それひばSP:ショッピングモールへ行こう!
それは清々しい風が吹き、新緑が眩しい5月のことでした。
その日、ワタクシは兄のアレクサンドルと一緒にリビングでのんびりソファに座って、テレビを観ていました。
画面の向こうはちょうどお昼のワイドショーの真っ最中で、コメンテーターが延々と社会問題を語っています。
『このように、今の日本の経済は……』
「ふぁ~あ。このオッサンの話、お兄ちゃん退屈だわ。おい、ジェル。チャンネル変えてくれよ」
アレクはソファにもたれかかって、小さな子どものように足をプラプラと動かしながら、しきりに退屈であることをアピールしてきます。
「でもこの時間帯はどこも似たようなもんですよ?」
そう返しながらリモコンを手に取りチャンネルを変えてみると、賑やかな音楽とともにショッピングモールのバーゲンセールのCMが流れました。
「あ、これって最近できたとこだよな」
「そうですね、行った事がありますが綺麗で広くて店の数も多くて良かったですよ」
「え、ジェル行ったことあんのかよ……」
ワタクシの発言が完全に予想外だったらしく、アレクは目を丸くしています。
「そんなに驚くようなことでしたか……?」
「いやだって、引きこもりのオマエがあんな人の多いとこに行くなんて……!」
「別にワタクシは引きこもりではなくインドア派なだけですってば!」
たしかに彼の言うように、ワタクシは人の多いところは好みませんし出かけるのはあまり好きではありませんが、用事があれば話は別です。
「行きつけの宝飾店がショッピングモールに移転しましてね。ちょうどアレクが旅行で不在だったタイミングでしたから一人で行って来たんですよ」
「なんだそっかぁ。俺も一緒に行きたかったなぁ……」
「――よかったら今からでも行ってみますか? 今日は休みのつもりでしたし、たまには外食もいいかも……」
ワタクシのなにげない提案に、アレクは勢いよく食いつきました。
「ホントに⁉ やったぁ! よし、ジェルも早く用意しろ。急いでショッピングモールに行くぞ‼」
彼は勢いよくソファから立ち上がり、小さな肩掛け鞄を片手に早速出かける準備を始めました。
「アレクったら、別にそんなに慌てなくても……」
「だって、ショッピングモール楽しみじゃん!」
「そういうもんですかねぇ……」
日頃、世界中を旅行している彼にとって日本のショッピングモールなどたいして珍しい場所ではないでしょうに。どうしてこの人はこうも元気が有り余ってるんでしょうか。
「なぁなぁ、お兄ちゃんフードコートでアイス食いたい!」
「ちゃんとお昼ごはんも食べるんですよ?」
「うん。お昼ごはん何にしようかな、ジェルは何が食べたい?」
「そうですねぇ……」
目をキラキラさせて楽しそうに支度するアレクを見て、ワタクシは微笑みました。
――そう。この時はまだ、彼を連れてショッピングモールに行くことがあんなに大変だなんて思ってもいなかったのです。
こうしてワタクシ達は電車を乗り継ぎ、ショッピングモールへとやってきました。
「うぉぉぉぉぉ! やっぱり広いな‼」
建物の中に入るなり、アレクは目を大きく見開いて周囲をぐるっと見渡しました。
ショッピングモールは広大な敷地を贅沢に使った4階建ての建物で、中央は吹き抜け構造になっており周囲を見渡せるような大きなエスカレーターがあり、そこだけでなくさらに別館もあるという大規模なものなのです。
いずれも巨大な白く清潔感のある建物で、壁面には大きくバーゲンセールの広告が垂れ下がっています。
「いいですかアレク。勝手にうろうろすると迷子になりますから、ワタクシと一緒に……あ、こら!」
アレクはワタクシの言葉など聞かず「すげぇすげぇ!」と言いながら、勝手に目の前の店に吸い込まれて行きます。
慌てて後を追いかけてみるとそこはお菓子屋さんで、彼はさっそく店員さんに試食のクッキーをもらって談笑していました。
「こら、アレク! 一人で勝手に行っちゃだめですよ」
