第千九十六話「身代わりになる!」
昨日祖父、実頼に釘を刺された躑躅は今日早速九条咲耶を呼び出して話をすることにした。
「九条様、少しよろしいでしょうか?」
「はい?どうされましたか?西園寺様」
いつも放課後、五北会サロンに来る前に九条メンバーで集まってコソコソと何かしているのは知っている。その前に九条咲耶を捕まえた躑躅は用があると咲耶を呼び出す。とぼけた顔をしている咲耶を連れて校舎裏へとやってきた。
「西園寺様、一体どういった御用でしょうか?」
「九条様……、言われないとわかりませんか?」
「「…………」」
用件など分かりきっているはずだ。それなのにこのとぼけた態度の九条咲耶に腹が立つ。
「皐月お姉……、あの出来損ないのことですよ!」
「え~っと……?」
皐月お姉ちゃんのことだと言っても九条咲耶はとぼけた表情を崩さない。それどころか可愛らしく小首を傾げている。
(そんな可愛らしい仕草と表情をしても許さないんだから!)
普通の者ならばそれだけでもう誤魔化されてしまうのかもしれない。今まではそうやって都合の悪いことは誤魔化してきたのだろう。しかし自分は違う。躑躅にはそんな可愛らしい仕草や表情など通用しないのだ。
「まだとぼけるつもりですか!皐月は西園寺家の者です!いい加減解放してください!」
躑躅は強い言葉で言い切った。やった。やってやった。あの九条咲耶に言ってやったのだ。九条咲耶にここまで言える者など他にいないだろう。それを躑躅は成し遂げたのだ。
「解放と言われましても……、皐月ちゃんを勘当して放り出したのは西園寺家ですよね?」
「だから何だって言うんですか!貴女がしていることは未成年者略取ですよ!」
躑躅はとっておきの切り札を切った。皐月はまだ未成年だ。それを保護者の同意なしに勝手に連れ去れば未成年者略取の罪が成立する。
未成年者略取とは未成年の者を勝手に連れ去り、従来の生活環境から連れ出すことを指す。そこに皐月が家から勘当されて外に放り出されていたとか、本人が同意して付いてきたのだとか、無償で衣食住を保障して見返りは求めていないということは関係ない。
未成年を保護者の同意なしにどこかへ連れていくことが全て未成年者略取にあたるので、迷子を見つけたから一緒に保護者を捜そうと連れていったり、警察署や交番まで届けるだけでも未成年者略取にあたる。
ただし被害者の保護者が告訴しない限りは成立しないので、普通に迷子と一緒に親を捜してあげたり、警察署や交番まで連れて行ったくらいでは滅多に告訴されることはない。だがそれは絶対ではなく、昨今のクレーマーやモンスターペアレントと言われるような親が相手であった場合は善意でそういうことをしても告訴される危険が極めて高い。
同じような案件で、倒れた女性を介抱したり、AEDを使用するために服を脱がせたり触れたりしたら後で訴えられる件が急増している。それらのことから迷子を見かけても、倒れている人を見かけても、困っている人がいても、何の手も出さずに精々通報するくらいしか出来ない世の中になっている。
それは決して人々が冷たくなったのではなく、一部のそういった者達が助けられておきながらなお『相手が悪い』、『この件を利用して訴訟を起こせばお金を得られる』などと思い、実際に訴える者が増えてきたからだ。そしてそれを見てさらに『それなら自分も同じような状況になった時に相手を訴えてお金を得よう』と考えるゴミが増えたからに他ならない。
皐月の場合もいくら西園寺家が勘当したと言っても法律上親子の縁を切るということは出来ない。外に放り出していた部分に関しては西園寺家に落ち度があるとしても、西園寺家が九条家を訴えれば確実に九条家が負けることになる。躑躅はそれを知っているからこそ強気に訴えたのだ。
「え~……、九条家と皐月ちゃんのご両親で話し合って、皐月ちゃんの身柄は九条家で預かることに合意をしていただいておりますが?」
「…………は?」
九条咲耶の言葉に躑躅は足元がガラガラと崩れていくような錯覚に陥っていた。当然実頼はそんなことに合意するはずがない。むしろいつでも九条家を訴えられるようにそんな合意はせずに泳がせておくはずだ。しかし両親はどうか。両親がそんな密約を九条家と交わしているなど知らされていない。
「そっ……、そんな嘘を!」
「嘘ではありませんよ。さすがにこれほど長く皐月ちゃんの身柄を預かっているのに何の話し合いも合意もないままのはずないではありませんか」
「それは……」
実頼が将来の火種になるようにあえて放置しているのだと思っていた。しかし九条家も馬鹿ではない。当然対策は考えるだろう。一日、二日預かった程度ならともかくもう年単位の時間が経過している。それなのに九条家が何もせずぼーっとしているはずはないと言われたらそんな気がしてしまう。
