第千九十八話「無患子調査」
「これは一体何の騒ぎだ?」
「久世先生……」
「チッ……」
令法にどう対処したものかと悩んでいると生徒の壁の間から無患子がやってきた。普通ならこういう時に先生が来てくれたら頼もしく思うものかもしれない。でも俺の場合は無患子が来て余計に厄介なことになる予感しかなかった。
「久世先生には関係ないことでしょう?」
「ここは高等科の敷地内であり私は高等科の教師だ。君の方こそ何故高等科に入ってきている?いくら敷地が繋がっていると言っても本来用もない卒業生が勝手にウロウロして良いものではないぞ」
「「…………」」
令法と無患子はお互いに睨み合ったまま固まってしまった。さすが高等科の教師だけあって言い分としては無患子の方が正しいように聞こえる。ただしそれはここが藤花学園でなければの話だ。
藤花学園の生徒の大半は貴族であり、貴族同士の付き合いの観点から実は結構他の科への移動は許容されている。だから敷地内も繋がっていて自由に行き来出来るわけだし、先日注意したけど大学も卒業した茅さんですらある程度自由に出入り出来ているのもそのためだ。
俺だって茅さんに同じように注意したし、確かに用もなく他の科に行ったり、卒業生が訪ねてくるべきではないんだけど、貴族同士の用があると言われたら藤花学園では基本的に出入りを断ったりはしない。まったく無関係の者が出入りするのはさすがに止められるけど、貴族で卒業生ともなればまずフリーパスだ。
「用ならありますよ。僕は咲耶様と大切な話があるんです」
「大切?出鱈目を言いながら迫るの間違いだろう?」
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りだよ。九条門流という立場を利用して嘘を吹聴しながら九条さんにストーカー行為を働いていると相談を受けているぞ」
いや……、無患子もしれっと嘘を吐くなよ。誰がいつ無患子にストーカー被害の相談なんてしたよ?言ってることは大体正しいんだけど無患子も無患子でちょいちょい嘘を吐いたりしてるよな。これだから攻略対象達は信用出来ないんだ。
「そうなんですか?咲耶様?」
「久世先生にご相談はしておりませんが、澤様が嘘を広めながら付き纏ってきて困っているのは事実です」
「「…………」」
俺の言葉を受けて令法と無患子はキョトンとした表情を浮かべてお互いに顔を見合わせていた。どうやらストーカー同士通じるものでもあるのかもしれない。
「あははっ!言われてますよ久世先生?」
「君の方こそはっきり拒絶されているじゃないか」
「チッ!」
「ふんっ!」
お互いに指を差し合って笑ってから、相手に笑われたことに気付いて怒った表情で顔を背け合っていた。やっぱり二人とも息ぴったりじゃないか。しれっと嘘を吐いて付き纏ってくるストーカー気質は二人とも同じだし、何か企んでそうなのもそっくりだ。
令法が言葉通り俺に気があるわけじゃなくて何か企んでこんなことをしているのは間違いない。そして恐らく無患子の方もそうだろう。無患子が嫌われ悪役令嬢である九条咲耶お嬢様に気があるなんていう設定はまったくない。むしろゲームの無患子は咲耶お嬢様のことなんて虫けらくらいに思っている節があった。
だからこそ巻き添えで咲耶お嬢様が死にまくっても気にしている描写もないし、むしろいっそわざと巻き添えにしたり弾除けに使っているような描写まである。令法は誰かがバックについていて、そいつに命令されている体を装いながら自分でも面白がってやっていると思う。じゃあ無患子は何が目的でこんなことをしているんだろうか?
ゲームの無患子は殺された婚約者、入江枸杞の復讐を果たすために貴族を狙っている。咲耶お嬢様や九条家は入江枸杞の殺害に関わっていないから無患子のターゲットにはされていないけど、貴族社会全体をも憎んでいる無患子にとっては巻き添えにして殺してしまっても構わない相手だった。
でもこの世界では入江枸杞はまだ生きているし無患子の婚約者になったこともない。婚約者の復讐という動機がなくなっている以上こちらの無患子は特に貴族や貴族社会を恨んでいるということはないと思う。それなのに俺に近づいてきてこんなことをする理由はなんだろうか?
