第千二十九話「ダンス!呼吸を乱してる?」
会場へと入ったデイジー、ガーベラ、向日葵、花梨は集まって話をしていた。
「ごめんなさい、ひまり、りん……。着物じゃ踊れないことを失念していたわ……」
「そんなに気を落とさないでくださいロスチルド様。ロスチルド様のせいじゃありませんよ」
「あとそれはやめてってば。ガーベラって呼んで。はい、ガーベラ」
「えっと……、ガーベラ……、さん」
「はぁ……。まぁ今はそれでいいわ」
向日葵はどれだけ親しくなってもついつい苗字プラス様呼びをしてしまう。それは相手が誰だからとか親しくないからというものではなく、どれだけ親しくなろうともついそうしてしまうのだ。だからこそ花梨ですら今でもまだ『吉田さん』呼びなのだから……。
それをわかっているガーベラはこれ以上無理に言っても向日葵を困らせるだけだと思って諦めて肩を竦めた。無理に呼び方を強要しては余計に向日葵が萎縮して今の呼び方すらしてくれなくなりかねない。ガーベラはそれくらいの空気は読む。
「それよりも踊りをどうするかよね……」
「オーッ!モンド無用デース!」
「デイジーには何か考えがあるの?どうするつもり?」
デイジーの暴走を見守って止めると約束していたのにそれを果たせなかったガーベラは少々気に病んでいた。もし自分が逆の立場で咲耶とのダンスが出来なくなったら相手を許せないだろう。向日葵や花梨に恨まれていてもおかしくないようなことをしてしまった。
しかし恨まれていることを気に病んでいるわけではない。貴重な咲耶と踊れる機会を、うっかり着物を選んで踊れなくして潰してしまったことを気に病んでいるのだ。向日葵や花梨は身分の違いから日頃は咲耶とあまり接点がない。呼ばれるパーティーの回数も少ない。そんな貴重な機会を一回潰してしまったとすれば謝って済むようなことではない。
「HAHAHAー!わかりまセーン!でも大ジョーブ!サクヤーがドーにかしてくれマース!」
「結局咲耶頼みなわけね……」
「「あははっ……」」
あまりに楽観的なデイジーに他の三人は呆れていた。しかしガーベラのように気に病みすぎるよりはデイジーのように気楽に構えている方が良いのかもしれない。そんなことを思いながら後のダンスをどうしようかまた三人で考え始めた。
「お気持ちだけで十分ですよ。本来私は九条様とダンスを踊れるような身分じゃありませんし……」
「駄目よ!それに咲耶は相手の身分なんかで踊る相手を選んだりしないわ。だからひまりもそんなこと言っちゃ駄目!」
「……はい。ありがとうございます」
ガーベラの言葉に少し驚いた表情を浮かべた向日葵は笑顔を浮かべてガーベラに頭を下げた。
「おや?藤原さん?今日は着物っすか?珍しいっすね!」
「今大路先輩!?」
そんな向日葵達の所へ杏がひょっこり現れた。向日葵と杏は九条家の家族旅行に同行させてもらってからかなり親しい間柄になっている。そんな杏が向日葵に声をかけてくるのは当然のことだった。
「今大路先輩は今日はお一人なんですか?」
「あ~……、これには色々とわけがあるんすよ……」
「はぁ?」
それから杏はその『わけ』を話し始めた。
今日も杏と茅と睡蓮は一緒にパーティーに向かうはずだった。しかし睡蓮から『ドレスが入らなくなったから助けて欲しい』と茅に連絡があり、その対応のために花園家に向かった茅と睡蓮はパーティーに間に合いそうにないことが明白となった。その結果杏だけ先にパーティー会場へと向かうことになった、という理由を説明する。
「まぁそんなわけで盛大にリバウンドしちゃった花園様の対応のために長官も遅刻確定で私だけ先に来たってわけっす!」
「なるほど……」
女性にとっては睡蓮の話は笑い事ではない。特にその話を聞いていた花梨は変な顔をして自分のお腹を押さえるようなポーズを取っていた。
「その……、花園様は随分前にダイエットされて綺麗になられていましたよね?今頃リバウンドされたんですか?」
リバウンドというのは急激なダイエットなどをした場合に、様々な要因によって結局体重が戻ってしまったり、場合によっては元以上に太ってしまうことを言う。しかしそれが起こるのはダイエットをしてから少ししたくらいの頃の話であり、ある程度ダイエットに成功して維持出来ていればリバウンドのリスクはかなり減る。
