第209話~聖女との夜~
あの後ライムは姿を現さず、ベスは姿を現したが澄まし顔で『侍女を呼んでおいたわ』とのたまったので制裁を加えることができなかった。まぁその、ベスが現れた時には既に踏み潰したポイゾに逆襲されて全身を拘束されていたわけだが。
ベスのとりなしでポイゾから解放してもらい、その場というかセラフィータさんのお世話を任せて俺は自分に割り当てられている部屋へと戻った。広めの執務室兼応接室の奥に寝室のある、エレンが俺と逢う際に使っていたあの部屋である。元はメリネスブルグを治めていた人物が使っていた部屋らしい。あまり評判の良い人物ではなかったようだが。
そんな一室で聖女様は非常にご機嫌斜めであった。
セラフィータさんをベスに任せてその場を去った後、俺はまっすぐ部屋に戻ってきた。そして部屋に入ると、そこにはエレンが一人で待っていた。俺が部屋に現れるなり無表情のままトテトテと俺に近づき、ぎゅっと抱きついてきた。そして一言。
「他の女の匂いがします」
ぐりんっと顔を上げ、俺を見つめてくる真紅の瞳からは昏い輝きが漏れ出していた。俺も漏れるかと思った。
「これには海より深い理由があるんだ」
俺の胸に頭を押し付けて高速ぐりぐり攻撃を仕掛けてくる聖女様の背中を撫でながらセラフィータさんから相談されたことや、泣き出してしまった彼女を宥めるために今のエレンと同じように背中を撫で擦ったということを説明しておく。
「いと尊き聖女である私を待たせて他の女に優しく接するとは。恥を知りなさい」
「でも、そんな状況で義母のセラフィータさんを慰めもせずに放置なんかしてきたらそれはそれでダメだろう……あの思い詰めようは下手したら自殺をしてもおかしくなかったぞ」
目の下に隈を作り、生きる気力を失ったかのような空虚な瞳で俯くセラフィータさんの姿を思い出す。ここ数日、気力だけで気丈に振る舞ってきたのだろうが、睡眠も禄に取れないような精神状態で数日も保った方が驚きである。
「それは……貴方がそう言うならそうなのかもしれませんけれど」
不満げな表情で見上げてくる聖女様の額にキスをしてから抱きしめる。
「……こういうやりかたで誤魔化すのは最低だと思います。やり方が熟れています。不潔です」
そう言いながらもエレンは俺を抱きしめる腕の力を強めてすりすりと俺の胸に顔を擦り付けた。この子はセラフィータさんの匂いを自分の匂いで上書きでもしようとしているのだろうか?
「王妃様については明日以降、私が対応します。迷える子羊を導くのは聖職者たる私の務めですから」
「……大丈夫なのか?」
聖職者としてのエレンの姿というと、なんとなく迷える信者を導くというよりは真実を見通す瞳で不良神官の不正を暴いているイメージなのだが。
「馬鹿にしていますね? 私は真実を見通すいと尊き聖女なのですよ? 神から授かった瞳の前では迷える子羊など毛を刈られて裸になったも同然です。本人が素直に言えないような本当の悩みも私にはお見通しなのです」
それは迷える子羊を導いているのではなく、怯えさせて手っ取り早い解決の道に追い込んでいるのでは……? 俺はそう訝しんだが口にするのはやめておいた。最終的にそれで問題が解決するのであれば、それはそれで構わないだろう。セラフィータさんには頼りになる娘達もいるわけだし、エレンが駄目でも解決手段はまだまだいくらでもあるはずだ。
「さぁ、サービスタイムは終わりです。つまり他の女の話は終わりです」
「他の女って、相手は義母だぞ……?」
「血の繋がりもない未亡人で、相手は結婚適齢期が長いエルフです。どうなるかわかりませんよ。ましてや弱っているところを優しくされたのですから、案外もうコロッといっているかもしれません」
「またまたご冗談を……冗談だよな?」
そう言う俺の口をエレンの人差し指がちょん、と塞いだ。
「他の女の話は終わり、です。いいですね?」
口を塞がれた俺はこくこくと無言で頷いた。
☆★☆
翌朝。俺はエレンと二人で王城の食堂へと向かって歩いていた。目覚めは快調。俺の身体にも虚脱感などは一切無く、エレンの顔もこころなしかツヤツヤである。
え? 思ったより元気だなって? そりゃいくら聖女と言ってもエレンは普通の人間の女の子だからね。体力も相応で、エルフの中でも身体能力に優れる戦闘種に進化しているシルフィや、魔神種であるメルティ、グランドドラゴンの化身であるグランデとは比べるべくもない。ハーピィさん達のような物量戦にもならないし、アイラのように怪しい薬で限界駆動をしたりもしない。
聖女としての力を全く使わなかったわけではないが、とても俺の身体に優しい一夜であった。
「……なんだか悔しいのですけれど」
「経験の差だな」
「……むぅ」
昨夜散々俺に翻弄された聖女様が歩きながら俺の脇腹をポスポスと殴ってくる。これがシルフィやメルティなら体の芯に響くようなボディブローになりかねないのだが、エレンのパンチは可愛いものである。こっちに来てから育った俺の腹筋ではね返せるからな。
