第097話~くりてぃかるひっと!~
滑り込みセーフ!_(:3」∠)_(アウト
「神は母が子を愛すように創り、子が母に抱かれれば安心を得られるように創られました……」
聖女の落ち着いた声が大聖堂に凛と響き渡る。この大聖堂は大変に大きく、広い。さして大声を出しているようには思えないのにこうしてよく声が通るのは何故だろうか? 何かしらの魔法の道具でも使っているのか、それとも大聖堂の構造的な機能なのか、単に彼女の声の通りがとても良いだけなのか。
え? 説法の内容? 正直あまり興味はないかなぁって。聖書とか教典からの引用も多いし、元ネタがわからない俺としてはなんとも頭に入ってきにくいんだよね。ただ、話の内容からするとやっぱりアドルという存在は高度な遺伝子工学技術を持つ存在なんじゃないかと思うね。
特に亜人や魔物の創造、あるいは発生を説明しているプロセスがそのままにしか思えない。
例えば、亜人は元を正すと罪人なのだという。主神アドルは罪を犯した者に獣の烙印を施し、ヒトに奉仕し、一生懸命に労働をすることを命じたらしい。そして、充分に罪を購った暁には獣の烙印は消え失せ、またヒトに戻ることが許されるんだとか。
逆説的に言うと、未だ獣の特徴を残す亜人はアドルに許されていない罪人であり、ヒトに奉仕し、一生懸命に労働しなければならない存在なのだ、ということらしい。また、亜人の中でもヒトから容姿がかけ離れている者ほど重い罪を背負っているのだという。
どうにも犯罪者、実験体、変異といった言葉が脳裏にちらつく。実際にアドルがその罪人達に罪を償ったら戻してやると言ったのかどうか、そして『獣の烙印』を実際に消す技術があったのかどうかはわからない。だが、現状を見る限りとんだペテン野郎だったんじゃないかと思う。
俺には亜人の皆が生まれついての罪人だとは到底思えない。姿形が少し違うだけで、それ以外は人間と何ら変わらないと思う。そりゃ姿形に由来して生まれ持った能力の差はあるかもしれないが、そんなの人間だって同じだろう。
人間だって体格に恵まれて力の強いやつ、足の早いやつ、鼻や目の良いやつ、頭の良いやつ……数え上げればキリがないくらいに生まれ持った能力の差があるはずだ。容姿だって人それぞれだし。
「これで私からの説法を終わります」
説法の内容というか、アドルに関しての考察に没頭している間に説法が終わってしまったらしい。
これで解散なのかと思ったのだが、大聖堂で説法を聞いていた人々が席順に列を作り始めた。どうやら聖女様に何か祝福のようなものをしてもらえるらしい。
正直、聖女様には近づきたくないんだが……どうも全員が行くようなので、俺だけ抜け出したら目立つだろうなぁ、これは。大聖堂内でも教会騎士の皆様が目を光らせているようだし、目立つ行動は控えたほうが良さそうだ。
「お許しください……お許しを……」
相変わらず隣のやつ……というか列に並ぶと後ろのやつか。後ろのやつがブツブツと呟いていてコワイ。一体どんな罪を犯したというのだね、君は。
まぁ、今から聖女様がじきじきに有り難い祝福を授けてくれるようだから、存分に懺悔でもなんでもすると良いと思うよ。うん。
少しずつ列が進み、やがて先頭の様子が見えてくる。どうやら聖女様が信者に何か声をかけ、信者は頭を下げてそれを受け、退場する時に箱に銅貨を何枚か入れていくようになっているらしい。
ここでも金か! 街で暮らすということには金がかかるものなのだなぁ……と益体もない事を考えながら胸元の財布の重さを確かめる。まぁ、銅貨の数枚くらいなら良いか。聖女様直々にありがたい話を聞いて、祝福を賜る。その対価として銅貨数枚、というのはささやかなものであると言えるかもしれない。
聖女様って言ったらアドル教のトップアイドルみたいなものだろう、多分。その聖女様の独演ライブと握手会めいたものに参加する費用が大体食事一回分と考えると安いのでは?
「次の方……」
そんなことを考えているうちに俺の番が来てしまったようだ。え? どうでも良いことばかり考えてないでいざというときのことを考えておけって? そうは言うがな、大佐。何が起こるか全く予測ができん以上、考えて悩むだけ脳内リソースの無駄遣いだとは思わんかね?
高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するしかないだろう。つまり行き当たりばったり。
大丈夫だ、アドリブには自信がある方だぞ。
「貴方……」
「……ええと」
聖女様が美しい顔と真紅の瞳をじっと俺に向けたまま動かない。
いや、アドリブには自信があるとは言ったけども、これはどうリアクションすれば良いんだ?
