第091話~彼女が見た解放軍騒動~
今日はぼくの誕生日なんですよ!_(:3」∠)_(特に意味のない報告
Side:スライム娘
「くそっ! どいつもこいつも……!」
豪華絢爛……いや、成金の悪趣味に一歩踏み込んだ執務室で悪態を吐く男がいた。男の名はバリントン=セイル=オルトリンデ。金糸で綺羅びやかな刺繍の施された白絹の法衣を身に纏う聖職者だ。聖王国で権威を振るう枢機卿達、その地位を望み、狙っている者達の一人でもある。
もっとも、聖職者だからといって高潔で清廉潔白なのかというとそんなことはなく、実は平民上がりだという彼が信じるものは何よりも金だ。本人は建前上アデル教の敬虔な信者であるということになっているが、何より金が大事な男だということは公然の秘密である。
バリントン=セイル=オルトリンデはこのところ非常に機嫌が悪い。理由など考えるまでもない。遥かオミット大荒野の向こう、黒き森から突如現れた『解放軍』にここ数ヶ月ほどの間、ずっと苦しめられ続けているからだ。
☆★☆
きっかけは辺境のいくつかの村と岩塩鉱山で起こった襲撃と脱走事件だった。何者かが夜陰に乗じて聖王国の聖兵を襲撃し、皆殺しにした。村は略奪され、そこで働かせていた亜人達は一人残らず連れ去られた。
最初はどこかから大規模な傭兵団か盗賊団でも流れてきたのかと考えられた。傭兵団と盗賊団を同列に扱うのか? と私は疑問に思ったが、彼ら聖王国の聖職者にとってはどちらも似たようなものであるらしい。
少しして被害の実態がわかってくると、彼は醜いその豚のような顔を更に醜く歪ませた。いや、豚のようにというのは豚に失礼だろう。だが、彼の名はあまりに長いので、今後は白豚司教と呼ぶことにしよう。それがいい。
被害の実態というものは、白豚司教を激昂させるに余りあるものであった。なんと、亜人達は連れ去られたのではなく、自ら去ったらしいということ。村は略奪されたのではなく、そこに住んでいた亜人達が一切合切を持ち去ったのだということがわかったのだ。
つまり、これは亜人達の反乱である。白豚司教はそう結論づけた。彼の周囲もそう結論づけた。
三年ほど前にも反乱が起こり、その時はなんとか鎮圧に成功した。被害は少なくはなかったが。
『またか! あの亜人どもめ! 二度と反乱など起こす気が起きないように躾けてやる!』
白豚司教はすぐさま追討部隊を差し向けた。兵を数十ばかり殺したようだが、所詮はまともな武器も持たない奴隷どもだ。しっかりと武装した兵を差し向ければ、たちどころに討滅できるだろう。そう考えたようだった。
しかし、白豚司教の部下である兵の長だけは難しい顔をしていた。それもその筈だ。現場からの報告には兵を殺した手口からして、訓練を受けた何者かが脱走に関わっている可能性が高いという情報があったからだ。
『ただの奴隷の反乱と考えるのは危険だと思いますが』
そんな彼の意見は一笑に付された。何を馬鹿なことを、と。
兵から奪った武具がいくらかはあるかもしれないが、奴らは所詮過酷な労働を強いられていた奴隷どもだ。疲れ切っているだろうし、士気も長持ちはすまい。兵の長と仲が悪い聖騎士の長はそう言った。白豚司教も聖騎士の長の言葉に賛同し、兵の長は口を噤まざるをえなかった。
それが全ての始まりだった。
誰もが脱走奴隷達の討滅を疑っていなかったが、オミット大荒野とメリナード王国領の境界を守る砦からは信じがたい報告が戻ってきた。
追討部隊全滅、被害甚大、生き残りは少数、指示を請う。簡単にまとめると、そういう内容だった。
白豚司教達は困惑した。いくら脱走奴隷どもの数が一〇〇〇人ほどに膨れ上がっていたとはいえ、ほぼ同数の完全武装の兵を差し向けてそれが全滅することなどあり得るのか? と。
確かに亜人は身体能力や魔力において人間を上回るものもいる。だが、魔力持ちの人間であれば充分に対抗、場合によっては圧倒できる程度の差であるし、そもそも奴らは脱走奴隷でまともな装備も、食料も持ち合わせていなかった筈だ。
それなのに負ける? しかも全滅? 何の冗談だ? と。私もそう思った。
しかし、正式な書面で送られてきた報告なのだから、信じないわけにもいかない。自らの目で確かめないと信じがたいが、見に行くわけにもいかないからだ。白豚司教は兵の長と聖騎士の長に軍の編成と、脱走奴隷の討滅を指示した。