そうした二人で歩き、食堂に入ったところで先に食堂に入っていた人々の視線が一斉に集まってくる。具体的にはシルフィやアイラ、メルティにグランデ、それにドリアーダさんをはじめとしたシルフィの姉達に、セラフィータさんの姿もあった。あと、デッカード大司教とカテリーナ高司祭の姿も。図らずも、昨晩の会食の時とほぼ同じメンバーである。
「ふむ……」
シルフィがかなり不躾な視線をエレンに浴びせる。正に頭の天辺から爪先までジロジロと見るという表現がピッタリな感じだ。
「うむ、これからは私をお姉様と呼んでも良いぞ。お姉ちゃんでもいい」
「お断りです。でもシルフィエルでは長いですから、シルフィと呼びます」
「まぁそれでも良い。私も聖女やエレオノーラと呼ぶのは他人行儀に過ぎるからな。これからはエレンと呼ばせてもらう」
「はい、シルフィ」
エレンは無表情でコクリと頷き、シルフィは久しぶりの獰猛とも表現できる不敵な笑みを浮かべた。その笑い方は久々に見たなぁ。もっとこう、いつものようにニコっと可愛らしく笑えば良いのに。まだまだ打ち解け合えてはいないみたいだな。
「私はアイラ。よろしく、エレン」
「メルティです。よろしくお願いしますね」
「グランデじゃ。よろしゅうの、新入り」
「新入り……」
エレンがジトリとした視線を俺に向けてくる。それと同じ視線を俺に向ける者がいた。
「不潔だわ!」
「……」
赤ジャージ……はもう着てないからそう呼ぶのは不適切か。顔も髪も赤いうるさいのと、カテリーナ高司祭である。赤いのはともかく、カテリーナ高司祭の視線は剃刀のように鋭くてちょっと怖い。
「あらあら、甲斐性があるのは良いことでしょう?」
「ほっほっほ、頼もしいですなぁ」
対してドリアーダさんとデッカード大司教は朗らかに笑っている。というかお二人とも、朝から肉ですか。それに山盛りの蒸した芋にバター……パワフルだな。
「……」
そしてセラフィータさんはなんだか朝から熱に浮かされたような視線を俺に向けてきている。彼女の隣の席に座っているアクアウィルさんがセラフィータさんの顔の前で手を振っているが、全然気がついていない。ええと、あっちは見なかったことにしよう。うん。
「さて、色々と丸く収まったが……問題はまだまだ山積しているな」
「そうですねぇ。こちらへと向かってきている討伐軍の撃退に、撃退後の戦後処理、メリナード王国領の掌握と、その後の統治問題、人間と亜人の軋轢、アドル教の処遇に、諸外国との外交もですか。その他にも細々とした内政上の問題となると数え切れませんね」
メルティが山積している問題というのを指折り数えていく。幸い、解放軍は使っている武器や補給、というか単純に規模の関係上どちらかというと人手不足気味である。膨れ上がり過ぎて統治に問題が出る規模ではないので、その点だけは少しだけ安心だ。
「まずは討伐軍の撃退だな。まぁ、正直あまり心配はしていないが……」
「心配していない……? 相手は2万以上の大軍勢ですよ?」
カテリーナ高司祭が驚きの声を上げる。
まぁそうよね。普通に考えれば2万の大軍勢を前にして王都にいる精々500程度の手勢と、どの程度働いてくれるかもわからないメリネスブルグの衛兵だけで心配していないとか正気を疑う発言だ。いくらメリネスブルグの強固な城壁があるとしても、相手は実に40倍の規模である。攻め手3倍の法則どころの戦力差ではない。まぁ、攻城戦に関しては同時に攻撃できる人数は城壁の広さの範囲内であるわけだから、野戦と違って多ければ多いほど有利というわけでもないのだが。
「問題ない」
「問題ないですね」
「問題ないじゃろうな」
ふるふると首を振るアイラ、こくこくと頷くメルティ、そして肩を竦めながら次の骨付き肉に手を伸ばすグランデ。ちょっと待って、何その骨付き肉? なんて動物のどんな部位なの? 漫画とかアニメで見るような謎肉だよね、それ。それ俺も食いたい。
「どこからその自信が……」
「メリネスブルグを守るおよそ2000の防衛部隊を野戦で撃滅するのに我々が投入した人数はたったの20人だ。まぁ、見ているが良い……と偉そうに言っても、結局のところ全てコースケの力なのだがな」
「ん」
肩を竦めるシルフィにアイラが頷いてみせる。まぁそうね。ハーピィさん達にもばかすか爆撃してもらうつもりだし、銃士隊にはエアボードによる機動戦を仕掛けさせるつもりだ。それに加えて城壁上にはゴーレム式バリスタを置いて精鋭兵部隊に運用させるし、俺も城壁上から自動擲弾銃で多目的榴弾をバカスカ撃ち込むつもりである。
俺は2万の討伐軍を無傷で、一方的に蹂躙するつもりだ。俺は過剰な程の防衛戦力を整えて襲いかかってくる敵を一方的に薙ぎ倒すプレイが大好物なのだ。
残念ながら今回の撃退に関しては時間の都合上万全な準備をできているとは言い難いが、それでも剣と槍と弓と魔法で武装している連中程度なら十分に蹂躙できるだけの物資と火力は確保できている。切り札もある。負ける要素は一切無い。
「ほっほっほ、お手並み拝見ですな」
そう言って呑気に笑うデッカード大司教にカテリーナ高司祭がもの言いたげな視線を向け、それから諦めたかのように溜め息を吐いた。恐らく常識人であると思われるカテリーナ高司祭としては心配でたまらないのだろう。
大丈夫大丈夫、見ててくださいよ。圧倒しますから! HAHAHA!