第千十八話「後援会会議」
茅が菖蒲と椛を出し抜いて咲耶とデートを行った日の夜、三人は深夜まで開いているファミレスに集合していた。
「さすがに今回の茅の抜け駆けは裏切り行為だと思うのよ」
「そうですね。今回の件は許し難い行いです」
「何のことかわからないわ」
菖蒲と椛に追及されている茅は涼しい顔ですっとぼけてお茶を口に含み、あまりの味に顔を顰めてからティーカップを置いた。
「咲耶ちゃんを誘って出掛けるのは良いわよ。でも私達のルールとしてそれは私達にも知らせるって話だったでしょ?」
昔からいがみ合っていた茅や椛は菖蒲も加えたことである程度のルールを定めて守ることにした。ただいがみ合って足を引っ張り合っても自分達が損をするだけであり、他のグループの者達を利するだけになってしまう。そこで現在の『咲耶ちゃん後援会』メンバーは一定のルールの下で公正に勝負をする約束になっている。
そのルールの一つが咲耶をデートに誘っても良いがデートする際には他のメンバーにそのことを伝えるというものがあった。
例えば昔こういったルールがなかった頃には、茅が咲耶をデートに誘おうとしても椛が邪魔をし、その報復として茅も椛の邪魔をしていた。その結果二人とも咲耶と遊ぶことも二人っきりになることも出来ず、二人が潰し合っている間に同級生グループの者達などが咲耶と遊ぶ漁夫の利を得るということが起こっていた。
そのためお互いに潰し合って妨害し合うのではなく、一定のルールの下で競い合い、場合によっては静観したり協力したりしようということが決まっていった。
現在は椛、茅、菖蒲が中心だったグループに社交界のマダム達が協力してくれることになり『咲耶ちゃん後援会』として本格的な組織へと変化しているが、椛達若い女性メンバー間での足の引っ張り合いを避けるルールや場合によっては協力し合う仕組みはまだ残っている。今回の茅の行動はこのルールに反すると二人は責めていた。
「今日出掛けたのは私が無理やり咲耶ちゃんを連れ出したわけじゃないわ。咲耶ちゃんの方から私を誘ってくれたのよ」
「そっ……、そうだとしても!じゃあ出掛けるのが決まった時点で連絡すべきでしょう!」
「咲耶様が茅を?まさか……、そんなことが……」
菖蒲はどちらが誘ったにしろルール違反には違いないと指摘し、椛はこの世の終わりのような表情を浮かべてブツブツと呟いていた。それを見て茅は少し冷静さを取り戻して余裕の態度で続ける。
「今日の放課後に出掛ける直前に咲耶ちゃんに誘われたのだわ。それでどうやって事前に貴女達に連絡するのかしら?私は何もルール違反をしていないわ」
「うぐぐっ!」
「そんな……。それでは咲耶様はそのためにここ最近百地流を頑張られていたと?何故……、どうして……」
完全に勝利を確信した茅は余裕の表情となり、聞かされた事情から茅を責められないと思った菖蒲は口惜しそうにしながらも言葉に詰まっていた。そして椛は暗い表情でブツブツと言っている。もう完全に危ない人になっているが茅は椛を煽ることを止めなかった。
「私にとっても誘われてそのまま出掛けたのだから二人に伝えようがなかったわ。そもそも……、私達のルールはこちらからアプローチする場合の話であって咲耶ちゃんからアプローチされた場合にはそれを受けても良いルールだったはずだわ。これでもまだ私に何か言いたいことがあるのかしら?」
「キィエエェェェーーーッ!!!」
「ちょっ!?椛っ!落ち着いて!」
奇声を上げてフォークを逆手に握り締めた椛は立ち上がって茅に迫ろうとしていた。それを菖蒲が慌てて羽交い絞めにして止める。
茅の言う通り当初三人で決めていたルールは自分達から咲耶にアプローチする際のルールだ。強引なアプローチをしたり、以前の茅のように実力行使に出たりしないためのルールであり、それを守っている限りはお互いに邪魔をしないというものでもあった。そのルールの中には咲耶から誘われた場合のことについては事細かに決められていない。
そもそも咲耶の方から積極的に誘われるようなことなどないので想定されておらず、ざっくりと咲耶側からの誘いがあった場合にはこれらのルールは適用されずに受ければ良いということになっている。
