第九話「攻略対象二人目登場」
今日はとうとう藤花学園初等科の入学式の日だ。さすがにドキドキする。前世の自分の小学校の入学式なんてほとんど覚えていない。もっと上の年、中学とか高校とか大学ならある程度覚えているけど小学校の入学式を完全に覚えている人はそんなにいないだろう。
今生では俺は前世の意識や記憶を持っているから普通の子に比べて自我とか物事に対する捉え方とかは随分違うと思う。子供の時ならこういった式とか言われても面倒だと思うだけだったり、特に気にせず普通に過ごしているだけだったりするだろう。
でも大人になってみればあの時ああしておけばよかったとか、この時こうすればよかったとか、もっときちんとしていればよかったとか色々思うようになる。俺も前世では色々とそういうことがあった。
だから今生ではこういうイベントは大切にしたい。大人がいくら子供に言っても子供は大人になるまでわからない。こういうものが一生モノだというのは後になってようやくわかることだ。
俺はそれが身に染みている。もうわかっている。だからこそ今生では前世で失敗したと思うことや、こうすればよかったと思うことをきちんと後悔がないようにしたい。イベントだけじゃなくて習い事でも、勉強でも、何でもいい。そういう大事なものを大切にしよう。
「咲耶、準備は良いかしら?」
「はい、お母様」
そろそろ家を出る時間だ。母に言われて部屋から出る。
「おお!咲耶!よく似合っているぞ」
「ありがとうございますお父様」
ほとんど新品の制服を父にもお披露目してやろう。当然だけど高等科の制服とはデザインが違う。藤花学園は学校指定の制服がある。それは小中高全てだ。ただしデザインは全て違う。さすがに大学に制服はないけどね。
俺が知っている藤花学園の制服はゲーム『恋に咲く花』に出てくる高等科だけだった。小学校や中学校の制服は設定資料でも用意されておらず見たことがない。その小学校用の制服を着れるというのは感無量だ。
俺は『恋花』を何周もプレイしまくった。それだけじゃない。設定集やスタッフの裏話まで『恋花』に関することはありとあらゆることを調べて、見て、読みまくった。グッズでも何でも買いまくって部屋には『恋花』のアイテムだらけだった。もちろん他にも百合百合アイテムもいっぱいあったけどね?
その『恋花』の……、知られざる初等科の制服を着られるなんてファンとしてどれほどの感動かわかるだろうか。もし俺と同じくらい『恋花』が好きな人がいたら絶対に泣いて悔しがることだろう。
「さぁ、行きましょう」
「おお、そうだな」
「はい」
いつまでも父に見せている場合じゃない。せっかくの晴れの日に遅刻なんてしようものなら思い出が台無しだからな。
普通なら小学生なんてすぐに大きくなるからとちょっと大きめのブカブカの制服を着ていたりするけど……、当然藤花学園ではそんな子は一人もいないだろう。前世の普通の世帯の月給じゃそうそう買えないような、普通に考えたら結構高い制服だけど藤花学園でならサイズがぴったり合っているものを着ている者しかいない。
大きくなってサイズが合わなくなれば買い換えれば良いという考えで、サイズが合わないブカブカの制服を着るような不恰好なことをすると周りからも笑われたりいじめられたりする可能性があるらしい。もちろん俺は初等科に行ったのは面接の時だけだから直接は知らないけど両親や兄からの情報だ。
藤花学園では入学式には両親とも出席することが多い。そういう場でお金持ち、名家同士で付き合いや繋がりを作っておくのも仕事というわけだ。
だから母は知らないけど父はあまり入学式には興味がないだろう。むしろ父の仕事は同じく入学式にやってくる他の財閥や名家の人達と挨拶したりすることだ。
普通の子供ならお父さんがちゃんと見てくれてなかったら怒ったり泣いたりするのかもしれない。でも俺は精神的には大人なんだから父の苦労もわかる。そんなことで拗ねたり父を困らせたりするようなつもりはない。
「見えてきたわね」
母の言葉で視線を窓の外に移す。綺麗に管理されている木々が道の両側に植えられている閑静な町の先に藤花学園が見え始めていた。
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普段は玄関口のロータリーにしか車は乗り入れ出来ないらしいけどイベントの時だけは動線が確保されてグラウンドの方に直接入ることが出来る。もちろんグラウンド側に入るとは言ってもグラウンドの上を走るわけじゃなくて広い出入り口から入って、舗装してある上を走るだけだ。
車や人通りが多くなるイベントの時は路上に車が並ばないように多くの車が早く入って捌けるようにとの配慮だろう。
それにしても……、子供達がたくさんいる……。
う~っ!さすがにちょっと緊張する~!これが俺の『恋花』デビューか!
