第285話~講和交渉~
「まず、そちらの要求を再確認させていただく。まず一つは不可侵条約の締結、つまりこれは講和を結び、向こう何年かの間相互不可侵の条約を結ぶという考えでよろしいか?」
アマーリエさんが注いで回った冷たい水を一口飲んで少し落ち着きを取り戻したネルソン殿がそう切り出した。
「大筋では間違いないが、それは他の条件をそちらが呑んでからの話になるな。当然の話だが」
「それは承知の上だ。最終的には講和を結び、争いを収めたいという意志があるかどうかをまずは確認したかった」
「なるほど。まぁ、そちらが侵略などをしてこなければこうして争うこともなかったわけだから、当たり前といえば当たり前だと思うがね」
あくまでこの戦争を始めたのはティグリス王国側であるとチクリと刺しておく。俺のその指摘にネルソン殿は顔色すら変えなかった。流石に外交交渉を任されるだけあって、我を取り戻すと手強そうだな。
「まずは賠償金の支払いから片付けるのが良いのではないかな、と俺は思うが。もしビタ一文払わない、などという世迷い言を抜かされた場合にはゴーレムどもにブリニョルフを破壊するように命令しなくてはならないからな」
「なっ……!? 恫喝なされるおつもりか!?」
「未だ貴国とは戦争状態にあるんだ。交渉が決裂すれば即座に休戦状態は解かれるのだから、俺達がブリニョルフを攻撃するのに何の問題がある?」
慌てて唾を飛ばしながら捲し立てるネルソン殿に俺は肩を竦めてみせる。
「ネルソン殿、我々は――というか俺はほとほとウンザリしているんだ。俺はね、こんなつまらない戦争なんぞに本当は一秒たりとも時間を費やしたくはないんだよ。メリナード国内には解決すべき問題が多いし、開発すべき土地も多い。貴国とディハルト公国がちょっかいを掛けてこなければ、俺は女王陛下の元でそういった雑事に専念できていたんだ。だから、メリナード王国の、というより俺の貴国らに対する印象は最悪だ。正直、稀人の俺としてはこんな講和交渉などせずに道中の街や村を全て更地にし、王都も灰燼に帰してティグリス王国を滅ぼしたほうが手っ取り早くて面倒がないと思っている。それでも、女王陛下がこの世界の安寧を望んでいるから俺はこんなに面倒な講和交渉に臨んでいるんだ。そこのところを理解してくれ」
「……つまり、すべての条件をそのまま呑めと仰るか」
「いいや? ここでこちらの条件をそちらがそのまま呑んでくれれば一番面倒がないが、出した条件に関しては俺の裁量である程度融通を利かせても良いと女王陛下は仰られている。条件次第である程度は譲歩するさ。俺としてはここでメリネスブルグに帰れるのが一番嬉しいからな。さしあたっては賠償金の話から片付けるのが良いんじゃないかと思うがね」
メリナード王国がティグリス王国に請求した賠償金の総額はおよそティグリス王国の国家予算(王家の収入の概算)一年分である。払えない金額ではないが、即座に一括で払うのは不可能。そして戦死者への手当や、戦争で多くの労働力を失ったことを考えると完全にアウトという金額である。そもそも、ティグリス王国は戦死者が多すぎてその対処だけで国内経済がどん底に陥るだろうというのがメルティ達文官の読みだ。そこに国家予算一年分の賠償金というのは非常に厳しい金額である。
「条件次第で譲歩が可能、ということでしたな」
「ああ、俺次第だな」
実際のところ、賠償金なんてメリナード王国は必要としていない。無論、貰えるなら貰いたいものではある。金はいくらあっても困らない。しかし、実のところを言えば俺のクラフト能力で宝石やミスリル、その合金、その他魔法金属などが作り放題な上に高騰している黒き森のエルフの産品を扱うことができているので、予算に関してはだいぶ余裕があるのだ。更に今後は各街や鉱山などからの税収も見込まれており、新生メリナード王国は生まれたての割には大変リッチなのである。
「では、我が国から奴隷をそちらに引き渡しましょう。その分を減額してくだされ」
ネルソン殿の言葉に俺は目を細める。まさか国を守るために自国民を奴隷として売り捌くつもりか、こいつは。
「勘違いしないでいただきたい。我が国の国民を他国に売るつもりは有りませぬ。我々がそちらに引き渡すのは、二十年前の戦争の混乱の際にメリナード王国から流入してきた亜人奴隷とその子孫です。言わば返還ですな」
「……ほう」
なるほど。旧メリナード王国の民を返すので、その分今回の戦争の賠償金を減らして欲しいと。金でそういう立場の人達をやり取りするのはどうか? という気持ちもあるが、突っぱねたところでティグリス王国内で奴隷として使われている亜人達が幸せになるわけでもない。元々こちらの国民だと言って無償で返還するように言っても向こうは態度を硬化させるだけだろう。ここは実を取るのが吉か。
「興味深い内容だ。俺達の行動理念をよく研究しているようだな。それなのにこんな戦争をせざるをえなかった貴国に同情を禁じえないね」
俺の言葉にネルソン殿もマクリト殿もこれといった反応は返してこなかった。この場に聖王国のシンパがいるのかな?