「大丈夫だって。おい、このクッキーうめぇからジェルも食ってみろよ。チョコチップがおねぇさんのイチオシだってさ♪ ――ね、そうだよね?」
アレクに爽やかな笑顔で微笑みかけられた若い女性の店員さんは、顔を真っ赤にしながら「よ、よかったら全部どうぞ!」と試食の箱をワタクシにも差し出してきました。
周囲の店員さん達も、目を輝かせながら試食の箱を持って近づいてきます。これは何も買わずに出るわけにはいかない雰囲気です。
「もう、本当にしょうがないですねぇ……あ、その詰め合わせセットをひとつください」
ワタクシ達はクッキーを購入して店を出ましたが、息をつく間も無くアレクはもう次の店に気を取られています。
「――お、あっちの店は和菓子屋か! あ、でも向こうの雑貨屋も気になるな……よし!」
「こら、アレク! 待ちなさい‼」
アレクはワタクシの制止などまったく気にせずあちこち行こうとします。
このままアレクのペースで店を回ると、体力的にも経済的にも大変なことになりそうです。とりあえず彼を落ち着かせないと。
「アレク、アレク! フードコートに行きましょう! とりあえずお昼ごはんを食べて、ショッピングはその後にしませんか?」
「……お、そうだったな。俺アイス食いたい!」
「えぇ、えぇ。アイスもありますよ」
「よし、フードコートに行くぞ!」
よかった。とりあえず何か食べさせておなかいっぱいにしてしまえば、少なくとも食べ物系の店に釣られることはなさそうです。
ワタクシはホッとしつつ、アレクと一緒にエスカレーターで二階に上がりました。
「ん~、フードコートはどっちだ……?」
「えっと、たぶんあっちですね」
「お、そうか」
ワタクシの返事を聞いてアレクが歩き出した方向は……
――あぁ、そっちはいけません。よく考えたらそっちはおもちゃ屋がある方向じゃないですか!
もし彼がおもちゃ屋を見つけたら面倒なことになるのです。
先日もパン男というアニメのロボットを欲しがって、買うことを断念させるのに大変苦心しました。もしそれが見つかった日には、きっと買いたいと駄々をこねて大騒ぎするに違いありません。
ここはなんとしてでも、おもちゃ屋の存在を気づかれないようにフードコートへ行きたいですね……
「あ、アレク、そっちは違いました! 反対側です‼」
「えぇ……⁉ なんか遠回りしてないか⁉」
「気のせいです。ほらほら、こっちですよ‼」
不審がるアレクを誘導して少し遠回りした結果、おもちゃ売り場を回避して無事フードコートにたどり着くことに成功しました。
「やれやれ……無事回避できてよかった」
「あ~腹へった~。俺ハンバーガー食いたいな。ほら、このセットのやつ!」
アレクは早速、目の前のハンバーガーの広告に目を輝かせています。
「いいですね、ではお昼はハンバーガーのランチセットにしましょう」
幸いピークを過ぎていたのか空席も多く、ワタクシ達は問題なく席につくことができました。
「お、ハンバーガーうめぇ!」
「えぇ。ポテトも熱々で美味しいですよ」
「どれどれ……うぉっ、あっちぃ!」
「店の方がたくさん入れてくださいましたからね。慌てずゆっくりいただきましょう」
「そういやさ。さっきのクッキー屋のおねぇさんたちも、おまけいっぱいくれたな」
「結局あの後、他の店員さんたちも寄ってきて買った量の倍くらいクッキー追加でもらいましたねぇ」
「俺らが兄弟だって言ったら、キャー! 尊い! って言われたの謎だよな」
「何がそんなに尊いのか。若い女性の感覚はよくわかりませんねぇ……」
そんなことを言いながら二人でハンバーガーとポテトを食べていますと、向こうから大きな箱を抱えた親子連れがやってきてワタクシ達の隣の席に座りました。
「ねぇねぇ、開けていい?」
幼い子どもが両親に甘えた声でたずねます。どうやら先ほど抱えていた大きな箱の中を見たがっているようでした。
ワタクシたちがその光景を微笑ましく見守っておりますと、子どもは包装紙を上手くはがせずビリビリ裂こうとします。
