第千十六話「茅さんの夏休みが終わる前に」
九月もそれなりの日が経ち学園中も二学期に慣れてきたのか雰囲気も落ち着いてきている。そんなサロンにやってくると扉を開けてすぐの所に桜が立っていた。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう、咲耶お姉様!」
あの時の一件以来俺はちょっと桜が苦手になっている。これまでは男達の中でも桜は比較的大丈夫だったはずなのに、余計な想像をしてしまったからかどうにも桜と一緒にいるのが怖い。いきなり桜が襲い掛かってくるわけでもないのに何を恐れているんだと言われればその通りなんだけど……。
「二条家のパーティーの招待状です!」
「あぁ……、今年は早いのですね」
扉の前で待ち構えていたから何事かと思って少し警戒してしまっていたけどただパーティーの招待状を渡したかっただけのようだ。
去年までは徐々に二条家のパーティーの開催日が後ろ倒しになってきていた。そのことで鷹司家と色々と揉めたみたいだけど今年はまたえらく早い時期になったものだ。別に今日からきっちり一ヶ月後にパーティーが開かれるというわけじゃないだろうけど、大体五北会関係のパーティーで正式に招待状が送られるのは一ヶ月前くらいが標準となっている。
もちろん予定や都合から考えたら正式な招待状は一ヶ月前だとしても、その前からある程度の打診はあるだろう。今やってる五北家によるパーティーは大体の日取りが決まっている。だから一ヶ月前の招待でもほとんどの貴族家は予想される日の辺りは予定を空けているか、ある程度動かせる予定ばかりにしているはずだ。
近衛家は毎年完全に固定だし九条家も日は変動するとしても五月初旬の土曜日というのは変わらない。それに比べてこれまでは徐々に開催日を遅くしていた二条家と、二条家に付き合わされて日程が後にずれ込んでいた鷹司家のパーティーは招待客にとっても都合のつけにくいパーティーだったと思う。今年はさらにまた日程が随分前倒しで皆の予定調整が大変かもな。
「なるほど……。わかりました」
「お返事は家に帰ってから頼子様と相談の上でですよね!わかってます!」
「ええ……。そうなりますね」
俺が答えるよりも前に桜はにっこり笑っていつもの俺の回答を口にした。鷹司家と揉めたからなのか今年の二条家のパーティーは去年よりも随分早い。とはいえ今から丁度一ヶ月ということでもない。今年は去年より早く開催するから招待状も早めに出したということかもしれない。
「それでは皆さんにも招待状を配ってきますね!」
「はい」
そう言うと桜はサロンメンバー達に招待状を配り始めた。いつもの席に向かいつつ少し考え事をしていると招待状を受け取ったデイジーとガーベラが俺の前にやってきた。
「今度はワタシがヒマリーに衣装を贈りマース!」
「えっ!?あ~……」
そう言えば前回の近衛家のパーティーではガーベラがひまりちゃんにドレスを贈ったんだったか。だから次はデイジーが贈りたいと思っているというわけだ。話の流れ的にそれはわかるけど本当にひまりちゃんのドレスをデイジーに任せて良いのだろうか?
前回のガーベラが用意したドレスはとてもセクシーなものだった。欧米人にとってはあの程度は日常茶飯事なのかもしれない。日本人の勝手なイメージでは欧米人だったらドレスから多少ポロリしてもあまり気にしないようなイメージがある。
もちろん欧米人だってわざわざ出そうと思って出しているわけじゃないんだろうけど、ちょっとしたことでうっかり出てしまいかねないドレスでも平然と着ている気がする。向こうのセレブや女優が際どいドレスからポロリなんて日常茶飯事で、そういうシーンがあってもあまり気にせずスルーするような文化……、っぽい。
まぁ実際にはそういうシーンを撮影して喜んで流したり集めたりしている欧米人男性もいるだろう。全員が全員紳士的に見なかったことにしてスルーするということはない。ゴダイヴァ夫人のピーピングトムなんて話があるくらいだからな。
欧米人でもヌーディストビーチに平然と行くような人は一部なのかもしれないけど、際どいドレスで多少ポロリしても気にしないなんていう人はそれなりに多いようなイメージがある。ましてや豪快な性格であるデイジーに任せていたらひまりちゃんがポロリしてしまうようなドレスを着せられないか心配だ。
「ロックヘラー様……、ひまりちゃんにドレスを贈ってくださるというのは良いのですが……、あまり過激なドレスは避けてくださいね?」
「オーッ!モンド無用デース!」
…………ん?多分『モンド無用』っていうのは『問答無用』って言ってるんだよな?でも今それを言うのはおかしいだろう?もしかして『心配ご無用』とか言いたかったのか?
