第百二話「サプライズ」
今日は椛の姿を見ていないと思ったらこんな所にいたのか。道理で姿を見ないはずだ。なんて冷静な部分がまるで自分の斜め後ろから見ているかのようにぼんやり考える。
でもそんな冷静な思考とは裏腹に俺の頭は混乱していた。何故椛が兄と一緒にやってきたんだ?兄のペアが椛であることに疑いの余地はない。それがさっぱりわからなかった。
椛は一条の名を持つご令嬢だ。家庭の事情や立場的に難しい位置にいるとしても間違いなく『一条椛』の名を背負う一条家のご令嬢だ。だからもし椛が一条家のご令嬢としてパーティーに出席するのだとしたら何もおかしくはない。
一条家ほどの家ならばあちこちのパーティーに呼ばれるのも出席するのも当然だし、むしろ何故今までそういうことをしてこなかったのかと思うほどではある。
そう……、それだ。そこが疑問だ。
もし椛が一条家のご令嬢として振る舞うというのなら、何故今まで一度もパーティーに出席してこなかったのか。そしてそれなのに何故今回は突然兄のパートナーとして出て来たのか。それがわからない。
椛が今まで他のパーティー等に出てこなかったのは間違いない。何故ならば常に俺と一緒だったからだ。
俺は藤花学園に関連するものだけじゃなく、様々な所からパーティーのお誘いを受けていた。そしてほとんどのパーティーに出たことはない。俺の判断でも母の判断でもパーティーに出て社交界で交流することを避けてきた。だから近衛家や鷹司家以外のパーティーなんて俺はほとんど参加したことがない。
そして俺がパーティーを断って家にいる時、椛もまた俺のお付きとしてずっと九条家に居た。つまり椛も絶対にそれらのパーティーに参加していないと言える。さらに言えば椛はほとんど休んだことがない。体調が悪くて仕事はしていなくても九条家に居た。椛は……、九条家で暮らしていたんだ。
だから俺の関わらない別のパーティーに出席している可能性もない。稀に休暇でいなかったり、何か用事で抜けることはあっても、とてもじゃないけどパーティーに出席しているとは思えないほどの時間しか外出していなかった。仕事を休んでパーティーに出ていた可能性はほぼない。
そんな椛が……、何故……、今回に限ってパーティーに出席している?それも……、兄のペアのパートナーとして……。
伊吹や槐が決めたのか?兄のペアの相手を椛にするように?
それはあり得ない。俺が伊吹とペアだと決まる前、そもそも招待状を受け取ったその日の夜にはもうペアは決まっていると言っていた。あの時点では俺や茅さんのペアも決められていなかった……、かどうかは怪しいな。少なくとも俺のペアが伊吹であることは事前に決められてたんだろうけど、少なくとも発表はされていなかった。
そんな段階でいきなり兄のペアだけ椛であると伊吹や槐が決めて伝えていたとは思い難い。それはつまり招待状を貰ってから夕食までの間に兄や両親が決めたということだ。あるいは……、椛の方から兄のペアのパートナーになるように言ったのか……。
何も九条家側から言ったとは限らない。もしかしたら……、椛の方から兄のパートナーに立候補したとか、椛も招待状を貰っていたとか……。
考え出せば色々と想定出来る。俺では情報がなさ過ぎて判断出来ない。
「椛……」
「咲耶様」
俺が椛を見上げると椛も俺を見下ろしていた。服や髪型やメイクが違う以上に……、そこに立っている人はまるで俺の知らない人のようで……。
「シャーーーッ!」
「「…………」」
俺と椛が見詰め合っていると……、後ろからそんな威嚇するような、猫やヘビのような音を出しながら茅さんが俺を後ろから抱き締めて引っ張った。
「あの……、茅さん……」
「シャーッ!シャーッ!」
「「……」」
駄目だ……。まるで椛を威嚇しているかのような茅さんはそのまま俺を椛から離していく。そういえばいつの間にか俺は伊吹と組んでいた腕も放していたらしい。椛を見た時のショックで手から力が抜けて放してしまったのかな。まぁ伊吹なんてどうでもいいけど……。
「えっ、え~……っと、それでは皆さん、今夜は楽しんでいってください」
何とも言えない微妙な空気の中、槐は締まらない挨拶を無理やり締めくくった。遠巻きに様子を見ていた周囲の参加者達はまばらに拍手をする。何というか……、もうグダグダだな……。
俺は茅さんに引き摺られて椛から離され、伊吹が俺を追いかけてくる。兄と椛は腕を組んだままパーティーに参加してあちこちを回っていく。
