第271話~憤怒~
「話が違うだろうがっ!!」
「マクリト殿、落ち着け」
「アントニウス! これが落ち着いていられるか! 八千人いた我が兵が、我が部下が六千人以上も無惨に蹴散らされたのだぞ!? 敵の攻撃を防げると言うからわざわざ重い盾と鎧を用意して前衛に配置し、移動速度を落とした結果がこのザマだ! これならば最初に私が言っていたように軽装で全速突撃した方がまだ目があったわ!」
血と泥に塗れた姿のままティグリス王国軍の指揮官であるマクリト=ジャン=ニクラウス卿がそう吐き捨てる。彼の鎧には細かい傷がついており、肩の部分がひしゃげてほぼ用をなさなくなっていた。なんでも最初の方の敵の攻撃――の恐らく流れ弾が肩鎧を掠め、こんなことになったらしい。
マクリト殿は最前線に居たわけではないのだろうから、それなりに後方に居たはずだ。その距離でもこの威力。人間が持ち運べるような重さの盾では防げんな、これは。当たりどころが悪ければマクリト殿はこの場に居なかっただろう。
「それに、あのクソ鳥どもだ! 前から戦となれば手の届かない高空からクソを放り投げてきて鬱陶しいことこの上なかったが、今回は極めつけだ! あの炸裂する武器はなんなのだ!? まるで魔道士の爆裂魔法ではないか! そんなものをあのように高空からばら撒かれてどうしろというのだ!? それなりの数用意した風魔法を付与した矢も役に立たなかったわ!」
「マクリト殿、落ち着かれよ……身体に障るぞ」
マクリト殿は既にもう初老と言っても良い年頃だ。あまり興奮しすぎて憤死などされてはかなわん。この様子だとティグリス王国の士気はガタガタだろうし、騎士もどれだけ生き残っているかわからん。頭を失ったティグリス王国の兵達の面倒を見るのは御免だ。
「……我々としても敵の戦力が少々予想を上回っていたと言わざるを得ない」
一通りマクリト殿の非難を受け止めてから、その男は重々しく口を開いた。奴の名はシュナタイナー=ヒルツ――聖王国の軍部の人間である。今回のディハルト公国とティグリス王国によるメリナード王国侵攻を主導した人物だ。
「少々……? 少々だと!? たった四百の兵に二十倍の兵を蹴散らされたのだぞ!? 風の噂では聖王国軍のメリナード王国討伐軍二万はほんの数十人に蹴散らされたという話ではないか!? 未知の武器と戦術を使う彼奴らの戦力分析が正確にできていないのは明白だろうが!? それとも何か? 我がティグリス王国の将兵はその戦力分析のための捨て石扱いというわけか!?」
シュタイナーの発言にマクリト殿が顔を真赤にして烈火のように憤りを顕にする。これではまるで噴火した火山だ。本当にこのまま憤死でもするのではないかとヒヤヒヤする。
「そのようなつもりはない。それより、ディハルト公国軍も連携して一気に攻めかかっていれば一気に敵を蹴散らせたのではないかな? 見たところ、奴らのあの妙な武器は連続で攻撃することができないようだ。凡そ百名が一斉に攻撃し、その後で更に百名が攻撃し、という形で交代で攻撃を行っているように見えた。一度攻撃したら次に攻撃するまで溜め時間のようなものが必要なのだろう。奴らの迎撃速度を上回る物量で肉薄さえしてしまえば、後は数の有利で磨り潰せるだろう。寧ろ、ティグリス王国の損失の責任はディハルト公国の非協力的な行動方針にあるのでは?」
この野郎。こっちに責任を擦り付けようとしてやがる。マクリト殿がギロリとこちらを睨みつけてくる。
「濡れ衣も良いところだ。単純に考えて二十倍の戦力差があってこのような大損害を被るなどということが予測できる筈もない。そもそも、前衛の重装甲化と風魔法を付与した対空装備の配備でなんとでもなると言っていたのはシュタイナー殿だろう? マクリト殿の方が若輩の私より戦場での経験は豊富だし、ティグリス王国軍の方が練度も高ければ数も多い。だから先鋒をお譲りしたのだし、マクリト殿とシュタイナー殿も同じように思ったから私が先鋒を譲った時に了承されたのだろう。今になってそのように責任を転嫁されても困る。それに、我々が後詰めとして控えていたからこそ今ティグリス王国の負傷兵を戦場から退避させ、治療できているのではないか」
あくまでもこちらに非はないということを主張し、そもそもの戦力分析を間違ったシュタイナーに全責任があると強調してマクリト殿の怒りの矛先から逃れておく。てめぇのケツくらいてめぇで拭けってんだ。こっちに押し付けようとするんじゃねぇよこの陰険野郎。
そうしていると、前線からディハルト公国軍の伝令が走ってきた。
「ご報告致します! 敵方から停戦の使者が現れました!」
「停戦……? この状況でか?」
ティグリス王国軍はほぼ全滅したが、我々ディハルト公国軍がまだピンピンしている。この状況で停戦とは一体どういうことだ?