「じゃっ……、じゃあ!九条様は!皐月お姉ちゃんが両親から預けられている弱い立場であることを良いことに、その肢体を撫で回し、撫で撫でして、一緒にお風呂に入って、同じお布団で寝て、クンクンペロペロしてるっていうんですか!なんて破廉恥な!この人でなし!」
「え~……、西園寺様もご存知の通り皐月ちゃんは離れで生活されているので、お風呂も部屋も別々ですが……。食事はたまに家族と一緒に摂りますがそれも毎回ではありませんし、基本的に皐月ちゃんは離れで別々に生活されておりますよ?」
咲耶は躑躅の言っていることの半分も理解出来なかったが、何となく一緒に生活していることを言われているのはわかった。だから事実として皐月は離れで一人で生活しているようなものだと伝える。
躑躅も何度か九条家の離れを訪ねて皐月の生活の様子を確認しているので本当はそれを知っている。知っているが今の躑躅にはそれは聞こえていなかった。
「九条様のその綺麗でしなやかな指で皐月お姉ちゃんのぽっちりを撫で回し!お腹からおへそまでなぞってくすぐり!細い腰を堪能して!白い背中にまで!あああぁぁぁ~~~っ!破廉恥!破廉恥です!鬼畜!お世話になっている負い目で抵抗出来ない皐月お姉ちゃんにあんなことやそんなことを!」
「え~っと……、西園寺様?」
躑躅は一人で妄想に耽ってヒートアップしていく。そして決意した。
「わかりました!それでは私が皐月お姉ちゃんの代わりに九条様にこの身を捧げます!だから皐月お姉ちゃんは解放してください!さぁ!九条様のその細くしなやかな指で私を思う存分嬲ってください!ハァッ!ハァッ!私はいくら汚されてもそんなものに屈しませんから!」
一人で突っ走っている躑躅の妄想は止まらない。
「嫌がる私に無理やり九条様の唇が触れて、真っ赤な舌でペロペロされて……、あぁ!キモイ!キモイです!皐月お姉ちゃんを人質に取られて私が抵抗出来ないことを良いことに私の体の隅々まで!なんて!なんって破廉恥なんですか!ハァッ!ハァッ!止めてと言っているのに止めてくれず、九条様のその豊満な体が優しく押し付けられて、お互い濡れ濡れの体がとろけ合うまで重ね合うなんて!」
「大きな声で何を言っているんですか躑躅は……」
「皐月ちゃん?」
「皐月お姉ちゃん!?」
ヒートアップしていた躑躅の言葉に咲耶がどうして良いかわからず固まっていると、校舎の方から皐月が現れた。皐月の登場に咲耶は助かったという表情をしている。
「咲耶ちゃんがそんなに積極的なら私達も苦労しないんですけどね……。ともかく躑躅!あまり大きな声で変なことを言うものじゃありませんよ。どこで誰が聴いているかもわからないんですからね」
「でも皐月お姉ちゃんが九条様と組んず解れつ、白く美しい二つの裸体が絡み合って官能の渦に……」
「はぁ……。これは駄目ですね……。咲耶ちゃん、躑躅のことは私に任せてください」
「アッハイ……」
皐月の有無を言わせない言葉に咲耶はカクカクと頷くと一人でその場を後にしたのだった。
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躑躅のことを皐月に任せて校舎裏を離れた咲耶は何とも言えない表情で歩いていた。皐月がやってきたことからわかる通りもう勉強会の時間は終わっている。今からいつもの空き教室に向かっても誰もいないことは皐月にも言われたので五北会サロンにでも向かおうかと思っていると、大学の方から見知った顔の人物達が歩いてきているのが見えた。
「あ~!九条様~!御機嫌よぅ~!」
「咲耶たんこんにちわっす!」
「御機嫌よう、三条様、杏さん」
大学の方からやってきたのは朝顔と杏だった。咲耶は二人に挨拶を返す。こんな時間にこんな場所にいるのは多少不思議ではあるが絶対にないとも言い切れない。二人の講義のスケジュールを知らないのだからそれは咲耶に判断出来るはずもなかった。
「お二人はどうしてこちらに?」
「九条様にお会いしに来たんですよ~?」
「私は三条様に誘われたからっす」
咲耶の疑問に朝顔は当たり前のようにそう答えた。大学はまだ講義がある時間のはずなのに大丈夫なのだろうかという気持ちはある。しかし大学生にもなっている本人達が自分で判断して行動しているのなら咲耶がとやかく言うことではない。
「私に?何か御用でしょうか?」
「用はありませんよ~?ただ五北会サロンに行こうと思っていただけです~」
「えっ!?そうなんっすか!?さすがに五北会サロンは付き合えないっすよ!?」