どうしたものかとお側付きの神官さんに視線を向けてみるが、彼女も困惑した表情を浮かべている。これは頼れそうにありませんね。
「あの、聖女様?」
「貴方は――」
聖女様が何か言葉を紡ごうとしたその時だった。
「キィエエエェェェェェッ!」
怪鳥のような奇声が俺の背後から上がった。何事かと背後を振り返ろうとした刹那、後ろにいた例のブツブツ野郎に押し退けられそうになる。
だから、なんと言うか……特に何かを考えて行動したわけではなかった。反射的なものに近い。
何だこの野郎、とちょっとイラッとはしたことは認める。
「ぐげっ!?」
恐らくやつの頭があるであろう位置に思い切り肘打ちをしてやっただけだったのだ。
それが丁度良く奴の顔のど真ん中、鼻の下辺り――つまり人中にめり込んだのはただの偶然だ。俺にとっては会心の一撃、ヤツにとっては痛恨の一撃。
だが、それは奴の意識を一撃で刈り取るほどのものではなく、奴は激痛と混乱の中で手の中にあるものを無闇矢鱈に振り回した。
それは奇しくも俺が繰り出した肘打ちによる会心の一撃と同じく、奴にとっての会心の一撃を生み出した。
「ぐおっ!?」
脇腹に物凄い衝撃を感じる。見れば、男が手に握りしめていたナイフのようなものが俺の脇腹に突き立っていた。
「うっそだろお前……」
何かに引き倒され、押さえつけられる。
違う違う俺じゃない、俺被害者だから。痛い痛い、痛いって。
脇腹の傷よりも押さえつけられる感覚のほうが痛みを感じる。なんだ大した傷じゃないのか? いや、それはないだろう。深々と刺さってたし、あの場所は下手すると肝臓に刺さってるかもしれない。だとすると致命傷だ。
というか、刺し傷の痛みを感じないってこれヤバいのでは? 毒か何か塗られてません? あの細そうなナイフじゃ余程上手く刺さらないと致命傷は狙えそうにないし、毒塗ってありますよね?
毒のナイフで暗殺って、これ絶対狙われたの聖女様だろ。ということは、このブツブツ野郎は白豚野郎の……ああだめだ、眠くなってきた。
うっそだろお前、まさかこんなところで……? 聖王国の連中に正体がバレて追い詰められたとかでもなんでもなく、ただの事故みたいな形で?
だめだ、意識を保てそうにない。頑張れ、頑張れよ俺。俺というか俺の能力!
頑張れ俺のスキル! というか鉄の皮膚さん仕事しろよ! しっかり刺さってんよ! ああだめだ、生存者を取っておけばよかった……ここで俺の冒険は終わりなのか。
それが最期の俺の思考だった。
☆★☆
白い天井だった。何か複雑で、格調高い彫刻のようなものが施されている。天井を見るだけで『なんか高級そうなところだな』と感じるのはなかなか稀有な体験かもしれない。
「知らない天井だ」
どうやら生きているらしい、ということでお約束の台詞を吐いてみる。人生で一度は言ってみたい台詞の一つだよね、これ。
はて、一体何がどうなったのだろうか?
あのブツブツ野郎にナイフで刺されて、気を失った。で、なんか高級そうな天井の部屋に寝かされている、と。ベッドは上等、布団も上等、アイラと一緒にポーションを作ったときによく嗅いだ薬草の匂いもする。
どうやら手厚く治療されたらしいということがわかる。状況から考えるに、アドル教の教会施設か、王城のどちらかに保護されたと見るべきか。
なるほど、偶然にも聖女様を不心得者の凶刃から救ったという形になったのか。それにしても、捨て置かれずに手厚く治療してもらえたというのは少し意外だな。
いや、仮にも身を挺して聖女様を守ったわけだから、教会としても捨て置くわけにはいかなかったのか。例え相手が怪しげな根無し草の傭兵だとしても。
どう振る舞うべきだろうか、と頭を悩ませつつベッドの中で身じろぎをする。刺された辺りに手を触れてみるが、痛みも違和感もない。包帯は巻かれているようだが、既に傷は癒えているのではないだろうか。
身を起こし、部屋を見回そうとして真紅の瞳と目が合った。
「うおっ!?」
「……」
聖女様がいた。
金糸のように輝く髪に白磁のような病的に白い肌、紅玉のような真紅の瞳。分厚い純白の聖衣を着ても尚、その身体が華奢であろうということは見て取れる。
シルフィとはまるで正反対の性質を持つ美女だ。
「あの……?」
「……」
聖女様は身を起こした俺をまるで人形か何かのように身じろぎの一つもせず、ただじっと見つめている。つまりめっちゃガン見してきている。
「そんなに見つめられると穴が空きそ――」
「貴方」
鈴の音のような声が俺の言葉を遮った。
「貴方は神か、その使徒ですか?」
「お前は一体何を言っているんだ」
真顔で聞いてくる聖女様に俺は真顔でそう返さざるをえなかった。