設定資料集や色々な話や情報からしても『恋花』は基本的に藤花学園初等科からが始まりだ。それぞれの登場人物の縁や因縁は大体初等科から始まっている。
かく言う俺、九条咲耶の因縁である近衛伊吹との許婚候補の話も初等科に入ってからのこと。だからここからの生活は全て注意しておかなければならない。いつ何時どんなことが起こるか、どんなことに巻き込まれるかわからない。そう思っていたら早速……。
「これはこれは九条様、御機嫌よう」
「近衛様御機嫌よう」
俺達の後から来た車から近衛の両親と伊吹が降りて来た。早速会っちゃったよ……。出来ればこのお坊ちゃんとは会いたくなかったんだけど……。
まぁどうせ同じ学校に通っていればそのうち嫌でも会うだろうけど、それでも会わないに越したことはない。変なフラグに巻き込まれないようにするには関わらないのが一番だ。
それなのに両親は近衛両親と親しげに話している。俺としてはさっさと離れたい。こいつらと関わりたくない。でも両親が話している以上それは不可能だ。
「おい」
「……」
「おい!」
「…………」
「聞こえてるだろ!何無視してるんだよ!」
あ~、も~……。うるさいなぁ……。
「どなたに話しかけておられるのですか?私は『おい』という名前ではありませんので私ではありませんよね?」
「お前に言ってるんだよ!」
「はぁ……。私は『おい』でも『お前』でもありません。そのような方は存じませんので他をあたってください」
まったく面倒臭い……。両親が話しているのは仕方ないとしても俺に話しかけてくるなよ。俺はお前と関わりたくないんだよ。俺からお前に関わることはないから頼むからそっとしておいてくれ。
「近衛様、九条様、ご無沙汰しております」
「ああ、鷹司様御機嫌よう」
げっ!さらに面倒なことになってきたんじゃないのか?鷹司と言えば近衛伊吹と並ぶもう一人の攻略対象、鷹司槐だろう。
伊吹と幼馴染で大親友。暴れん坊の『俺様王子』こと伊吹を宥めて抑えることが出来る唯一の人物、誰が呼んだか『白雪王子』鷹司槐と言えば伊吹と人気を二分する藤花学園の頂点の一角だ。
○○王子は公式の呼び名じゃなくてファン達が勝手に付けた呼び名が定着したもので『俺様王子』については説明する必要はないだろう。『白雪王子』は色白でか弱そうな大人しい槐が白雪のイメージだったかららしい。その白雪っていうのが実際の雪のことか白雪姫のことかはわからない。
それはともかくプレイヤーの人気では知らないけどゲーム中では名門藤花学園を取り仕切る五北会に所属している近衛伊吹と鷹司槐に逆らえる者は同じ五北会の者だけだ。
ちなみに五北会というのは大財閥や名家の中でも家格トップの五つの家を中心にしていることから五北会という。五北会にはこの国の家格最上位五つの家以外にもごく一部の超上位家格の家だけが入れる。そもそもその五つの家がずっと子供を通わせているとは限らないからな。
実際今藤花学園に子供を通わせているのは五家のうち三つ。近衛、鷹司、そして九条の三家しかない。そう……、つまり俺もその五北会に強制的に加入させられることは決まっている。
今年はまだ兄がいるから良い。だけど来年以降は兄は初等科を卒業してしまう。俺一人で伊吹や槐の相手をしなければならなくなる……。考えただけでも胃が痛くなりそうだ……。
「やぁ、伊吹」
「おう!槐!」
やっぱり来たか。鷹司槐……。っていうか本当に白いな!色白にもほどがあるだろ!何かホワホワした女の子みたいだ。まぁこいつは男だから俺は興味はない。俺が興味あるのは『恋花』に出て来たご令嬢達や主人公の周りの女の子達だ。攻略対象達には一切興味はないので出てこなくて結構です。
「そちらの子は?」
「あ?俺が知るかよ。九条家の子だ」
