第270話~ティグリス王国の災難~
敵方の出撃準備が整ったのは、こちらの斥候が敵の初動を察知してからおよそ二週間後のことであった。あの後すぐにディハルト公国だけでなくティグリス王国の方にも動きがあり、両者は馬に乗った伝令を行き来させて連携を取っているようである。
「隣国同士なのに仲悪くないのかね? いくら双方ともに聖王国の属国みたいなもんとはいえ」
「元々はあまり両国の関係は良いとは言えなかったのだが、今のディハルト公国は聖王国の圧力に屈して実質的には聖王国の傀儡だ。その様と旧メリナード王国の惨状を目の当たりにしたティグリス王国は聖王国に全面降伏。結果として聖王国という親玉が両国の上に君臨することになり、今ではああして戦場で共に肩を並べる奴らの尖兵と化しているわけだな」
「弱小国の悲哀って奴かねぇ……そんな事情を聞くとこれから蜂の巣にするのを躊躇してしまいそうになるな」
「そういうわけにもいかんがな。侵略には武力で対抗する他ない」
「もうちょっとこう、外交的努力を試みるとかそういうのはないのかねぇ……まぁ相手が相手だけに無理な話か」
この二週間、シルフィとはゴーレム通信機で何度も連絡をとっているが、聖王国からもディハルト公国からもティグリス王国からも外交的な接触はないらしい。まぁ、この世界には戦争の前に宣戦布告というか最後通牒を叩きつけるような文化はあまりないらしいが。
「聖王国は未だに新生メリナード王国を国として認めてないからな。聖王国とその属国、同盟国の間では未だにメリナード王国は聖王国の属国で、俺達は属国を混乱に陥れて乗っ取った賊ってわけさ」
「もう少し現実に目を向けてほしいよなぁ、酔っぱらいどもには」
酔っぱらいというのはつまり、宗教や自分達の理想に酔っている連中という意味である。もしかしたら聖王国の生臭坊主どもは酒や他のものにも酔っ払っているかもしれないが。
「何にせよ敵が動いたら即応しないとな……準備は?」
「万事抜かり無い。いつでも出撃できるし、監視は継続中だ――っと」
作戦室に置いてあったゴーレム通信機に通信が入り、ウォーグが受話器を取って話を始める。
「わかった、監視を継続しろ。妙な動きがあればすぐに連絡するように」
そう言ってウォーグが受話器を置く。
「動きがあった。出るぞ」
「頭数が揃ったら即行動か。あまり余裕がないのかね?」
「両国共に属国時のメリナード王国から相当数の食料を輸入していた国だからな。とっととメリナード王国には聖王国の属国に戻ってもらって安価に食料を供給してもらいたいんだろう」
「一緒に聖王国を殴ってくれるなら適正価格でいくらでも売れるんだがなぁ」
そんなことを話し合いながら俺達は作戦室を後にした。
☆★☆
「クソ、また飛んでやがる」
ディハルト公国の指揮官、アントニウス=デルス=ギランザムは春の温かい日差しを浴びながら空を見上げ、悪態を吐いた。彼の視線の先、矢も届かぬ空には大きな鳥の影――いや、鳥の影にしては大きすぎるし、何より鳥はあんな形をしていない。あれは空を飛ぶ亜人、ハーピィだ。両腕と両足が鳥のようになっている女しかいないという種族である。
報告によると去年の冬から一日に二回か三回はこの国境砦の近くまで飛んできていたそうだが、二週間程前――国境砦に兵糧を運び込み始めた時期だ――からはひっきりなしに飛んできてこちらを監視しているという。
目の良い弓兵曰く、何か魔道具のようなものを携えているそうだが、その魔道具が何なのかはわからない。間違いなく俺達にとって愉快なものではないだろう。あのクソ鳥どもの目的は偵察なのだろうからな。
