第254話~前線からの陳情~
地方の実力者達による親善訪問が続く中、流石に部屋にずっといるのは退屈だし無益だということで俺はシルフィ達を説得し、研究開発部へと顔を出していた。
この研究開発部は新生メリナード王国躍進の原動力となっている部署である。当然重要度は非常に高く、警備もしっかりしているため地方の実力者達が用意したハニートラップに俺が引っかかってしまう可能性は非常に低い。基本的に部外者お断りなので。
俺の護衛のためにグランデも研究開発部に入り浸ることになり、研究開発部の研究室の一角が俺によって改造され、クッションを敷き詰めたグランデくつろぎスペースが設けられることになったりしたが……変わったところはそれくらいで概ね俺は以前までの日常を取り戻していた。
「前線の兵士から陳情が上がってきている」
「そういうフィードバックは大事だな。内容は?」
「ブロッククッキーは食べ飽きた。何か新しい携行食を、という内容」
「そう来たかぁ……」
古来より軍と糧食の関係は切っても切れない関係にある。解放軍に関してはオミット大荒野に進軍した初期の時点で俺が主導してブロッククッキーという携行糧食の開発を行い、以後解放軍の標準的な携行糧食として大量生産して運用してきたが、流石にブロッククッキーだけでは食事に多様性が無い。
一応、ブロッククッキー以外にも一小隊分の糧食――穀物や干し肉、乾燥野菜や調味料など――を規格化して一箱に詰めた行動食パッケージというものも提案して実用化していたが、火を熾し、調理器具を使う必要があるためあまりお手軽とは言えない。
「つまり前線で求められているのは手軽で、食味が良く、多様性のある新たな携行食ということだな」
「そうなる。とても難しい問題」
「まぁ、そうね」
ブロッククッキーはカ○リーメイトをイメージして作ったビスケット状の携行糧食だった。油脂分も多めに添加しており、食味も悪くなく、石のように硬いということも無くてそれなりに受け容れられていたが、流石に飽きられたか。
「まずはブロッククッキーにフレーバーを追加する案を……」
「それならもう実施してる。ドライナッツやドライフルーツを練り込んだものとか、焼き上げる前の生地に粉チーズを添加したものとか」
「Oh……となると、根本的に違うものを求めていると」
「うん。何か案はない?」
「うーむ……」
アイラの大きな瞳でじっと見つめられて俺は唸り声を上げながら考え込む。味と保存性、輸送性を向上させた保存食となると、まず考えられるのが瓶詰めや缶詰だ。しかし瓶詰めや缶詰を大量に生産するのは、今のメリナード王国の技術力及び生産体制では難しいと俺は思う。オミット大荒野の後方拠点のように、魔力が無尽蔵に湧き出る脈穴があちこちにあれば大量生産を行う工場を作ることもできると思うが……。
「難しい?」
「すぐに実用化するのは色々な意味で難しいが、一案として俺は缶詰を推す」
そう前置いて俺は缶詰食品の概要をアイラをはじめとした研究開発部の面々に説明し始める。
「基本的に食品が腐敗する原因の大半は微生物の繁殖によるものだ」
「びせいぶつ?」
「目に見えないくらい小さな生き物だな。実は病気の原因になったりもするんだが、今はそれは置いておく。今から説明する缶詰というものは製造工程で徹底的にこの微生物を殺し、更に空気を抜いた状態で密封することによって食料を長期保存する技術だ」
俺はチョークを使って研究開発部に置かれている大きな黒板に缶詰の製造工程を簡単に書き記した。まずは原料の洗浄だ。長期保存を実現するためにはまずは原料をしっかりと綺麗にする必要がある。
次に肉や魚であれば内臓、野菜や果物であれば皮や種などの余計なものを取り除く。これは自動加工機械がない現状では手作業になるだろう。大量生産するのであれば人員を大量に雇う必要があるし、加工する人員は勿論徹底的に清潔にしていなければならないし、健康でなければならない。咳やくしゃみをしながら食品加工なんてありえない。当然、異物の混入なども認められない。品質を保つためには衛生管理の徹底が必要だ。
