第263話~負けフラグは圧し折っていく~
うたたねしました!_(:3」∠)_(ゆるして
何か柔らかくて温かいものに前後から挟まれている。
多少の圧迫感に苛まれながら重い瞼をこじ開けると、目の前に赤い肌が飛び込んできた。それだけではない。俺は今、埋もれている。いや、挟み込まれている。背中にも温かくて柔らかくて幸せな感触が押し付けられているのを感じる。
とりあえずこの幸せなサンドイッチ状態から抜け出そうと試みてみるが、前後から俺を押し包む柔らかな肉は俺の儚い抵抗をぽよんぽよんと形を変えて受け流す一方で、一向に俺を解放しようとはしてくれない。
ついでに言うと、そうやってなんとか抜け出そうと藻掻いているうちに柔らかさの中に強靭さを秘めた重量感のある腕やら脚やらが俺を諌めるように前後から絡みついてきて完全に動きを封じられてしまった。
「むむむぅ……」
困っていると、救いの手が差し伸べられた。というか、誰かが俺の右脇の下に手を入れ、壊れ物を扱うようにそっと赤くて柔らかくて温かい場所から引っこ抜いてくれたのだ。
「……おはよう」
「ん……うん、その、おはよう、ございます」
俺を救い出してくれたのは大きな瞳を持つ、とても大柄な女性――トヅメであった。
既にしっかりと服を着て身支度を整えている彼女は俺の顔をじっと見つめた後、地に足が着いていない俺の下半身――当然ながら何も身につけていない――を見て顔を赤くした。
「……ま、まだ足りないの?」
「いや、これは生理現象……うん、生理現象」
昨晩は俺より身体の大きな鬼娘三人を相手にして辛くも勝利を収めた我が分身だが、朝の生理現象に加えて起き抜けに幸せな時間が発生したこともあり、俺の意思なんぞ知ったことかと元気いっぱいに存在を主張しておられた。
「見なかったことにして下ろしてくれまいか」
「え、ええ。もちろん」
また大きな瞳をぐるぐるとさせ始めたトズメをなんとか宥めて床に下ろしてもらう。うん、やはり地に足をつけて立つのは安心するもんだな。犬か猫か何かのように両脇の下に手を入れられてびろーんと背を伸ばされるのはどうにも落ち着かない。何も身に着けていないというような状態ではなおさらだ。
「とりあえず……うん、色々片付けようか」
「そ、そうね」
シルフィもアイラもエレンもいないので、不思議な魔法や奇跡でぱっと諸々を綺麗にすることなんてのは不可能だ。つまり、古式ゆかしい方法――水と清潔な布で物事を片付けるしかないのである。
「差し当たって、二人を起こすとするか」
「そ、そうね。うん、そうね」
さっきからそうねと繰り返すまだちょっと挙動が怪しいトズメをなんとかコントロールし、意外と可愛い寝顔を晒す赤鬼二名も朝のお掃除、というか昨夜の後始末に加わらせなければなるまい。何しろ、この部屋の惨状の責任の半分は眠りこけている赤鬼二名のものであるはずなのだから。
☆★☆
「いやー、お日様が黄色く見えるってのはこういうことを言うんすかね?」
「別に黄色くは見えないだろォ……まぁ、ウン。ちょっとまだなんか挟まってるような感じはするけどさァ」
「あー、それわかるっす。こういう感じなんすね」
「君達明け透けだなぁ」
赤鬼二名がもりもりとボイルしたウィンナーとボリューム満点のパン、そして酸っぱいザワークラウトやピクルスなんかをもりもりと食べながら昨夜の感想戦めいたことをくっちゃべっておられる。昨日、真っ先に我を失った上に真っ先に撃沈したのがよほど恥ずかしいのか、トズメは顔を赤くしながらもそもそと朝食を食べて目立たないようにしている。
いや、目立たないように背中を丸めて小さくなっても部屋の中に四人しか居ないのだから、存在感を消すことなんて不可能なのだが。
「なァに小さくなってんだよォ? 何も恥ずかしがるようなことなんて無かっただろォ?」
「そうっすよ。結局あたしも姐さんも兄さんにしっかり上下関係を叩き込まれたわけっすし。いやー、流石に両手の指で足りない女をヒィヒィ言わせてきた兄さんには手も足も出なかったっすね」
「だからもう少しこう、恥じらいというものをだね?」
「えー、そういうのあたしに合わなくないっすか?」
ぶー、とベラが唇を尖らせてみせる。まぁ、合うか合わないかで言ったら合わないけどさ。
「そういうのはトズメとか他の姐さんが担当してくれるっすよ」
「まァ、旦那がそう求めるならそう振る舞うのも女の甲斐性ってもんかもしれないけどねェ……あたしらにはちょっと合いそうにないよねェ。トズメはともかくとしてさァ」
「トズメはあたしらと違って繊細っすからね。実は可愛いもの好きっすし」
「ほぅ……」
俺の視線にトズメがうつむいたままビクリと身体を震わせる。ふむ……そう言われると色々飾り付けたくなるな。まぁ、いずれ全員にフリルとレースたっぷりのドレスでも着せてみるとしよう。
☆★☆
さて、俺とて毎日毎日色事にうつつを抜かしているわけにもいかない。俺がわざわざ北方に足を運んだのはシュメル達と絆を深めるためでも、ハーピィさん達の猛攻に耐え忍ぶためでもなく、春に発生するだろう北方からの侵略戦争に対抗するだけの兵力と迎撃施設を整えるためである。