時間をかけて軍を編成し、物資を集め、五〇〇〇もの大軍を移動させる。これだけで物凄くお金を使うことになったらしい。白豚司教は機嫌が悪かった。しかし五〇〇〇も送り込めば流石に為す術も無いだろう。彼はそう呟いた。私もそう思った。
結果は惨憺たる有様だった。
なんと、五〇〇〇余も送り込んだ兵はその殆どが帰ってこなかった。領域境の砦になんとか辿り着いた僅かな兵も、その殆どは心身ともに衰弱しきっており、まともに事情を説明できる者がいないという。
事情聴取で僅かにわかったことは、オミット大荒野のど真ん中に立派な砦が築かれていたということ、解放軍を名乗る者達がその砦にいたらしいということ、そしてその砦が大爆発を起こして聖王国軍を消し飛ばしたということ。
その後はどうなったのか? そのことを聞くと生き残った兵達は皆錯乱し、まともに話もできなくなってしまったという。
その報告を聞いた白豚司教は卒倒した。そのまま死んでくれれば私としては嬉しかったのだが、世の中そんなに甘くないらしい。
そこから『解放軍』の快進撃が始まった。領域境の砦を電光石火の勢いで次々と落とし、南部では噂が広まって亜人奴隷の脱走が相次いだ。その動きは解放軍の勢力圏である南部だけでなく、今ではメリナード王国中に広まりつつある。
対する駐留聖王国軍の被害は大きく、白豚司教がこのメリナード王国の総督を罷免されるのも時間の問題だろう。白豚司教はメリナード王国の現状が聖王国本国に伝わらないように必死に情報を握り潰しているようだが、人の口に戸は立てられない。
そして、白豚司教がストレスで胃を痛ませていたある日、南部から一台の馬車が現れてこの王都メリネスブルグの王城へと入ってきた。その馬車に乗っていたのは、聖王国の密偵達だ。白豚司教の部下ではない。本国のとある枢機卿の部下達である。
解放軍に潜り込んでいたという狐獣人の男が一人と、人間の男が十二人、そして拘束され、箱詰めされていた人間の男が一人。
狐獣人の密偵が言うには、解放軍の重要人物であるという。詳細は明かされなかったが、じきにとある枢機卿の部下である聖女が彼を迎えに来るので、彼がまかり間違っても解放軍に奪還されたり、あるいは彼自身が脱走したりしないように取りはからって欲しいということだった。
白豚司教は脂汗を滴らせながらそれを了承した。じきにここを訪れるという聖女というのは虚偽看破の恩寵を神より授かった『真実の聖女』と呼ばれる人物であるらしい。また、彼女の上司である枢機卿というのは白豚司教の政敵でもあるようだ。
つまり、彼は詰んだというわけだ。
私はと言うと、解放軍の重要人物であるという彼が気になったので、複体の一つを彼が連行された独房へと向かわせていた。
狐獣人の密偵は彼を拘置するのであれば絶対に目隠しは外さず、両手両足を視界の外に置くように拘束し、常に見張りをつけるべきだと主張していた。それができないなら彼と彼の部下が見張るとまで言った。
しかし、白豚司教はそれを拒否した。抗議しようとする狐獣人の密偵とその部下を自分の地位を傘に着て黙らせ、重要人物だという彼を普通の囚人と同じように独房に入れた。狐獣人の密偵の忠告など全く意に介さなかったのだ。
彼はそれよりも来る聖女をどうやり過ごすかで頭の中がいっぱいだったのであろう。
独房に入れられた彼は少しの間部屋の中を観察し、周囲の気配を探るような仕草をするとすぐに行動に移った。
どういう手段でかはわからないが、彼の手足を拘束していた枷が一瞬で消え失せた。魔力の流れは無かったように思う。一体どうやったのだろうか?
次に彼は粗末なベッドから木材を剥ぎ取り、藁の枕から藁を抜き取り、独房の石壁から石ころを採取した。そしていつの間にか粗末な石斧を手に持っていた。意味がわからなかった。どうやって? いつの間に作った? 疑問が私の中を埋め尽くしそうになる。
『へーい、誰か他に居るかい? 新入りのコースケでーす』
どうやら彼はコースケという名前であるらしい。牢仲間がいないかと声をかけたようだが、あいにくこの区画には私と彼以外には誰もいない。彼を独房に放り込んだ獄吏も、頻繁にはここには来ないだろう。
返事がないことを確認して納得したのか、彼はおもむろに粗末な石斧で石の床を叩き始めた。コンコンと結構騒々しい音が鳴る。しかし、獄吏はこの区画を離れて別の区画に移動してしまっている。彼を咎めるものはここには誰もいなかった。
それにしても、一体何をしているのだろうか?