「もうこの時点で難しい」
「でも、実用化に成功すれば缶を開ければすぐに食える状態で肉や魚、野菜、果物を腐敗させずに何ヶ月も、場合によっては何年も保存できるぞ?」
「……むぅ」
大きな瞳を難しげに細めながらアイラが沈黙する。
「そして綺麗にした原材料を缶に詰める。缶の構造はこんな感じだ」
前に缶詰の構造や製造工程について調べて動画なども見たことがあったので、記憶を掘り起こしながら缶の構造について黒板に書き込んでいく。
基本的な工程としては缶本体となる薄い筒状の金属に蓋をし、缶本体と蓋の端を巻き込ませて締め付け、密封する。これを巻締という。密封性を上げるために蓋の端にはシール材としてスライム素材を使うと良いだろう。巻締用の機械に関してはゴーレム技術を用いれば作れないことはないと思う。巻締を行うためのローラーの角度や、蓋や缶本体の巻締部の角度などは研究が必要だろうが。
「こうやって密封する前に空気を抜くために調味液や油、シロップなどを充填する必要がある。缶詰の中に空気が残っていると腐敗や後の加熱殺菌の際に破裂する原因になるからな。肉の場合は調味液などを充填する前に缶に入れたまま一度蒸気で長時間蒸して加熱殺菌した方が良いかも知れない」
確か肉や魚の場合は野菜や果物に比べて高熱で長時間加熱殺菌すべし、と動画で言っていた気がする。
「で、調味液や油などを充填して密封した後に更に缶ごと蒸気で長時間加熱殺菌をする。さっき言った腐敗の原因となる微生物っていうのは熱に弱い。缶に入れる前にしっかり洗って微生物を落とし、更に缶に入れたまま原料を長時間蒸すことによって微生物を殺し、調味液や油を充填することによって微生物の繁殖に必要な空気を無くし、蓋をして密封することによって食品が新たな微生物に汚染されることを防ぎ、更に密封後に長時間高温で加熱処理することによって微生物を殺し尽くす。こうして食品の腐敗の原因となる微生物を徹底的に排除し、殺すことによって食品を長期間保存できるようにするわけだ」
ナマモノを扱う関係上、加工作業は迅速に行わなければならない。ベルトコンベアーなどを使った流れ作業も必要だろうし、何より缶に食品を詰める密封工程で手間取るようでは話にならない。原料の調達から加工に至るまでの時間を考えれば工場は原料の調達場所のすぐ近くに設置するべきだ。
加工技術の基礎研究から加工場所の設定、建設、人員や原料の手配……やらなければならないこと、クリアするべき課題が無数にある。
「手作業で作るのはとっても難しいということはわかった。でも、今後を考えると缶詰は是非作れるようになるべき」
「そうですね。長期保存ができるなら輸出品にもなりそうですし」
「生鮮食品を缶詰という形で備蓄できるようになれば飢饉にも備えられるな」
俺から一通りの概要を聞いた研究開発部の面々が活発に議論を始める。
「微生物という概念は面白い。浄化の魔法を使った食品は腐りにくくなるし、怪我人に浄化の魔法をかけると傷が悪化しにくくなる。浄化の魔法は汚れだけでなく、目に見えない微生物というのも取り除いているのかも知れない」
「神官の扱う奇跡にも同じように浄化の奇跡がありますが、上位の奇跡に永続保存の奇跡がありましたよね。あれは微生物を排除した上で、更に微生物を寄せ付けなくなる奇跡なのかも」
「加工する食品や作業者を浄化の魔道具で浄化すれば衛生管理というのはなんとかなるんじゃないか? 空気を入れないように密封すればいいだけなら、普通にシチューとかを作って徹底的に浄化の魔法をかけてから缶に入れて密封すればいいと思う」
「ふーむ……巻締というこの加工方法は素晴らしいが、加工が難しいな。薄い金属板を作って筒状に折り曲げるのは簡単だが、接合をどうするか」
「錬金魔法で接合すれば良いんじゃないですか? 同じ材質の金属同士なら簡単だと思いますよ。蓋をするのも同じですね。専用の加工魔道具を作るのはそんなに難しくないと思います」