何なんだこれは?どういう状況なんだ?理解が追いつかないままパーティーは進み俺は流されるだけだった。
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パーティーも進み、離れた席で座りながら飲み物を飲む。兄や椛とはあれ以来接触する機会はない。俺の近くには薊ちゃんや皐月ちゃんや茅さんがいる。もちろん今日のパーティーはペアで参加だからそのパートナーも含めてだ。
「咲耶ちゃん、何か食べる?お姉さんがとってあげましょうか?」
「いえ、大丈夫です……」
いつもなら面倒なパーティーに来たらせめておいしい物でも食べて憂さ晴らしでもしようかと思う所だけど、今はとてもそんな気分にはなれない。
別に椛がパーティーに参加していることはいい。何度も言うように椛だって一応は一条の名を背負うご令嬢だ。むしろ何故今までパーティーに出てこなかったのかというくらいの話で、今日パーティーに参加していても何もおかしくはない。
兄と椛がペアだから嫌なのか?……って、こともないよな。家でも兄と椛は仲が良いし、両親との関係も良好だ。今更兄と椛がペアだったとしても何も思わない。もしそんなことを気にしているのなら薊ちゃんや皐月ちゃんや茅さんがペアなことだって嫌なはずだからな。
パーティーでペアを作らなければならないからとパートナーになっていても、いちいちヤキモチを焼くほどのことじゃない。そんなことを気にしていたら学園で様々なペアやグループになったり、ダンスのパートナーになったりすることまで気にしなければならない。
じゃあこの気持ちは何だろう?何で俺はこんな気分になっているんだ?
…………そうか。わかった。俺が何故こんな落ち込んだような、ブルーな気分というか、モヤモヤした気持ちになっているのか。
それは椛が俺に何も言わなかったからだ。パーティーに出ることも兄のペアになることも良い。別に俺は反対しない。
それなのに何故椛はそんなことを一言も言ってくれなかったのか?そこにモヤモヤするし、嫌な気持ちというか、すっきりしない気持ちになっているんだ。
兄や両親だって、椛だって、何でこのことを俺に黙っていたのか?それを俺に言ったら何かごねたりするとでも思ったのか?先に言いふらされたら困るから、俺が言いふらすと思って教えなかったのか?
どう考えても、良い理由が浮かばない。俺を信用してなかったからとか、俺に言ったら面倒なことになるから、という理由じゃないかとしか思えない。本当は違ったとしても……、そう解釈されても仕方ないようなことを兄や両親や椛はした。
何故だ?俺はそんなに口が軽いか?椛と兄がパートナーになるのは嫌だと駄々を捏ねるような者か?
このモヤモヤは……、そういう気持ちだ。
「それでは皆様、参加者様達によるダンスの時間です。中央を広くお空けください」
アナウンスが入り人がバラバラと端に寄る。どうやらこれからダンスの時間らしい。空けられたスペースにペアの男女が集まりだす。
「おい咲耶!俺達も行くぞ!」
「……はい」
伊吹に腕を掴まれて引っ張り出される。まぁそうなるんじゃないかなと思ってたから驚きはない。薊ちゃんも皐月ちゃんも茅さんも、そして兄と椛も、中央に集まりそれなりに距離をとってペア同士で手を取り合う。
一度静かになってやや落とされた照明のあと、徐々に静かな曲が流れ出す。生演奏に合わせてゆっくりと踊るけど……、相変わらず伊吹は踊りが下手すぎる……。
俺が合わせているから踊れているけど伊吹のステップや動作はおかしい。自分勝手に動きたいように動くから曲と合っていない。相手に合わせる気がまったくない。こちらが合わせなければ滅茶苦茶になってしまうだろう。
他のペアを見てみれば、槐と皐月ちゃんは卒なく踊っている。二人ともそういう心得もあるし相手に配慮もするからぴったり息が合っている。水木と薊ちゃんは身長差があるけど水木がうまくフォローしているお陰でこちらも問題ない。
そして兄と椛は……、とてもうまく踊っていた。
他の誰よりも、まるで昔からずっとペアで踊ってきたかのような、完璧なダンスだ。
何曲か踊って、一度演奏が途切れる。そして周囲から拍手が起こる。でもその拍手は兄と椛に向けられたものじゃないかな。あの二人のダンスは別格だった。とても綺麗だった。
「九条さん、次は僕と踊ってくれるかな?」
「え?あ~……、はい……」