「デイジー、それじゃ意味がおかしいわよ。そこは心配御無用でしょう?」
「オーッ……、ソーリー。心配ゴム用デース!」
「はぁ……?」
う~ん……。本当に大丈夫なのか?何か余計不安になったんだけど?というかデイジーってこんなに日本語が怪しいのに成績は二十位以内に入ってるんだよな……。もしかしてこの変な片言もステレオタイプのアメリカ人を演じるためにわざとやってるとかじゃないだろうな?
「安心して咲耶。ひまりにはちゃんとしたドレスを着せるように私が監視しておくわ」
「えっと……、お願いします?」
ガーベラはそう言って自信満々だけどガーベラも信用出来ないんだよなぁ……。何しろ近衛家のパーティーでガーベラが選んだドレスも派手すぎた。欧米人のドレス姿から考えたらそこまで派手や露出が多いということもないんだろうけど、それでもこちらの人間から比べたら結構際どいものだったと思う。
二人がひまりちゃんにドレスを贈ってくれるというのならそれはひまりちゃんにとって良いことだと思うけど、欧米人のセンスを持つこの二人が選んだらまたひまりちゃんとりんちゃんがセクシーすぎるドレスを着ることになりそうで不安だ。
不安……。いや、不安というより嫉妬だな……。俺は他の男達の目にひまりちゃんやりんちゃんの素肌が晒されることが嫌なんだ。それは醜い嫉妬の心だ。だから前回は二人にストールを巻いて隠そうとしたわけだしな……。
「あぁ咲耶ちゃん!会いたかったわ!」
「むぎゅぅ……」
デイジー、ガーベラと話していると茅さんがやってきて抱き締められてしまった。もう毎回のことなので驚きはない。それに柔らかくて良い匂いがするし俺としてもおいしいからな。
茅さんは俺のことを女性と思っていてまるで妹のように可愛がってくれているんだろう。それなのに俺はそんな茅さんの気持ちや優しさに付け込んで茅さんの匂いや柔らかさを堪能している。最低の行為だと思う。茅さんの気持ちを踏み躙っていると思う。
でもやめられない!この茅さんのポヨンポヨンが押し付けられる快感を自分から断るなんて出来るわけがない!
「咲耶ちゃん!もうすぐ大学の夏休みが終わってしまうわ!」
「ぷはっ!……ふぅ。ええ、そうですね」
いくら大学の夏休みが高等科までよりも長いと言っても無限ではない。いつかは夏休みが明けて後期が始まる。茅さんがこうして自由に高等科五北会サロンに来れるのもあと僅かということだろう。
「咲耶ちゃん!このままお姉さんとお出掛けしましょう?」
「ええ、良いですよ」
「ええ。駄目だということはわかっているわ。でもどうしてもそう言わずには……、え?咲耶ちゃん?今なんて?」
「ですから良いですよ。今からお出掛けしましょう」
「え?……えぇ?えええぇぇぇ~~~っ!?」
いつもはあまり驚いたり慌てたりしない茅さんが珍しく大きな声を出していた。それほど意外だっただろうか?でもこれは俺が前々から考えていたことだ。
茅さんは貴重な大学最後の夏休みを俺のために使ってくれていた。毎日毎日高等科五北会サロンに来て、一緒にお茶を楽しんだり、おしゃべりしたり、そして帰る時はいつもそのまま出掛けようと誘ってくれていた。いつかそんな茅さんの気持ちに応えてあげたいと思って準備していたのが今日だ。
折角茅さんが俺のために時間を取ってくれていたんだから、俺だって毎回毎回習い事があるからと断り続けるわけにはいかない。今日一日放課後の時間を空けるために、蕾萌会の講習は前倒しで終わらせ、百地流の修行は前後に分散して密度を上げたり時間を少し延長して詰め込むことにした。
そうしてようやく空けられるようになったのが今日だ。茅さんの夏休みも終わりが近づいてきたし本当にギリギリで一日放課後を空けられてよかったと思う。
「うれしいわ咲耶ちゃん……。このまま二人でチャペルへ向かいましょう!」
「ちょっ!?咲耶様!どういうことですか?」
「咲耶ちゃん!?私達は?」
俺が茅さんと出掛けることに同意すると薊ちゃんと皐月ちゃんが驚いた表情を浮かべてこちらにやってきた。特に薊ちゃんは派閥の子達と話していたはずなのにこちらの話も聞いていたようだ。
「え~……、これまで茅さんは貴重な夏休みの時間を使ってサロンへ訪ねて来てくださっていましたので、その気持ちに応えようと思いまして……」
いつも来てくれて、熱心に出掛けようと誘ってくれていた。それを毎回毎回断って心苦しかったというのもある。だけどそれだけじゃなくて……、綺麗なお姉さんに毎日のように、いや、毎日必ず誘われているのに断り続けるというのは俺にとっても辛いことだった。
是非綺麗で優しいお姉さんとお出掛けしたい!それが俺の偽らざる本心だ!