それは短期的に急激に体重が減ると体が飢餓状態となり体を維持しようと栄養の吸収効率が高まって、同じだけ食事をしていても吸収される栄養やカロリーが増えてしまったり、体重が減ったことにより気が緩んで食生活が戻ってしまったり、ストレスによって結局食べる量が増えたりする等の理由がリバウンドの原因となるからだ。
しかしそれらは体重が減ってから間もない頃や、ダイエットをしてから少し経って体重が減らなくなってきた頃などに起こる。それらをさらに乗り越えて安定した時期までいければ摂取カロリーと消費カロリーのバランスが取れたりして体重も安定するものだ。
一度バランスが取れて安定すれば急激にリバウンドすることはあまりなくなる。また食生活が戻って徐々に太りだすことはあっても新調していたドレスが入らなくなるほど急激にリバウンドするとは思いにくい。
「花園様はっすねぇ……、前から何度もリバウンドを繰り返してるんっすよ。全然安定せずに太ったり痩せたりを繰り返していて今回は丁度痩せてる時に採寸したドレスが、今は太ってる時期で入らなくなっちゃったんっすよね」
「「あ~……」」
向日葵と花梨はなんとなく分かるという顔をして声を揃えていた。そんな話をしているうちに二条家のパーティーが始まる時間になっていたのだった。
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パーティーが始まってから挨拶も終わり九条様と一緒にパーティーを楽しむ。
「やっぱり九条様はたくさんの人に慕われているんですね」
「そうですね」
向日葵と花梨は少し離れた場所から九条様と九条様を慕われている方々の様子を眺めていた。九条様の周りには常に誰かが居て明るく楽しそうな空気が流れている。他の招待客達を見ていればギスギスしていたり、腹の探り合いが応酬しているというのに、九条様の周りだけはそういった嫌味がない。
「やっぱり九条様のお人柄なんでしょうね」
「そうですね。中心人物の人柄や性格がそのグループや集まりの性質に大きな影響があると思います」
向日葵と花梨は去年のクラスメイト達を思い出していた。やはり集団というのはリーダーや中心人物の趣味嗜好や性格に影響されるものだ。噂話が好きなリーダーの所では噂話が盛んになり、人の悪口を言う者の下にはそれに同調する者達が集まる。
九条様が誰にでも分け隔てなく優しく接されるためにこのグループではそういう対応が当たり前のこととして根付いている。それは間違いなくリーダーである九条様の性格やお考えが周囲にも浸透しているからだ。
「あっ!ダンスが始まるみたいですよ」
「今回も一条様と踊られるんですね」
今回向日葵と花梨は自分達は九条様と踊れないことを覚悟している。いくら何でも着物でダンスは踊れない。いや、肌蹴て足が出てしまうことを気にしないのであれば踊れるだろう。だが肌蹴ても良いように下に何か着ているのならともかく、今回の二人は特にそういった対策はしていない。
「一条様のあの高笑いって……、何かリズムを取られてるんですか?」
「そんな風にも聞こえますけど特にそんなわけでもないような気もします……」
妙な高笑いをしながら踊っている一条様を見て向日葵と花梨は苦笑いを浮かべていた。その後は二条様が踊られて、そこからは次々といつものグループメンバーの方々がダンスを申し込まれて踊っていた。
「サクヤー!次はワタシと踊りまショー!」
「はい。ロックヘラー様」
九条様はロックヘラー様と踊り始めた。結構な体格差があるので一見するととても踊りにくそうに思える。しかし小さい方の九条様が男性パートでリードしながら見事に踊っていた。
「うわぁ……。凄いですねぇ……」
「九条様とロックヘラー様のダンスはいつ見ても圧巻ですね」
体格差を物ともせずリードされている九条様も、長身を活かして大迫力のダンスをされているロックヘラー様もどちらも素晴らしい。向日葵などは自分の至らないダンスを恥じながら他の人のダンスを見て勉強していた。
「咲耶!次は私!私と!」