ペアを交代してまた踊り出す。皐月ちゃんと踊っていた時に思った通り槐との踊りはとてもやりやすい。向こうもこちらに合わせようとしてくれるからお互いが半歩譲り合うだけでうまくいく。ただしそれは卒なくこなす、という域を出ない。無難に卒なく、そんなイメージだ。
さらに交代して水木と踊る。水木は女性をリードするのがうまい。伊吹の自分勝手や、槐のお互いが遠慮し合って合わせるのとはまた違い、水木がうまく全体をリードしつつこちらを立たせてくれる。リードされる女性にとってはとても気持ち良く踊れる相手だろう。女垂らしのプレイボーイというのは伊達ではなかったようだ。
「咲耶、次は僕と踊ろうか」
「はい……」
そして……、次は兄だ。兄も合わせるのもリードするのもうまい。プレイボーイというだけではなく、六年生という年齢や経験も関係あるのかもしれないな。六年生にもなればこれくらいは出来て当然ということだろうか。
ただ……、俺は純粋に兄と踊ることを楽しめない。まださっきのモヤモヤが晴れていないからだろう。
何故俺に兄のペアが椛だと教えてくれなかったのか。ペアを迎えに行くといって先に出たのは何だったのか。色々と言いたいことも思うこともある。そんなことを考えているとダンスに集中も出来ないし楽しめない。
俺と兄のダンスはきっと周囲からみて、いかにも無難、という感じだっただろう。可もなく不可もなく。ただ淡々と、失敗はしないけど見所もなく、ただお手本通りに踊るだけ。そんな踊りが見ていて面白いはずもない。
「少し休憩します」
「ああ、それじゃ向こうまでエスコートを……」
「結構です。お兄様はペアの方に気を使って差し上げるべきでしょう?」
曲が終わると俺は兄のエスコートを断って壁際に下がる。別に疲れたわけじゃない。師匠の修行に比べたらこんなのは遊びだからな。四人も相手に踊ったんだから最低限の義務は果たしただろう。
伊吹は他の、皐月ちゃんや薊ちゃんと踊って酷いことになっていた。足を踏んだり踏まれたり、ぶつかったり、離れたり……。根本的に伊吹にダンスのセンスはないように思う。というより性格の問題か。相手に合わせるとか曲に合わせるという気がないのが問題だろうな。
他の皆はまぁ……、卒なく、可もなく不可もなく、という無難なものが多い。見ている大人達も特に目を惹くものはないだろう。一人のダンス以外は……。
離れて見てみれば、丁度伊吹と椛が踊り出した。薊ちゃんや、うまく相手に合わせる皐月ちゃんですら伊吹とは合っていなかったのに……、椛は伊吹にうまく合わせて踊っている。伊吹の足を踏んだり、踏まれたり、ぶつかったり、離れたりせずに踊れたのは椛だけだ。
誰と踊っても男性を立てつつうまく合わせる。そしてその踊りには見る者を惹き付ける艶がある。踊っているメンバーの中では椛はかなり年上に含まれる。中高などの五北会メンバーも呼ばれているから椛と同世代や、場合によっては年上もいるけど、そんな中でも椛の艶は周囲を圧倒している。
まさにご令嬢の中のご令嬢。見る者を惹き付け、虜にしてしまう。俺も遠くから見惚れてしまいそうになる。
それから暫くダンスは続き、大人達も混ざり、時間が過ぎてパーティーも終わりを迎える。伊吹や槐に連れられてまたしても俺はホールの中央に連れて来られた。それに近衛母もいる……。何か……、嫌な予感が……。
俺がそう思った時にはもう遅かった。
「こんばんは皆さん。今日のパーティーの理由をお話します」
鷹司家のパーティーなのに……、近衛母がそう宣言する。もうパーティーも終わろうかという時間なのに、今更、それも主催者の家とは別の近衛母が、何故いきなり……。そう思って周囲も少しざわついた。そして……。
「今夜のパーティーは鷹司槐君が友達である当家の愚息のために開いてくれたパーティーだったの!その理由は……、当家の、近衛伊吹と!九条咲耶ちゃん!今夜はこの二人の許婚候補決定のお祝いのパーティーだったのよ!槐君、息子のためにありがとう!」
「………………は?」
近衛母の言葉が理解出来ない。隣を見てみれば……、伊吹が鼻をスピスピさせている。そして、逆を見てみれば槐がニヤリと腹黒く笑っていた。
「……………………は?」
俺が驚いて招待客の方を見てみれば、母も呆然とした表情をして、父は何故か喜んだ顔をしていた。両親は知らなかったのか?兄は……?
「ふふっ」
笑ってる……。知ってたのか?兄は……、知ってたのか?