第千五話「飲んでも飲まれないために」
「咲耶、目が覚めたのですか?」
「う……。お母様?」
目を覚ますと滅茶苦茶頭が痛かった。ひどい高熱が出た時のように頭がガンガンする。ぼんやり開けた目の前には母がこちらを覗き込んでいた。母の顔の上に見慣れた天蓋が見えている。どうやら自室のベッドの上のようだ。
今俺はベッドに寝転がっていて、頭が激しく痛くて、何だか気持ち悪くて、母が俺を覗き込んでいるということはわかった。でも何故こんな状況なのかは思い出せない。
「どこまで覚えていますか?」
「え?え~……、習い事に行って……、皆さんとお茶会をして……?」
母に聞かれたことの意味が一瞬わからなかった。でもこうなる前に何があったのか覚えているかと言われたのだろう。それを察して記憶にある限りのことを思い出そうとした。だけど皆とお茶会をしようとした所から先が曖昧でよく思い出せない。
「お茶会でアルコールの入ったお菓子を食べてほとんどの子は酔っ払ったのです」
「――ッ!?あっ……。あ~……」
母にそう言われて何となく思い出してきた。そうだ。皆がお茶会に来てお茶とお茶請けを出した。そこから段々と記憶が怪しくなっているけど確かに酔っ払っていたのかもしれない。前世は成人男性だった俺だ。当然酒を飲んで酔っ払った経験はある。そう言われれば酔っ払ったようになっていた気がする。
「それで皆さんは?」
「すぐにご家族に連絡して病院へ運びました。特に大事無いので安心しなさい」
「はい……」
とりあえず皆が無事でよかった。もし何か大変なことになっていたら俺は自分が許せなかっただろう。
「事情というか……、貴女が作ったラムレーズンバターや羊羹は確かめさせていただきました。確かにあの程度でこのようなことになるなどとは思わなかったのでしょう。ですがこれからは料理やお菓子にお酒を使う時はもっと注意しなさい」
「はい……。すみませんでした……」
大変な大事になってしまったからもっと怒られるかと思ったけど母は静かにそう言っただけだった。ご令嬢達を集めて手作りお菓子を振る舞って、酔わせてしまって病院送りにしてしまったんだ。本当だったらもっと大事になっているに違いない。皆の家から抗議が来たり二度と付き合いをさせないと言われても止むを得ないくらいのことだろう。
「ともかく今日はもう休みなさい」
「はい……。ご迷惑をおかけいたしました……」
「そうですね……。確かに迷惑をかけられました」
うぅ……。やっぱり母もそう思ってるよな……。それでも俺の体調を考えてか今は怒らないでくれているだけだ。明日体調が戻っていればきっともっと叱られるに違いない。
「ですので咲耶が作ったお菓子は没収させていただきましたよ。あと他の家の方々に説明するためにご息女方に出されていた物の残りは各家にお渡ししました。良いですね?」
「へ……?」
「良いですね?」
「はひっ!」
少し強く言われたので慌てて頷いた。でもそれって……。
「では今日はもう休みなさい。大人しくしているのですよ」
「はい……。おやすみなさい」
部屋を出る前に母は最後に一度こちらを振り返ってから念を押してきた。逆光になっていてよく見えなかったけど一瞬見えたその顔は優しい微笑みだったような気がする。俺がそう思いたいからそう見えただけかもしれないけど……。ともかく痛い頭で考えるべきことが色々とある。
まず説明を受けた通りどうやら俺達はお菓子に入っていたラム酒で酔っ払ってしまったようだ。病院にまで行った子もいるようだしそれは確実だろう。また母が言ったように大人が俺の作った物を確かめたんだ。それで酔っ払ったというのは間違いない。
ただ疑問なのは本当にそんな程度で酔っ払うのか?ということだろう。子供の時だってウイスキーボンボンくらい食べたことがある人もいるはずだ。それに料理やお菓子にお酒を使うのはよくある。実際俺も今まで何度も……。
「…………あっ!」
そうだ……。俺だって今まで何度もフランベしたり、ワインや料理酒を入れて煮込んだことなんてたくさんある。でもそれは火でアルコールを飛ばしたり煮込んだりしたものだ。今回のようにラム酒に浸けてそれをそのまま飲食したことはない。
まさかたったあんな量で?と思わなくもないけど、子供だったら少量のウイスキーボンボンでも酔っ払うことは有り得る。俺達はもう高等科生なんだからウイスキーボンボンで酔っ払うような子供じゃないと思っていたけど、体質などによっては大人になってからだって少量でもすぐに酔う人はいるだろう。
俺は前世ではそこまでお酒に弱かったわけじゃないし、まさか俺達があんな少量のお酒で酔っ払うとも思っていなかった。俺達が口にする料理やお菓子にお酒が入っていることはよくあるから平気だと思っていた。でもそうじゃなかったんだ。