研究開発部の面々がそれぞれの分野から発想を出し合って缶詰の製造に関してこの世界の技術――魔法的な観点から解決策を見出していく。なるほど、微生物を簡単に排除できる浄化の魔法を使えば加熱殺菌工程は大幅に簡略化できるだろう。加工した料理を浄化魔法で徹底的に殺菌するという手法は確かにアリかもしれない。
それに缶詰の作成と密封作業に関しては錬金魔法を使うときたか。確かに魔法で缶本体と蓋を接合してしまえば巻締加工なんて必要無いわな。俺としてもこの手法は目からウロコである。巻締加工をするために缶に蓋を押し付けつつローラーを使って接合する必要なんて無いわけだ。加工食品で満杯の缶に蓋をポンと置いて専用の魔道具で接合すればそれで事足りると。
「……魔法の力ってすげー」
俺が難しいと思っていた各種問題が魔法という未知のテクノロジーで簡単に解決できそうという事実の前に俺は半ば放心しながらそう呟くしかない。
「コースケの発想と知識のほうが凄い。食べ物がどうして腐るのか、缶詰はどうして腐らないのか、缶詰を作るにはどういう技術的な問題があるのかをしっかりと説明してくれたから、私達はその解決方法をこうして話し合える。コースケの知識と発想は何物にも代え難い」
「そうですね。保存食と言えば焼き締めたパンとか干し肉とか干し果実とかくらいしか私達には思い浮かびませんし。調理済みの料理を長期間腐らせずに保存する方法なんて、それこそ奇跡が必要ですから」
「まったくだ。鍛冶一筋で学のない俺でも缶詰が何故腐らないのかなんとなくわかったからな。後は実際に作ってみて本当に腐らないのか確かめないとな。そうだ、缶詰の材質は何で作れば良いんだ? 鉄で良いのか?」
鍛冶職人の質問に俺は缶詰用の缶に関する知識を記憶から掘り起こす。
「鉄でいいが、内容物や保存期間によっては腐食する可能性があるから可能であれば錫でメッキ加工をしたほうが良いな。あと、缶の開封のために缶切りが使えたほうが良いから上下どっちかの縁に取っ掛かりがあった方が良い。上部に取っ掛かりをつけておけば重ねた際に安定もすると思う」
「錫か。錫なら簡単にできるな」
「錬金魔法でもできますよ。コスト的にどっちが良いですかね?」
鍛冶職人と錬金術師が缶の加工法や錫メッキの方法について話し合いを始める。単にメッキするだけなら溶かした錫に鉄板を漬けるというやり方もあるようだが、錬金魔法を用いたメッキのほうがムラも無駄も少なくメッキ加工ができるようだ。メッキ加工用の魔道具は既に開発済みだが、当然魔道具は製造にも運用にもそれなりにコストがかかるので、どちらが良いか検討するらしい。
「なんかなんとかなりそうだな。缶詰は難しいと思って本命じゃなかったんだが」
「そうなの?」
「フリーズドライ食品とか即席麺なんかを提案しようと思っていた」
フリーズドライ食品は魔法を使えば割と簡単に作れるんじゃないかと思ったんだよな。フリーズドライ食品に魔法を使うなら、缶詰の製造に魔法を使うことにも思いつくべきだった。
揚げ麺は所謂インスタントラーメンかカップラーメンからの発想だ。スープをフリーズドライで粉末状にして、同じくフリーズドライ加工した麺や揚げた麺と一緒にお湯を注いで前線で温かい麺食品を食べられるようにしてはどうかと思ったのだ。これも勿論試行錯誤が必要だとは思うが、缶詰の大量生産よりは難度は低いだろうと思っていた。
「そっちにも興味がある。是非説明して欲しい」
「わかった。じゃあこっちに関しても説明しよう」
俺は再びチョークを手に取り、即席麺やフリーズドライ食品の概念を説明し始めた。
この日の俺の知識開示の結果として、研究開発部では缶詰の製造と即席麺や粉末スープ、フリーズドライ食品に関しての研究が大々的に進められることになった。
その日のうちにシルフィやメルティにも報告が上がり、エアボードやエアバイク、機動装置や魔銃などの兵器開発と同等かそれ以上の予算と人手が割かれることが決定する。
知識を有する俺はこれら加工保存食品の開発主導者として抜擢されることになり、暫くの間忙しく動き回ることになるのであった。
魔法の力ってすげー!_(:3」∠)_