第211話~実質的宣戦布告~
翌日の天気は曇りであった。空に立ち込める雲はどんよりと黒く、今にも降り出しそうな気配である。
「ふむ、午後からは雨であるな」
でかい猫科のおっさんが空を見ながらそんなことを言っていたので、まぁきっとその通りなのであろう。できれば雨が降る前に終わらせたいが、さて。
「ほっほっほ、これは良いですなぁ」
エアボードの滑るような移動と全く揺れのない乗り心地にデッカード大司教は非常にご機嫌であった。
「この歳で馬車での長距離移動は身体に答えるのですよ。尻も腰も痛くなるので大変でしてなぁ」
「まぁ、それはそうでしょうねぇ」
そんなご機嫌な彼を後部座席に乗せ、今日も俺は運転手である。同乗者はデッカード大司教とレオナール卿、それにアイラとメルティとザミル女史という面々だ。恐らく、解放軍のほぼ最高戦力である。ここにシルフィが加わっていたら間違いなく解放軍の最高戦力だっただろう。
そんな面々を乗せた俺は日が昇ると同時に銃士隊を乗せたエアボードを随伴につけて敵陣へと向かっていた。開戦前の所謂宣戦布告のためである。建前上の目的は討伐軍に降伏を促すための事前交渉だが、まぁ実質的には宣戦布告だろう。
何故わざわざ俺がデッカード大司教をはじめとした使者団を連れてきているのかと言うと、俺のエアボードが一番防御力が高く、なおかつ車内からでも呼びかけることのできる拡声器を積んでいるからである。あと、この俺専用エアボードには武装を施してあるので、万一の場合はこのまま戦闘に参加できるというのも強みだ。武装と言っても黒鋼製のヘビーバレルや機関部を採用した軽機関銃を二門、前方に向けてつけてあるだけだけど。
「見えてきた」
後部座席から前方の様子を見ていたアイラが俺の耳元で呟く。俺の目にはまだそれっぽいものは確認できていないが、アイラの目には見えるらしい。俺が確認できているのは敵陣から上がっている炊煙だけである。奴さん、ハーピィさん達の偵察よってとっくに位置はバレていると開き直って堂々とメシを食っているらしい。
「我々を前に呑気なものであるな」
「向こうはこっちの実態を把握していない。彼らからすれば私達は全部合わせて数千程度の少勢力。多少強い個体が居たとしても数と戦術で踏み潰せると思っている」
「でしょうね。その思い上がりも今日までですが」
ザミル女史が静かに闘志を漲らせている。今にも流星を担いで飛び出していきそうだな。頼むからやめてくれよ。
「私にしてみれば彼らは真実を知らぬだけの同胞なのですが」
デッカード大司教がそう言って目を瞑り、胸の前で光芒十字を切って見せる。まぁ、デッカード大司教としてはこれから起こる戦いに思うところもあるだろう。敵対派閥とは言っても、同じアドル教徒なのだし。
「厳しい試練となりそうですな」
☆★☆
なんとなく車内の会話が無くなって数分。俺の目にも敵陣の様子が見える距離になってきた。
「指揮車より各車へ。初弾装填、いつでも撃てるようにしておけ。同乗の魔道士もいつでも敵の攻撃を防げるように障壁展開の準備をしておくように、オーバー」
『了解、オーバー』
「ではデッカード大司教、呼びかけの準備を。アイラ、メルティ。デッカード大司教に拡声器の使い方を教えてやってくれ」
「承知しましたぞ」
「はい」
「わかった」
三人の返事を聞きながらレオナール卿の指示で敵側の矢も魔法も届かないであろう位置までエアボードを進め、そこで停車する。敵陣は見慣れない乗り物の出現に騒々しいことになっているようだ。兵達が慌ただしく動いているのが俺の目にも見える。
「ふむ、なるほど。使い方はそう難しくないのですな」
「ん。この出っ張りをこっちに動かしてここが光ったらもう準備完了。あとは普通に話せば声が何倍にも大きくなって周りに響く」
「ほう……これがあれば聖堂や広場での説法も簡単になりそうですな。実に興味深い」
「そういう平和的な使い方をするのが望ましい。魔法技術や錬金技術は本来皆の生活を助けて豊かにするもの」
「ほっほっほ、至言ですなぁ……さて、では始めますぞ」
そう言ってデッカード大司教は喉の調子を確かめた後、拡声器のスイッチをオンにして話し始めた。
「私の名はデッカード。教皇猊下により大司教の位を賜っている者。此度はメリナード王国領を支配するメリナード王国解放軍の使者と共にこの場に参上した」
デッカード大司教の名乗りに敵陣からざわめきが聞こえてくる。アドル教の大司教が地方の反乱勢力の使者とともに何故現れるのかと訝しんでいるのであろう。
「メリナード王国解放軍のレオナールである。貴君ら聖王国軍にとっては双牙のレオナールと言った方が恐らく通りが良いのであるな。今回、我々が貴君らの前に姿を現したのは、交戦に入る前に捕虜の扱いなどを決める戦時規約を結ぶためである。そちらの指揮官との面会を求めるのである」
デッカード大司教から拡声器のマイクを受け取ったレオナール卿がそう言うと、敵陣からのざわめきは更に強くなった。どうやらレオナール卿は聖王国軍内でそれなりのネームバリューがあるらしい。
暫く敵陣はざわめいていたが、やがて聖王国の国旗と聖王国軍の軍旗を掲げた一団が敵陣から出てきた。どうやら一応話し合いには応じてくれるようだ。
「とりあえずは成功であるな。最低限の理性は持っている指揮官のようで何よりである」