ルールを決めた時にはまさか咲耶の方からそんなに積極的にアプローチをかけられるとは思ってもいなかった。何より自分が咲耶から誘われた際にいちいち他の二人に邪魔されたり報告しなければならないのは煩わしい。だから『咲耶側から誘われた場合はその限りにあらず』というルール一言で決めてしまったのだ。
「五北会サロンで誘われたから私の言葉が嘘じゃないことは調べればすぐにわかるわ。だから私はルール違反はしていないのだわ」
「アギャブルルルッ!」
「椛っ!落ち着いて!茅も椛を煽るんじゃないわよ!本当に刺されるわよ!」
茅の言葉に椛はさらに暴れようとしていた。それを必死で止めながら菖蒲が何とか落ち着かせようと試みる。
「えっと……、えっと……、あっ!そういえば椛!お屋敷から抜け出してきて咲耶ちゃんを放っておいても大丈夫なの?椛は咲耶ちゃん付きのメイドなんでしょ?」
「…………咲耶様はすでにお休みになられております」
咲耶の話題を振ると椛は急に無表情な真顔になってフォークを下ろすと席に戻って大人しく座った。あまりの豹変振りに話題を振った菖蒲の方がポカンとしてしまったが、一先ず流血騒ぎは避けられそうだと思って菖蒲も席に着く。
「咲耶ちゃんってこんな時間にもう寝てるのね……」
菖蒲はチラリと時計を確認してからそんな言葉を口にした。昔の小学生低学年くらいならともかく、昨今では小学生ですらこんな時間には眠っていないだろうという時間だ。咲耶の朝が早く夜も早いとは思っていたがまさか偶々ではなく毎日こんな時間に眠っているとは思っていなかった。
「咲耶様は朝も夜もとても早いのです」
「椛も咲耶ちゃんが起きるよりも前に起きなければならないんでしょ?こんな時間まで起きていて大丈夫なの?」
菖蒲は塾の講師なので主な仕事の時間は午後、夕方から夜にかけてがメインとなっている。そのため休日や長期休暇中でもなければ朝から仕事が立て込んでいるということは滅多にない。それに比べて咲耶の起床に合わせて行動をしなければならない椛は必然的に朝がとても早いということになる。
「確かに朝は早いですが咲耶様を学園に送り届けた後は時間が空いております」
「あぁ……、そうね」
メイドだからといって二十四時間仕事に拘束されているわけではない。もし咲耶の起床から就寝まで常に仕事時間であったとすればそれはかなり大変な長時間労働となってしまう。いくらメイドが労働基準法の適用外だとしてもそれではあまりに過酷すぎる。
だからこそ九条家や他の上流階級の家は複数のメイドを使い、交代で休ませることで朝から夜まで仕事が滞ることがないように配置している。椛も朝咲耶が起床してから学園に送り届けるまでは咲耶付きのメイドとしての仕事だが、その後は咲耶の部屋の掃除やベッドメイキングを行ってからかなり拘束が緩くなる時間がある。
完全に何もしなくて良いというわけではなくとも、最低限の掃除や洗濯や片付けさえしてしまえば多少休憩していようと、何ならこっそり昼寝をしていてもそれほど問題にはならない。ただし当然ながら他の仕事をきちんとしていなかったり、午後の迎えに遅れたりすることは許されない。
「そんな話をしていたらなんだか眠くなってしまったわ……。もう解散で良いかしら?」
「そうね……。咲耶ちゃんから誘われたならこれ以上責められないし……」
「今回はこれくらいで勘弁してあげましょう」
「「…………」」
椛の物言いに茅と菖蒲は少し呆れたような視線を向けた。しかしその視線を向けられている椛の方は平然としたまま残っているポテトをつまんでいた。
「ところで茅……、ここの支払いお願いしていい?」
「というかむしろ茅が払うべきです。茅のせいでこんな時間にこんな場所に集まることになったのですから」
「貴女達……、二人とも働いていてお給料をいただいているのよね?どうしていつもいつもこの程度のお金も持っていないのかしら?」
茅はまだ大学生で働いて給料をもらっているわけではない。それに比べて働いている菖蒲と椛は毎月お給料を貰っているはずだ。それなのにこの程度のファミレスの料金も払えないというのはどういうことなのか。毎回毎回茅が居る時は茅が払っているが不思議でならなかった。
「茅の方こそ自分で働いて稼いでいないからお金のありがたさや稼ぐ大変さがわからないのです。簡単に親から大金を貰っているだけだからそんな言葉が出るのでしょう」
「あら?だったら椛の分は自分で払うと良いわ」