まぁ、北方からの侵略と言ってもその主戦力の多くは槍や盾、剣や弓などで武装した歩兵であり、騎兵や魔道士もいるだろうがさほど数は多くないと思われる。そして、この世界における戦争も基本は数を揃えたほうが勝つことになるわけで……つまり大部隊を揃え、大量の補給物資を抱えてえっちらおっちらと徒歩と馬車で侵攻して来るわけだ。
俺達のようにゴーレム通信機でリアルタイムに情報を共有できたりするのであれば戦力を小分けにして多方面から侵攻するというような真似もできるのだろうが、彼らが持つ通信手段というのは非常に貧弱なものだ。一番早いのが魔道士が扱う飛行型の使い魔を使った伝令で、次点で早馬を使った伝令といったところだろう。
狼煙などを使った情報伝達手段というのもないわけではないが、伝えられる情報量が圧倒的に少なすぎて小部隊の分散運用に耐えるものではないし、何よりあっちこっちで狼煙なんぞ上げた日には目立って仕方がない。
つまり何が言いたいかというと、大部隊で侵攻をかけてくるとなるとある程度進行ルートは絞れるということである。補給物資を満載した馬車で峻険な山や深い森を通行するのは不可能に近く、また道なき道を進むのも大変な苦労を伴うことになる。そうなると、基本的に進行ルートというものはある程度街道を使ったものになるわけで、防御側としてはそういったルートを監視し、必要な場所に必要なだけの戦力を速やかに配置することができれば良いわけだ。
足の速さに関しては兵員輸送用エアボードを有するこちらが圧倒的な優位性を有しており、また通信手段においてもその速度、範囲においてこちらが大幅に上回る。更に監視の目に関してもこちらはハーピィによる偵察を使うことすらできる。
ガハハ、勝ったな。
「と油断すると絶対に良いことが無いからなぁ」
「それはそうだな。油断して良いことなど何ひとつない」
俺の言葉にウォーグが深く頷いて同意を示す。こちらは軍事技術面で大きく敵の先を行っているので、普通に考えれば負けはまず無い。まず無いのだが、それは絶対ではない。どれだけ技術格差があろうとも、前線で戦う兵士は槍で突かれ、剣で斬られ、矢の雨に晒されれば死ぬのだ。
相手は聖王国からある程度の情報を共有された上で侵攻してくるはずだから、銃撃や空爆に対して何らかの対策を講じてくると考えて然るべきである。プライドが高いという噂の聖王国が自分達の軍が全滅に至った全ての情報をディハルト公国やティグリス王国に供与するかどうかはわからないが、何の対策もせずにバンザイ突撃をさせるとは流石に思えない。
「何をしてくるかね……分厚い盾でも並べるか?」
「銃撃はもしかしたらそれで防げるかも知れないが、ハーピィの爆撃には対処できないだろう。何か対空攻撃手段を用意するんじゃないか?」
確かに、銃撃をそれで防げたとしても、足を止めたら上から降ってくる爆弾で吹っ飛ばされるのがオチだな。俺が戦闘指揮官なら絶対にそうする。
「流石に魔銃を用意するのは無理だよな。となると、射程を伸ばす弓とか矢を用意してくるかね?」
「そうだな、風魔法を付与した弓矢などを用意してハーピィに対抗してくる可能性はあると思う。数はさほど多くないと思われているだろうし、そんなものを大量に用意するのは難しいだろうから少数だと思うが」
「なるほど、そうなるとハーピィさんに何かしらの防御手段を持たせたほうが良いな……銃撃対策ってことなら土魔法を使った防壁を作る魔道具とかも持ち出してくる可能性はあるよな。うちでも作ってるし」
塹壕を簡単に作り出す魔道具に関しては研究開発部で既に開発に着手し、俺が提供したミスリル銅合金を使って効率を高めたものが冬の間に出来上がる予定だ。
「その可能性は十分にあるな。だが、それもやはり数は多く揃えられないだろうし、それを使うと前衛が前に進めなくもなる。魔銃よりも射程の長い投射武器が無いと結局手も足も出ないと思うが」
「それもそうか。いざとなればエアボードで側面に回り込んで銃撃を仕掛けることもできるもんな」
「そうだな。エアボードに乗ったまま銃撃を行う訓練もしておいたほうが良いかもしれんな。矢に対する装甲を施して戦車化すれば良いんじゃないか?」
「機動装甲車仕様か……うん、その発想はあった。改造するか、新開発するか……」
普通の矢に対する防御ということなら、わざわざ鉄板を使わなくてもちょっと厚めの木の板と革を組み合わせた装甲でも十分効果があるはずだ。ああ、でも火矢で燃やされると大変だから、やっぱり金属装甲にしたほうが良いかな。重量が大きくなりすぎると機動性が落ちるからなぁ、バランスを取るのが大変だ。
「矢の射程に入らないようにすれば大丈夫だとは思うが、装甲があったほうが安心ではあるからな。ぜひ開発してくれ」
「わかった。後は侵攻ルートに対してどこに監視拠点を置くかだが……」
基地の作戦室で協議は続く。冬が明けるまでに諸々の準備を終えなければならないので、時間的な余裕は然程無い。もう少し穏やかに生きたいものだけどなぁ……やれやれ。