小説とは料理である
小説を執筆するのと、料理をすることは似ている――なんて、昨日肉じゃがを作っている時に、ふと思った。
どんな味のものを、どれだけの量で作るのか、完成をイメージしながら、一つ一つ作業をこなして作り上げるところが、そっくりだと思ったのだ。
もしも、小説が料理だとすると、小説を書く人は料理人ということになる。
くだらない話にはなるが、少々この場を借りて、小説と料理について、照らし合わせながら考えていこうと思う。
料理人は、まず調理の前に、完成した料理の味と見た目をイメージしなければならない。
行き当たりばったりの『気まぐれレシピ』が可能なのは、センスと経験がある一部の料理人だけだ。
プロでもない料理人がきまぐれに作って出来上がるものの多くは、味も見た目もまとまりのない料理である。
実際、私も過去に気まぐれレシピに挑戦して、失敗した。
キャラや世界がブレブレで、読者からも、矛盾の指摘や厳しいお言葉を頂戴することにもなった。
だからこそ、プロットや設定という名のレシピは、おおまかにでもあったほうがいいと、声を大にして言いたい。
そして、レシピを大まかに描いていくのと同時に、料理人は、どんな食材を使うかを選びだす。
肉には肉の、魚には魚の良さがある。持ち味を最大限に活かす調理法だってある。
美味しい料理を作るため、料理人は食材のいいところも悪いところも、調理の注意点だって把握しておく必要があり、必要な場面で食材を投入しなければならない。
何も考えず好きなものを合わせて、偶然上手くいくこともあるだろう。
だが、そうでない例も多かったりする。
例えば、ひきこもりだった男が異世界に行った瞬間から、活き活きと戦うなんていうやつだ。
まぁこれは、食材を活かすうんぬんではなく、メインの食材が別物に変わってしまっているのだが。
もしも、女性を助けただけで、簡単にハーレムを築けたりなんかすれば、これはある意味『しいたけのチョコレート煮』のように組み合わせに違和感がある料理になってしまっていると、私は思う。
また、料理人は調理器具の管理や火加減にも注意をする必要がある。
穴だらけの鍋に食材を入れたら、食材は無くなってしまうし、カビや焦げだらけのフライパンでは、せっかくの食材の良さを殺しかねない。
つまりは、食材さえいいものを使って入ればいい、というわけではなく、環境や道具の選択も重要なことなのだ。
このように、調理も執筆も、楽しいものではあるが、案外気を配ることが多く、じつは大変なことだったりする。
と、まぁ、ここまでは調理・執筆法に目を向けてきたが、料理人についても語らせていただきたいと思う。
料理人にも、様々なタイプがいる。
料理をすること自体を楽しむ人。(趣味での執筆)
料理で店を出したい人。(作家を目指す人)
自分を料理で認めてもらいたいと思う人。(自己肯定のために書く人)
私はこの三つしかパターンが思いつかなかったが、本当はもっと多いかもしれない。
ちなみに私は、料理自体を楽しむ人だったりする。
自分が楽しんで作ったものを、食べてもらえたら嬉しい。そんな感覚で物語を書き続けている。
そんなふうに『自分の書きたい思い』が先にたっていたからか『人称はそろえるもの』だとか『現在過去をやたらと行き来しないほうがいい』とか、知ってはいたが、あまり気にとめてはいなかった。
無料だし、楽しければそんな細かいこといいじゃん、なんて、かつてはそんなことを考えていたのだ。
その一方で私は、自分の小説に感想がいつまでたっても来ないことに悶々としたり、ブクマが増えないことに落ちこんだりもしていた。
ランキングに載っている方々のを見ると、感想がずらりと連なっていて、感想が来るのが当たり前のことのように思っていた時期もあったのだ。
今思えば、傲慢だったと思うし、読者に対して誠実じゃなかったように思う。
確かに、小説の基本をおろそかにしていても、好きなように書いたものを誰かが読んでくれて、好きになってくれることもある。人気になれることもある。
実際、私が書いた作品の中で最もブクマが多いのは、行き当たりばったりで書いた小説で、基本もなっていないやつだ。
人気もあったし、読者が面白いと思ってくれているのだから、それはそれでいいのかもしれない。
細かい部分は、気にしなくてもいいのかもしれない。
ただ、これを料理で考えてみるとどうだろう。
『調理の基本のさしすせそ』を知っておきながら『どうせ食べる人は気にならないだろう』と、おろそかにして、味噌から入れてしまうのは。
卵の殻が入ってしまったのを『どうせ食べる時に、取り出してくれるだろう』と、見て見ぬふりをするのは。
それでいて、食べてくれた人から『美味しい』という言葉を望んだり『評価が欲しい』と願う。
以前、私がやっていたのはそういうことだ。
本当に不誠実で申し訳ないことをしてしまったと思う。
いま、私は『私に世界は救えません!』という物語に力を注いでいる。
ブクマは拙作の中での最も多い作品と比べて、七分の一ほどだ。
だが『あなたのオススメ作品は何ですか』と聞かれたら、私は『私に世界は救えません!』をあげると思う。
自分なりに執筆の基本を学び、拙く未熟ながらも、読者に読んでいただくことを考えて作ろうと奮闘しているからだ。
私は、書いたお話を自分だけのものにしておきたくはなく、誰かに読んでいただけたらと思って投稿しているし、可能ならば面白いと思ってもらえるようなものを書きたい。
人に見てもらうことを望むのならば、小説と料理は似ているということを、忘れてはならないのだ。
誰しも他人に料理をふるまい『美味しい』という言葉を望む時に、適当に調理することはしないだろう。
それと小説を書くのは同じことだと、私は思ったのだ。
料理は愛情をこめて工夫を凝らし、手間をかけることで、ようやく味に深みが出る。
じっくりと出汁を取り、丁寧にあくが取りのぞかれたお話は、ファーストフードのような派手さはなく、口に入れた瞬間のわかりやすい美味しさもないだろう。
ひょっとしたら、読者からはとっつきづらく、敬遠されるかもしれない。
だが、味が調和された肉じゃがのように、相手の心とお腹をじんわり満たすものに化けるかもしれない。
読者の想いを強く揺さぶり、心に何かを残してくれるかもしれない。
そんなことを思い、今日も私は筆をとり、楽しみながら、悩みながら、物語を書き続ける。
まだ見ぬ誰かが「今日も美味しい小説、ごちそうさま」と、そう思ってくれることを願って。