「嘘です待ってくださいお願いします茅様」
茅が会計を分けようと言うと椛は慌てて茅の服を掴んで縋りついた。ここで誰かに払ってもらわないと食い逃げで捕まってしまう。九条家に連絡がいけばすぐに誰かが払ってくれるだろうが旦那様や奥様にこんなことが知られたらどうなるか想像するだけでも恐ろしい。
「はぁ……。うちのメイドでもそれなりのお給金は貰っているわ。九条家の、それも咲耶ちゃん付きのメイドである椛はかなりの額を貰っているはずだわ。それなのにどうしてこの程度も払えないのかしら?蕾萌会の講師も結構な高給取りのはずよね?」
「あははっ……。今月はちょっとピンチで……」
茅の追及に菖蒲は視線を逸らして頭に手を乗せていた。
「菖蒲がピンチじゃなかった月を知らないわ」
「面目ない……」
これまでの長い付き合いの中で菖蒲が『今月ピンチ』じゃなかった月が思い当たらない。毎月必ずピンチなのだとしたら『今月ピンチ』ではなく『毎月ピンチ』と言うべきだ。
「私の給料は全て咲耶様のために使われています。それ以外のお金など全て余計な出費でありそんなものは持ち合わせておりません」
「それじゃ菖蒲の分だけ払ってあげるわ。椛は自分で勝手にどうにかするが良いわ」
「ごめんなさい助けてください茅様」
椛のあまりな言い草に茅がまた会計を別にしようと言うと茅の腕を掴んで絶対に離さないとばかりに食らいついていた。
「服が伸びてしまうわ」
「はいすみません離しますでも会計は一緒でお願いします」
椛は給料の全てを咲耶の使用済みを新品と取り替えるために使っている。その使用済みを菖蒲や茅はもちろん同級生グループなど他の者達に売りつけてある程度は資金を回収しているはずだ。それでも回収した資金でまた使用済みを新品と取り替えているので椛は常に金欠だった。たかがファミレスのドリンクバーとポテトの料金も払えないほどに……。
「椛に言うことを聞かせられるのはこの時だけだから楽しいわ」
「茅……、椛も二人とも毎回このやり取りをして疲れないの?」
「楽しいわ」
「奢らせるためなら頭くらいいくらでも下げます」
「そう……。二人が良いなら良いんだけど……」
茅はこの時ばかりは言うことを聞く椛に勝った気分になれるのでファミレスを奢るくらいはどうということもない。そして椛は茅にたかって奢らせるためならばペコペコ頭を下げてもどうということもない。随分安い頭だと思われるかもしれないが、椛にとっては咲耶以外のことなどどうでも良いことだった。
結局茅が三人分の会計を支払い無事にファミレスを出ることが出来た。もしあれで椛と菖蒲しかいなければまた鞄をひっくり返して小銭まで全て集めて必死に支払いを済ませるところだった。
菖蒲の車で九条邸の前まで送ってもらった椛は車から降りて門から入り庭を歩いている時にふと嫌な予感が走った。
「はっ!?これは……、咲耶様!」
庭を駆け抜け九条本邸に入ると廊下も走って予感のする場所へと急いだ。そして咲耶の部屋へと続く廊下でコソコソとしている影を見つけて声を上げた。
「待ちなさい!西園寺皐月!」
「チッ!もう戻られましたか……」
コソコソと咲耶の部屋へ向かおうとしていた影……、それは西園寺皐月だった。日頃から椛と皐月は咲耶の部屋への侵入を巡って常に鎬を削っている。基本的にいつも皐月が撃退されて椛が咲耶の部屋を守り切っているのだが、今夜は椛がいなかったのでその隙を突いて侵入を試みていたのだろう。
「まさか私がいない隙を狙うとは……、油断も隙もあったものではありませんね」
「椛さんの方こそ……、もっとゆっくりされていればよかったのにどうして戻ってこられたんですか?」
廊下で睨み合う両者は腕を胸の高さに上げて手を開いて取っ組み合える形を維持しつつ相手の出方を窺っていた。相手に気付かれないようにこっそり侵入の隙を狙う時もあれば、こうしてばったり出会って睨み合いから場合によっては取っ組み合いになることもあった。今夜はお互いに飛びつけば届く距離での遭遇のため両者に緊張が走る。
「椛、何をしているのですか?」
「あっ、奥様……、これは……、その……」
しかし両者の睨み合いはあっさりと終わりを告げた。九条夫人、頼子奥様が出てきたことで椛は頼子に叱られ自室に帰されることになり、皐月もしどろもどろに言い訳をしつつ離れに戻ることになったのだった。