これが分からないと無患子への対処のしようがない。
「無関係の久世先生が口を出すなって咲耶様からも言ってやってください」
「九条さん、本来なら教師と生徒という間での恋愛は許されないことだろう。でも貴族社会ならば許婚や婚約者として生まれる前から選ばれていることもある。私とそういう関係だからといって遠慮したり隠したりする必要はないんだよ」
「え~……、お二人ともあまり出鱈目ばかり言われるようでしたらこちらも相応の対応を取らざるを得ませんがそれでよろしいですか?」
「「…………」」
俺がそう言うと令法と無患子は再びお互いに顔を見合わせていた。そして……。
「そろそろ次の講義があるので戻りますね」
「澤君がいなくなるのなら問題解決だな。私も仕事に戻ろうと思う」
「「「「「…………」」」」」
他の生徒達が見送る中、令法と無患子はお互いに逆方向に向かって去って行った。でも生徒達の視線というか、表情というか、そういうのは結構厳しいものだったと思う。あの二人も案外他の生徒達から信用されていないのかもしれないな。
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昨日は五北会に行く前に令法と無患子に絡まれて面倒だった。そのまま五北会に行って、昨日も当たり前のように来ていた茅さんも含めて皆でお茶をして帰ったわけだけど、その後俺は竜胆に連絡を取って今日の予定を空けてもらっている。
昨日のうちに茅さんや皐月ちゃん、薊ちゃん達にも今日の五北会サロンには遅れるか、場合によっては遅くなったら寄らないかもしれないことは伝えてある。そして放課後に俺は一人で中等科五北会にやってきた。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう咲耶お姉様!」
「えっ!?くっ、九条様!?御機嫌よう!」
「御機嫌よう九条様」
中等科五北会サロンに入ると俺の訪問を知っていた竜胆以外は驚いていた。そりゃそうだ。いきなりOB・OGがやってきたら誰でも驚くというものだろう。俺だってあまり親しくない卒業生が突然やってきたら驚く。茅さんとか朝顔は親しい相手だから、しかも俺達に用があって来ているから平然としていられるだけだ。
「咲耶お姉様!こちらへどうぞ!」
「はい」
迎えに前まで来てくれた竜胆の先導で最奥の席へと向かう。竜胆は中等科でも俺が以前に座っていた最奥の席に座っている。俺はその向かいに腰掛けた。
「お茶とお茶請けは何にされますか?」
「う~ん……。そうですねぇ……」
いつも自分の通ってるサロンなら今日のお茶やお茶請けが分かっているから選びやすい。でも俺で言えば中等科や初等科のサロンでは今日何が出ているかわからない。聞けばすぐに答えてくれるだろうけどここは少し竜胆に任せてみるか。
「それでは竜胆ちゃんのお薦めでお願いします」
「はいっ!お任せください!」
元気良くそう答えた竜胆は係りを呼んで耳打ちしていた。きっと今日の茶葉やお茶請けからお薦めを選んでくれていることだろう。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
いつもだったら自分の足で選びに行って持って来る。でも今日は竜胆のお薦めなので係りに持ってきてもらった。お茶請けはチーズタルトだ。ということは茶葉はアレかコレのどちらかかな?
「いかがですか?咲耶お姉様」
「酸味のあるチーズタルトと、薔薇のような芳香とまろやかなコクと旨味のあるキームンがとても良く合いますね」
「ありがとうございます!さすが咲耶お姉様ですね!一口でキームンだって見抜かれるなんて!」
まぁキームンは癖が強いからな。竜胆が選んでくれた組み合わせはベタといえばベタだ。でも定番やベタというのはそうなるだけの理由があって定番になっている。また今日のチーズタルトはとある有名店のものであり、少なくとも俺達が中等科だった頃は毎日必ず入るとは限らない物だった。今日のチーズタルトは有名店のややしょっぱいものなのでキームンととても良く合う。
それから暫く竜胆とお茶を楽しみながら世間話や近況を話し合う。いきなり本題に入るのは失礼だろう。用があるからと時間を取ってもらっておいて、訪ねたらいきなり自分の用件だけ言って答えを聞いたらさっさと帰る。仕事ならそれでいいけど友人、知人との付き合いでそれはない。
「それで竜胆ちゃん、実は今日は竜胆ちゃんに聞きたいことがあって来たのです」
「はい。なんでしょうか?」
丁度話題も途切れたので本題に入ることにする。会ってすぐに本題に入るのも失礼だけど、あまり長く用件も言わずにダラダラしていても相手が怒る。この辺りのタイミングを見極めるのは本当に至難であり、相手次第になるので『ここがベスト』というタイミングやセオリーは存在しない。