両親が慌てて止めて子どもの代わりに包装をはがすと、そこには見たことのあるロボットの箱が。
「ぱ……パン男ロボDXだ……限定版じゃねぇか……」
アレクは鋭い目つきをしながら小さくつぶやきました。
――これは実にまずいことになりました。
このショッピングモールの中におもちゃ売り場があること、しかもそこにアレクの大好きなパン男ロボが売られていることを彼に悟られてしまったからです。
「くっ、わざわざおもちゃ売り場を避けて通ったというのに……」
ワタクシはめんどうなことになったと苦々しい顔でアレクを見ましたが、不思議なことに彼はいたって涼しい顔をしています。
いつもなら即「俺もパン男ロボ欲しい!」と駄々をこねるはずなのですが、なぜか今日は黙ってじっと何か考え込んでいます。どうしたんでしょう。
「ねぇ、アレク。パン男……」
「――パンダ? うん、お兄ちゃん動物園にパンダ見に行きたいな」
「そうじゃなくてパン男ロ……」
「俺のパンツのことが知りたいのか? 今日はスケスケビキニだ」
「もう結構です」
気になってこちらからパン男ロボの話題を振っても、彼は無理やり話をそらせようとします。
釈然としませんが仕方ないのでとりあえず食事を済ませ、お互いどこか上の空でアイスを食べた後、再びショッピングの続きとなりました。
アレクはおなかが満たされたせいか食べ物の店に釣られませんでした。
先ほどとはうって変わっておとなしくなり、ワタクシのペースに合わせるかのように歩いています。
その時、近くのスピーカーから館内放送を伝える軽快なメロディが流れました。
迷子がいるらしく、子どもの特徴を伝えるアナウンスが繰り返されています。
「やっぱりこれだけ人が多くて広いと迷子になるよなぁ」
「そうですね。早く見つかるといいのですが」
幸い迷子はすぐ見つかったようで、数分後に見つかったことを知らせるアナウンスが流れました。
「見つかってよかったですね」
「うん、やっぱあの放送いいなぁ。うんうん。いいなぁ……」
どういうわけかアレクは館内放送に関心を寄せていましたが、一人で納得しているようなので、ワタクシは気にせず行きつけの宝飾店へと向かうことにしました。
「ジェルマン様! いらっしゃいませ‼」
同じフロアにある宝飾店へ顔を出すと、店員のお姉さま方から黄色い歓声が上がり、ワタクシ達は大歓迎されました。
「ジェルマン様にお兄さんがいらっしゃるとは伺っておりましたが……ユニークな方でいらっしゃいますね」
ちょび髭でメガネをかけた年配の店長さんはそう言いながら、店員さん達に囲まれ談笑する兄を見て微笑んでいました。
「はぁ、本当に手のかかる兄でしてね。目が離せないんですよ。――あ、そちらのお品を見せていただけますか」
「はい、かしこまりました」
ワタクシはパールとアクアマリンで飾られたブローチを購入して、アレクを連れて店の外に出ました。
「長くなってしまいすみません、アレク。おかげで良い買い物ができました。」
「おぅ、俺も店員さんと話してたから大丈夫だ」
「何を話してたんです?」
「この上のフロアに、でっかい本屋があるって話をしてた」
そういえば3階に大型書店があったのを思い出しました。
品揃えが豊富で専門書や洋書まであるので、この前に来た時もつい長居して買いこんでしまいましたっけ。
せっかくなので新刊がでているか確認に行きたいですが、本を吟味しだすと長くなるのでアレクを連れて本屋に行くのは得策ではないように思います。
惜しいですがまた今度にしますかね……。
「――ジェル、本屋行こうぜ!」
「え、でも……」
「行きたいって顔してるぞ!」
「でも長くなりますし……」
「いいから、行こう! ほら!」
アレクは、しり込みするワタクシの手を引いて昇りエスカレーターの方へ先導しました。
「あ、わ、わかりましたから手を離してください! じゃあ、ちょっとだけ……」
――それが彼の策であったことに気づいたのは、ずっと後のことでした。