だけどなぁ……、一人二人ならお酒に弱い子がいてあの少量でも酔っ払うことがあったとしても、あれだけ多くのメンバーが一度に酔うなんてことがあるのか?俺はそんなに大量に使ったわけじゃない。ラムレーズンなんて食べる人はたくさんいるだろう。その人達がいちいち酔っ払ってなんていないのに何故こんなことに……。
それともう一つ疑問がある。俺は百地流で毒耐性の訓練を積んでいる。その俺がラムレーズンや羊羹に混ぜたラム酒程度で酔っ払うのか?アルコールも一種の毒であり肝臓で分解されて無毒化されるものだ。俺が日頃百地流で毒耐性訓練をしている効果でアルコールにも強く……、はなっていなかったんだろうな。
毒耐性といってもあらゆる毒に全て等しく耐性があるわけじゃない。慣らした毒には耐性があっても未知の毒には効果がないかもしれないし、体質的にこれは大丈夫だけどあれは駄目というものもあるかもしれない。俺の場合はアルコールは体質的に駄目だったという可能性はある。
「これは明日師匠に確認した方が良いかもしれませんね……」
もし俺が体質的にアルコールが駄目なんだとしたらそれを知って対策しておく必要がある。前世ではアルコールに弱かったわけじゃないからまったく思ってもみなかったことだけど、咲耶お嬢様の体がアルコールに対して駄目なんだったらどうしようもないことだ。
でもなぁ……、やっぱりおかしいよなぁ……。俺達の中に一人二人そういう子が居てもおかしくはないけど、あれだけいたメンバーのほとんどが酔っ払ったというのがどうにも不思議だ。入れてあったアルコールの量が多かったり度数が高かったのなら母が何か言っただろうし、俺達のメンバーの大半がお酒に弱い設定でもなければ説明がつかない気がする。
「設定……。あっ!設定っ!」
そうだ!思い出した!確かゲーム中でもお菓子に入っているアルコールでご令嬢達が酔っ払うイベントがあった!それで咲耶お嬢様やそのグループが酔っ払ったという描写や説明はなかったけど、パーティー中に大勢のご令嬢達が酔っ払って倒れるイベントだ。そこに俺達が含まれていてもおかしくはない。
プレイヤー達からそのイベントで『お菓子に入ったアルコールでそんなに倒れるとかwww』とか『ご令嬢達どんだけアルコールに弱いんだよwww』という意見が殺到していたはずだ。一人二人ならともかくそんな大勢がお菓子のアルコールで倒れるなんてさすがに無理があると言われていた。
もし……、もしその設定が生きているのなら……、俺達があの程度のアルコールで酔っ払ったことにも説明がつく。
「はぁ~~~……。そんなイベント忘れてますよ……」
これまでだってお酒に浸けたフルーツとか、お菓子やデザートにお酒を混ぜた物は飲食していたはずだ。これまでの量は少量だったからとか、時間を置いたり火を通したりしてアルコールが飛んでいたというのもあるだろう。でもそれだけじゃなくて今回のお茶会がゲームのイベントの代わりとして酔っ払い事件が発生したのだとしたら……、これは世界の強制力なんじゃないのか?
俺が行動することでゲーム本来のイベントのかなりの部分が変わるか、イベントそのものがなくなっている。酔っ払い事件だって大勢のご令嬢が酔っ払い、主人公・藤原向日葵もベロンベロンではないけど少し酔って火照ってしまう。それを攻略対象と一緒に酔いを覚まして親しくなるイベントだ。
まだ高等科生である向日葵や攻略対象達に酔っ払って火照らせるネタをするためだけに、お酒を飲ませるわけにはいかないのでお菓子に入ったお酒で大勢が酔っ払うという有り得ないイベントに仕上がっている。制作会社が強引に作ったとんでもイベントだと揶揄されていた。
そのイベントがなくなったために、代わりに今日のお茶会でそれに類似するイベントが強制的に発生した、と考えるのはおかしいだろうか?むしろ世界に強制力が存在するのならそれくらいのことが起こってもおかしくない気がする。
俺がどれだけ伊吹や槐を遠ざけようと思っても婚約させようとする流れから逃れられない。最初は伊吹達は咲耶お嬢様に興味がないんだからこちらから相手にしなければ余裕で婚約せずに逃れられると思っていたのにだ。もしそれらも世界の強制力が働いている結果なのだとしたら……、俺が何をしても結果は……。
「いえ!いいえ!そんなことはありません!絶対に!」
……弱気になるな。頭が痛くて体調が悪いから弱気になっているだけだ。これまでだってゲーム世界とは異なる結果に導いてきたことがたくさんあるじゃないか。俺が何をしても必ず破滅するなんてことはない。未来は絶対に変えられるはずだ!