会話の中で流れを読み、相手の空気も読んで会話をうまく誘導して本題に持って行く。それが貴族としての腕の見せ所でもある。
まぁ竜胆の場合は気心が知れた下級生だしそこまで神経質になる必要もない。ただそれでも友人と話していても『何かダラダラと話していて用件を言わないな』と思うことや、『会っていきなり用件だけ言って去って行くなんて』と思うこともあるだろう。そうならないように最低限の空気は読まなければならない。
「久我家庶流である久世家についてなのですが……」
「はぁ?」
俺の言葉に竜胆はポカンとした顔をしていた。そりゃ俺がいきなり久世家のことについて聞きたいなんて言い出したらこうもなるよな。でも久世家のことを知りたければ派閥の長であり村上源氏嫡流である久我家に聞くのが一番確実だ。
澤家は九条門流だし父や兄が調べてくれている。まぁもう調べるというか監視のレベルだと思うけどそこは良い。ともかく澤家の方は九条家である程度どうにかなる。それよりも問題は無患子の方だ。最近の無患子はどうにもやりすぎのような気がする。
初期の頃は蜜柑のことで相談を持ちかけてくるとか教師として普通のことだったかもしれない。いや、今考えてみれば学年もクラスも違う俺に蜜柑のことを相談してきた時点で色々とおかしいような気もするけど、それだけだったらまだ許容範囲内というか、ギリギリ蜜柑のことを思って教師として行動したと言い張れただろう。
でも前年度の三学期や新年度になってからの無患子の言動はあまりにおかしすぎる。教師としての行動から明らかに逸脱していると言っても良い。あれでは何かを狙っている、企んでいると言われても反論出来ないと思う。それくらい無患子の行動は露骨におかしくなってきている。
「どうにも最近久世先生の様子がおかしいと言いますか、教師としての行動を逸脱していると言いますか……」
「あ~……、わかりました……。あんの色ボケ、咲耶お姉様にまで手を出そうとしてるってことですね?」
「え~……、まぁ……、分かりやすく言えばそうかもしれません……」
竜胆の言葉に俺の方がギョッとした。まさか竜胆がそんな風に言うなんて……。もしかして無患子の女好きというか生徒に手を出すのは久我派閥や分家の間では有名なのだろうか?
「外部からではわからないこれまでの久世先生の許婚や婚約者のお話などがあればそれも教えていただけませんか?」
この世界では無患子は入江枸杞と許婚になっていない。でもそれは両者がまったく接触したこともなかったのか、そういう話はあったけど何らかの事情によりなくなったのか、あるいは表沙汰になっていないだけで実は二人は許婚であるという可能性もあるかもしれない。
主家である久我家の竜胆ならば無患子のそういった話も知っているだろう。完全に何でも知っているわけではなくとも、部外者である俺は知り得ない情報を教えてもらえるだけでも何かのヒントになるかもしれない。今はまず無患子に関する情報を集める時だ。それはどんな些細なものでも構わない。
「う~ん……。身内の恥なのであまり表沙汰に出来ませんが久世家のドラ息子は今でこそ教師をしてますけど、昔は女癖の悪いチャラ男で有名でしたよ。そんな素行不良だから許婚も出来ずに結婚の話も中々進まず……、いくつか話はあったみたいですけど全部流れたみたいです」
「その中に入江家とのお話もありましたか?」
「入江家ですか?」
「はい。一条家諸大夫の藤原氏入江家です」
「う~ん?私は聞いたことないですね」
「そうですか……」
ふ~む……。本当に入江枸杞との話はなかったのか、竜胆が知らないだけか……。でも普通なら親戚筋の話ならある程度は知っているはずだ。俺だって九条家の親戚筋の話ならかなり知っている。どこと婚姻の話が進んでいるとか、お見合いをしたとか、許婚になったとか、そういう話は主家に流れてくるはずだ。
勝手に他の家との婚姻を進めたら反旗を翻したと受け取られかねないわけで、下の家は主家に婚姻や事業提携などに関しては絶対報告する。主家もそれを聞いて可否を判断するはずだ。それなのに竜胆がその話を聞いたことがないということは、入江家との話は本当になかったか、あるいは表沙汰にせずに裏でこっそり話を進めていたかのいずれかだろう。
ゲームでは久我派閥と一条派閥は接近するために無患子と枸杞の婚姻を進める。それを主家に報告もせず久世家が独断で行うということは明らかな背信行為だ。久世家がそこまでしているとは思えない。竜胆が入江家との縁談を知らないということは本当にそんな話自体がなかったのかもしれない。
「今日は有意義なお話が聞けました。どうもありがとう竜胆ちゃん」
「いいえ!咲耶お姉様の頼みなら何でも聞きますからまた来てくださいね!」
「ええ、ありがとう。それでは御機嫌よう」
その後も竜胆から久世家や無患子について話を聞いた俺は、結構良い時間になっていたので中等科五北会サロンを後にしたのだった。