伊吹は『ふんっ!』と言いながら槐に答える。そう言われた槐は俺のことをジロジロ見ていた。
「へぇ。君が九条咲耶ちゃんか。僕は鷹司槐。よろしくね」
にっこり微笑みながら自己紹介された。そう言われたら無視するわけにはいかない。俺は礼儀知らずじゃないからな。
「御機嫌よう、鷹司様。……私のことをご存知だったのですか?」
「うん。少し前から伊吹は何かあるたびに咲耶ちゃんのことばかり話してたからね。それに社交界でもどんなパーティーに呼んでも姿を現さない九条家の秘蔵っ子、神秘の美少女って噂だよ」
「おい槐!何言ってんだよ!俺はこんな奴なんて!」
あ~……。兄情報によると普通の子ならもうとっくに色々なパーティーに顔を出しているらしい。だけど俺は堅苦しいパーティーとかは参加したくなかったし、母も俺をそんな場になんて出せないと言うからずっとそういう場には出たことがなかった。でもそんな噂になってるのか?とんだデマだな。
「神秘でも美少女でもなくて申し訳ありません。人の噂とはあてにならないものでございますね」
「おう!そうだぜ!こいつのどこが美少女だよ。男を殴るような男女だぜ!」
「ふ~ん……。これから学園に通うのが楽しみになってきたね。ね?伊吹?」
う~ん……。俺としては伊吹にも槐にも関わるつもりはない。五北会もなるべくスルーしよう。実際どういう所なのかは兄に聞いてるけど別に生徒会とかみたいな仕事があるわけじゃないからどうとでもなる。今年は兄もいるから顔を出さないわけにはいかないだろうけど、来年兄が卒業したら五北会ともおさらばだ。
「それでは私達はお先に……。咲耶、行くわよ」
「はいお母様。それでは近衛様、鷹司様、御機嫌よう」
母に連れられてこの場から離れる。母はこのまま一緒に会場の講堂に入る。父はこれから挨拶回りだ。する方かされる方かで言えばされる方だろうけどそれでも面倒なことに変わりはない。心の中でご愁傷様と手を合わせてから講堂へと向かった。
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入学式を聞いているけど……、校長の話はどこでも長いんだな……。小学校一年生にそんな話をしても意味ないだろうというようなことを延々と話している。俺は意味がわかるけどそんな話をしてどれくらいの生徒達が理解出来ているんだろうか。
そんな退屈な入学式もようやく終わり並んで講堂を出る。この後は教室へ向かうんだけど藤花学園は普通の学校とちょっと違う。普通の学校なら多分皆で並んでそのまま教室まで移動だと思うけど藤花学園では一度両親の所へ行ける。
例えば記念撮影をしたい親とか、何か荷物の受け渡しをしたりとか、色々とあるから一度講堂を出てから各教室に集合するまでに時間がある。
普通の小学生だとそうやって一度バラけてしまったら自分が向かう教室がわからなくなるとか、きちんと時間までに集合しないとか色々問題が起こるだろう。だけどここに通うような子供はそんな子はいないからその程度では混乱は起こらない。
俺は両親の所へ行く予定はない。記念撮影はもう済ませたし帰りにまた撮りたければ撮れば良い。こんな混雑の中で記念撮影する必要はないだろう。別にお化粧直しも荷物もないしどうしたものかとキョロキョロとしていると……。
「ちょっとあなた!」
「え……?」
声をかけられたから顔を上げるとちょっと生意気そうな女の子が立っていた。正面に立つその子だけじゃなくて俺の周りは女の子達に囲まれていた。ぼんやりとではあるけど面影がある。というと逆なんだろうな。この子達の将来の姿に覚えがあるというべきか。
今俺を囲んでいるのは……、将来『九条咲耶』の取り巻きとして登場する女の子達だった。