アレクに勧められるまま本屋に入り、気になっていた洋書を手にとってページをめくって数分後。
「よし。これを買って帰りましょうかねぇ……ねぇ、アレク。――アレク?」
ふと横を見ると、隣に居たはずの彼の姿がありません。
漫画のコーナーにでも居るのかと、店内をぐるっと一周してみたのですが見当たらず、気が付けばアレクの姿は書店から忽然と消えていたのでした。
「困りましたねぇ……どこへ行ったのやら」
――その時、館内放送で迷子の呼び出しのアナウンスの音楽が流れました。
まさかと思いましたが、非常に聞き覚えのある声が館内にこだましたのです。
「えーっと。迷子のお呼び出しでぇ~す! ハハハハハ‼ お兄ちゃんこれ一回やってみたかったんだよなぁ~! ――えっと、アレクサンドルくんがおもちゃ売り場でお待ちしています! 至急ジェルちゃんはパン男ロボ売り場に来やがってください!」
元気いっぱいのアレクの声の背後で「お客様、困ります! お客様!」という店員さんの声もしています。
「アレク……やはりパン男ロボを狙っていたのですか!」
それにしても、勝手に放送を使ったりして人様に迷惑をかけるなど言語道断です。
これはきつくお灸をすえないと。
ワタクシは急いで2階のおもちゃ売り場へ向かいました。
「アレク……!」
おもちゃ売り場に行くと、パン男ロボのプロモーション映像を背後にアレクが仁王立ちしていました。
「ハッハッハ! 待っていたぞ、ジェル‼」
「なにやってるんですか! 勝手に放送を使ったりしちゃダメですよ‼」
「勝手にじゃねぇぞ⁉ 俺このショッピングモール経営してる会社の社長と友達だから電話して許可とったぞ。今度ゴルフ付き合うって言ったら許してくれた」
「もう、こんなしょうもないことに人脈を使わないでください!」
アレクはワタクシの文句を軽く受け流し、高らかに宣言しました。
「聞け、ジェル! 今からお兄ちゃんはパン男ロボDXを購入する‼」
「ロボはこないだの誕生日に買ったじゃないですか!」
「違う! あれはマークツー! これはDX‼ 数量限定のプレミア品なんだよ‼」
「ワタクシには全部同じに見えるんですけどねぇ……」
「違う! あれは特別なんだ‼ だからジェルがなんと言おうとお兄ちゃんは絶対買うからな‼」
そう言って彼は振り返り、パン男ロボ売り場を見たのですが……売り場の棚は、綺麗さっぱり売り切れてもぬけの殻になっていました。
「え、さっきはまだあったのに……」
アレクは呆然とした顔でその場に立っています。
レジの方を見ると、5歳くらいの小さな男の子が母親と一緒にパン男ロボDXをちょうど購入しようとしているのが見えました。
男の子はロボの入った箱を満面の笑みで抱きかかえています。
「アレク、どうやらあのお子さんに先を越されたようですよ」
「……え」
「あれが最後の一個みたいですね。どうしましょう、譲ってもらえないか交渉すべきでしょうか?」
「――いや」
「え、でもプレミア品だし、さっき絶対買うって……」
「いいんだ」
「……そうですか」
会計を終え、仲良く手を繋いで帰っていく親子を、アレクは穏やかな優しい目で見つめていました。
「……アレク。そろそろ夕方ですしワタクシ達も帰りましょうか」
「うん……」
ワタクシ達は並んで出口へと歩き始めました。
「さ、アレク。早く帰りますよ」
「うん……」
「あぁそうだ。今夜はアレクの好きなハンバーグにいたしましょうね」
「――でっかいハンバーグにしてくれるか?」
「えぇ、もちろんですよ。目玉焼きも乗せましょう」
「やったぁ!」
ワタクシとアレクは笑顔でショッピングモールを後にしたのでした。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
もしアレクとジェルのこと気に入っていただけましたら、ぜひ「それは非売品です!」本編もご覧ください。
本編も1話完結のコメディですのでどこからでもお気軽に試し読みくださいますと幸いです♪