「アントニウス様、ティグリス王国から伝令が……あの方々からも進軍せよと」
「チッ……こちらの情報は筒抜け、予想される攻撃に対する有効な防御手段も乏しい。そんな状況で進軍しろというは死ねというようなもんだろうが」
対策が全く無いというわけではないが、それもどこまで有効か……俺からしてみると効果が出るかどうか非常に疑わしいと言わざるを得ない。
「つっても、ここで砦に篭もっていたって兵は毎日メシを食う。兵糧だって無限に湧いてくるわけでもない、か……泣けるね」
アントニウスは溜息を吐き頭を掻き毟る。彼はディハルト公国で八千の兵を率いる将軍だ。そんな彼でも上から『行け』と言われればそこが死地とわかっていても行かなければならないのである。
「全軍に通達。メリナード王国への進軍を開始する。目標は冬の間にできたという軍事施設だ」
「はっ!」
アントニウスの命令を受けた伝令が国境砦に屯しているディハルト公国全軍に進軍開始の命令を伝えに走る。
「あぁクソ。せめてクソ鳥対策だけでも効果を上げてくれよ」
聞いた所によると奴らは弓の届かない航空から物凄い威力の爆発物を投下してくるらしい。そんなものに一体どうやって対抗しろというのか? 全員に分厚い黒鋼の鎧を着せるか、それとも分厚い鋼鉄の壁でも持って歩けとでもいうのか? アントニウスは再度溜息を吐く。
「なるようにしかならんか……せめて対抗手段だけは適切なタイミングで使わないとな」
☆★☆
ディハルト公国軍とティグリス王国軍が動き出したという前線からの通報を受け、国境砦から魔銃兵一個大隊四百人が出撃した。ハーピィ爆撃隊は敵が国境を越えるタイミングを見計らって砦から離陸し、上空で待機。機を見計らって航空爆撃を敢行する予定である。
ちなみに、魔銃兵達を育てあげた精鋭魔銃兵達は今回基地に残って基地の防衛に当たる。迂回して基地を取られたりしたら大変なことになるからな。基地の城壁上には念の為無限弾の重機関銃を配置しておいたので、万が一があっても大丈夫だろう。
「さーて、何が飛び出してくるかね?」
「まぁ、対空手段となると風魔法を付与した矢や投槍だろうな。もしかしたら爆発魔法も付与してあるかもしれん」
「そういうのは一般的なのか?」
「ワイバーンやグリフォンなどの強力な空を飛ぶ魔物対策に使われることがあるが、製造コストが高いからな。一国の軍ともなればそれなりの数を用意している可能性はあるが……そもそも風魔法を付与してあっても射程が劇的に伸びるというわけではない。基本的には攻撃するために急降下してきた所に射掛けたり、投げつけたりするものだ」
「つまり、高空からの絨毯爆撃には効果はないと」
「恐らくな」
ウォーグとそんな話をしながら国境のこちら側、メリナード王国の土地に野戦陣地を構築していく魔銃兵達を眺める。魔銃兵は近接戦闘もこなせるように訓練はしてあるが、それでも本分は魔銃による制圧射撃である。足の早い騎兵などに不意を突かれて突撃を受けてしまったら大変なので、念の為簡易的な野戦陣地を構築するように指示を出したのだ。
「連中、びっくりするだろうな」
「どうかな。案外ハーピィを目撃していたせいで驚かんかもしれんぞ?」
「ああ、それも有り得るか」
☆★☆
「オイオイ何だありゃあ」
ディハルト公国軍が進軍を開始して四日目。国境に辿り着いたアントニウスはメリナード王国側に造成された簡易野戦陣地を見て目を剥いた。砦というほどのものではないが、あれは明らかにこちらを迎撃するための陣地である。
「しかし閣下、敵の数は少ないですよ」
「四百人ほどしかいないようです」
「そりゃそうだが……」