「まぁ、良い。その申し出は受けるに値するが、やる以上は徹底的にやっていただきたい。ひとり残らず保護し、メリナード王国に送り届けてもらう。もし後に亜人奴隷が貴国に残っていた場合、俺達は今回の条件が反故にされたと受け取らざるを得なくなるからな。意味はわかるな?」
「も、もちろんだとも」
ネルソン殿がそう言って重々しく頷く。協議の結果、賠償金は当初の半額とし、十年間の分割払いとすることに決めた。一年につき国家予算の凡そ5%という計算になるが、まぁ今後の展開によっては彼らの収入も上がるはずなので実質的に彼らの支払いそのものはかなり楽になるはずだ。
え? 軽すぎるように思える? それは当たり前だ。過剰な賠償金を課した結果、経済や政情が不安定になりすぎてたちの悪い『難民』でも流入してきたら迷惑を被るのはメリナード王国なのだ。
生かさず殺さず、こちらに牙を剥くことができないように弱らせるくらいが丁度よい。隣国にはある程度政治的にも経済的にも安定してもらったほうが都合が良いんだからな。
「次に不可侵条約に伴う留学制度の話をしようか」
「留学制度、か」
マクリト殿が眉間に深い皺を作る。実質的には人質だからな。だが、別にこれ自体は彼らにとっても悪い話ばかりではないはずだ。
「知っての通り、俺達は聖王国と敵対している。少なくとも、俺達の保護下においては奴らに手を出されるようなことがないように配慮するよ」
「……それは」
「知っておいて欲しいんだが、俺達は亜人排斥を掲げる聖王国は憎い。だが、人間を憎んでいるわけではない。実際の所、メリナード王国には人間が多く住んでいるし、亜人を優遇して亜人至上主義を掲げるつもりもない。ただ、亜人も人間も関係なく、人族同士が手に手を取り合って幸福な生活を送れるようにしたいだけだ。ついでに言えば、領土的野心も無い。国内にいくらでも開発可能な土地があるんだからな。というか、魔物や盗賊が跋扈して人々を脅かしているというのにわざわざ他国と戦争をして人族同士で争うことに意味を見いだせない、というのが女王陛下のお考えだ。もっとも、それはそれとして侵略には厳しい対応を取るという方針も女王陛下は決めていらっしゃるがね」
俺の発言にネルソン殿もマクリト殿も無言である。しかし何か考え込んではいるようだ。
「まぁ、少し脱線したな。留学生のカリキュラムに関してはまだ策定中だが、悪いようにするつもりはない。我々は聖王国の下衆どもとは違うから、奴隷のように扱ったりするつもりは一切ない。最初はある程度本人の希望を聞いて個別にカリキュラムを組むことになるかもしれないな……ああ、住居などについてもメリネスブルグに相応のものを用意するつもりだからご心配なく」
留学生というのは実質的には人質だが、だからといって何の教育もせずに無為に時間を過ごさせるつもりはない。無論、思想的な教育内容に関しては色々と考えて手を入れる予定ではあるが。
え? 洗脳? ははは、そんな人聞きの悪い。ちょっとばかり聖王国をディスったり、主流派の掲げる教えがオミット王国の逆恨みで捻じ曲げられたものだという事実を伝えるだけだよ。あとは様々な亜人と接してもらって亜人に対する嫌悪感や忌避感を少しでも弱めようというくらいかな。
「次に通商条約に関してだが……」
「関税の自主権を認めないという話でしたな」
「その通りだ。だが、それは貴国の財を一方的に搾取するためのものではなく、むしろ貴国の商業活動を保護するためだということを承知してもらいたい」