「それじゃ私達もお供します!」
「そうですよ。私達も参ります」
「駄目よ。これは私と咲耶ちゃんの逢瀬なのだわ!邪魔はさせないわ!」
「まぁまぁ……。茅さんもこう言われてますし、薊ちゃんや皐月ちゃんとは学園でも顔を合わせられますし何度もお出掛けしているでしょう?今回は茅さんに譲っていただけませんか?」
俺としては薊ちゃんと皐月ちゃんが一緒でも良いとは思っている。むしろ三人の美女、美少女に囲まれてウハウハというのも大好きだ。だけど茅さんが二人っきりでと言っているのだから茅さんの希望を優先してあげたい。
いつでも会える子や何度も一緒にお出掛けしている子ならまた次の機会もあるだろうけど、茅さんはこれまで長く一緒に過ごしてきたけど会える時間やお出掛けした回数はそれほど多くない。やっぱり学年が違いすぎるというのはそれだけ大きなネックになっているということだ。
「正親町三条様……、咲耶ちゃんに変なことをしては駄目ですからね!」
「あら?変なことって何かしら?私にはわからないわ?」
「正親町三条様には前科があるでしょう!前にも咲耶様に薬を飲ませて監禁しようとしたり、連れ去ろうとしたり!私達だってちゃんと知ってるんですよ!」
「心外だわ。あれは私と咲耶ちゃんの愛を確かめようとしただけよ。二人が望んだことを周囲がとやかく言うことじゃないわ」
何か茅さんと皐月ちゃんと薊ちゃんが楽しそうにおしゃべりしているなぁ。きっとお姉さんである茅さんと自分達も出掛けたかったとか、どこへ行くんだろうとか、今度は自分達も連れて行ってくださいね、とか話しているんだろうな。そういうのを想像するとやっぱり女の子同士の会話って可愛くて楽しそうだ。
中身が男の中の男である俺にはそういう女の子らしい会話は難しいけど、そういう子達に囲まれて、そういう雰囲気だけでも味わえるというのはこの体になった数少ない利点の一つだろう。女の子達のキャッキャウフフな会話に俺も混ざれたらいいのになぁ……。
「私もお話に混ぜていただいても良いですか?」
「さっ、咲耶様っ!?」
「えっと……、私達の話はもう終わりましたので……」
……あるぇ?俺が会話に混ぜてもらおうと近づいたら薊ちゃんも皐月ちゃんも白々しく会話を終わらせてしまった。やっぱり……、俺の中身が男だと知れ渡っているから女の子同士のキャッキャウフフな会話に俺は混ぜてもらえないということだろうか?そりゃ中身男の俺が女の子同士の会話に割って入ったらこうなるか……。
「さぁ咲耶ちゃん!あまりのんびりしている時間はないでしょう?早くお姉さんとお出掛けしましょう!」
「あっ!茅さん!」
あの茅さんの細腕のどこにそんな力があるのかと思うほどにパワフルに俺の荷物を持ち上げると、茅さんは俺の腕を引っ張ってサロンから出ようと歩き始めた。
「ごめんなさい、薊ちゃん、皐月ちゃん。それでは御機嫌よう」
「うぅ……、咲耶様……、どうかご無事で……」
「咲耶ちゃん!危なそうだと思ったらすぐにこの紐を引っ張るんですよ!」
そう言って皐月ちゃんは俺に防犯ブザーを投げてよこした。いや……、気持ちはありがたいけどもう高等科生にもなる中身男の俺がこんなものをいつ使うんだ?




