていないから何とも言えないけど、もしかしたら最悪の場合は班行動中は桜は全てお断りということになる可能性もある。桜はそれがわかっているんだろうか?
「大丈夫ですよ咲耶お姉様!班行動は全て断られても全体行動の時に一緒にいられるだけでも良いんです!」
「桜……」
どうやら桜もわかっていたらしい。わかっていて、それでもせめて全体行動の時だけでも一緒に居られるならそれで良いという。なんていじらしいんだろう。これで桜が普通の女の子だったらギュッと抱き締めたくなるところなんだろうけど、残念ながらこいつは男なんだよなぁ。
「桜がそれで良いのならもう私からは何も言いません」
「はいっ!」
こうして学年違いの桜も『偶然俺達の修学旅行と同じ日程で同じ場所に個人的に旅行に行く』ことが決まったのだった。
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新年度が始まってからある程度経った。四月も下旬に入って九条家のパーティーも近づいてきている。あと学園側からもチラホラと修学旅行についてアナウンスが始まっている。それは良いんだけど……。
「え~……、それでは……、今朝のホームルームを……」
うちの担任……、日に日にやつれている気がするけど気のせいじゃないよな?
最初の頃はもうちょっとハキハキしていたはずの担任が、今では声も小さくボソボソと何を言っているのかあまり聞き取れなくなっている。しかも伊吹や槐が担任にあれこれと言うもんだから、生徒に声をかけられるだけでビクビクしている。
そりゃこれだけ濃い面子が集まってるクラスの担任なんて大変だよな。俺だったら絶対お断りだわ。今年の担任は別にそこまで気が小さいとか気が弱い先生じゃなかったはずだけど、それでも新年度が始まってまだこれだけでもう参ってしまっているように思う。もしこのままストレスが続いたらいつか取り返しのつかないことに……。
「おい!何言ってるか聞こえないぞ!もっとはっきり言え!」
「う゛ぅ゛……。ぁ……」
「きゃーーーっ!?」
「せっ、先生っ!?」
「大丈夫ですか?」
あちゃ~……。早くも心配していたことが現実になってしまったか……。伊吹にああ言われた担任はお腹を押さえるように蹲るとそのまま倒れてしまった。伊吹や槐が心労をかけるからとうとう倒れてしまったようだ。前年までの伊吹の担任は耐えていたんだから耐えられそうなものかもしれないけど、今年は槐も同じクラスだから余計心労があったのかもしれない。
「皆さん!先生を動かさないで!誰か保健室に行って養護教諭を呼んできてください」
「はっ、はいっ!」
皆どうして良いかわからずに浮き足立っている。とにかく誰かに応援を呼びに行かせて俺は担任の様子を診ることにした。とはいえ俺は師匠と違って医師免許を持っているわけじゃない。出来ることと言えば状況を確認することくらいだ。
「先生?大丈夫ですか?意識はありますか?」
「うぅ……。あぁ……」
「お腹が痛いんですか?」
「うぅ……、うぅ……」
一応意識はあるようで頷いたり呻くように答えてはいる。でもはっきりした言葉で答えられないくらい苦しいようだ。
「少し触りますよ?痛かったら言ってください」
「あぁ……」
少しお腹に触れてみる。でも外傷があるわけじゃないからか特に何かあるようには感じられない。でもお腹の動きがおかしいような気がする。もっと強く触って確認した方が良いのかもしれないけどそれは専門知識のある人に任せよう。俺は軽く表面的に触っただけに留めておく。
「どうしましたか?大丈夫ですか?」
暫くしてようやく養護教諭が来た。これまでの経過を簡単に説明する。
「……ということです。軽く触れただけではお腹に異常はありませんでしたが、それでも中の動きがおかしいような感じはありました。後は専門知識のある方で診ていただければと思います」
「ありがとうございます。ここからは私が引き継ぎます」
それから暫く養護教諭が状況を確認して、担任は救急車で運ばれていった。
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「今朝のことは驚きましたね!」
「それはそうですが……、そんなに大きな声で言うことでもないでしょう?」
お昼休みに食堂で皆集まってまた今朝の話になっていた。というか三組ではこの話で持ち切りであり、恐らく他のクラスでも相当噂になっていると思う。紫苑のように大きな声で言うことじゃないと思うけど気持ちもわからなくはない。
「三組の担任はどうなるんでしょうね?」