『ま、俺には効かないシナリオだけどね』
彼がそんなことを呟く。一体何を言っているのだろうか。わからない。
私が内心疑問に思っている間にも彼は石斧で床を叩き続け、ついに石床を破壊し始めた。わけがわからない。あんな粗末な石斧で石床が砕けるわけがない。
彼はそのまま床を掘り進み、ベッドを完全に解体して独房の中のものを全て消し、何故か焚火を焚くとまた穴の中に入っていった。いつの間にか立派な松明まで手にしている。いつの間に……?
ある程度掘り進むと、彼はどうやってかはわからないが石床で穴を塞いでしまった。しまった、取り残された。恐らく彼は地下道に到達するはずだ。追跡しないと……なんとか地下道で彼に追いつき、接触に成功した。
そしてそれから一週間ほど。
彼と私達は上手くやっていけている。彼は不思議な力で様々なものを作り出し、脱出の準備を整えている。
☆★☆
「ぐぬぬ……不味い、不味い! どうすれば……」
白豚が脂汗を滴らせている。正直、あまり見ていたくはないのだが、一応ここのトップなので監視を怠る訳にはいかない。もっとも、ここのトップでいられるのもそう長くなさそうだけれど。
解放軍の勢力拡大によってメリナード王国南部は完全に聖王国の支配を脱した。亜人達の脱走は相次ぎ、続々と南部に向かっている。そして、南部からは時折聖王国民が難民となって逃れてくる。その数は決して多くはないが。
狐獣人の密偵とその部下達はコースケの脱走が発覚すると同時に北へと去っていった。件の聖女と合流するためか、それとも枢機卿に報告に行ったのか、あるいはコースケや姫殿下の復讐を恐れて逃げたのかはわからない。
コースケの逃亡先は城の地下道であると断定されていた。それはそうだ、独房の床の一部が真新しい石床になっていればそこが怪しいというのは誰にだってわかる。
一体どういう方法で、という点については誰もわからなかったようだが、新しい石床を破壊してみると地下道に続いていたのでそう断定されたというわけだ。そしてとっくに私達によって殺されただろうと考えている。
ちなみに、その穴は既に土魔法を扱う魔道士によって厳重に封鎖された。
「このままでは……このままでは……」
属国としていたメリナード王国南部の支配権を解放軍に奪われ、聖王から預かった兵の半数を磨り潰され、枢機卿の密偵が拉致してきた解放軍の重要人物を失った。彼はどうにかしてこの失敗をやり過ごそうと考えているようだが、無理な話だろう。
これから訪れる聖女はあらゆる虚偽を見破るという真実の聖女なのだ。しかも、彼女の上司である枢機卿の報告によって現状を把握した聖王は事態を重く見たのか、真実の聖女に対して白豚司教に対する審問を命じたらしい。
聖女による審問が行われれば、間違いなく白豚司教はただの白豚となり、豚は豚らしく処断されることだろう。叩けばいくらでも埃は出るだろうし、怪しげな書類を私達は持っている。そっと目につくところに置いてやるのも面白いかもしれない。
その後、聖王国がどういった対応を取るのかはわからない。だが、このままというわけにはいかないだろう。きっと、彼らは動くはずだ。
それまでに、私達は彼を元の場所にもどしてあげなきゃならない。それも、出来るだけ早く。
とても、とても惜しい。理由はわからないが、私達は彼に強く強く惹きつけられてしまう。きっと、彼が稀人であるということと何か関係があるのだろう。
実は寝ている間に少しだけ、ほんの少しだけ悪戯をしている。
彼は違和感を感じているというか、薄々気付いているようだが何も言わない。きっと、姫殿下や宮廷魔道士、それにハーピィ達とも関係を持っているのだから私達三人くらい増えても今更だと思っているのだろう。私達もそれに甘えている。
ノックの音がして、白豚司教がビクリと震えた。どうやら白豚司教がただの白豚になる時が来たようだった。
事の次第をしっかりと見届けて、コースケに報告しよう。そして今日は寝具役を私一人で果たすのだ。コースケは私の枕がお気に入りだから、きっと満足してくれることだろう。