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翌朝になると体調はかなり戻っていた。まだ万全とは言えないかもしれないけど一応それなりに回復している。むしろあの程度のお酒の量でここまで尾を引いて長引いているのが驚きだ。前世だったらもっとがぶ飲みしても平気だったのになぁ……。もしかして今生ではもうお酒は飲めないのだろうか?
「おはようございます咲耶様。本日の体調はいかがでしょうか?」
「おはよう椛。もう平気ですよ」
朝起こしに来た椛がそんなことを聞いてきた。万全ではないけどそれを言う必要はない。下手にまだ体調が万全じゃないなんて言ったらまた大事になる可能性もある。
「あぁ……、そうでした。昨日はお母様から詳しいお話は聞けなかったのですが、結局私が作ったお菓子のアルコール分はどの程度だったのでしょうか?」
「はい。皆様が酔われたことから念のために家人が食べて確認し、安全を確認した後に奥様や他の家の方々にお渡しいたしました。大人達が食べても普通においしいお菓子であり特に酔うほどのものではなくどうしてあのようなことになったのか今でも皆が首を捻っております」
「そうですか……」
やっぱり……、普通の大人が食べても酔っ払うほどのものではなかったらしい。それなのに何故俺達だけあんなに酔っ払ったようになったのか大人達も不思議に思っている。それはやっぱり世界の強制力によってゲームにあったのと同じようなイベントが強制的に発生したからではないか?俺にはそう思えてならない。
「咲耶様手作りのお菓子をお渡しした各家の方々もおいしかったとおっしゃられております。あの程度のお酒の量で集団で酔っ払うなどおかしなこともあるものだとも……」
「そう……、でしょうね……」
俺だってそう思う。ウイスキーボンボンやラムレーズンを少し食べたくらいで何人も酔っ払うなんてことはまず起こらない。一人二人が酔ったり気分が悪くなるくらいならわかるけどあの人数が一度にというのはおかしすぎる。
「ともかく今朝はもう大丈夫ですからいつも通りに生活しましょう」
「かしこまりました」
椛に朝の準備を手伝ってもらって百地流の朝練へと向かう。師匠に昨日あったことを伝えて、まだ体調が万全ではないことも言っておく。別に修行を軽くして欲しいとかいうつもりはない。ただこういうことは正確に体調などを伝えておかないと事故に繋がりかねない。あとあんな少量で俺が酔っ払ったのでその相談もある。
「ふむ……。この程度の酒でのぅ……」
「はい……。それでどうすれば良いかと思いまして……」
家に残っていた羊羹とバターを持ってきて師匠に食べてもらった。百地流では毒耐性訓練も行っている。それなのに俺がこんな程度のお酒で酔っ払ったとあっては由々しき事態だ。あと今生でも成人してからはお酒を飲めると思っていたのに、まさかお菓子に入っているラム酒程度で酔っ払うとは思ってもみなかった。これではお酒を楽しめない。
別に俺が酒好きだからということじゃなくて、貴族の子女は大人になれば料理にワインくらいは飲まなければならない。どうしても駄目な人は断る場合もあるけど普通はお酒に強くない女性でもある程度は飲むものだ。それを一口含んだくらいで酔っ払っていては困ったことになってしまう。
「では酒に対する修行も行うこととする」
「はいっ!……え?」
師匠の言葉にすぐに頷いて応えてから……、俺は冷静になってやっぱり首を傾げた。酒に対する修行って何だ?どうするつもりだ?まさか今から酒をガバガバ飲んで慣らせるとかそんなものじゃないよな?
「心配することはない。百地流の中には酔わないようにする修行もある。潜入中に酒を勧められて酔っ払ったから任務が果たせませんでしたでは済むまい?」
「はぁ?そうですね?」
確かにその通りなんだけど……、酒に対する修行って一体どんなものなんだ?それがわからず……、今までの修行より遥かに不気味な気がしたのだった。




