第248話~冷蔵庫~
魔法と魔力、そして奇跡――元の世界では考えられない特殊な能力に関する知見を俺なりに色々と収集した。
まず、奇跡にしろ魔法にしろ精霊魔法にしろ全ての能力は何らかの形で魔力を利用しているのは明らかであった。主な用途は様々な事象を引き起こす際のエネルギー源――であることはほぼ間違いないと思うが、変換効率が物凄く良いのではないかと思う。
例えばアイラの使う雷撃の魔法だが、あれは自然発生する雷とほぼ同じ威力を持っているらしい。確か雷の電圧と電流は最低でも凡そ1億ボルト、数万アンペアくらいだとか。言うまでもないが、ヒト一人が瞬間的に発生させるエネルギーとしては規格外の数字である。
え? 凄まじいって言ってもピンとこない? そうだな……アサルトライフルによく使われる5.56mmNATO弾が凡そ1300ジュール、7.62×39mm弾が凡そ1500ジュール、アンチマテリアルライフルに使われる12.7mm弾が持つエネルギーが凡そ1.8万ジュールのエネルギー持つ。
それに対して雷一発の持つエネルギーは換算すると凡そ1000メガジュールだ。ジュールではない。『メガ』ジュールだ。つまり10億ジュールである。まぁ銃弾に乗っているエネルギーと雷そのもののエネルギーを直接比べてもあまり意味は無いかもしれないが、それでも12.7mm弾と比べてそのエネルギー差は凡そ5500倍である。
アイラはそんなエネルギーをあの小さい体でこともなげに扱えるわけである。しかも魔力が全快の状態なら十発くらいは連続でぶっ放せるらしい。魔力と魔法というものがいかにあちらの世界の常識では考えられないものなのかはおわかりいただけたと思う。
「というわけで、魔力そのものの解明とか、エネルギー変換効率がどうとかこうとかは考えるのをやめることにした。そういうのは後の世の学者か魔道士に任せたいと思う」
「ん」
「なんか逃げてない?」
「逃げてはいない。これは転進だ」
物は言いようである。俺の頭では考えても仕方がなさそうだから考えない、というのはとても合理的な判断だろう。思わず自画自賛するレベルの決断だ。
「それで、だ。基本に立ち返ろうと思う」
「つまり?」
「つまりアレだ。喫緊の課題も無いから趣味に走ろうというやつだ」
「堂々とサボタージュ宣言し始めたわよコイツ」
「おおっと勘違いするなよ。別に食っちゃ寝して過ごすわけでも、酒浸りになるわけでもない。人の役に立ちそうな道具を作るわけだしな。場合によっては正式に量産が決まって世間に普及し、人々の生活を劇的に向上させるかもしれないんだぞ」
ジト目を向けてくるイフリータに手を突き出し、人差し指を立てて左右に振ってみせる。
「ん、コースケの考えたエアボードは実際に解放軍に採用されているし、今は廉価版の試験運用もしている。そのうち一般にも売り出されるはず」
アイラの言うエアボードの廉価版というのは従来の車輪の代わりに浮遊装置を取り付けた新型馬車である。維持費はそれなりにかかるが、今までよりも多くの荷物を素早く運べるようになると中々に評判らしい。車輪と車軸による摩擦がない分、馬に掛かる負担が少なくなって一日あたりの移動距離が二倍近くに伸びているらしい。
エアボードに使用されている浮遊装置に関してはレビテーションの魔法をはじめとした従来の技術の範囲内で作られたものなので、特に隠蔽する必要は無いらしい。ただし、送風の魔法から反動除去の術式を意図的に排除することによって作り出された推進装置はかなり画期的と言っても良い技術だし、操作系統に関しても新技術が投入されているので、本格仕様のエアボードを販売するつもりは今の所無いとのことだ。
「人の役に立つ道具作りって言っても、そんな簡単に考えつくものかしら?」
「そこはそれ。俺の世界にあった便利な生活用品を魔法を使って再現しようかなと考えている」
「なるほど」
「ふーん……例えば?」
「そうだなぁ……冷蔵庫とかどうかな」
冷蔵庫が普及すれば生鮮食料品をより長持ちさせることができる。一般家庭は勿論のこと、飲食店などでも重宝されるようになるのではないだろうか?