アントニウスは見たことのない防御陣地を前にして嫌な予感がふつふつと湧き上がってきていた。
彼は風の噂で聖王国のメリナード王国討伐軍二万がたった数十人のメリナード王国軍に撃破されたという話を聞いていたのだ。話を聞いた時には流石に話を盛りすぎだろうと鼻で笑ったものだが。
嫌な予感がする、と口に出しそうになった言葉をなんとか飲み下す。
「先鋒はティグリス王国に譲ると伝えろ。弓兵の数はこちらの方が多い。ディハルト公国軍はハーピィどもの相手をするとな」
「ハッ」
どうにも嫌な予感が止まらない。
☆★☆
「また立て札か。コースケは立て札が好きだな?」
「挨拶みたいなもんだ。あと心理的な免罪符」
「あんな立て札一つで動き出した軍が止まるわけがないだろう……ほら、蹴倒された」
双眼鏡を覗く俺の隣で単眼鏡を覗き込んでいたウォーグが溜息を吐く。まぁ、わかってたけれどもさ。
「先鋒はティグリス王国みたいだな?」
「そのようだ。数は八千といったところかな――通達、敵集団が完全に射程に入り次第射撃を開始せよ」
『第一中隊、了解』
『第二中隊、了解にゃ』
ティグリス王国の前衛はデカい盾を構えて少しずつ前進してきている。大層な盾だが、口径15mmの魔銃の弾丸を防げるかね? こっちで取ったデータだと、持ち上げるのもしんどいような分厚い金属製の盾じゃないと防げない筈なんだが。
ジリジリと近寄ってくるティグリス王国軍に対して、魔銃兵大隊は辛抱強く敵の接近を見守っている。最前列はとっくに射程に入っているが。今射撃を開始すると敵の一部しか射程に捉えられないからな。
そして敵集団の半分ほどが魔銃の射程に入ったその瞬間、およそ百丁の魔銃が一斉に火を噴いた。
ティグリス王国軍の兵士達がバタバタと倒れ、遅れてドガガガガーンと遠雷のような音が響く。そしてすぐさま更に射撃、射撃、射撃。百名ずつの四交代で致命の弾丸が次々とティグリス王国軍へと送り込まれて行き、ティグリス王国軍を殲滅してゆく。
「これは酷い」
「一方的だな」
射撃開始時、ティグリス王国軍の最前衛と防御陣地の距離はおよそ200mほどだった。この世界の人間は元の世界の人間よりも身体能力が若干優れているが、それでも鎧兜を装備してデカい盾を持った状態では、全力疾走しても陣地に到達するまで一分弱の時間がかかるだろう。
たかが一分弱、されど一分弱。これが最初から全力疾走で接敵せよ、と指示が出されていたのであれば百名ずつの射撃では迎撃が間に合わず、数に押し潰される可能性も無くはないが……。
「まぁ、こうなるよな」
「そうだな」
当然ながら、彼らは人間である。いや、もしかしたら亜人も混ざっているかもしれないが、問題はそういうことではない。
バカでかい盾を持っていた前衛が正体不明の攻撃で突然死んだ。それだけでなく味方が鎧に守られている胴体に大穴を開けたり、手足が千切れ飛んだりして死んでいる――そんな状況でパニックを起こさない人間などそうはいない。
『ワァァァァ!?』
銃撃に見舞われている敵前衛の士気が瞬く間に崩壊し、逃げようとし始める。しかし後衛がいるので下がることができない。結果的に足が止まり、その無防備な背中に更なる銃撃が加えられる。
「おおっと、ここで追討ちだ」
陣地から飛び立ち、高度を確保したハーピィさん達が新型の対人航空爆弾の雨を敵後衛に投射し始める。一発辺りの威力は落ちているが、重爆装化フレームを装備したハーピィさん一人一人の総火力はおよそ2.5倍から3倍以上だ。
「これは酷い」
「全滅どころの騒ぎじゃないな」
ティグリス王国軍およそ八千人はほんの十分程の間に八割を超える被害を受け、這々の体でディハルト公国領へと撤退していった。