「はい、例の宙に浮かぶ妙な乗り物から大声でそう呼びかけがありました。如何致しますか?」
「どうしますか? 我が軍は壮健ですが、ティグリス王国軍にはこれ以上戦闘を継続する能力はないでしょう」
「……腹立たしいが、その通りだ。五体満足な者もまともに戦うことはできまい」
ギリギリと歯軋りしながらマクリト殿が同意する。それはそうだろう。あのようにわけのわからない攻撃で滅多打ちにされては士気など保てるはずもない。今、残存兵に戦場に立てといっても果たしてどれだけの兵が従うか……まぁ、その心配は我がディハルト公国軍も同じなのだが。
先程はマクリト殿を立てるためにティグリス王国軍の方が練度が高いと言ったが、実際にはティグリス王国軍とディハルト公国軍の間にそう実力差はないだろう。しかし、数は千人ばかりティグリス王国軍の方が多かった。
そんなティグリス王国軍が目の前で滅茶苦茶に蹴散らされたのを全軍が目撃したのだ。今のディハルト公国軍の士気は最悪と言って良いだろう。私が命令をすれば兵は嫌々ながらも戦場に立つだろうが、ちょっとした威嚇攻撃だけで士気が崩壊して潰走しかねない。
「待たれよ。停戦を受け入れるというのか? ディハルト公国軍はまだ槍を交わしてすらいないのに?」
「それを言うならティグリス王国軍も槍を交わしておらんわっ! 一方的に叩きのめされただけだからな! それとも何か? 貴様は碌な対策もないまま敵の前に飛び出して無惨に死に果てろと我々に言うのか!?」
マクリト殿が再びシュタイナーに食ってかかり始めた。気持ちはわかるが、今はそのような場合ではない。停戦を受け入れなければ、いつあのクソ鳥女どもが俺達の上に飛んできてあの爆発物を放り投げてくるかもわからないのだから。
「マクリト殿、シュタイナー殿への追求は後にしよう。今は停戦交渉について考えるべきだ」
「ぬぅ……シュタイナー殿、今回の件については国王陛下にもご報告させて頂きますからな!」
どれだけ怒っていてもこうして諭せば話を聞き入れてくれる辺り、マクリト殿は優れた将なのだろうなと思う。俺が逆の立場ならとっくにこの陰険野郎を絞め殺すか斬り殺すかしていたかもしれない。
☆★☆
「旦那、別に停戦なんてしなくてもこっちから出向いてぶっ潰しちまえばいいんじゃないすか?」
「やってやれないことはないだろうが、風魔法を付与した弓矢による攻撃が怖いからな。水平射撃でも効果を発揮して射程と威力が随分と伸びるって話だし。エアボードで近づいて何十発も撃ち込まれたら撃破されかねん」
ハーピィ爆撃隊による爆撃の際、やはり風魔法を付与した矢による迎撃があったのだ。幸い、射程外の高空を飛行していたために威力が減衰し、その攻撃はハーピィさん達に装備させていた矢避けの結界で防がれたが、急降下爆撃を敢行していたらハーピィ爆撃隊に被害が出ていたかもしれない。
「それでエアボードが破壊されて真正面からぶつかり合うことになったら、被害は免れないでしょうね」
「しかもエアボードや魔銃が鹵獲でもされた日には目も当てられん。わざわざ陣地から出て襲いに行くのは無いな」
「だったらハーピィ達に爆撃させれば良いんじゃないかい? それなら特に危険も無いだろォ?」
「停戦交渉が決裂したらそれもアリだな。もしくは俺の重武装アイアンゴーレム――はやりすぎか。ロックゴーレム軍団でもけしかけるかな?」
「そっちのほうがエゲツないと思うっす」
ロックゴーレム軍団は特にこれといった武装を施していない岩製のゴーレム軍団である。しかし侮ることなかれ。その膂力は上級冒険者のシュメルと同等かそれ以上で、身体全体が岩でできているので全身が凶器で、当然ながら防御力も耐久性も非常に高い。腕の一振りで人間など潰れたトマトのようになって吹っ飛ぶだけの威力がある。そんなロックゴーレムを五十体ほどインベントリに入れてあるので、いざとなったらそいつらをけしかけることも可能なのだ。
問題は標的の識別なのだが、そこはゲーム的な都合の良さでインベントリから出した時に俺が認識している敵味方の識別に従って動いてくれる。ビバ、ご都合能力。流石は神様(仮)の奇跡だな?
まぁ便利な分には構わない。得しかないわけだし。そんな話をしていると、ウォーグからゴーレム通信が入ってきた。
『コースケ、敵が停戦交渉に応じた。戦場の脇、見晴らしの良い場所で交渉を行うことに決まったが、どうする?』
「俺も一応行くかな。一応、俺がこの場に居るメリナード王国のトップだし……そうなるよな?」
「そうじゃないっすかね?」
「そうでしょうね」
「だろうねェ」
『間違いないな。では、コースケのエアボードで向かう形で良いか?』
「そうしよう。ちょっと狭いが、ウォーグが乗るくらいなら問題ない」
『わかった。こちらで待っている』
通信が切れる。さて、敵さんの顔を拝みに行くとしますかね。