「れいぞうこ?」
「どんなものなの?」
「ええとな」
アイラとイフリータに冷蔵庫というものがどういうものなのかを説明する。
「なるほど。確かに夏場は生ものが傷みやすい。暖かい場所よりは地下室とかの暗くて涼しい場所のほうが食べ物が腐りにくいというのはわかる」
「お城には食材を凍らせて保管しておく氷冷室があるけど、庶民の家にはそんなものないものね」
「冷凍庫あるんだ!?」
「れいとうこじゃなくて氷冷室って名前だけどね。中に入ると夏場でも真冬みたいに寒いわよ。でも、お城の氷冷室はこんなに大きな精霊石を使って氷の精霊と契約していたはずよ」
イフリータは手を使ってこれくらい、と大きさを示してみせた。ソフトボールよりも少し大きいな……赤ちゃんの頭くらいの大きさといったところか。精霊石って確かエルフが宝石を加工して作るんだよな。それは確かに高そうだ。
「勿論そんな効果なものは使わない。アイラ、氷を作る魔法ってのはもちろんあるよな?」
「ん、ある。氷弾」
そう言ってアイラはスッと手を差し出し、その手の上に一瞬で尖った氷の塊を作り出して見せた。
「その魔法は氷を作り出して、鋭く成型して、指し示した場所に飛ばすって感じの術式だよな」
「だいたいそんな感じ」
「その場にある水を凍らせる魔法とかは無いのか?」
「……私は聞いたことないわね」
「ん……既存の魔法には無いかも。でも氷弾の魔法か吹雪の魔法の術式を応用すれば作れると思う。精霊魔法なら簡単にできると思う」
無いのか。攻撃魔法に特化しているのだろうか? この世界の魔法は。
「氷弾の魔法の氷を作るって術式だけを抜き出して魔道具化できるだけでも良いんだけどな。俺が考えているのは氷式冷蔵庫ってやつで――」
俺が作ろうとしている氷式冷蔵庫の概要を紙に書いて説明する。氷式冷蔵庫というのは言うなれば断熱性の高い素材を使った上下二段式のデカい箱である。上段に熱の伝導効率が良い金属の箱を配置し、その中に氷を入れて下段の空気を冷やす。そしてその冷やした空気を断熱性の高い素材で作った箱の中に閉じ込めておくことによって、中に入れてある食材なんかを冷やし続けるというわけだ。
電気式の冷蔵庫が普及する前には世界中で広く使われていたらしい。各家庭に氷を供給する氷屋なんかもその頃にはとても多かったと聞く。
「俺の世界では電気の供給を受けて氷を使わなくても各家庭で直接食材を凍らせたり、冷やしたりできてたんだけどな。この世界で大量の魔力を安定的に供給するのって難しいだろ?」
「ん。地脈の噴出孔でも無いと難しい」
「そうね。でも、それならその冷蔵庫一つ一つに氷の魔道具をつけなくても良いんじゃないの? あんたの世界にあったのと同じように世間一般には箱だけ売り出して、氷を作り出す魔道具を作って氷屋を国で運営した方が儲かるわよ」
「……おお」
「確かに」
イフリータの指摘に思わず手を打つ。そう言われるとそうかも知れない。魔法を利用した新たな道具を作ることに意識が行っていたが、冷蔵庫というものを商品として考えると氷屋という新たな利権と雇用を生んだほうがメリナード王国としては利が大きいように思える。
「あんた達はなんというか、技術屋よね……」
イフリータが呆れたようにため息を吐いて首を横に振る。
「そう言われると何も言えねぇ……でも魔道具で氷を作り出す形式の方が利便性は高いと思うんだよなぁ」
「一個一個に魔道具をつけたら高くなるじゃない。利便性が高いとしても、そんなの一般庶民は買えないんじゃないの?」
「くっ……それは確かに」
「私も金勘定が得意ってわけじゃないから、その辺りの話はそういうのが得意なメルティ辺りにでも相談すると良いんじゃないかしら。まずは氷を入れる箱だけのもの、氷を作る魔道具をつけたもの、氷屋が氷を作るための魔道具、この三つの試作品を作ってどれくらいのコストになるのかはっきりさせてみると良いと思うわよ。それから話を持っていくと良いわ」
「はい」
「わかった」
俺とアイラは素直に頷いた。ただ性能と利便性の高いモノを作るだけじゃ駄目だな……目から鱗が落ちるとはこのことか。
「何よ、その目は」
「いや、俺も先入観で人を見ていたなぁとしきりに反省していたところだ」
「なるほど。あんたが私のことをどういう風に思っていたかじっくりと聞かせてもらいましょうか」
こめかみに青筋を浮かべながら微笑むイフリータを宥めるのに時間がかかったが、筐体に関してはクラフト能力も駆使していくつかの試作品を早々に作り上げることができた。アイラに氷の魔道具を作ってもらったら早速メルティに相談しに行くとしよう。