杏も目的を知らされておらず、ただ咲耶に会いに行くからと言われて付いてきただけだった。大学生になっているとはいえ地下家でしかない今大路家の杏が五北会サロンになど立ち入れるはずもない。それを聞いて杏はもう帰ろうとしていた。
「駄目ですよ杏ちゃ~ん?帰しませんよ~?うふふ~」
「ひえぇっ……。勘弁して欲しいっす!私の身分で五北会サロンなんて入れないっすよ!」
「皆さんそう言われますけど、五北会メンバーになるには厳密な規定がありますが、サロンに来てお茶をするだけなら別に誰でも入室は可能なのですよ?」
「ルール上禁止されてないからって誰でも用もなく入れる場所じゃないっす!」
こればかりは杏の言っていることが正しいのだが、初等科の頃から五北会に入っていてそれが日常になっている咲耶や、留学していて五北会にはあまり在籍していなかったが三条家の娘という立場とのほほんとした性格の朝顔には通じていなかった。
「大丈夫ですよ。誰も取って食べたりしませんから」
「そうですよ~。カフェでお茶をするのと変わりません~」
「変わるっすよ!それなら大学のカフェに行きましょうっす!五北会サロンなんて無理っす!」
「「…………」」
杏のあまりの拒絶反応に咲耶と朝顔は顔を見合わせた。
「それではそうしましょうか」
「そうですね~」
「ほっ……」
二人が大学のカフェでも良いと言ってくれて杏は一人胸を撫で下ろしたのだった。
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咲耶、朝顔、杏は高等科から大学へと移動して大学のカフェに入っていた。こちらは五北会のような組織もなくサロンもないが、カフェは貴族用の個室が用意されている。ここならば杏も気後れせずに入れるので三人で落ち着いていた。
「用があるわけではないとおっしゃられていましたが、それでも何かお話があるから来られたのですよね?」
「えっとぉ~……、大学生になって九条様のお顔が見られないから寂しかったんですぅ~」
「え~……、まだ新年度が始まって二日目ですよね?」
「そうですよ~?」
大学と高等科で別々になって会えなくなったから……、と言われてもまだ新年度が始まって二日目でしかない。それなのにそんなことを言われても咲耶も苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「咲耶たんとは毎日会いたいってことっすよ!」
「はぁ?ありがとうございます?」
何と返して良いものかわからない咲耶は曖昧にそう言うことしか出来なかった。それを見て朝顔はにっこりと微笑みながらテーブルの上にあった咲耶の手の上に自分の手を重ねる。
「九条様~、杏ちゃんの言う通り毎日お会いしたいんですよ~」
「うっ……」
朝顔の手の温もりが伝わって咲耶はカチンコチンに固まっている。初心な咲耶の反応に朝顔と杏はキューンとしてしまった。
「咲耶たん……、私も三条様と同じ気持ちっすよ」
「ぁ……、杏さんまで……」
杏も咲耶の逆の手に自分の手を重ねた。お互いの温もりがじんわりと伝わってくる。それが妙にこそばゆく恥ずかしい。朝顔と杏も自分からそうしているが恥ずかしくないわけではない。しかしその手を離そうとは思わなかった。
「さ~く~や~ちゃ~ん?こんな所に居たのね~!」
「ヒェッ!?かっ、茅さんっ!?」
朝顔、咲耶、杏が手を繋いで甘酸っぱい空気に包まれていると、カフェの個室の窓にべったりと茅が張り付いていた。密談用に外と遮断されている個室もあるが今日咲耶達が入った個室は外の景色も楽しめるものだった。その窓にべったり張り付いている茅に咲耶は一瞬顔を引き攣らせる。
「今そっちへ行くわ!」
「あっ……」
何も言う暇もなく茅は窓から離れると入り口に回ってから個室へと乗り込んできた。そして有無を言わせず咲耶の頭を自分の胸に抱き寄せる。
「茅さ……、むぎゅぅ……」
「あぁっ!酷いわ咲耶ちゃん!放課後は五北会サロンで会える約束だったのだわ!それなのに五北会サロンに行ったら咲耶ちゃんがいないだなんて罠よ!咲耶ちゃんが約束を破るのなら私も朝や昼も押しかけるわ!」
「すみません……。放課後に必ず五北会サロンで会えると約束したわけではありませんが、今日は三条様と杏さんに誘われて急に予定を変えてしまったのは事実です」
「茅お姉ちゃんもご一緒しましょ~?」
「朝顔!アプリコット!酷いわ!私に内緒で咲耶ちゃんとお楽しみだったなんて酷いわ!」
「まぁまぁ長官。とりあえず三人で咲耶たんを堪能しましょうっす!」
それから茅、朝顔、杏の三人は言葉通り咲耶を堪能して満足して帰った。咲耶は一瞬『何故茅はあの場所を見つけられたのか?』という疑問が湧いた気がしたが、怒涛の展開に押し流されている間にそんな疑問も流れて忘れてしまっていたのだった。




