第181話~伝令~
遅れましたァ!_(:3」∠)_
トントントン、とノックの音が聞こえる。
「入ってください」
頭上から極めて冷静な声が聞こえてきた。エレンの声である。
え? お前どこにいるんだって? 執務机の下だよ! 奥の部屋にでも匿うのかと思ったら、何故かエレンは執務机の下に俺を押し込んで自分は執務机の席に着いたのだ。
よって、今俺の目の前にはエレンの魅惑の生足が……あるわけではなく、聖女様のローブに包まれた下半身があるのでした。
「失礼します! デッカード大司教猊下の命で急報を携えて参りました!」
「ご苦労様です。それで、急報とは?」
「は、本国よりメリナード王国を闊歩する賊軍を征伐するための遠征軍が発ったとのことです。その数、およそ二万」
「二万人……」
おおう、二万人……輜重も入れての人数なのかどうなのかはわからんが、凄い数だな。いくら聖王国がデカいとは言ってもそんな数の兵力をそうホイホイとこちらに割けるものなのか? 帝国との戦争はどうなってるんだよ。
「詳しくはこの書状に。それと、大司教猊下より必ずお伝えするようにと言われた言葉がございます」
「何でしょうか?」
「備えなさい、大司教猊下はそう仰られておりました」
「備える……」
エレンはそう呟き、書状の中身を確かめ始めたのかカサカサと乾いた音が聞こえてきた。エレンはこれを俺にも聞かせるためにわざわざ執務机の下に俺を押し込んだのか。
しかし、備えろとは一体どういうことだろうか? まぁ二万人も兵隊が来るなら色々と準備しなきゃならないことは多いだろう。滞在する場所、飲み水に食料、いきなり二万人も人が増えるとなると、疫病でも流行ったら致命的だから衛生状態にも気をつけなきゃならない。というか、いきなり二万人もの兵隊を支えるだけの余裕がメリネスブルグにあるのだろうか?
書状の中身が気になるな。
「……なるほど。大司教猊下からの書状、確かに受け取りました。貴方は十分に身体を休めてください」
「は、ありがとうございます。しかし、私は一刻も早く主の元へと馳せ参じたいと思います」
「そうですか。それでは必要なものがあればシスター・アマーリエに申し付けてください。それと……」
エレンは沈黙したかと思うと、席から立ち上がって少しの間沈黙した。何をしているんだろう? と首を傾げていたら目の前のエレンの足、というかローブが徐々に明るい光を放ち始めた。何の光ィ!?
「賦活の奇跡です。お疲れのようでしたので」
「これは……聖女様直々の奇跡を賜るとは光栄です!」
光が収まるとそんなやり取りが頭の上でなされた。なるほど、今の光は奇跡とやらを使った時の視覚効果なわけだ。なかなか目立つな。夜中にやったら位置がバレバレになるのでは?
「はい。大司教猊下には万事承りましたとお伝え下さい。そしてありがとうございます、と」
「承知いたしました。では、失礼致します!」
足音と扉の開閉音が聞こえた。どうやら伝令兵は出ていったらしい。しかし、エレンは執務机の席から動く気配がない。あの、出られないんですが? てしてしとエレンの膝辺りをつついたら半歩ほど引いた。だから出れないんだけど?
少しだけ空いた執務机とその席の間のスペースから顔を覗かせて上を見上げると、エレンが真紅の瞳をじっとこちらに向けていた。
「もう少し私の下半身を堪能したがるかと思ったのですが?」
「そういうフェチズムは持ち合わせていない。というかローブに隠れてるし楽しむも何も無いだろう……」
「つまりこうしたいということですか?」
エレンがローブを少しずつたくし上げて生足を顕にし始める。おお、白いくて細い足だなぁ……ではなく。
「やめなさい。淑女としてはしたないでしょう」
徐々に上がる裾を両手で掴んで下ろす。危なかった。
「こうでもしないとエルフのお姫様に勝てそうにないのですが」
「そういうのは焦るものじゃない。自然にでいいんだ、自然にで。というか勝つとか負けるとかじゃないから」
と言いつつ、シルフィ達にはあっさりと誘惑されてホイホイやらかしてしまったんですけどね、俺は。つまり俺は誘惑に弱いんだ。それを自覚しているんだ。俺も学習しているというわけだな、うん。
エレンがやっと退いてくれたので執務室の机の下から這い出す。ふぅ、開放感。
「しかし二万か。凄い数字だな……さすがは大国か」
「そうですね。本国も本腰を入れて邪魔者を排しようと行動を開始したということでしょう」
そう言ってエレンは執務机の上に置いてあった書状を手に取り、俺に手渡した。読んで良いということだな? どれどれ。
「……え?」
書状に書かれていた内容は目を疑うものであった。
「これマジ?」
「残念ながら」
俺の言葉にエレンはそう答えて肩を竦めた。
書状はなかなかに難解かつ優雅な表現で記述されていたが、要約すると『遠征軍の狙いは解放軍の征伐だけでなく、真実の聖女であるエレンを魔女として処分するためのものである』というものであった。ちょっと意味がわからない。
「何がどうなってこうなったんだ?」
「私が中央を離れている間に今までに私がこの『眼』を使って失脚させたゴミクズ達が勢力を取り戻したということでしょうね。嘆かわしいことです」
エレンが深く溜息を吐く。そんな事が起こりえるのか?