「ほっほっほ、辛辣ですなぁ」
笑いながらレオナール卿とデッカード大司教、そしてザミル女史とメルティ、それにアイラがエアボードから降りていく。それを見送りながら俺はゴーレム通信機を手に取った。
「指揮車から各車へ、捕虜を下ろして連れて行け。引き渡したら車両に戻れ、オーバー」
『了解、オーバー』
返事と共に各車から捕虜が降ろされ、レオナール卿達の後ろについていく。彼らは先日の戦いで捕らえた捕虜の中でも比較的階級の高い連中である。一兵卒ではなく、分隊長とか小隊長にあたる連中だ。勿論怪我もしっかり治し、飯もちゃんと食わせて丁重に扱っていた。
え? 捕虜への虐待? そんな非効率的なことをするわけがない。捕らえられたら虐待され、殺されるなどということが敵兵に知れたら敵は絶対に降伏しなくなる。どうせ殺されるならと逆に敵の士気が上がるのが関の山だ。
降伏すれば命は保証されるし、捕虜となっても酷い扱いは受けない。傷もちゃんと治療してもらえるし、信仰の自由も守られる。そういう話を広めて貰ったほうがこちらとしては都合が良いのだ。
俺達がちゃんと捕虜を丁重に扱うということが敵に広まれば、追い詰められた時に降伏してくれやすくなるし、捕虜になるくらいなら死ぬまで戦うという厄介な連中も少しは減るだろうからな。
それに俺達の恐ろしさも広めてくれることも期待できる。彼らにはわざわざ懇切丁寧に機関銃のことや航空爆撃なんかのことを説明はしていないが、よくわからない攻撃で魔法障壁も重歩兵の分厚い鎧も紙のように引き裂かれて全滅した、あいつらと戦うのは絶対にヤバい……そんな話を広めてくれるとこっちとしては更に助かる。
「しかし、暇だな」
俺の車両からは皆が出払っていってしまったので、話し相手もいなくて大変暇である。俺の耳ではこの距離でレオナール卿達の交渉の様子に聞き耳を立てることなど不可能なので。ああ、そうだ。
「こちらコースケ。とりあえず聖王国軍と話し合いの場を持つことは成功。現在、捕虜の返還と協議を進めている」
ゴーレム通信機のチャンネルを変更し、メリネスブルグで待機しているシルフィに連絡を入れる。
すると、程なくしてあちらから通信が入った。
『こちらシルフィ。とりあえず、問答無用で交戦にならなかったことは喜ぶべきだな。協議の様子はどうだ?』
「俺の耳じゃ協議の様子はわからん。耳の良い人でも一緒に乗せてくるべきだったな」
『ふむ、やはり私が行くべきだったのではないか?』
「それはダメだろう……まぁ、見る限り捕虜は引き取ってもらえたようだ」
インベントリから取り出した双眼鏡で協議の様子を見ながら報告する。一応平和的な話し合いにはなっているようだが、雰囲気はあまり良さそうには見えない。まぁうん、そうだよな。戦闘前の協議と言っても、実質的には宣戦布告であるわけだし。
まぁ、捕虜の扱いに関して何かしらの協定が結べたら御の字といったところだろう。あとは負けを認めて降伏する時の合図とか?
話し合いはごく短時間で終了し、各々がその場から引き上げ始めた。捕虜はちゃんと受け取ってもらえたようで、向こうの人員とともにあちらの陣へと帰っていく。話し合いが終わると同時に攻撃してくるんじゃないかと警戒していたが、そのようなことはなかったようだ。いきなり機関銃が火を噴くような展開にならなくてよかったな。
「コースケ、槍でも剣でも立て札でも何でも良いから一本寄越すのである」
「はいはい。こんなこともあろうかと、ってな」
レオナール卿が戻ってくるなり変な要求をしてきたので、前に聖王国軍ごと爆破した砦の前に立てたのと同じ立て札をインベントリから取り出し、レオナール卿に渡す。本当に立て札が出てきたことにレオナール卿が変な顔をしていたが、立て札に書かれている文言を見て獰猛に牙を剥いた。多分笑ったんだろう。
立て札に書いてあったのは単純な一言。
『この先に進んだら敵対行為と見なし、全力で応戦する』
という内容である。実はこんなこともあろうかと昨晩のうちに用意しておいたのだ。交渉の決裂は既定路線だったし、その場で戦闘が発生しなければ一度引き上げることも予想できていたからね。
「流石コースケであるな」
そう言って立て札を受け取ったレオナール卿が街道のど真ん中に立て札を突き刺して戻ってきた。他の面々もそれを見届けて続々と車内に戻ってくる。
「結果は?」
「当然決裂した。向こうはこちらの降伏勧告を鼻で笑い、逆にこちらに降伏を勧告してきた」
「当然こちらも降伏などする気はありませんから、互いに降伏勧告を蹴り合って無事宣戦布告が成立しました。あとは捕虜の扱いを決めたのと、改めて降伏を申し出る時には白旗を掲げた和睦の使者を送るという感じですね」
「なるほど。シルフィに詳細を報告してくれ」
「はい」
メルティにゴーレム通信機を渡してシルフィへの報告を任せる。とりあえず、目的は果たしたので一度メリネスブルグまで引く。後は立て札をハーピィさん達に監視してもらって、敵軍が立て札のラインを越えてきたら交戦開始だ。
「妙な乗り物に乗っていたが、それだけだ。やはり数は少ないようだし、我々が負ける道理はない。この戦、つまらないものになりそうだ」
「ああ、まったくだ。俺はこの遠征のせいで結婚が先延ばしになったんだ。とっとと終わらせて帰るぞ」