「なんですと?」
ネルソン殿が訝しげな表情を見せる。うん、それはそうだよな。自由に関税を決められないのだから、普通はこちらが安い関税で膨大に品を輸出してディハルト王国から財貨を貪ると思うよな。
「無論、こちらとしてもある程度の利益は出させてもらう予定だがね。今、メリナード王国では食料の生産量が飛躍的に向上している。このまま行けば、今年の秋には食料の自給率が軽く400%を超える予定だ。もしかしたらもっと行くかもしれん」
「400%かそれ以上ですと!?」
ネルソン殿が驚愕する。うん、驚くよな? でも本当なんだ。というか、400%で足りるかどうか……農地ブロックを用いた農場だと作物にもよるけど、俺が全く関わらなくてもたったの二週間から四週間で収穫に至るからな。国内の農地を全て農地ブロックに置き換えたらどうなることやら。流石にそんなことをする予定はないけど。
というか、実のところ現時点でも食料がダブついて価格が下落気味で、既存の農業従事者を苦しめつつあるのだ。それで缶詰や乾麺を使ったインスタント食品なんかの開発が急務だったんだよな。国内需要を上げるために。
「その他にも高品質で先進的な魔道具なども多く開発されている。安価な食料を含め、こういった品が大量に貴国に流入すると、貴国の経済に大きな混乱と損害を与えかねない。それはこちらとしても望むところじゃない。相互互恵関係を構築して共存共栄しなければ何かと面倒事が多くなるからな。今、貴国の関税に関しては国境を接する貴族が自由に決めているだろう? それを認めず、国家同士の調整によって関税を決めたいとこちらは思っているわけだ」
「なるほど……結果として地方貴族の勢力を削ぎ、王国の権力を強めることに繋がりますな。少なくとも、その前例になる」
俺の言葉にネルソン殿はそう言って頷き、考え込んだ。こういった場に派遣されるということは、彼は恐らくティグリス王国の王家に信頼されている貴族なのだろう。
「しかしその……都合が良くはありませんかな? 我々が言うのもなんですが、我々は貴国を一方的に侵略し、返り討ちに遭った立場なのですぞ?」
「確かにそれはそうなんだが、そちらはそもそも大きな血の対価を払っているしな。あと、先程から何度も言っているが、潰れられるとこちらに迷惑がかかる。それがわかっていて感情だけでそちらに厳しい制裁をしても損をするのはこちらだ」
損して得取れなんて言葉があるが、今の状況は正にそれだ。ゴーレム軍団の武力を背景にもっと良い条件を引き出すことはできると思うが、そうしてもしティグリス王国が潰れて分裂、群雄割拠の泥沼の内戦とかになると、国境近くに存在するメトセリウムやその周辺に盗賊が跋扈するようになるかもしれない。或いは、難民などが大量に流入してくるかもしれない。それは俺達にとってはあまり嬉しくない事態だ。
メリナード王国としては優位な立場を確保しつつ、緩やかに関係を良くしていって聖王国から寝返って貰うのが最良のシナリオだ。ついでに交易で利益を出せればなお良しである。
「税をかける品目やその税率、その他細かい点について協議をしていこうか」
「……そうですな。そちらの条件を飲むかどうか、その判断をするためにも細部についての話し合いは必要ですな」
ネルソン殿はこちらの出した条件に関して割と前向きになってくれたように思える。後は細部を詰めて妥結に到れれば良いが、さて。