「私を魔女ということにして、私の『眼』によって暴いた罪は全て私が仕組んだことにしたとか、そういう感じの流れでしょう。あの人達がやりそうなことです」
「滅茶苦茶過ぎない? まさかその眼で真実を見抜いて糾弾しただけとかじゃないんだよな?」
「ええ、勿論。この目を使えばどこにどんな証拠があるのかを聞き出すことも簡単ですからね。そういった審問を行う時には全て聞きだして物的証拠も押さえましたとも」
「それをひっくり返したのか……なんというか言葉もないな」
エレンを欠いただけで簡単に主流派に勢力を盛り返されてしまう懐古派の連中に文句の一つも言いたくなるが、内情を知らない俺が無責任にそういうことを言うのは良くないか。つまり、アドル教において懐古派の勢力というのは主流派のそんな無理な主張も阻めない程に小さいということなのだろう。
「このまま城に留まるのは危ないんじゃないのか」
主流派は既にエレンを魔女と認定して遠征軍を送っている。遠征軍の到着は例の上司――大司教猊下とやらよりも遅いに違いないが、大司教猊下とやらがこのメリネスブルグに到着したとしても一度動き出した聖王国の遠征軍を止めることはできまい。このままこの城に留まり続ければ、エレンは遠征軍とやらがメリネスブルグに到着次第火刑台の上に送られることになるだろう。
既に主流派の主張する教義が改竄されているとか、それを指摘して正しい教えを広めて聖王国──というかアドル教を引っ掻き回すとかそういうレベルの問題では無くなってしまっている。このまま行けばエレンは排除され、エレンを旗頭にしていた懐古派もまた同じように異端として排除されるのも時間の問題だろう。
「そうですね。このままいけば私の命はあと一月もありません。捕らえられ、拷問され、全ての罪を『自白』させられて火刑台の上で焼かれることになるでしょう」
エレンは俺に背を向け、執務室の窓の外に視線を向けた。視線の向かっている先は空だろうか? いつの間にか空には覆いかぶさるような黒い雲が姿を現していた。ひと雨来そうだ。
「そうはさせないぞ。エレンをそんな目に遭わせるくらいなら俺が攫っていくからな」
「そして手篭めにして私を自分のものにするのですか?」
「そうだな、そうする。そして解放軍と一緒に聖王国軍を滅ぼす。どんな手を使ってでもな」
「二万人ですよ? そんなに多くの罪もない人々を殺めると?」
「必要であればそうするさ。俺にとっては顔も知らない二万人の聖王国軍の連中の命よりもエレン一人の命の方が重いからな。というか、エレンのことが無くたって奴らとは戦うことになる」
そもそもが解放軍を征伐するための軍であるわけだしな。何れにせよ矛を交えることになるのは確定事項だ。
「つまり、私のことはついでですか」
「大局を見ればそうだろうな。俺にとっては重要事項だが」
「そうですか。そうですね。聖女などと呼ばれて持て囃されても、所詮私は少しばかり特別な力を持つだけの小娘ですものね」
「そうかもな。でも、人死にを減らすことはできるんじゃないか」
「そうですね。確かに私の奇跡の力を使えば何人か、もしかしたら何十人かの命は救えるかもしれません」
エレンは俺に向かって振り返り、そう言って頷いた。違う、そうじゃない。
「いや、そういう意味でなくて。エレンと大主教猊下とやらが公然と解放軍に与すれば聖王国と解放軍が対話を試みることができるんじゃないか。いくら聖王国で懐古派の勢力が弱いと言っても、懐古派にだって色々と伝手があるだろう? 聖王国内部だけでなく、諸外国に対しても」
「ん……そうですね、私やデッカード大司教の名は諸外国にもある程度知れ渡っていると思います」
「解放軍としてはそういう伝手とかコネはそれこそ喉から手が出るほど欲しいものだと思うね。諸外国にも働きかけて和平を結ぶことができれば、結果として人死には減るだろう」
「そうでしょうか……」
エレンは無表情で、しかし沈んだ雰囲気を漂わせたままそう呟く。これはアレだな、今まで自分がしてきたことが全てひっくり返されてだいぶしょげてるな。そうですか、そうですね、そうでしょうか、とどこか返答も上の空だし。
「気分が沈んでいる時には甘いものが良いぞ。ほらほら、あっちの応接セットでちょっと寛ごう」