「ロスチルド様、私と踊っていただけますか?」
「ええ、もちろん!」
ロックヘラー様とのダンスが終わると次はロスチルド様が九条様と踊り始めた。それを見て向日葵と花梨は先ほどとはまた違う感動を覚えた。
「うわぁ……。やっぱりロスチルド様は妖精のようですね」
「小柄で肌も白くて髪も輝いていますから……、本当に妖精のように見えますね」
先ほどとは打って変わって九条様とロスチルド様のダンスはまるで妖精達が踊っているかのようだった。細身で可憐な二人が踊っている姿は美しい。
「こうして九条様のお姿を見ていられるだけでも幸せです」
「そうですね」
二人はうっとりした表情を浮かべて九条様のダンスを見ていた。しかし他の人の誘いを断ってダンスが途切れた九条様がこちらにやってきた。そして……。
「りんちゃん、私と踊っていただけますか?」
「えっ!?でっ、ですが私は着物で……」
いきなり九条様にダンスに誘われて花梨は慌てふためいた。
「大丈夫です。私に合わせてください」
「え?え?きゃぁっ!?」
そう言うと九条様は花梨を抱きかかえるようにして体をくっつけた。
「ひゃぁぁっ!?くっ、九条様と抱き合って……、胸が!お腹が!くっついてますっ!」
「ほら、りんちゃん。ステップが必要ないのですから上半身にもっと集中して」
花梨は九条様に抱きかかえられて半分浮いているような状態で踊らされている。常に抱き上げていると苦しくなるだろうと思ってか、九条様はステップで移動する時だけ抱え上げ、ステップが終わると一度降ろしている。花梨からすると瞬間的に浮いたり下りたりしているような気分だった。
しかし問題はそこではなく、抱きかかえられる度に自分の体が九条様と完全に密着してしまうことだった。いくら着物で帯で締めているといっても自分のぽっちゃりしたお腹が九条様に押し付けられているのだ。それを意識すると恥ずかしくて花梨はダンスどころではなくなってしまっていた。
「りんちゃん、踊っていただきありがとうございました。それではひまりちゃん、踊っていただけますか?」
「えっ!?今のと同じことを私もするんですか!?はっ、恥ずかしすぎます!だっ、駄目ですよ九条様!あぁ~~~れぇぇぇ~~~っ!?」
花梨に続いて向日葵もダンスに誘われる。もしかして自分も誘われるのかな?という期待半分、恥ずかしさ半分ではあったが、いざ実際に誘われて抱え上げられると恥ずかしさが圧倒的だった。
向日葵は花梨ほどぽっちゃりしていないので自分の太いお腹が九条様に押し付けられて恥ずかしいということはない。しかしお腹は大丈夫でもこうも体が密着してお互いの胸が押し付けられあっていては恥ずかしくないはずがない。
「(はわわわ~っ!?くっ、九条様のお胸が私に押し付けられて……、はっ、恥ずかしすぎます~~~!)」
ステップの度にぐっと腰を抱き寄せられ、お互いの胸がぴったりと押し付けられる。自分でもはっきり分かるほどにバクバクしている心臓が痛いくらいで、その鼓動が絶対に九条様に気付かれていると思うと向日葵の顔はますます赤くなっていた。
「(それなのに九条様はこんなにも堂々とされていて……、素敵すぎます)」
自分はこんなにも取り乱しているというのに九条様は平然とした表情を浮かべて向日葵を抱きかかえ踊られている。体力や腕力的な話ももちろんだが気持ち的にも九条様には余裕がある。圧倒的な余裕とこの美しい振る舞いに酔い痴れる。
「(もう駄目です……。私……、九条様のことしか考えられません……)」
向日葵の胸の中を占めているのは九条様だけだった。女性同士でこんなことを思うなんておかしいと言われるだろう。もしこの気持ちを九条様に知られたら気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。だからこの感情を表に出すわけにはいかない。
しかしそう思えば思うほどに、向日葵の胸は高鳴り九条様のことが頭から離れない。そんな九条様とこうしていられることを幸せに思うと同時に、どうすれば良いのかわからないその気持ちと知られてはいけないという気持ちがない交ぜとなって向日葵の胸を締め付けていたのだった。