「下手な教師を担任にしてもまた同じことになるでしょうしねぇ」
「本当に……、近衛様と鷹司様が揃われているクラスの担任なんて心労が大変でしょうからね」
「「「「「え?」」」」」
「え?」
皆の言葉に俺も同意してしみじみ頷いていると、皆が何か驚いたような表情で俺の方を見ていた。俺もポカンとして皆の方を見ることしか出来ない。
「咲耶様ってあれは冗談で言われてるのかな?」
「いやぁ……、本気でしょうね……」
「咲耶ちゃんだしねー……」
「「「担任の一番の心労は『完璧女帝』なのにね……」」」
何か皆にヒソヒソ言われている気がする……。どうしてだろう?今年の三年三組は伊吹や槐、薊ちゃんや皐月ちゃんなど大物が勢揃いしている。さらに問題児と話題の紫苑やら、教師にとっては助けになるはずだろうけど柾といった学年でも中心になる人物が勢揃いだ。これだけ濃い面子だったら誰が担任をしてもまた倒れそうだと誰でも思うだろう。
「さすがにこのクラス編成には無理があったと校長や理事長も今頃頭を抱えてるんじゃないかしら?」
「それをあんたが言うの?紫苑だって咲耶様と同じクラスになるようにって学園に圧力をかけたんでしょ?」
「私は確かに校長と理事長を脅して咲耶様と同じクラスにしてもらったわよ?でも担任には何もしてないじゃない」
「あんたは存在そのものが問題でしょ……」
「「「あははっ!」」」
うんうん。やっぱり皆そう思うよな。紫苑がいるだけで担任は相当負担になると思う。ただ、今更三組の編成を変えるのは難しいだろうし、かといって普通の人を担任にしてもまた倒れるだけだと思う。この状況を打破するのは難しいと思うけど学園はどうするつもりなのかな?
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担任が倒れてから数日、三年三組の担当は正式には決まらず暇な教師が交代で三組を見ている状況が続いている。副担任とか学年主任が引き継ぐのかと思ったけど、学年主任は他にも仕事があるだろうから担任なんてしたくないだろうし、副担任が引き継いでも担任の二の舞になるだろう。
もういっそ一人の担任を設けずにこのまま持ち回りとか交代制でやれば一人一人の負担も軽いからもつんじゃないかと思い始めた頃、ようやく事態が動いたことが俺達にも伝わった。
「え~……、三年三組の担任であった弱井先生ですが、復帰の目処が立たず暫く静養されることとなりました。つきましては三年三組の今後の担任について新しい先生をお招きすることになりました。入江先生、お入りください」
「…………え?」
新しい担任の名前に俺はドキッとした。よくある名前だ。偶然の可能性もある。むしろその可能性の方が高いはずだ。でなければ困る。それは……。
「それでは入江先生、自己紹介をお願いします」
「はじめまして皆さん。入江枸杞と申します。学期の途中からの交代ということで戸惑われている方もおられるかと思いますが、私なりに精一杯弱井先生の代わりを務めますのでよろしくお願い致します」
「おおっ!若くて綺麗な先生じゃん!」
「まさかこんな先生が来てくれるなんてラッキー!」
「もう!男子サイテー!」
「「はははっ!」」
いや……、待て。待ってくれ……。入江枸杞?ここまで完璧に同姓同名の別人が偶然来るなんてことは有り得ないだろう。彼女は恐らくゲームでは無患子の許婚になって殺された入江枸杞本人だと思われる。
まさか……、いきなりこんな形で入江枸杞と関わりになるなんて……、これも何か世界の強制力のようなものが働いているのか?でなければ何故こんなことに……。
ただ……、ゲームでは子供の頃に殺されてしまうので大人になった姿などは一切描かれていない。本当にこの人がゲームで殺される入江枸杞本人かどうかはまだわからない。とにかく最初のうちはあまり下手に関わらずに様子を見るしか……。
「フフッ」
「――ッ!?」
今……、入江枸杞はこちらを見て笑っていた。俺の自意識過剰とかじゃない。間違いなくこちらを見て笑ったはずだ。向こうも俺が九条咲耶だと認識している。その上で意味深にこちらに微笑みかけていたのだとしたら……、今のはどういう意味だろうか?
この入江枸杞は敵か、それとも偶然か。こんな偶然あるはずがないと言いたい所だけどこの世界が元々ゲーム『恋に咲く花』である以上はゲームの影響がないとも言い切れない。でも一番可能性として有り得そうなのは……、入江枸杞は誰か敵が送り込んできた者である可能性だろう。
偶然なのか、世界の強制力なのかは知らないけど……、これは油断のならないことになってしまったかもしれない。