視線を下げて落ち込んでいるエレンの背中を押して応接セットのソファに誘導して座らせ、エレンもお気に入りのお菓子をインベントリから取り出してやる。生クリームとイチゴ、そしていちごジャムも乗っているふんわりパンケーキだ。
「ほら、あーん」
ナイフとフォークを使ってパンケーキを一口大に切り分け、エレンの口元に運んでやる。
「ん……美味しい」
何度かそうやってパンケーキを口に運んでやると次第にエレンの赤い瞳に生気が戻ってきた。
「飲み物が欲しいです」
「はいはい」
ミルクの入った陶器製のコップをインベントリから取り出して渡してやる。何のミルクだって? 黙秘します。美味しければ何でも良いよね。
エレンが俺の手からカップを受け取り、コクコクと喉を鳴らしてミルクを飲む。
「美味しいミルクですね。前にも飲ませてもらいました」
「ははは、向こうは環境が良いからな。品質も上がるさ」
衣食住は完備しているし前線からも遠い上に魔物の襲撃もないからストレスも少ないからな、このミルクの原産地である後方拠点は。
「エレンに限ってそんなことはないと思うが、軽率な真似はするなよ。いざとなれば攫って逃げるから」
「そうですね。その時は大人しく攫われます」
「そうしてくれ。後はどう動くかだな……」
俺の頭じゃ適切な対策は浮かばないが、後々のことを考えれば聖王国軍が来る前に解放軍がメリネスブルグを押さえたほうが良い気がするな。この街は広いし、城壁が何重もあって守りが堅い。何より俺達のアキレス腱になり得るシルフィ達の家族――王族がこの城の凍結区画で眠っている。
いや、シルフィならい家族を人質に取られても戦いを選びそうだな……そんな決断はさせたくない。やっぱりメリネスブルグまで兵を進ませるべきだろう。問題は行軍だな……聖王国軍が来るまでに道中の砦を制圧しながらここまで来られるか? メリネスブルグだけを取っても後方との補給を断たれて孤立させられたら……俺がいれば大丈夫だな? むしろメリネスブルグに立て篭りつつ聖王国軍に出血を強い続けるほうが有効かもしれん。ついでにメリネスブルグを包囲する聖王国軍をアーリヒブルグ方面から襲撃し続けるのもアリかもしれんな。
エアボードを量産して高速機動部隊を編成し、道中の街や砦を無視してメリネスブルグを速やかに占拠。本隊は高速機動部隊が無視した街や砦を攻略しつつ進軍。メリネスブルグを占拠した高速機動部隊の一部を抽出して進軍してくる聖王国軍を断続的に襲撃し、その侵攻を遅滞させつつ出血を強いる。聖王国軍より早く本隊がメリネスブルグに到達した場合はメリネスブルグに立て籠もって籠城、間に合わなかった場合は先行している機動部隊がメリネスブルグで堅守しつつ、本隊が聖王国軍の後背を突く。ふむ、いけるのでは?
ハーピィ航空部隊による航空爆撃、馬より早いエアボードに機関銃を取り付けたピックアップエアボードによる機動攻撃、ゴーレム式バリスタやゴーツフットクロスボウを使った防御、これらを有効に使えれば二万人の聖王国軍を撃退することは難しくなさそうに思えるな。いざとなれば魔煌石爆弾という切り札も作れるわけだし。
「何か邪悪な気配を感じますね」
「失敬な。聖王国軍に対する戦略を少し考えてただけだ」
その内容は聖王国軍を容赦なく、一方的に殺戮しかねないものだけど。さすが聖女、勘が鋭いな。
「まぁ、二万くらいはなんとかなると思うからあまり気に病まなくて良いぞ」
「二万の兵を相手になんとかなると言い張るその自信が羨ましいですね。頭の中にお花でも咲いているのですか?」
「お、調子が戻ってきたな。その調子その調子」
いつもの切れ味を取り戻しつつあるエレンの頭を撫でながら俺は対聖王国軍戦術を考え続ける。
まぁ、俺の戦術はきっと穴だらけだろうからシルフィ達に検討してもらう必要があるな。となると、事情の説明も併せて連絡を取る必要があるか。
そう考えた俺はシルフィ達に連絡を取るべく、まずは部屋の何処かに潜んでいるであろうライム達の分体を探すべく視線を部屋の中に漂わせるのであった。
どうも最近睡眠時間が短い……ぐっすり8時間寝たいけど目が覚めちゃうんですよね_(:3」∠)_




